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三章

――三章――


 眼下に岩山に囲まれたラッファー鉱山の町並みが広がる。

 手前に住宅や商店が蝟集し、奥には町の名に冠されたラッファー鉱山が鎮座している。まるで町全体で鉱山への侵入を防いでいるかのようだ。鉱山へと続く道は曲がりくねっており、奥に進めば進むほど傾斜もきつくなる。人家はもっぱら中腹に集中しており、正門付近には門兵の詰め所や、宿屋などの商業施設が集まっている。

 町への出入りは正門のみであり、高い壁と峻険な岩に囲まれさながら難攻不落の要塞のようだ。実際に大戦中はここに立て籠もり何倍もの大軍を退けたとの言い伝えが残されている。

「人通りが多いな。鉱山ってもっと閑散としてるんじゃないのか?」

 ミリミラ・デネ・ランダが隣のフラムに双眼鏡を渡す。

 正門からは引っ切り無しに馬車が出入りし、目抜き通りでは巣に餌を運ぶ蟻のように人が列をなしている。その喧騒が風に乗って遥か高所のここにまで届いてきそうだ。

「そうね。普通なら昼間はがらんとしてるでしょうね」

 ミリミラもフラムも偵察のため岩に腹這いになり覗き込んでいる。傍から見ると滑稽な格好だが、それでもどことなく気品が漂っているのは貴族との出自からか。

「勿体ぶるじゃん」

「別にそんなつもりはないのだけど」

 フラムが苦笑しながら答える。

「人出が多いのは津々浦々から商人が押し掛けて来てるから。この鉱山が精錬した魔宝石を出荷するのは年に一度だけ。そのお陰で小規模ながら当面の活動を支えるだけの魔宝石が手に入る」

「そのうえ警備も手薄か」

「そうね。それはここから採掘される魔宝石の純度がそこまで高くないのも関係はしてると思うけど。それでも貴重よ」

「ボラにも見せて」

 横から伸びた手がひょいと双眼鏡を掴んだ。

「本当だ。すごい人。村の祭りでもこんな集まってるの見たことないや。ほら」

 無邪気にはしゃぐボラと対照的に、半ば無理やり双眼鏡を押し付けられたラルフレッドは義理で覗き込むと、すぐにフラムに返した。

「え~、ラルもっと見なよ。あんたが一番目がいいんだから」

「そうよ、遠慮すること無いわ」

 にっこりとフラムがほほ笑む。貴族でありながら名前で呼んで欲しいと名字を伏せ、入学当初から分け隔てなく平民に接していた。嫋やかな仕草と肉感的な姿態から異性の人気が高いが、人当たりが柔らかいので同性から疎まれているわけでもない。

 ゾディアは油断なくフラムを視界の端に収める。

 朗らかな表情に裏表のない語り口。行き届いた身嗜みに優雅な立ち振る舞い。母性を感じさせる美貌に豊満な肉体。家柄もヴァルミラ連合では名の知れた名家だ。卒業後に待っていたであろう華やかな社交界での生活を投げ打ってまで革命に身を投じる理由は何一つない。

 本人は義憤に駆られたと言っているが到底信じられない。だが、徹底的に背後を洗っても何も出てこなかった。それでも万一を考え弾くべきだと思った。しかし、最終的に兄が参加を認めた。

 本当なら排除してしまいたいが、ガーニッヒの決定は絶対だ。仕方なく疑いの眼差しを向ける程度で我慢している。

「ねぇ、このまま乗り込もうよ」

 ボラの唐突な申し出にラルフレッドを除き顔を見合わせる。

「忘れたのか? 偵察だ」

「逸る気持ちはわかりますが、計画通りに進めないと駄目ですよ」

 ミリミラとフラムに諫められボラが頬を膨らませる。その仕草はまるで子供だ。ラルフレッドが慰めるように頭を撫でるとより幼さが際立った。

 ボラとラルフレッドは同じ孤児院の出身であり、いわゆる幼馴染だ。そのため気心が知れており距離間が非常に近い。孤児の身でありながら学園に合格しているので実力は折り紙付きだ。

 ボラの魔法の才は誰もが認める所だ。しかし、その奔放さは長所を打ち消して余りがある。他人と歩調を合わせるのを極端に厭い、集団行動が一切出来ない。危うく模擬戦で味方ごと吹き飛ばしそうになったことも一度や二度ではない。それでも放校とならなかったのは、ラルフレッドと組ませると目を見張る働きをするからだ。四本の手足を持って生まれたかのように息の合った連携を見せ、数倍程度の人数差であれば戦況をひっくり返す。

 偵察はこの四人に自分を合わせ総勢五名だ。兄を除き手持ちの駒から能力の高い順に選んだような面子だ。それだけ今回の任務は重視されている。

 ゾディアは眼下の街に視線を戻す。米粒大の人々がぞろぞろと蠢いている。主要な区画は一通り確認できたが、裏通りや建物の影など見落しがあるのは否めない。

 果たしてそこまで念を入れる必要があるかは微妙だが、もしこれが原因で失敗を招くようなことがあれば自分で自分を許せない。だから思い切って左腕に巻いた包帯を解いた。

「ゾディアさん、それは……」

「符術がそんな珍しい」

「なんの冗談。精々が四、五枚じゃないの?」

 解けた包帯は無数の符となりゾディアの周りを浮遊している。その数はざっと三十枚に上り、その一枚一枚に魔法が籠められ触れるだけで発動する。

 ゾディアが指先でその内の三枚に触れると、符が発光し溶けるように消えた。

 呆気にとられるフラムから双眼鏡を奪い、自殺志願者のように迷うことなく断崖から踏み出すも、落下することなく虚空に生じた波紋によって支えられる。上空を気ままに闊歩し、死角を虱潰しにしていく。どこにも怪しい人影はなく、こちらの様子を窺っている者もいない。

 封印現場での襲撃から三日経過している。既に死体は発見され蜂の巣をつついたような騒ぎとなっているはずだ。いずれ追手を差し向けられるが、まだ暫く猶予はある。この隙に必要な準備を整えてしまわなければならない。手始めにここの魔宝石を根こそぎ奪い、各地の革命組織を支援する。そうやって小さな炎に薪をくべ、やがて大陸を包む劫火とするのだ。

 それがバブリ・ルシュタントから命じられた指令だ。背景の説明は一切なく、行うべきことだけが簡潔に伝えられた。疑問を差し挿む余地はなく、失敗も許されない。

 これまでと同じだ。ただ、規模が桁違いなだけだ。投入される人材も、時間も、資金も莫大となる。そして流れる血も。

 なぜこれだけの労力を払い波風を立てようとしているのかなど考えたくもない。そういったことに頭を悩ませるのは兄の役目だ。自分は変わらず作戦を成功に導く歯車に徹すればよい。

 数々の無理難題をこなしてきたからこそ、無数の養子の中から白羽の矢が立った。これが成功した暁には最も有力な後継者に躍り出る。

 何代にも亘って魔宝石で財を築いたルシュタント家の資産は黄金の王宮が建つと言われるほどだ。その一部でも手に出来たなら糞に塗れた人生ともおさらばだ。

 そこまで考えゾディアは口の端を持ち上げる。それは涙を堪えているようにも、思いっきり人を馬鹿にしているようにも見える笑みだ。

 例え世界を手にしたところで、受けた汚辱も、刻まれた傷も消えやしない。精々が一時的に片隅に追いやられるだけだ。そんなもののために血反吐を吐きながら努力しているのかと思うと滑稽になって来る。でも、他に方法は知らない。それに立ち止まった時が死だ。だから何かに追い立てられているように前に進むしかない。

 ゾディアは小さく首を振ると目の前の仕事に集中した。

 町は歪なひょうたんのような形をしている。飲み口に鉱山があり、底部に正門が備わっている。中間付近の台地に白亜の屋敷が建っており、そこだけ無骨な鉱山町らしくない瀟洒な造りだ。植木は刈り込まれ、正面に続く私道も舗装されている。

 ちょうど門が開き、馬車が滑り込んだ。御者台にはランド―ル家の家紋である赤薔薇の紋章旗が翻っている。

 ここまでは想定通りだ。問題はその馬車から降り立った人物だ。熊のような外見と聞いていたが、妙齢の女性と少年だった。二人は町長に迎え入れられると、少しぎこちなく握手を交わし屋敷へと吸い込まれた。

 馬車はそのまま裏手に回り使用人が馬を繋ぎ止める。他に降りてくる者はおらず、来訪者はあの二人だけのようだ。身だしなみから単なる従者だとは思えない。恐らく何らかの事情で当主の代わりに訪ねて来たのだ。

 ゾディアは皆の元へと戻ると、先ほど見た光景を掻い摘んで説明した。

「馬車の二人に心当たりは?」

 ミリミラとフラムが顔を見合わせ視線で押し付け合う。やがて決着がついたのかミリミラが口を開いた。

「女の方はキィーローズ・ランドールで間違いない」

「誰それ? 有名人?」

 空気を読まぬボラの間延びした問い掛けにミリミラが生真面目に頷く。

「国を超えて鳴り響いてる。むしろなんで知らないんだ?」

「ボラ興味ない」

「そういったことは兄様に任せてる」

 二人の答えにミリミラは呆れたように首を振りながらも先を続ける。

「キィ―ローズは二つの点で名高い。傑出した魔法の才と、弟への偏愛。その二つが組み合わさって名前が轟いたと言うべきか」

 ミリミラの後をフラムが受け継ぐ。

「それと美貌もです。家柄もしっかりしてますし、縁談が引っ切り無しに舞い込んだそうです。彼女が唯一つけた条件が魔法で自分を打ち負かせることでした。腕に覚えがある者がこぞって挑み、悉く破れました。それが逆に興味を引く形となり、縁談が倍増したそうです。それに嫌気がさし、面倒だからまとめて相手にすると宣言したのが、世に言う『ランド―ル事変』です」

「総勢百名以上の婚約希望者が一堂に集い、中には騎士団で要職に就いている者もいた。誰もが大言壮語だと鼻で笑ったが、連中の顔から嘲りが消えるのに一分も掛からなかったそうだ。最初は侮っていたが、すぐに本気になり、そして完膚なきまでに叩き伏せられた。目撃者によればキィ―ローズには余力が残っているように見えたそうだ。それ以来、彼女に求婚する者はいなくなり、望み通り弟の成長を見守っている」

「まじ? 化物じゃん。止めようよ、そんなん相手するの」

 ボラの腰が引ける。話半分としても厄介な相手なのは間違いない。

「兄様に報告する」

 ゾディアは言い捨てるや否や駆け出す。ついて来れぬ者は置いていくつもりだったが音もなくフラムが並んだ。

「先程中空にいた際に姿を晒したのは『陽炎』の魔法を発動していたからですよね。見事な符術です。感服しました。これまで色々な使い手を見てきましたがゾディアさんに並ぶ者は数えるほどです」

「……」

「世界は広いですから」

「別に何も言ってない」

「うふふ、思ったよりも顔に出ますね」

 やはり好きになれない。殺してしまおうかと思ったが後始末を考えると面倒だ。仕方ないので極力無視することにした。

「召喚者と通訳はどうする?」

 追いついてきたミリミラが問う。

「言ったはず。階級闘争には象徴が必要」

「相手は化物だぜ。こっちも余裕がない。見直すべきじゃないか?」

「確かに前線に出すのは考え物ですね。死なれでもしたら元も子もありません」

「それもあるけど、何て言うか、あれやばくない?」

 ミリミラが気味悪がるのも無理はない。一人でも多くの命を消費したいなどまともな思考ではない。狂人のそれだ。だからこそ理解できる。

 こういった手合いは手段を選ばない故に読みやすい。

 最も重視しているのは効率だ。いずれはホローに見切りをつけるだろう。それでも次の宿主が見つかるまでは腰を上げない。だから結局はズルズルと行く。腐れ縁の男女のように。

 兄はこの点に関しても慎重だ。背景を考えれば、まず間違いなくホローにしかあの能力は使いこなせない。それでも万一を考えている。兄の言葉を借りれば『他の食材が並んだとしても見劣りがしないように調理するべきだ』となる。そのため魔法に長けた者がホローに個人授業を施している。元々が通訳としてしか期待されていなかったので無理もないが、犬に高等算術を教える方がまだ希望が持てる。

 召喚者の想定外の魔法のせいで、相対的にホローの価値が上がってしまった。実情を知る数少ない一人で協力関係にはある。だが、仲間ではない。だからホローの発言力が高まる事態は歓迎できない。

 兄に懸念は伝えたが、それよりも今は召喚者を繋ぎ止めておく方が先決だと諭された。そのためにもホローの成長は不可欠であるとのことだ。心情的に納得はしていないが、論理的に反論出来るわけでもない。唯一の救いは、ホローが『氷柱』以外の魔法を習得できそうにないことだ。少なくとも今の教え方では絶望的だろう。

 このまま進歩がなければ期待は落胆へと変わる。そうなれば、あの女に残されたのは通訳だけだ。それならいつだって奪える。

 計画への参加を要請されると同時に、山積みの辞書と文法書を押し付けられた。与えられた時間は入学までの一年だ。その間に六ヶ国語を完璧にものにしなければならなかった。文字通り本に埋もれ、死の物狂いで異世界の言葉を頭に叩き込んだ。この間の記憶は殆どない。ただ来る日も来る日も頁を捲り、ひたすら呪文のように単語を咀嚼した。そうやって、あの女が生涯を費やしてようやく修めた言語を僅か一年で修得した。

 英語とスペイン語に関してはホローよりも流暢に操れる自信がある。日本語はどちらかと言えば不得手だが、日常会話を理解するのに不自由はしない。実際、伊庭との間で交わされた会話は問題なく聞き取れた。

 得意げに通訳をしているホローが視界の隅に入る度に、耳元で日本語を囁いてやろうかと邪な考えが浮かぶ。

 その場面を想像し、ゾディアは僅かに口角を上げる。ホローの何がこんなにも苛立たせるのか自分自身でも上手く説明できないが、あの辛気臭い面を拝むとどす黒い感情が湧き上がる。まるでこの世の全ての不幸を一身に背負ったかのような態度だ。本当の地獄など一度も経験したこともないくせに。。

「どうなんだ? あの召喚者を本当に使うのか?」

 ミリミラの再度の問いにゾディアは投げやりに返答する。

「兄様が決めること」

 昨夜ゾディアも兄に同様の問い掛けを行った。『召喚者』が『通訳』に置き換わってはいたが。

 それに対する兄の答えは明確だった。

『召喚者と貴族の娘が手を取り合い革命に身を投じる。これ以上大衆を引き付ける題材はない。願ってもない組み合わせだ』

 確かにいかにも愚衆が好みそうな三文芝居だ。身分差の是正を求める革命組織が反乱を企てたとの筋書きよりも遥かに多くの耳目を集める。それだけに政治的利用価値は絶大だ。だから兄の判断は正しい。そう頭で理解しているのに、奥歯に物が挟まったかのような割り切れなさを覚える。

 これまで兄に委ねてきて一度として間違ったことはないというのに。

 ゾディアは迷いを断ち切るかのように力強く地を蹴った。


 本部として利用されている大型の天幕には大よそ十名ほどが集まっている。ここに呼ばれている者が、『特権階級に対する革命と闘争同志連盟』――通称『革闘同盟』――の主だった幹部だ。偵察に出た五名に、ガーニッヒとホロー、それに物資の運搬や会計を担当する事務方の管理官数名がラッファー鉱山の見取り図が広げられた木机を囲んでいる。

「以上、町に関しては特段変わったことはない。特筆すべきはランドール家当主に代わりキィーローズ・ランドールが来訪している点となる」

 ゾディアが簡潔に報告を終えると重苦しい沈黙が舞い降りた。

「……事前に知らなかったの?」

 ホローが刺すような視線をガーニッヒに向ける。

「残念ながら。とはいえ計画に変更はありません。魔宝石を奪取せぬ限り我々に勝機はないのですから」

「わかってるの? 相手はあのキィ―ローズ・ランドールよ?」

「だからこそこうして集まって頂いたのです。皆さんであればどんな難局も乗り越えられると信じておりますので」

 ガーニッヒがにっこりとほほ笑む。その笑顔を前にすると強く出られなくなる者が大半だ。ホローが振り上げた拳のやり場に困ったように舌打ちした。

「改めて作戦を振り返りませんか? 何か違った視点が得られるかもしれません」

 フラムの提案に反対の声は上がらなかった。

「夜陰に乗じてラッファー鉱山の南端の断崖より『滑空』で先発隊が舞い降りる。二手に分かれ一方は魔宝石の保管庫を目指し、もう一方は正門を開く。基本的には無血開城を目指すが、抵抗する者はその限りでない。ランドール家当主は賛同者となる可能性があるので丁重に扱う。例え説得に失敗したとしても害してはならない。魔宝石の運搬には商人の馬車を用い、撤退時には追手を防ぐため、兵舎や厩舎などに火を放つ。これで間違いございませんか?」

「非の打ちどころがありません」

 フラムが優雅に返礼する。その様子にホローとゾディアが図らずとも揃って顔を顰めた。

「これだけ固まってるんだ。抜本的に見直すよりも、キィ―ローズを抑える部隊を追加するとか、最小限の変更に留めた方が無難じゃないか?」

 ミリミラの意見にガーニッヒが首肯する。

「同感です」

「といっても相手の強さが正確にわかりませんことには難しくないでしょうか?」

「大陸でも五指に入ると思っておけば間違いありません」

 断言するガーニッヒに対しゾディア以外の出席者が不思議そうに首を傾げる。

「いくらなんでもそれは過大評価ではないですか?」

「五指と言えばルモーベル王国近衛騎士団主席のパトリックとか、エル・フリージアの『空蝉』、後は――」

「貴女の国のゲルミ・ラテ・ボノゾイ帝王なんかも入るでしょうね」

「ああ、あれは化物だ。そっちの連合長であらせられるミナハライ・マナミムも食い込むんじゃないか?」

「それはどうかしら。単純な戦闘能力なら首席秘書官のガイリッチの方が上でしょうね。他にも何名か候補がいますが、いずれにしろ人の領域とは思えぬ傑物揃いです。本当にキィ―ローズ・ランドールはそこまでなのでしょうか?」

 皆の視線を受けガーニッヒが頷く。

「商人にとって情報は命です」

 一呼吸置きガーニッヒが続ける。

「今さら皆さんに申し上げることではありませんが、我々の体内を巡るマナは血液と同じように循環しています。頭頂部から爪先まで螺旋を描くように右回りに巡っている。だから術式は必ず右手で描かなければなりません。そうでなければマナの流れに逆らうことになりますから」

 魔法を学ぶ際のイロハだ。教科書で言えば最初の頁に載っている内容となる。

「もしここにこの流れを自在に変えられる人物がいたとしたらどうでしょうか? 右手は言うに及ばず、左でも発動できます。理論上は両手同時にすら可能です」

 誰かが息を呑んだ。沈黙を破るように恐る恐るミリミラが尋ねる。

「つまり、それがキィ―ローズだと」

「はい、一種の特異体質です」

「なにそれ! 羨ましいんですけど」

 ボラの率直な感想に方々から苦笑が漏れる。張り詰めていた緊張が少しだけ解れ、物資の管理を担当している少女が挙手した。

「あの、弟さんを溺愛なさっているのでしたら連れて逃げるのではないですか」 

「もしこれがお忍びで偶然居合わせたのだとしたらその可能性が高いです。しかし、今回はあり得ません。幼くともリィロイ・ランドールはランドール家を代表して王家の直轄領たるラッファー鉱山を表敬訪問しているのです。主の庭を荒らす賊を前にして背を見せたとあっては臆病者の誹りを免れません。最悪、背信行為でお家取り潰しと相成っても文句を言えません。最愛の弟の将来を閉ざすことはしないはずです」

「じゃあ向かってくるってこと?」

「ええ、我々は歴史上始めてキィ―ローズ・ランドールの本気を目の当たりにするとの栄に浴するわけです」

「げっ、普通に遠慮したいんだけど」

 剽げたボラの反応に再び苦笑が起こる。これを意図的に行っているなら大したものだが、単に脳と口が直結しているだけだ。その証拠にさも名案だとばかりにポンと手を打ち鳴らした。

「弟が大好きなんでしょ? だったら人質にしちゃえばいいじゃん」

 常にボラは目的に対し最短距離を突き進む。途中に障害物があろうとお構いなしだ。それによってどんな影響が生じるか考えもしなければ悩みもしない。餌を前にした猪だ。

 ボラが本能だとすれば、ラルフレッドは理性だ。ボラの肩を叩き首を横に振る。幼少期に舌を抜かれているため喋れないが、不思議とボラとは視線を交わすだけで意思の疎通がはかられている。

「手を汚さずに理想を実現することは出来ませんが、手を汚すことを前提に理想は語れません。今回は開戦の狼煙です。高らかに反旗を翻すとともに、我々が理想を実現するに足る力を具えていると示さなければなりません。一個人を恐れ人質を取ったとあっては誰が耳を貸すでしょうか」

 ガーニッヒが子供に諭すよう噛んで含め説明する。

「むしろこれを好機と捉えましょう。キィーローズ・ランドールの実力は広く知れ渡っています。彼女を正面から破ったとなれば絶好の宣伝となります」

 言うは易く行うは難しだ。

「もちろんお手本を見せてくれるのよね?」

 ホローの皮肉にガーニッヒが微笑む。

「それも悪くはありません。ただ、その役目は私ではなく貴女にお願いします。ホローさん」

 予想外の返答に当人だけでなく周囲の者まで息を呑む。

「……厄介払いしたいならそう言えば?」

 空気が張り詰める。この場でガーニッヒとホローの関係を知らぬ者はいない。

「召喚者と貴女は革命の象徴です。より燦然と輝くために大金星を挙げるのも悪くないのではありませんか?」

「忘れたの。こっちは『氷柱』しか使えないんだけど?」

「勝負にならないでしょうね」

「なら――」

「それが単なる『氷柱』ならばです。予備動作を必要とせず、連発が可能であり、常に最大火力で放てる。もはや完全に別物です。十分勝機はあります」

「こっちは実戦経験皆無なのよ」

「革命の口火を切ったじゃないですか」

「それは……違うでしょ」

 ホローが目を伏せる。

「何も違いなどありません。戦闘の目的は相手の無力化です。その究極を経験したばかりではありませんか。キィ―ローズ・ランドールに一歩先んじています。それとも突き立てた刃の感触を忘れてしまわれたのですか?」

「忘れられるわけないでしょ!」

 普段のボソボソとした口調からは想像もつかないほどの大声だ。大音声に恥じ入るようにホローが面を伏せた。

「キィ―ローズ・ランドールが強敵であるのは間違いありません。しかし、過剰に恐れる必要はありません。経験という面では勝っているのです。自信を持ってください。それに夜までまだ間がある。ゾディア、ホローさんの魔法を見て差し上げろ」

「それが兄様の望みであれば」

 ホローに魔法の才は塵ほどもない。『氷柱』が使えただけでも奇跡だ。新たな魔法を、しかもこんな短期間で修めるなど犬に逆立ちを教えるようなものだ。兄がそれを見抜けないはずがない。何か別の意図が隠されている。

「必然的に召喚者もだろ。いろんな意味で大丈夫か?」

 ミリミラの後をフラムが受ける。

「召喚者が魔法の発動に積極的なのは聞き及んでいます。ですが、それはあくまでも安全が確保された上での話ではないでしょうか? 戦場に同行するとなるとまた別なのでは? それに仲間であれば背中を預けることも考えられます。今のままでは連携を取ることも儘なりません。言葉の問題もありますが、それ以上に隔たりを感じます」

 召喚者は一度として帰りたいと口にせず、黙々と言語学習に努めている。それだけ切り取ればこちらに骨を埋めるつもりのように見えるが、だからといって胸襟を開くことはなく、基本的には与えられた天幕に引き籠っている。水が低きに流れる如く自然体と言えばそれまでだが、あまりに無関心だ。唯一、ホローが魔法を習得することにだけは熱心であり、読めもしないのに魔導書を欲しがったりした。特に上級魔法に並々ならぬ関心を抱いている。

「なに? つまみ食いでもしたいの? 同じようにはいかないと思うけど」

「これでも殿方の扱いには自信がありますの」

 フラムが妖艶にほほ笑む。お淑やかに見えてとんだ淫売だ。数々の浮名を流しており、フラムとの一夜が忘れられずに勉強が手につかなくなった者までいる始末だ。

「色情狂」

「恋で女は磨かれます。まだ少し早かったかしら?」

 フラムの勝ち誇った様子に思わず左手の包帯を解きかけガーニッヒに止められる。

「交流に関しては今後の課題としておきましょう。今回は二人の補助にゾディアを回します」

 兄と視線が交差する。

 ようやく腑に落ちた。

 ――つまりそういうこと。

 キィ―ローズが噂通りの実力だとしても、倒すだけなら苦労はしない。しかし、ホローに花を持たせてとなると厄介だ。兄の言う通り普通の『氷柱』ではない。それでも所詮初歩の魔法だ。いくら工夫しようとも地力が違う。種がばれれば簡単に捻り潰されてしまう。

 難題だ。とびっきりの。愚痴の一つでも零したくなる。しかし、兄が能力の足らぬ者にけして仕事を任せないことを知っているだけに、ぐっと不平を飲み込む。

 ゾディアは瞬時に幾つかの戦略をはじき出し、最も勝率が高いものを見極める。

 出来ればしたくはなかった。だが、これ以外にはない。

 そうと決まれば一秒たりとも無駄にしたくない。

「来い」

 ゾディアは未だに俯いているホローの腕を乱暴に掴むと、半ば引き摺るようにして天幕を後にした。


 山中にありながら召喚者の天幕の周りには立木がなく見通しがいい。

 魔法で伐採した木は訓練場の木偶や囲いに利用されている。

 ゾディアとホローが近付くと天幕の脇に控えている立哨が敬礼した。身分差を廃絶する革命に身を投じながら正規軍の真似事をするのは理解に苦しむが、わざわざ口に出すことでもないので無視する。

「変わりは?」

「は、はい、大丈夫であります」

 ホローの問い掛けに対して上擦った声で応える。

 緊張は、ホローが数少ない貴族階級の出身だというのもあるが、なによりも召喚者と結び付けられているのが大きい。単なる通訳だと侮っていた女が、蓋を開けてみたら唯一召喚者の力を引き出せる逸材だったのだ。革命の口火を切ったことも合わさり、畏怖に似た気持ちを抱いている者すらいる。今回の件で手柄を挙げたとなれば更に拍車が掛かる。

 実に好ましくない状況だ。折を見て釘を刺しておいた方がいい。

 ゾディアは心に書き留めると、ホローに続き中に入る。

 召喚者は身一つで門を通ってきているので、私物は何もなく、天幕内は実に殺風景だ。余った木材で削り出された荒い作りの机と椅子以外には寝袋が転がっているだけだ。少し大きめの天幕が宛がわれているので余った空間が余計に寒々しい。もっとも一兵卒は数人一組で利用しているので占有できている時点で贅沢ではあるが。

 召喚者は机に向かい羽ペンを走らせている。その横では見慣れぬ少年が大仰な身振りで何かを伝えようと悪戦苦闘している。

「あ~、ですから、え~と、この文字は撥ねてしまうと意味合いが違ってきまして、あ~、何て言うのかな、こう、撥ねる、駄目」

 背を向けているためこちらに気付いておらず両手を交差して大きな×印を作る。

 少年の必死な様子とは対照的に召喚者の反応は薄く、伝わっているのか今一つ判然としない。

「駄目だぁ、僕には荷が重すぎる」

 少年が頭を抱えた所でホローが声をかけた。

「ポニャックさん、ご苦労様。もういいですよ」

「あっ、お戻りでしたか。すみません気付かずに。って、ルシュタントさんまで。あ~、もしかして見られてました?」

 顔を赤らめる。

「熱心に教えてましたね。今日はもういいので、また明日からお願いします」

「あっ、はい、お疲れ様でした」

 必要以上にぺこぺこと会釈し少年が去る。

 同志の選別は専ら兄が行ったのでポニャックとの少年に覚えはない。人の好さ以外に取り柄はなさそうだ。だからこそ召喚者の世話などという厄介な役目を押し付けられたのだろう。

 改めて天幕内を見回すと、隅に律義に着替えが畳まれ、その上に魔導書が重し代わりに置かれている。

 召喚者は元々の奇抜な格好ではなく、標準的な布の服に着替えている。手足がすらりと長いため些か寸足らずであり、ちぐはぐな印象だ。

「どう、進んだ?」

 ホローが砕けた調子の日本語で話しかける。

「パントマイムが気になって今一つ」

「あれでも一生懸命なの」

 召喚者が肩を竦める。その仕草が妙に演技臭さい。まるでこの場ではそう振る舞うことが求められているとでもいうかのように。

「今日の先生はそちらってわけか?」

「そんなところ」

 ホローは毎日欠かさず魔法の特訓を行っている。教師役は毎回違うが、結論は判で捺したように同じだ。すなわち、保有するマナの量が著しく低く、新たに魔法を習得するのは絶望的だと。基礎工事なしに家が建たぬのと一緒だ。マナとの土台がなければ森羅万象に干渉する事象を生み出すことは叶わない。だから基礎を高めることを最優先に訓練内容が組まれている。

「愚図愚図しないで」

 ゾディアは言い捨て訓練所として利用されている場所へ足を向ける。

天幕が乱立する居住区域を抜けると、窪地に出る。数十組は優に組み手を行えるほど広い。不格好ではあるが打ち込み用の木偶まで備え付けられている。

ゾディアが即席の階段を降りると、汗を流している者達の手が止まった。

「今日はゾディアさんか」

「一体どんな魔法を使うんだ?」

「知らないの? 符術よ」

「強化系の魔法を駆使した肉弾戦だって聞いたけど」

「幻術じゃないの?」

 注目されることには慣れているがこうも喧しいと流石に集中が殺がれる。

「ちっ、蠅が」

邪魔なので全員吹き飛ばしてやろうかと思ったところで上から声が掛かった。

「今夜の作戦を改めて説明するので集合。あっ、ゾディア達は続けていいとのことだから」

 ミリミラの呼びかけに応じて人が捌ける。

「血の雨が降らなくてよかったわ」

「無駄口叩いてる暇あるの?」

「また基礎練? いい加減飽き飽きなんだけど」

 ホローがうんざりした様子で首を振る。

「確かに今のままじゃ百年かけても無駄」

「ならどうすればいいわけ?」

「あたしは母親じゃない」

「兄さま、兄さまって言ってるくせにもう指示を忘れたわけ?」

「キィーローズはあたしが片付ける。傍から見て格好が付くようにだけして」

「それだけ啖呵切るのなら策はあるのでしょうね?」

 ゾディアは頷く。

「夜までに『氷柱』を覚えてもらう」

 氷柱がゾディアの脇を掠め背後の木偶に命中し右腕を吹き飛ばした。

「これのこと?」

「違う」

 ゾディアは木偶に向き直ると、右手を前方に突き出し、人差し指で虚空に三角と円が合わさった軌跡を描く。舞うように優雅な指先から描かれた術式は最大効率でマナを変換し、先ほどのホローに見劣りせぬ氷柱が木偶の頭部を貫いた。

「わざわざ術式を覚えろっての? なんで?」

「言ったでしょ。あたしは母親じゃない」

 ゾディアが鼻で笑うとホローが歯噛みする。

 どこまで通用するかはわからない。だが、これ以外に手はない。

 それまで傍観していた召喚者が進み出ると、見様見真似で術式を描く。一部線は乱れているが中々様になっている。しかし、『氷柱』は発動することなく、何も起こらない。、

「まぁ、そうだよな」

 術式は体内のマナを整調するための手段であり、流れを制御する役目を担っている。マナを持たぬ召喚者が形だけ真似したところで魔法は発動しない。端から期待していなかったのか落胆した様子はない。

「敵を欺くためなんだろ? ならこっちも覚えた方がいいんじゃないの?」

 やはり血の巡りは悪くない。言葉がわからずとも一連の流れで見抜いたようだ。

「ああ、そういうこと。術式で発動している振りをしろってこと?」

ようやくホローも察したようだ。

「勝負は伏せた手札で決まる」

「でも、そんな小細工通じる?」

「看破されても構わない」

 ちらりと召喚者に視線を向ける。今度は汲み取ったようだ。

「生餌ってこと?」

「馬鹿じゃない限り供給源を狙う。そうなれば大義名分が生まれる」

 召喚者を守るため否応なしに参戦したとの態が取れる。謂わば正当防衛だ。これなら周囲の理解も得られる。後は上手い具合にホローに花を持たせればいい。難題ではあるが不可能ではない。

「もし気付かなかったら?」

「墓はそこらの石で文句ないでしょ」

「はっ、笑えない」

「墓石に拘りたいなら死に物狂いで覚えたら」

 キィ―ローズを倒せるとは思えないが、追い込めたなら上出来だ。要は民衆が善戦だと納得すればいい。本筋を改竄するわけにはいかないが、細部は脚色出来る。

「彼にもここまでの事を説明する」

 ホローが掻い摘んであらましを伝える。過剰に脅威を煽るようなこともないが、かといって安易に甘い見立てで楽観もさせない。事実をありのまま淡々と述べている。

「――と言うように、危険が増したのは否めない。なのでこれを」

 ホローが腰に差していた短剣を鞘ごと押し付けるように伊庭に渡す。

「代々伝わる魔除けの短剣。切れ味は保証する」

 まるで厄介払いするかのようだ。リエールの血を吸っているので手元に置いておきたくないのだろう。殺したことを悔いているのではなく正当化できずにいる。だから目を背けたい。そんなことした所で救いなどはありもしないのに。

「っつ」

 ゾディアは口を開きかけ閉じる。

 助言してどうなると言うのだ。甘さは隙を生む。この先も生き延びたいなら柄にもないことは控えるべきだ。

「早くして」

 ゾディアは殊更鋭い口調でホローを急かすと、徐々に傾きつつある太陽を睨みつけた。


――幕間――


 隈なく大陸を踏破し初めて正確な地図を作製したギュダナール・ヌレイオ伯爵に敬意を表して、ギュダナール大陸と名付けられた地は、三つの強国によって分割されている。すなわち、魔宝石の産出国であるルモーベル王国、商業と貿易を中心に栄えたヴァルミラ連合、高度な鍛冶技術の応用で発展したボイゾ帝国だ。小国や辺境の蛮族など独立勢力が存在しないわけではないが、いずれも地図上の染みでしかないと見過ごされている。

 そんな三国の首脳が一堂に会するのは、十年に一度、友好と和平の継続を願って開かれる平和の祭典の時だけだ。目玉は最終日に闘技場で開かれる個人戦であり、各国の代表と推薦枠で選ばれた実力者が大陸最強の名を懸けて鎬を削る。

 前回優勝者であるルモーベル王国近衛騎士団主席のパトリックは、主であるギャリッチ・カイゼンバーグ・ルモーの背後に控えながら、最近とみに増えた白髪を痛ましい思いで眺める。それほどまでにあの事件は主の心を蝕んでいる。

 第一報が齎された時は耳を疑った。一部民衆の間で不満が高まっていることは承知していたが、こんな形で暴発するとは夢にも思わなかった。錚々たる名家の子息が犠牲となり、その中には王の一人娘である第一皇女の名もあった。それだけでも心労が慮られると言うのに輪をかけてこの有様だ。

「まだ行方が掴めんのか!」

 室内に怒号が響き渡る。

 今回の事件を受けエル・フリージア正教学園の理事長室は臨時の捜査本部として接収された。ご自慢の贅を尽くした調度品は全て運び出され、空いた空間を埋めるようにして捜査資料が山積みにされている。壁一面には加担したと目される生徒の似顔絵が貼られ、随時情報が書き足されていく。雑然とした室内にあって唯一侵すべからず神聖さを保っているのは中央に据えられた円卓だけだ。

 円卓に用意された席は四脚だが、その内の一人は椅子を温めることなく終始直立不動なので、着座しているのは三名となる。その者達の背後にはそれぞれ副官が控えており、各々薄笑いや能面などで内心を隠している。

「は、はい、全力でさ、探しておりますが、まだ――」

「壊れた蓄音機か! 昨日と全く同じではないか。たかが小童相手に何をもたもたしておる! 貴様らの目は節穴か」

「な、なにぶん巧妙に――」

「言い訳はいい!」

「申し訳ありません」

 普段はふんぞり返っている理事長が青ざめ返答に窮している様を見たら生徒でなくとも目を疑ったことだろう。だが、いくらエル・フリージア正教学園の理事長と言えども、この大陸を治めている三者に比べれば何ほどの価値もない。

「大体どうなっているのだ? ルシュタントの名を継ぐ者が賊に紛れているとは」

 一同の視線が壁に貼られた二枚の似顔絵へと吸い寄せられる。端正な顔立ちの青年と冷たい美貌の少女が並んでいる。絵からすらも何となく気品が漂っている。

「それに関しては私から説明いたします」

 パトリックとは王を挿み反対側に控えている中年の男が落ち着いた声音で応じる。

「参列が遅くなり恐縮です。商用で大陸の端にいたものでして。確かに我がルシュタントの名を名乗る者が封印の一団に選抜されておりました。ですが何ら血縁関係はございません。ご存知のように私に子を成す力はございません。そのため不幸にして孤児となった子供たちの中から優秀な者を引き取り育てております。その数は現在二千七百五十二名を数えるまでになりました。その内の双子が学園入学時にルシュタントの名を騙ったようです」

「特に目を掛けていた者ではないのか?」

 ルシュタントが柔らかな笑みとは裏腹にきっぱりと首を振る。

「私は彼等に対して平等に無関心です。謂わば種を蒔いているに過ぎません。美しく咲くのであればいずれ注意を向けるかもしれませんが、まだその時ではございません」

「では本件と無関係なのだな?」

「もちろんです。私どもはルモーベル王国、ひいては皆様のお引き立てがあって成り立つ家業です。徒に波風を立てて何になりましょうか」

 ルシュタントの主張は至極真っ当だ。それに弓を引きつもりならこんな迂遠な方法を取る必要はない。宝物庫に眠っている紅玉は三国に匹敵すると囁かれている。独立を宣言されたらそれを受け入れるしかない。

「徒花だったと言うわけか」

「手折るのに最大限の協力は惜しみません」

 ルシュタントが深々と一礼すると黄金を塗り込んでいると噂される金色に輝く金髪がふさふさと揺れた。先ほどまでは居丈高であったボイゾ帝国のゲルミ・ラテ・ボノゾイも流石に高圧的な態度を取れず矛を収めた。

「しかし困りましたわ。こうも成果がないのでは」

 声を張り上げているボノゾイとは対照的に落ち着いた声音だ。だがそれはけして柔らかくもなければ穏やかでもない。むしろ底冷えする冷淡さを滲ませている。

「エル・フリージア教が総力を挙げて犯人を捕まえると言うから静観していましたの。約束が空手形であったとあっては私も顔向け出来ません」

 ヴァルミラ連合長であるミナハライ・マナミムが妖艶に足を組み替える。

「か、必ず狼藉者どもを捕まえます。もう暫くお時間を頂けませんでしょうか。伏してこの通りお願い致します」

 己の半分も年端の行かぬマナミムに向かって理事長が九十度の角度で腰を折ると、額が机にぶつかりゴンと派手な音を立て頭髪がずれた。あまりの勢いに頭皮が捲れたのかと思ったが、実際はかつらが衝撃に耐えられなかっただけだ。本来であれば苦笑が湧くだろうが、白い歯を見せた者は一人としていない。

「御髪と同じで見栄を張っても虚しいだけだとは思いませんか? 手に余るのであれば私どもが後を引き継ぎます」

「聞き捨てならんな。奴らは我らが地獄の果てまで追い詰める」

「あら? 碌に国内で探し物もできないのに?」

「猫の額ぐらいの国土であれば探すのも楽であろうな」

 両者の間で火花が散る。

 これはもはや単なる反乱者の討伐ではない。それぞれ名家の子息が犠牲になっており高度な政治問題と化している。誰が首謀者を手にするかで国の趨勢が左右されかねない。だからこそ中立な立場である教団による捜索が望まれるのだ。

「お二方のお気持ちもわかりますが、我々が乗り出しても混乱を招くだけです。それに昨日遅くに増援が届いたと聞き及んでいます。間違いないな?」

「はい、『空蝉』が派兵されたことを確認しております」

 主の問い掛けにパトリックが淀みなく応える。

「そういった重要なことを真っ先に報告しないのはどういった料簡だ!」

「あら、猟犬の投入は予定された行動なので一々報告はしないのだと思ってました」

 ボノゾイが吠え、マナミムが受け流す。

 炎帝と呼ばれるボノゾイと、氷皇と囁かれるマナミムの性格は正反対であり噛み合うことがない。それでも決定的な亀裂が入らないのは、ルモーベル王国との強大な敵が存在しているからだ。獅子が牙を剥いた際にいがみ合っていては食い殺されてしまう。三竦みで均衡を保っているように見えて、実際は二対一との構図となっている。

 パトリックは一部の国民が楽観的に信じている自国の圧倒的な軍事的優位を鵜呑みにはしていない。確かに、唯一の魔宝石の産出国であり、紅玉の保有数で言えば頭一つ抜けているだろう。だが、魔宝石の軍事転用の研究では両国に比べ一歩遅れている。効率が量を上回ることがないと誰が断言できようか。それに数百年前から各国共に巧妙に手札を隠している。どんな切り札が伏せられているか知れたものではない。なんとしても現状の均衡を保たなければならない。そのためにもエル・フリージア教によって首謀者が捕らえられる必要がある。

「ご報告が遅くなり誠に申し訳ございません。今回は特例として個ではなく群を異端と認定いたしました。これにより反逆に加担した者が一人残らず異端者として審判対象となります」

 信者数に比べエル・フリージア教が抱える実行部隊は小規模だ。これは外敵と矛を交える機会が少なかったことも影響しているが、なによりも教団の闇を一手に担っている『空蝉』の存在が大きい。一度異端認定されたら最後、必ず葬り去られる。

 空蝉の実力は謎に包まれているが、眉唾の噂話ならば枚挙に暇がない。その半分でも本当なら大陸最強の座は明け渡さなければならない。

「名高い彼らのことですから数日で片を付けてくれると思ってよいですわね?」

「そ、それは……」

 理事長が助けを求めるように縋る視線を我が主に向ける。

「何を目を泳がせておる。ご自慢の玩具だろ。それとも壊れておるのか?」

「い、いえ、滅相もございません。必ず成果を上げてくれると信じております」

「では近い内に吉報が齎されることを期待しておりますわ」

 話は終わったとばかりにマナミムが席を立つ。

「この茶番もようやく幕か」

 ボノゾイが続く。

 残された我が主がゆっくりと腰を上げると、精魂尽き果てたように理事長が椅子に崩れ落ちた。

「外で待っておれ」

「はっ!」 

 主が理事長に歩み寄る。慈悲深い方なので慰めの言葉をかけられるのだろう。一番お辛いのは愛娘を亡くされたご自身だと言うのに。

 パトリックは自然と首を垂れると、主の命令通り二人を残して扉を閉めた。

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