マーガレット10
「どうしてって、カール兄様のお遣いよ? 危ないことなんてなかったわ」
そういう貴方は何故帰ってこないのですか?
「カール様の…… なるほど。ご自分が北領から動けないから君を使者に…… そう。うん。巻き込んでホントにごめん。とにかく君は安全なんだね? 帰りも安全に送ってもらえるのですか?」
アレクシアは、赤髪赤眼の少年がマグノリア公子であることを知っているのでしょう。
彼の方を、ジッと見据えて問いかけました。
「ああ。大丈夫だ」
「そう。それじゃぁ、私はもう行くよ。大人しく直ぐに帰るんだよ?」
だからそれはわたくしのセリフです。
いけません。
このままアレクシアに逃げられてはなりません。
一緒に連れて帰らないと、カール様に合わせる顔がありません。
それにわたくしは、貴方が心配で毎日めしょめしょ泣いてしまって、影武者として機能できません。
そしてそのせいでアリスターを心配した移民たちが暴動を起こしそうになっているのです。
「待ちなさい。貴方も帰るのです。黒衣は、黒衣はどうしたのですか? ノーザンブリアを捨てるのですか?」
思わず場違いな言葉が口から飛び出しました。
わたくしはアレクシアが黒衣で領主様の喪に服し続けることがイヤでした。
陰気でみんなが迷惑してると怒っていました。
早く黒衣を脱いでほしかった。
でも、いざ黒衣を脱いで麻のローブを着たアレクシアを見たら、涙があふれて止まりませんでした。
わたくしたちが捨てられたような気がして、強烈な喪失感が襲ってきました。
「え? どうしてそんな話に? 黒衣が関係あるの?」
「カール様の隠密になるのが夢なのではなかったのですか?」
「えっとね、北領と帝室の新しい協定で、北領は撤収したんだ。だから北領の黒衣でこの国に入るのは協定違反になっちゃうの。でもこの冬を超えるための保存食を帝国側から南領側に移しておかないと民が餓えちゃうでしょ? 大勢の命が掛かっている時に服の色とか気にしていられない、それだけだよ?」
「でも、南領籍まで取って……」
泣き続けるわたくしに本物のアレクシアは頭を抱えてしまいました。
「えっと、この場にいる者たちは?」
「大丈夫だ。信頼できる」
短くマグノリア公子と確認をした後、小さなため息をついて、いろいろと白状し始めました。
「アレクシア。今、南領は混乱を極めているんだ。身分証は燃えてしまってありませんっていえば簡単に発行してもらえるんだ。特に平民籍は格安で」
「身分証をお金で買ったの?」
「まぁ、有り体に言えばそう。ちょっとロイとユリアナの為に山を買いたくてね。南領籍が必要だったの」
「山? ロイとユリアナって、マッドサイエンティストの?」
そういえば、初代マッドサイエンティストのロイとユリアナは南領紛争が始まってから、アリスターと行動したり、ペアでどこかへ行ったり、かと思えばいつの間にか研究都市に戻っていたり、神出鬼没になって、臨時筆頭研究員の幽霊が留守番するようになったのです。
あの二人は今、南領にいるのですか……
「そう。あの、ロイとユリアナ。今、南領にしか生息しない特別な植物を採取中なの。山は買っといたから、採取は来年にしようよって言ったんだけど…… ロイ10KG、私とユリアナがそれぞれ5KGずつ背負って帰るように20KG採取したら帰るっていうから、折れたの」
「そんなの誰かに頼んだらいいじゃない?」
「それがね、ソウソウ草っていう猛烈に臭い植物でね。馬車とかに乗せて運ぶと異臭騒ぎが起きて、多分、途中の何処かで憲兵とかに燃やされるから、自分たちで背負って帝国の森を通り抜けるしかないんだよ」
そういって、マグノリア公子の方を見て「君分かるよね?」と同意を求めました。
マグノリア公子は、少し青ざめて、口を手で覆って小さくうなずきました。
思い出すだけで臭いのでしょうか?
「あれは、触れるだけで、吐きそうになる。20KG集めるなんて、ムリだよ」
「でしょう? ウチの研究者はちょっと狂ってるから、鼻に綿を詰めて、口で息をしてもオエッてなる草を頑張って摘んでるの」
「君もそれを一緒になって運ぶのか?」
「ここにいる人は、信頼できるんだよね?」
「ああ」
「すっごく信頼できるんだよね?」
アレクシアは2度も念押ししています。
よっぽどの秘密なのでしょうか?
「大丈夫だ」
「あれが魅了薬の解毒剤になるかもしれないと言われたから、私は折れるしかなかったの。あれだけ臭ければ、魔物も野獣も近づいてこないから、ある意味、森歩きも安心だしね」
「「魅了薬の解毒剤!?」」
魅了薬は、現在最も問題になっている秘薬です。
聖女と神官に魅了魔法を籠めさせて、地下で販売しています。
謎の軍事組織が南領を滅亡させたのも聖女や神官を捉えて奴隷化するためだと言われています。
教会は元々南領が作った組織です。
南領には正規軍はありませんでしたが、そのかわり教会に騎士団を置いていました。
ただ、基本的に平和的な組織ですから、襲撃に対抗できるほどの強さはなかったのです。
「というわけで、私はもう行くよ。保存食の保管場所と目録もしかるべき人に渡したし、ロイとユリアナと合流して今度こそ北領に帰るから、またノーザスでね! 公子、アレクシア姫をよろしくお願いします」
「ああ。私が責任もって送り届ける」
「ん? 貴方が自ら?」
「許されるならば、北領に亡命したい」
「え? 意外! アレクシアが使者って、そういう話だったの? 意外!」
アレクシア!?
気の抜けた返答をする場面ではありませんよ?
「できることならば、北領でこちらの姫と共に歩みたい」
ビックリ顔でこちらを見るアレクシア。
「え? 君たち? ん? どゆこと?」
突然の申し出にわたくしは顔が真っ赤になってしまいました。
だって、乙女ならちょっとは憧れますでしょ?
こういうの。
ここでアリスターが「君は僕のものだ! 誰にも渡さん!!」とか言ってくれるのです。




