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二章

――二章――


 ホローは倒れ伏した死体に冷たい一瞥をくれる。

「同情はしないから」

 リエールに恨みはない。同じように役割を演じただけだ。違いは、自覚しているか、いないかでしかない。その差異がここまで己を苛立たせるとは思いもしなかった。皇女として慕われている姿が視界に入る度に肌が粟立った。しかし、それももう終わりだ。

「返してくれる」

 死体から紅玉を奪う。小国に匹敵する価値を思えばもう少し丁重に扱うべきかもしれないが、特に頓着することなく腰に提げた巾着に仕舞うと、虐殺の場と化した戦場に視線を転じた。

 奇襲を受け、数の上でも不利な貴族が一人また一人と倒れる。流石に国を代表する実力者だけありヤノファーブとマクナイトは奮闘しているが、如何せん多勢に無勢だ。ヤノファーブの掌から魔宝石が零れると、周囲から放たれた魔法に貫かれた。

「くっ、卑怯者がっ! 騎士ならば正々堂々闘え!」

 残されたマクナイトが吠える。

「今更騎士とか笑わせる」

「賤民扱いしたのはそっちだろうが」

「見下していた者に殺されるのはどんな気分っすか?」

「下賤な輩が調子に乗りやがって!」

 マクナイトが突き出した細身の刀の切先が無数に枝分かれし、包囲していた者達に一斉に襲い掛かる。手負いの獣の反撃に面食らい十分な迎撃態勢を取れずにいると、集団から飛び出したミリミラ・デネ・ランダが風車のように長尺の槍を振り回し切先を払い落としていく。しかし、いくら手練れとはいえ全てを防ぐことは出来ず、幾本かが彼女の四肢を貫いた。

「馬鹿め! 愚民なぞに肩入れした報いだ。兄といいつくづく無能な血だ」

「血か、そうだな。嬉しく思うよ。この血で貴様を屠れることを」

 ミリミラの体から流れ出た血が逆巻き、槍に纏わりついていく。まるで大蛇が穂先に巻き付いたかのようだ。その禍々しい姿に戦場が息を呑む。

「なんだ、それは! 俺は知らんぞ」

「ランダ家が秘宝『陰腹』」

「おい、貴様それを俺に献上しろ。そうすればこの狼藉許してやらんこともない」

 立場を弁えていないマクナイトの発言に方々から失笑が漏れる。

「死にゆく者の許しに何の価値がある?」

「舐め腐って!」

 再びマクナイトが刀を突き出す。先ほどよりも更に細かく枝分かれした切先がミリミラに襲い掛かるも、槍の一振りで大蛇がのたうち悉く薙ぎ払った。意思を持っているかのように血が躍り狂い、マクナイトごと呑み込むと、咀嚼するように蠢く。

 辺りにグシャッともゴキッとも表現できぬ音が木霊する。暫くしてミリミラが槍で虚空を切ると大蛇が消え、後にはかつてマクナイトであった残骸が残った。

 その瞬間、歓声が爆発する。見守っていた者達が抱き合い喜ぶ。

 ミリミラは救護班に囲まれ傷の手当てのため運ばれていく。

 その人の流れに逆らうようにして、こちらに歩み寄って来るガーニッヒ・ルシュタントを認め、ホローは皮肉っぽく口角を上げた。

「意外と手古摺ったのね」

「腐っても鯛ってことです」

 言葉とは裏腹に涼しい顔で応じる。

「なら手を貸せばよかったじゃない」

「貴重な実戦経験の場ですから」

「あっそ、で、被害は?」

「ありません」

 ホローはガーニッヒの肩越しに戦場の片隅で呻いている負傷者に目を向ける。中には物言わぬ屍と化している者もいる。

「ああ、あれはお客さんです」

 全ての平民が今回の謀反に加担しているわけではない。密告の危険が高いと判断された者や、戦力にならないと見做された者は蚊帳の外に置かれている。

「呻かれていても邪魔だわ」

「召喚者が来るまでには片付けます」

「そうして」

 治療を施すつもりなのか、あるいは止めを刺すのかは知らないが、戦力にならないのならどちらでも大差はない。

「ついでに散乱している死体も片しましょうか?」

「腐りはしないでしょ」

「門を潜って最初に飛び込んで来る光景としては些か刺激が強過ぎるのでは」

「この程度で腰が引けるなら説得しても無駄」

「強制暗示は避けたいのですがね」

「努力はする。だけど元々が分の悪い賭けなのはわかっているでしょ。余程のお人好しか、世間知らず、もしくはねじが何本か飛んでない限り首を縦に振るとは思えない」

「人は自分が思うよりも遥かに欲望に忠実です。金、異性、名誉、権力、何処を押せば揺らぐのか探ってください。後はこちらでやりますので」

「言葉が通じればね」

 ホローが習得した言語は英語を筆頭にスペイン語、ポルトガル語、フランス語、アラビア語に日本語だ。向こうにはその他にも数多の言葉があると聞く。統一された言語体系を維持しているこの大陸とは大きく異なる。

「過去の統計からいけば九割は勝てます」

「母数少ないのに意味なんてないでしょ」

「これでも運はいい方なので」

「こんな貧乏くじ引いてる時点で説得力零なんだけど」

「はは、そうかもしれませんね。いずれにしろ、出番がないことを祈っています。負傷者の中に宗旨替えした者がいないか見て来ます」

「少し休むわ」

「ご随意に」

 別に疲れたわけではない。立ち込める血の臭いに少しばかり辟易しただけだ。誰が門を通って来るにしろ、この惨状に腰を抜かさないとしたら相当だ。

 ホローは恨めしげに虚空を見上げるリエールの死体を一瞥すると、右手に付着した血を洗い流すためその場を離れた。


「そろそろね」

 ホローの言葉を待っていたかのように祭壇の上空に召喚陣が浮かぶ。通常の召喚魔法で描かれる陣は白と相場が決まっているが、事前に聞かされていた通り赤黒く発光している。幾人もの天才が解析に挑み未だに解き明かされぬ謎だ。

 召喚陣を通り最初に現れたのは裸足の足だ。ついで黒に白地の三本線が入ったズボンに、濃い緑黄色の半袖。こちらではまず目にしない奇抜な格好に軽いどよめきが起こる。髪は黒く、顔の彫は深くないが、目鼻立ちは整っており、目元が涼しい。どことなく酷薄な印象を受けるのは若干薄い唇のせいだろうか。

 想像していたよりも遥かに若い。同年代か少し下だ。

「子供か。幸先はいいかも」

 年端が行かぬと力に振り回されがちになると忌避されるが、今回に限ればむしろ好都合だ。海千山千の相手を説き伏せるよりも遥かに御しやすい。

 召喚者は長身だが、線が細く、どことなく頼りない感じを受ける。革命軍の旗頭としては些か物足りない。方々から落胆混じりの溜息が漏れる。

「おい固まってるぜ」

「そりゃ驚くでしょ」

「吐くんじゃないか?」

「こりゃ期待できないな」

 立ったまま気を失っているのかと思ったが、顔から血の気は引いておらず、白目を剥くようなこともない。むしろ、これだけの死体を前にしても、一切表情は変わらず、瞳には何も浮かんでいない。その不気味さに気付いた何人かが警戒するように得物に手を伸ばす。

「転がっている死体の仲間入りを果たす前に説明はしてもらえるんですか?」

 日本語だ。どうやら不戦敗とはならなかったようだ。

 召喚者の声は艶があり、張り上げているわけでもないのによく通る。だが、問題はそこではない。これだけの異常事態を前に、上擦りもしなければ、震えてもいない。まるで天気の話をするような調子だ。言葉の意味は分からずとも、その異様さは伝わったのだろう。水を打ったように静まり返った。

 ホローは群衆から抜け出し祭壇を見上げる。

「突然の事態にさぞかし驚かれていることでしょう。ですがご安心ください。危害を加えるつもりはございません」

「ここが日本だとは思えないけど言葉は通じるんですね」

「日本語を理解できるのは私だけです。そして仰る通り日本、いえ地球とは次元を異にした世界となります」

「こういう場合は頬を抓るんだっけ? 実際にやると陳腐だな」

 冗談とも本気ともつかぬことを真顔で宣う。何百との想定問答を叩き込んでいるが、こんな類例はなかった。

「色々と疑問もあることでしょう。まずはこの大陸の歴史と、現在の情勢について簡単に説明いたします」

 遥か昔、大陸中に無数の小国が乱立し鎬を削っていた。吹き荒れる戦乱に、民心は乱れ、大地は荒廃し、夥しい血が流れた。尽きることのない野心と憎しみに踊らされ、人類は自らの手で首を絞め、衰退の一途を辿った。

 大魔導士クイーナの出生は一切謎に包まれている。どのようにして魔法を修め、如何にして門を繋げたのかも不明だ。また、自身の言葉や思想を後世に残すことを禁じたので、何を考え召喚者を呼び寄せたのかもはっきりとはしない。ただ、彼女が平和を望んでいたことは疑いもない。

 初代の召喚者を中心とした四人の仲間と力を合わせ大陸の平定を成し遂げると、一つの旗の下に争いのない世界を築き、謎多き人生の幕を閉じた。しかし、彼女の意思が受け継がれたのは短い間だけだ。若き王の死に端を発した後継争いで国が二つに割れると、そこからは坂道を転げるように状況が悪化した。それまでの努力を嘲笑うかのように群雄割拠の戦国時代に逆戻りし、血で血を洗う紛争が各地で勃発した。

 それを止めたのはまたしても召喚者だった。しかし、今度は初代とは真逆の方法によってだ。初代が争いのない世界の実現のために戦ったのとは反対に、四代目の召喚者は混沌を生み落とすためだけに暴れ回った。召喚者を後ろ盾に勢力を伸ばした新興国が己の過ちに気付いた時には手の施しようのない怪物となっていた。こうして人類は始めて世界の敵と向き合うことになり、力を合わせ挑む以外に絶滅を避ける術はなかった。紙一重の差で召喚者を退けるも、各国総力戦により多大な犠牲を払い、もはや争いを続ける余力は一切残っていなかった。こうして現在まで続く大国三カ国による永続停戦合意が結ばれ、歪ながらも平和を維持している。

「過去の教訓に倣い、召喚者は封印し無害化することに決まりました。それ以来、一度として封印に失敗したことはありません」

 一気に喋り乾いた唇を舌で湿らすと、横から水筒が差し出された。水を一口含みガーニッヒに返す。

「じゃあ今回が初になるわけだ」

「……なぜそう思うのですか?」

「他に死体が転がっている理由が思いつかない」

「妨害者を退けた可能性もあるのでは?」

「封印が一度も失敗してないなら儀礼的な側面が強調される。華美な格好をしてるのがどっちかは考えるまでもない」

 観察眼に舌を巻く。遣り取りをガーニッヒに耳打ちすると、滅多なことで驚かぬ瞳が見開かれた。

「首輪の付け方を考える必要がありますね」

「わかってる」

 振付を覚えられぬほど愚鈍でも困るが、勝手に演目を変えられても厄介だ。掌で踊ってくれなければ計画に支障が生じる。

「で、目的は?」

 こちらに考える暇を与えないかのように畳みかけて来る。核心に触れるのはもう少し温まってからと思っていたが、こうなっては止むを得ない。

 ホローはガーニッヒと視線を交わすと、用意していた口上を口にする。

「そちらの世界でも民主主義が根付くまで階級制度による差別が激しかったと聞きます。正に同じことがここで起こっています。生まれが全てであり、理不尽な差別に苦しめられています。私達はそのために立ち上がりました。一人一人は微力ですが力を合わせれば変えられると信じています。民主主義の先駆者として力を貸して欲しいのです」

 ホローが跪くと、ガーニッヒ達が一斉に倣った。数十名が拝礼する姿はさぞかし壮観だろう。権勢欲が強ければ喜色を抑えられぬはずだ。

 ホローはどんな些細な仕草も見逃さぬよう上目遣いで様子を盗み見る。喜色とまではいかずとも、口の端が持ち上がる程度の反応は期待していた。しかし、召喚者の表情は一切変わらず、どこか白けた雰囲気すら漂っている。

 召喚者が大袈裟に溜息を吐くと、やおら祭壇から降りる。突然の行動に得物を抜きかける部下をガーニッヒが目線で制止する。

 張り詰めた空気に気圧されることなく距離を詰めると、数歩ほど離れた位置で足を止めた。

「あそこからじゃ実像が見えてないんじゃないかと思って」

「けして過大評価ではありません。召喚者にはそれだけの力が具わっているのです」

「そう言われてもね」

「実感が湧かないのも無理はありません。召喚者の特異性について知れば納得いただけると思います」

 魔法とは、体内に流れているマナを制御し、森羅万象に干渉する作業に他ならない。古典的な手法として詠唱により魔法を発動する方法もあるが、やたらと冗漫な祝詞を一字一句正確に唱えなければならず、術式が台頭してからはすっかり廃れてしまった。指先にマナを集め定められた軌道を描く術式は、祝詞に比べ簡素であり発動も速い。多少形が崩れても若干マナの伝導効率が下がるだけで、祝詞のように頭からやり直す必要がないのも利点だ。ミリミラ・デネ・ランダが用いたように武器に埋め込まれた魔宝石を介して魔法を発動する手法もないことはないが、極めて高度な鍛冶が要求される上に、使い手との相性に大きく左右されるため、ゾイド帝国以外では広まってはいない。

 いずれにしろ、魔法を発動するには原資となるマナと変換作業が必須となる。

 その理から唯一外れているのが召喚者だ。

 魔法の発動にマナを用いないので、変換作業も不要であり、念じるだけで事象が具現化する。それは文字通り奇跡だ。強力な魔法ほど要求されるマナは膨大で変換作業も複雑となるため、もし召喚者が上級や超級魔法を扱えれば得難い戦力となる。

「召喚者は必ず一つ以上魔法を会得しております。残念ながら後天的に学ぶことは出来ませんが、往々にして強力な魔法を扱えるものです」

「なんだ、ガチャか」

「ガチャとはなんですか?」

 初めて耳にする単語に戸惑う。

「単なる無作為抽出を運との言葉に置き換えて一喜一憂すること。射幸心が煽られて脳が痺れると言われたから試してみたけど期待外れだった。で、たぶん俺は外れじゃないか。さっきから何も反応しない」

 赤子が呼吸を学ぶ必要がないように、召喚者も教わらざるとも魔法が使える。だから不発などあり得ない。

「発動なさってるんですか?」

「というよりも特に何も意識しなくても効果が続いてるようだけど。ここにいる全員が対象となっている」

 ホローが翻訳して伝えると幾人かがギョッとしたように足を浮かした。幾重にも敷いた防御陣が無反応なので害をなすものではないはずだ。

「他人の能力を向上させる魔法だとしたら革命だけど、どう?」

「身体能力、魔法の初速、必要なマナの量、いずれも変化はありません」

 マナは指紋のように個人で固有の色合いを帯びている。そのため内部から効能が働く治癒や能力向上系の魔法は自身にしか効果が及ばない。マナを原資としていない召喚者ならばあるいはと思ったが、そう都合よくはいかないようだ。

「マナの代替については説明したのですか?」

「まだ、予備知識なしでどういった反応をするか見てみたい」

 ガーニッヒが眉を顰める。

「些か悪趣味ではありませんか?」

「人間性を見極めるのに最も適している」

 一瞬視線が絡む。こちらが折れないと悟ったのだろう。ガーニッヒが小さく頷く。

「魂の償還がなされてないなら魔法は発動していません。何か切っ掛けがないと効力を発揮しないのだと思います」

「こっちは基礎の魔学ですら落第すれすれだったの。勿体ぶらないで教えてくれる」

 ガーニッヒの様子から当たりはついているようだ。普段は即断即決のくせに珍しく歯切れが悪い。

「その魔学の基礎講座では何を学びましたか?」

「それが何の関係があるの?」

「教えてください」

 有無を言わせぬ口調にホローは渋々答える。

「『氷柱』だけど」

 ごく初歩の攻撃魔法だ。才能に富む者であれば一日かからずに習得するだろう。

 魔法の才能は二つの要素によって決まる。すなわち、保有するマナと、学習感度だ。マナは土台なので保有量が少ないと魔法を覚える以前の問題と見做される。ぬかるんだ土地に家が建たないのと一緒だ。

 だからホローはこれまで一度としてまともに魔法と向き合ってこなかった。最もマナの要求量が少ない『発光』ですら使えぬほど保有量が少なくては術式を覚えるだけ無駄というものだ。

「丁度いい。そちらを今見せてもらえませんか?」

「無理」

 言下に拒否する。

「保有するマナが足りないのを心配しているなら問題ありません」

「私に試験の再現をさせたいの?」

 ガーニッヒは基礎講座を免除されていたので知らないはずだが、特例として魔宝石の助けを借り、『氷柱』らしきものを捻り出した。あの時の試験官の表情を思い出すと羞恥で顔が熱くなる。

「ええ是非お願いします」

「冗談でも笑えないんだけど」

「別に氷柱が雹だったとしても構いません。人に当たらないよう地面に向かってお願いします」

 意に沿わない決断をしたことに対する意趣返しではと疑いまじまじと凝視するも、揶揄っている様子は微塵もない。

「……覚えてなさいよ」

 ホローは試験対策のために死に物狂いで覚えた術式を切る。発動なぞするわけがないと高を括っていたが、案に反して氷柱が生成されると、目にも止まらぬ速さで地面に突き刺さった。衝突の衝撃で周囲が抉れている。

「おおぉ!」

 周りの感嘆も聞こえぬ程、発動した本人が一番驚いている。

 指先に練ったマナも不十分ならば、術式もうろ覚えだ。発動するわけなどないのだ。なのに、これまで見たこともないほど完璧な『氷柱』が具現化し、寸分の狂いもなく狙っていた場所に命中した。

「なにこれ……?」

 ホローは自身が発するべき台詞が召喚者から洩れたことに驚く。なんの背景も知らないはずだ。なのに、この場で最も相応しい反応を示している。

「……走馬灯?」

 だが、続く召喚者の言葉で我に返る。

「まさか嘘でしょ!」

「思った通り、『終の託し』で間違いありません。非常に使いどころが限られる上に実用性に乏しいため、とうの昔に廃れた魔法です。内容としては、自らの生命をマナに変換し任意の対象に託すものになります。命懸けで行っても相性によっては殆どマナを譲渡できず無駄に終わることも珍しくなかったのだとか」

「じゃあ、さっきの『氷柱』は彼のマナを使って撃ったってわけ?」

「正確にはマナの代替物をです」

 それが意味する所を悟り血の気が引く。

「マナで渡されているわけではないので、先程のような半端な術式でも最大の効果が得られます。恐らく術式すら不要だと思います」

 その説明に歓声が上がる。しかし、周囲の反応とは対照的にガーニッヒの表情は優れない。

「ぬか喜びしないで下さい。先ほど私が試した際は一切効果がありませんでした。何か条件があるはずです。ここら辺は追々確認しますので、まずは魂の償還について説明をお願いします」

 促されホローは召喚者に向き直った。

 魂の償還とは他人の命でマナを贖うことだ。これにより召喚者はほぼ無尽蔵に魔法が使える。魔宝石の活用が進んでいない昔であればこれだけで圧倒的な優位に立てた。更に発動に詠唱も術式も不要なため、強力な魔法を会得した召喚者がいれば、世界を手中に収めることも可能だった。実際に初代はその力を存分に振るい大陸を平定したのだ。

 だが、過ぎたる力には必ず代償が伴う。

 償還された魂の記憶が流れ込むことにより、間接的に殺した相手の人生を追体験しなければならない。これに耐えられず精神を病んだ者も多い。初代も平和な世界の行く末を見届けることなく縊死した。それほどまでに他人の走馬灯を覗き見るのは強烈な罪悪感に襲われるのだ。

 なのに目の前の少年は平然としている。突然のことで実感がないのか、あるいは――。

「召喚者が魔法を発動した際に必要なマナに応じて命が消費されます。それを我々は魂の償還と呼んでいます。償還された魂は記憶となり流れ込みます。いわゆる走馬灯と呼ばれるものです」

「ああ、やっぱり。そっちが使った魔法でってこと?」

「はい、そうです」

 少年が考え込むように顎に手を当てる。

「この対象は地球から無作為に選ばれるのか? それともこっちの世界から?」

「貴方がいた世界だけが対象です」

「任意の相手を選ぶことは?」

「不可能と言って差し支えないかと」

「なら、人数を増やすことは? マナだっけ? それに応じてってことは必ずしも一人じゃないってことですよね」

 思わぬ展開に戸惑う。まるで多くの命を消費したいと言っているように聞こえる。返答に困りガーニッヒに助言を求める。

「つまり少しでも多く魂を償還したいというわけですか?」

「たぶん狙い撃ちしたいのだと思う。それが無理だから数に切り替えた」

「殺したい相手がいると。そういうことですか?」

「はっきりとは言わないけど、そうとしか思えない」

「向こうの人口は桁違いだと聞いてます。随分と気の長い話になりそうですね」

「その前に精神がもたないでしょ」

「それは……どうですかね」

 もし何の罪悪感も抱かないのだとしたら狂っている。協力を取り付ける以前の問題だ。

「いずれにしろ攻め処ははっきりしました」

「本気?」

「目的がはっきりしているなら御しやすい。それに我々には召喚者の協力が不可欠です」

 そうだ。全ては恒久的な繁栄のために。だから血が流れなければならない。それには召喚者なくして不可能だ。

「『氷柱』以外に使えないのだけど」

「努力次第で何とでもなりますよ」

 百年に一人の天才と名高いあんたと同じにするなと言いたいのをぐっと堪える。どんなに努力しようと初級の魔法すら満足に扱えない者だっているのだ。この少年の望みが大量のマナの消費ならいずれ愛想を尽かされる危険がある。

 だが、丸め込まないことには始まらないのもまた事実だ。

 今なら詐欺師の気持ちがわかりそうだと内心自嘲しながら召喚者に向き直った。

「要求されるマナによって償還される魂の数も異なります。過去には万を超える犠牲を伴った魔法もあると聞き及んでいます。場合によってはそれ以上となるものも存在しないわけではありません」

 嘘ではない。歴史上誰一人使いこなせなかっただけで理論上は百万の命を消費する魔法だって存在する。

「万ね。それでも気が遠くなるな」

 背中に冷たい汗が伝う。万と言えばちょっとした地方都市の人口に匹敵する。それを一瞬で消し飛ばす人数が犠牲になると言うのに、少年の表情には何も浮かんでいない。誰を殺したいのか知らないが、余程強い殺意を抱いているようだ。そのわりに表面は凪いでいる。そのちぐはぐさが恐ろしい。

「念を押す必要はないと思いますが、償還された魂の記憶は人数分流れ込みます。一人なら一人、百人なら百人、万なら万の走馬灯が目前を通り過ぎるのです。過去の召喚者の言葉を借りるなら、その回数だけ生きて死ぬことになります」

 ようやく実感できたのか。少年の顔色が曇る。

「心配です。万となると時間がかかるんじゃないかって」

「っつ」

 思わず絶句する。

 計画に加担し、リエールを殺すことを決意した日から人の心は捨てたと思っていた。だが本物を前にして甘かったと痛感する。

 この男には心がない。

 それでも手を取るしかないのだ。

「血の轍を歩みたいと言うことであれば目的は一致しています。協力して頂けますね?」

「他に選択肢もなさそうだし」

「この世界の惨状を目の当たりにし、我々の理念を知ってもらえれば心から協力して頂ける日が来ると信じています」

 お互い承知している。そんな日は訪れないと。

「私はロロド・ド・ホロー、家は代々召喚者の通訳を務めております」

「イバコウタロウ」

「どういった字を書くのでしょうか?」

 伊庭が屈みこみ尖った石の先で地面に『伊庭航太郎』と彫る。

「伊庭が姓、航太郎が名で間違いありませんね?」

 伊庭が首肯する。

「では、伊庭さん、改めてよろしくお願いします」

 伊庭と握手を交わす。氷のような男には似合わぬ温もりだった。


――幕間――


 寝室の窓から朝日がさんさんと射し込んでいる。

 キィーローズは入室すると、その眩しさに一瞬目を細めた。

「天候には恵まれたようだな」

 病床に横たわる父親に向かって優雅に一礼し、枕頭に立つ。

「リィロイの晴れの日なのですから当然ですわ」

「雨で愚図られてもかなわんしな」

「あら、流石にそこまで子供ではありませんわ」

「どうだかな。十二にもなったというのに未だに剣一つまともに扱えんではないか」

 父が憮然と口をへの字に曲げる。

「人には向き不向きがございます。剣術は不得手ですが、植物については並び立つ者がおりません」

「それがランド―ル家の次期当主としてどう役立つ」

「お父様の天体観測と同じくらいには」

 減らず口を叩くと父が顔を顰めた。それが腰の痛みによるものか、皮肉に対する反応かは判断の分かれるところだ。

「だから言っておるのだ。儂みたいに恥をかいてからでは遅い」

 十三代目ランド―ル家当主である父は、その熊のような外見に似合わず、武道はからっきしであり、運動神経もお世辞にも良いとは言えない。それでも時には威厳を示さなければならない。先日も教練で訓示を垂れ、退場の際に颯爽と馬で去ろうとして見事に落馬した。それで腰を痛め医者から二週間の絶対安静を言い渡された。

「やはり儂が行かねば示しが――」

 体を起こしかけた父を、傍に控えていた女中頭のメアリーが慌てて止める。

「お父様いい加減にしてくださいませ。そんなんでは安心して家を空けられません。リィロイにとって外を見るいい機会です。私も付いているのですから心配なさらないで下さい」

「儂を本当に安心させたいなら早く嫁いでくれんか」

「おほほほほ、面白い冗談ですわ」

「いや、冗談では――」

「本当にお茶目なお父様だこと」

 父が諦めたように枕に頭を沈める。

「好きにするがよい。だがあまり甘やかすな」

「心得ておりますわ。いい機会なので魔法の素地を均していこうと思ってます」

「甘やかすなと言ったが手心は加えるのだぞ。皆が皆自分と同じだとは思わぬことだ」

「リィロイならばすぐに私など追い越しますわ。もう『発光』を覚えましたの。術式の呑み込みも抜群で一度で完璧に覚えます。ね? メアリーも見たでしょ? 私の真似をして指先に灯りを灯したのを。あの子は地系統の魔法に興味があるようですけど、火系に向いているように思えますわ。でも、まだはっきりと断言はできませんので、この旅で見極めたいと思ってます。ああ、心配なさらずともちゃんと視察もして参ります」

 弟の事となると泉のように言葉が湧いて来る。しかし、いくら言葉を紡いでもリィロイの素晴らしさを表現するには足りない。

「はぁ、わかった。しっかりと民の声に耳を傾けてきなさい。特に声にならない声を拾い上げるように」

「ええ、最近は巷間で何かと物騒な考えが流布してるのだとか。我が民に限ってそんなことはないと思いますが、十分注意いたします」

「うむ、もし一切不満が聞こえてこなかったら用心するように」

 父の助言に小首を傾げる。

「反対ではないのですか?」

「人は生きていれば大小様々な不如意をかこつ。それを全て腹に抱え込んで生きられるほど強くはない」

 父は優しい。だから人の弱さに対して寛大だ。ただ、領主としてそれが美徳なのかはわからない。時に弱腰と映ることもある。

 キィ―ローズの目の色から胸の内を読み取ったのか、柔和にほほ笑む。

「軋みが生じて当たり前なのだ。儂ごときの統治ではな。問題はそれが耳に届かなくなることだ。民から狭量な領主と見限られたか、さもなくば無能と見捨てられたかのどちらかだ。そうなってはランドール家も枯れるしかない。謂わば民の声は恵みの雨よ。多少濡れて不快になるかもしれんが、水がなければ生きてはいけぬ」

 父の考えに直に触れたのは初めてだ。強い、弱い、との二軸で判断していたことを少しばかり恥じる。

「お父様が民に慕われている理由の一端がわかりました。リィロイにも直接薫陶を授けて下さればよいのに」

「うむ、まぁ、その内な」

 リィロイのこととなると途端に歯切れが悪くなる。

 未だに父はリィロイが自分を許していないと思っている。だから引け目を感じ、どう接していいかわからずにいる。母の死が父のせいではないと弟だってもう理解しているはずだ。どちらかが歩み寄れば良いだけなのだが、お互い踏み出せずにまごついている。かくも父子とは面倒なものだ。

 手を差し伸べてもいいのだが、もう少し膠着状態を維持しておきたい気持ちもある。

 姉では母の代わりは務まるが、父の座を奪うことは出来ない。雪解けとなれば、前のようにリィロイは父にべったりとなる。そうなっては増々影が薄くなってしまう。

(もう少しだけだから。せめてこの視察が終わるまで)

「どうした? 聞いておるか?」

「あっ、すみません。もう一度よろしいでしょうか」

「旅程の最後にラッファー鉱山が入っておる。くれぐれも粗相がないように頼むぞ」

「仰せのままに。仮に領内であれば看過できないことを目撃したとしても目を瞑ります。もちろん程度はございますが」

 ラッファー鉱山自体はランド―ル家が拝領された領地内にあるが、希少資源保護法の名のもとに王家直轄領となっている。いわゆる治外法権だ。そのため統治に関しては口を出せない。

「前任者が更迭され大幅に改善されたと聞き及んでいる。目を背けねばならぬようなことには遭遇せぬはずだ」

「であれば何も心配ございません。時期的には買い付けの商人が集まってきておりますね。お母様の実家に何かお土産を見繕ってまいります」

「儂よりも気が利くな。その分ならば心配ない。気を付けて行ってきなさい」

「出発前に改めてリィロイと挨拶に参ります」

 キィーローズは入室時と同じように優美に一礼すると寝室を後にした。父親の前では平静を装っていたが一歩部屋を出ると高揚感に思わず身悶える。

(あぁ、駄目よローズ、冷静にならなきゃ。私が導かなければならないのだから)

 何度自分に言い聞かせたか知れない。それに喜んでは不幸に見舞われた父に悪い。わかってはいるのだが弟との旅を思うと自然と頬が緩んでしまう。

 領地経営に不可欠な役目だと理解しているので疎かにする気は毛頭ない。それでもリィロイと一緒にいられるのはやはり嬉しい。思春期のためか、姉離れの兆候が見受けられたので、断腸の思いで少し距離を置いていたから猶更だ。

(お母さま見ててください。必ず立派な跡継ぎに育ててみせますから)

 キィ―ローズは両手で己の頬を叩き気合を入れると、母の棺を前に誓った決意を胸に歩き出す。一歩毎に自分たち姉弟の運命が大きく動いているとも知らず。

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