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めたもるふぉうぜ!!  作者: 覆水
3/11

第一部その3

 事態はほとんど進展していないように思われていた。


 だが、判明した事はある。それを考えれば確かな前進だった。


 武志はそう考えてもっとポジティブに物事を考えるようにした。どうにか出来るし、どうにかなると思い込んで考えを次々と表していった。


 それでもやはり彼らの内に希望となる火とならなかった。


 両親の寝室を出て楓は再び薫の部屋に入った。彼女は決して諦めようとしていなかった。その中から少しでも妹の行方の手がかりを探そうとしていたのである。鼻をすする音が聞こえて武志はまた悲しくなった。


 遊んだ玩具の片づけを思わせる彼女の捜査は難航した。手も足も小さい。加えてなんだか頭がはっきりしない、幻に憑かれているような霞がかった感覚だった。ようするに彼女がもっと深く物事を考えようとするとそこから先へは入り込めないような違和感に陥ったのである。と言っても不思議はなかった。脳も体の一部であるので体が縮んでしまったのなら脳もまたそれなりに縮んでいるのは道理だった。それはリビングにいる父親と寝室の母親が示している通りである。


 武志はまた薫の部屋には入れない気分になってリビングやキッチン、玄関などをくまなく調べようという気になった。



「俺、他の所を調べるよ」


「うん」



 楓からの返事を受け取ると武志は腕まくりをして張り切りだした。この状況で彼女の助けになれるのは自分しか居ないと思うと彼の力は漲って振るう場所を求めている。


 と、言っても彼はすでに当たりを付けていた。家を出たのならそれなりの準備がいるはずである。中学生ともなればその分別ぐらいはあるだろう。つまりは玄関や化粧台、洗面室には向かっただろうと踏んでいたのである。


 武志はまず化粧台から調べた。それだったが細々とした化粧品が数個だけ置かれていて彼にはそれが雑然としているのか整然としているのか分かりかねた。するとすぐに見切りをつけて彼は化粧台から離れてしまった。


 次に彼が向かったのは洗面室である。この場所には大いに期待していた。


 歯ブラシやコップなど日常的に使われる物が整頓されている。雑然としている様子さえなくて薫を思わせる手掛かりはほとんどなかった。


 一通りそこを調べたが手掛かりとなりそうな物は無いように思われた。


 洗面室を出て行こうとするとその部屋から続くバスルームの扉が少しだけ開いているのが目に付いた。武志はそこへと近づいて適当に声をかけた。



「あの、薫ちゃん、いる?」



 返事は無い。気配はないのだから当たり前だったが彼なりの礼儀から声をかけただけだった。


 がらりと音を立てて扉を開くとシャワーヘッドから水の落ちる音が聞こえて来た。


 浴室のタイルを撫でるとそこはまだ濡れていた。彼の勘が急に働きだした。これは間違いなく手掛かりだった。


 彼はこの勘を信じて玄関へと向かった。


 玄関には武志と楓が履いていた靴の他にも3つほどの靴があった。男性用のスニーカー、女性用のパンプス、スポーツメーカーのスニーカーが置かれていた。どれも履き潰しているような古い物だった。


 武志は下駄箱を入念に調べた。この家のほとんどは整然としている。恐らくは母親と楓が綺麗好きであるために整えられているのだろうと考えられた。


 そして武志はある違和感を見つけた。母親のヒールのいくつかが倒れたままで置かれていたり、向きが一致していないまま置かれているのを見つけたのである。


 その中で1ヵ所だけすっぽりと抜け落ちたような空白があるのが見えた。


 これだけで武志には薫がどのようにして自宅を出て行ったのかが分かったような気がした。


 そうすると武志は確信に満ちて自信を表した表情で2階にいる楓の元へと向かった。


 薫の部屋を捜査していた楓は捜査している内に物を調べては整えては置くのを繰り返す事によって自然と掃除を行なっていた。武志が初めて見た時よりも格段に綺麗になっている。


 武志は喜び勇んで自分の発見を楓に報告しようとした。



「聞いてくれ、発見があったんだ!」



 武志が綺麗になった薫の部屋に入ると彼女はアルバムを見て泣いていた。堪えていた涙がアルバム内の薫を見て堰を切ったように流れ出たのだろう。


 武志はそんな彼女の傍に座って背中をさすった。辺りを見回してゴミ箱とティッシュを見つけると彼女のためにそれを持って来た。



「大丈夫だよ。見つかるよ」



 励ます彼の手からティッシュを受け取ると彼女は鼻をかんで涙を拭いた。



「うん、ありがとう」



 どうやら彼女は手掛かりらしい手掛かりを見つけていないようだ。そうと分かると武志の独壇場である。とにかくこの発見を聞いて欲しいと武志は望んだ。



「ところで、はっけんってなに?」



 待ってましたと言わんばかりに武志の勢いは再び盛んになった。



「そうなんだ、ちょっと一緒に来てくれ」



 武志は楓を抱き上げるとそのままの勢いで階段を駆け下りて行った。



「確認したい事があるんだが、薫ちゃんは出かける前にシャワーを浴びる習慣があったのかな?」


「わかんない。でもなかったとおもうけど」


「よしよしよし」



 武志がまず入ったのは浴室だった。



「見てくれ。床がまだ濡れてるんだ。乾かないほどの時間に誰かが使ったんだよ。とうていお母さんやお父さんだとは思えない」



 薫ちゃんが使ったんだよ、と言い切る前に武志は念のために付け加えた。「まあ、君が使ってたら話が変わるんだけど」と言うと楓はぶんぶんと首を振った。



「よしよしよし、次だ」



 武志は玄関へ向かった。ヒールの発見を彼女へ報告すると彼女もまたこれを手掛かりと認めて瞳を輝かせた。


 そして武志は導き出した結論を楓に述べた。



「薫ちゃんは君のお母さんぐらいの背丈か年齢になって外へ出て行った可能性が高い!」



 出された結論に絶望したのは楓だった。そんな彼女の表情を見て武志もまた絶望するのだった。


 彼女の顔に射した影がすべてを物語っているように見えた。


 つまりは唯一まともに動けそうな薫がこの緊急事態に父と母と姉を見捨てて家を出て行ったように彼女は感じたのである。それには少なからず昔からの芽があるはずだった。もしかしたら薫は独立心の強い娘だったのかもしれない。その表現を口にしていたとしたらこの外出は逃走となるだろう。


 この大きく広い社会の中で姿形が変わってしまった遊びたい盛りの女の子を見つけるのは荒唐無稽な事に思われた。


 だが、確かにそこに居るはずなのである。



「そうなんだ」



 楓は何とか絞り出すようにそう言った。


 それを聞いた武志はとても悲しくなった。彼女の失望がありありと見られてしまったからである。


 それでも武志はめげなかった。彼女の傍に寄り添う事を選び続けた。


 彼女はというとそれ以来、ふさぎ込んでしまったように喋らなくなってしまった。


 というのは武志が立てた結論通りに彼女はその可能性を完全に信じた。妹の薫は昔から大人になりたいと口にしていた。子ども扱い、強いては妹扱いされるのを頑なに拒んで母親と楓を困らせたものである。


 時には対立したし、小さな小競り合いはしょっちゅうだった。かと言って楓には争う気は全くなかった。可愛い妹であったし、幼い頃は「お姉ちゃん」などと元気よく呼んで算数や国語を教えたものである。その思い出に縋って彼女は妹の薫の不埒な行いを許し続けてきた。


 楓は自室に帰って絨毯の上で横たわった。武志は居たたまれなくなって励ましの言葉を探すのだったがこれがまた見つからない。


 時間はもうすぐ正午となろうとしていた。着ていたジャケットのポケットに手を突っ込むと彼が譲ってもらったという遊園地のチケットがくしゃりと折れたのが感じられた。


 もう使う事はないかもしれないと思う武志はしいてそれを直そうと思わなかった。


 楓は泣いていた。この事態の理解がいよいよ追い付かなくなって彼女は困り果てていた。なぜ、自分たちだけがこうなったのかというごく自然な疑問に答えを見つける時だった。



「もう、いいよ」



 ふと、楓が呟いた。


 武志に向けられた言葉だと彼が理解するまでには時間がかかった。



「もういいってどういう事?」



 武志は震える唇で尋ねた。答えは分かっていた。彼女はもう諦めたのだろう。なにを、諦めたと言うのか、武志には理解できなかった。



「もう、これいじょうはめいわくかけられないから。たけしくんにはどれだけおれいをいってもいいつくせないよ。ありがとう。もう、かえってもいいよ。それで、それで………」



 楓は最後まで言い切る事が出来なかった。その後には「もうこんなことはわすれてふつうのせいかつにもどったほうがいいよ」と自分がそれを切実に願っていながら引き返せる内の者を促すように言葉を考えながら言い切る事が出来なかった。



「嫌だよ。俺、まだいるよ。手伝うから」


「だめ」


「どうして?」


「どうしてもだめ」


「困るだろ?」


「こまらないもん」



 武志は決定的な事は尋ねなかった。彼なりの優しさだったがそれこそ恐らく今、最も彼女が直面している事実に違いなかった。



「いるよ。だってまだ昼だから。まだ出来る事はあるよ」



 ここに来て彼のポジティブ思考が固まりだしていた。


 だが、時としてそうしたポジティブ思考が癇に障る事があるものである。この時の楓の場合もそうだった。



「たけしくんにはかんけいないでしょ。わたしたちのかぞくのもんだいなの!」



 改めて口にされると武志にはショックだった。


 それなのに武志は一向に引き下がらなかった。



「残りたいから残るよ。どうしてもって言うのなら力づくで出してくれ」



 幼女には出来っこないと知っていながら武志は言った。


 武志のこの言葉を聞いて梃子でも動かぬ様子の武志を睨みつけた。



「睨んだってダメだ」


「ふん、いいもん。いざとなったらけいさつをよべばすむはなしだもん」


「げ」



 武志にはずいぶんと破壊力のある言葉だった。今朝に見たあの警官たちが駆けつけてくるのかもなあと思うと彼の身は竦んだ。



「さいごだよ。でてって!」



 武志はまた答えた。



「嫌だ!」



 もう警察でもなんでも呼べと言わんばかりにふんぞり返った態度で武志は楓に告げた。


 楓は寝転んでいた身を起こして仁王立ちに立つと武志を睨みつけた。幼女とは思えない気迫があった。金輪際、彼女とは喧嘩をしないでおこうと武志は心に決めた。


 「むー」と唸る彼女はどうにかしてこの頑固な野球バカを家から追い出す方法を考えていた。


 だが、やはり彼女の幼い頭は深いところまで何かを考えようとすると幻がかけられたように霞んでしまうのだった。


 その情けなさたるや言いようがないものだった。



「かえれ、かえれ、かえれ、かえれ」



 遂に彼女は駄々をこね始めた。そうなるだろうと予感していた武志は何よりも優しくなれる自分を見つけ出した。


 いや、もういっそのことこの宮島家から一度だけ出て行って困り果てる彼女を見て分からせてやろうかと考えてみた。だが、そんな事は絶対に出来なかった。希望を買うような事は彼には出来なかった。ましてや好意を寄せる女性に対してそれは犯罪のような罪深さがあるように感じられた。


 そして彼は膝立ちになって仁王立ちで彼を睨みつける彼女と相対するとそんな少女の小さな肩にそっと手をかけて真心で言った。



「大丈夫だよ。俺、力になるから」



 秋晴れの空、陽の光が照らす楓の部屋にその言葉が響いていた。どこに響いたのかは分からないが誰かの心は動いていた。


 言われた楓は全身が弦のようになっていた。優しく触れられればそれなりに、強く触れられればそれだけに呼応して音色を響かせるような美しい弦のようになっていたのである。そっと肩に手を置かれて耳とその手触りの感触で彼女はその言葉を聞いた。


 そして彼女は泣き出した。今度は正真正銘の全てを吐き出す涙だった。


 武志は背中をさすって慰めた。


 どれだけ今日、この小さな背中をさすっただろうかと彼は考えた。どれだけにもせよ恐らくこれからも彼女が泣き出せばそうするだろうと信じていた。


 いくらか泣き止んだ彼女を抱き上げて武志は立ち上がった。リビングに下りていってテーブルの傍の椅子に座らせると彼は朗らかに言った。



「腹が減っただろ。俺、下手だけどなんか作るからそれを食べてちょっと落ち着こうぜ」



 「キッチンと食材を使ってもいいよな?」と尋ねると楓は頷いた。


 武志は簡単に炒飯を作るとそれを楓に振舞った。


 彼女は食べた。大いに食べた。そして武志も食べた。彼は楓の3倍は食べた。いや、彼女がもうお腹いっぱいと言って残した分までも食べたので3倍では足りない。とにかく彼らは腹がいっぱいになって落ち着けるまでたくさん食べたのである。



「ごちそうさま。りょうりじょうずだね」



 楓に褒められて武志は喜んだ。



「そんなことないよ」



 笑って答える武志の視界の隅にはリビングのソファでバラエティ番組を未だに見続けている100歳を超えているであろう老人が見えている。



「落ち着いた?」



 武志は冷蔵庫から麦茶の入っているボトルを取り出してコップに注ぎながら楓に尋ねた。



「うん。ありがとう」



 麦茶の入ったコップを受け取って一口飲みながら楓は上目遣いに武志を見た。武志もまたコップに麦茶を注いでごくりごくりと飲んでいる。


 飲み干してコップを置くと楓が言った。



「たけしくんってカッコいいね」



 照れくさそうにすぐに顔を伏せて若干頬を赤らめながら言うのを聞いた武志は心の底から打ち震えるのを感じていた。


 今日だけでも彼女の前では最高に格好良くあろうとした男にとってこの上ない賛辞であった。


 テーブルを挟んで座る2人は長い時間を沈黙のまま過ごした。初々しいカップルのような健全さがそこにはあった。


 そしてそんな沈黙を破ったのは玄関が勢いよく開けられた酷い音だった。


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