思わぬデート
他の作品の執筆中に思いついた設定のまま突っ走った小説です。
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―第1部―
「あ、あのさ、ここに遊園地のチケットが2枚あるんだ。もらったんだけど良かったら今度、遊びに行かない?」
ほとんど告白のような意味合いにも取れる言い方だったと後々に赤面している倉敷武志は高校2年生だった。
学生生活のほぼ全てを野球と共に過ごして来た彼は生真面目で忍耐力がある根性者で人一倍優しかった。眼には温和な優しさが溢れていて人に投げかける眼は鋭くなった事など一度もない。闘争心に欠けると思われがちだが勝負運は培われていてチャンスに強かった。
あの日の告白まがいの誘いも勝負時を見極めた上での誘いだったので傍から見る者に彼女は受けるだろうと思われていた。
そうして彼は次の日曜日に野球の練習がたまたま休みなのをこれ幸いとしながらデートの約束を取り付けたのである。
人生の絶頂を感じる高校2年生の秋だった。
武志が誘った同じく2年生の宮島楓は学内でもトップクラスの美貌の持ち主だった。とりわけ過剰なまでの愛嬌があって誰からも好かれるタイプだったので武志だけでなく老若男女問わず彼女に好意を寄せていた。
こんな話がある。彼女が1年生の頃、学校の事務員である初老の男性が落ち葉を掃いていた時にその手慣れた見事な掃きっぷりに感激した彼女は明るく男性の清掃精神を褒め称えて教えを乞うた。
「まるで魔法ですね!」
戸惑いながらもその男性は同じ箒を渡してその熟練された技術の一端を楓へ教授しだした。呑み込みの速さは素晴らしかった。あたかもその称賛を表しているかのような熱意と習熟だったので事務員も大いに感心した。
そうして彼女が魔法の様な落ち葉の掃き方を完全に覚える頃には校庭の落ち葉は隅の方に堆く盛られていた。
互いに礼を言い合う教師と生徒はまさしく教育の現場であった。対面で行われている間、彼女は明るく返事をしたし、事務員の正確な年齢や勤務歴、家族構成など聞く世間話を行って始終会話の絶えない明るい空間が出来上がっていた。
そうした明るい空間を作る性格の持ち主の彼女に武志は惹かれていった。
互いに名前を親し気に呼び合う仲になりたいという願いを持つと彼の行動は早かった。どこからともなく遊園地の噂を聞きつけると彼はすぐにチケットを用意して彼女を誘ったのである。
「うん。いいよ」
楓は武志の誘いを受けた。彼女は「え?」と最初に戸惑ってなにやら武志の瞳と自分の瞳を合わせると惹かれるものがあったのか、はたまたその生真面目さの交通があったのか納得したような色を浮かべて口を開いたのである。
高校2年生の秋、晴れた朝、登校してすぐの玄関での事である。
そして日曜日、武志は慣れない私服姿に気恥ずかしさを抱きながら待ち合わせ場所で待っていた。スマホアプリで私服のコーディネートは済ませている。友人たちにも相談して広すぎる肩幅と膨らんだ尻と腿に合う服を選んだ。垢ぬけた服を選ぶのは彼だけの力では不足していてどうにもならなかったのは言うまでもないだろう。
最も格好いい姿で彼女の前に立ちたいという無垢なる願望は今、まさに叶おうとしている。努力が実を結ぶ時の快感を彼は知っていた。
駅の交番の傍にある地図の前に彼は立っている。女性より遅れてやって来る事は絶対に許されないという暗黙の金科玉条を彼は実行していたし、自分を見つけてパタパタと駆け寄る彼女を見たかった。
駅前で人通りは多い。若い人も、老人も、男も女も、お洒落な人も、ダサい人も、カップルも、集団も、独りも、誰も彼も武志の前を素通りしていく。交番の中では道を尋ねる人が地図を開く警察官たちと話し込んでいた。
待ち合わせ時刻になった。彼女の性格から遅刻するなんて考えられなかった武志はついぞ感じた事のない不安に駆られだした。
前日までのメッセージのやり取りはごく自然で盛り上がっていた。約束を忘れているなんて考えられなかった武志はいや、これこそ女性の特徴なのかもしれない、彼女だけでなく女性特有の時間間隔なのかもしれないと思いついた。そう考えるといくらか気持ちは楽になったが遅れるなら遅れるでメッセージぐらいくれてもいいだろうと考えると不安は拭えなかった。
長い時間を待ったかのように思われたが経過した時間はたった5分だった。そわそわと待っていると彼のジーパンを履いた腿を叩く者に気が付いた。
「ん?」
左腿を叩く者を見下ろすと大きな瞳に目いっぱいの涙を湛えている少女がいた。
「たすけて」
涙ぐんで声にならぬ声は今にも大声で泣き出してしまいそうになるのを堪えているがためだった。
突然の要請に困惑しながらも彼はこの少女が迷子だと決めかかって宥めだした。
「よしよし、大丈夫だよ。すぐそこに交番があるからね」
そう口にすると交番でさっきから地図を開いて話し込んでいる男女がいるのを思い出した。あの人たちはこの子を探しているのかもしれないと思い当たるともしかしたらこの娘を探しているのかもしれないと考えたのは当然であろう。
「ちがうの、こうばんはダメなの!」
少女は武志の服の裾を引っ張りながら叫んだ。幼い叫びは人の視線を集める。駅前を歩く人々の視線を2人は浴びていた。
武志は直感的に深刻な事態だと思った。デートどころではなくなるかもしれない。どうにか穏便に対処しなくてはならない。こんな時に楓がいてくれればいいのにと彼は考えたがその姿はなかった。
「たすけてよ、タケシくん!」
少女はまるで同級生を呼ぶかのような親しみで彼を呼んだ。
名前を教えてもいなければ見覚えもないこの少女がどうして自分の名前を知っているのかてんで想像もつかない武志はいよいよトラブルに巻き込まれると思って逃げ腰になった。
「おねがい」
逃げ腰になったのに彼の持ち前の生真面目さと根性が助けを乞う少女に出来るだけ力になってやろうという気を起させた。もうこの時には楓が遅れている事は頭になかった。
「分かった。助けになるよ。どうしたの?」
少女の目の前にしゃがんですっかり話を聞いてしまおうと決めると彼はまじまじとその少女を観察した。
古い着物だった。若干サイズがちぐはぐなようにも見えて違和感を武志は覚えた。靴は大人が履くようなスニーカーでネグレクトの影が見えたような気がしてやっぱり警察に任せるべき問題かと考えだしていた。どう反対されても最終的には抱き上げて連れていくと決めた。
長い黒髪と大きな瞳、ちょっと幅の広い口に歯並びは驚くほど綺麗で涙を流す瞳を擦る左手はあどけなさが漂っている。武志の服を強く掴む右手は離しそうもない。
なにやら勘が働きだしているのを武志は感じたがどうにもその答えが結びつかないので彼女が話し出すのを待った。
「とにかくうちにきてほしいの」
年齢のほど7歳ぐらいの娘に自宅に来てくれと涙ながらに懇願されるのはどうした理由からだろうかと彼は高校生ながら頭を巡らすが答えは出なかった。きっとどれだけ考えても出ないに違いない難問だった。
では、もう早速、彼は少女を抱き上げると足を交番へと向けた。
「どこいくの?」
「交番だよ。お巡りさんとこ!」
「やだやだやだ。ダメダメ!」
暴れる少女を危うく落としそうになりながら今、まさに一極集中しようとしている視線を恐れて彼は少女を下した。なにやらこのやり取りが視界に入った交番の中で話し込む警察官が注意を向け始めている。立ち止まって2人を見る人もちらほらと居て武志はいよいよ追い詰められていた。
「お兄ちゃんは今日、ちょっと大切な用事があるんだよ」
「しってる、わたしとだよね。だからたすけてっていってるの!」
「ん?」
「わたしだよ。わたしがミヤジマカエデだよ!」
どことなく面影があって発言の一致が武志を大いに戸惑わせた。ほとんどこの楓を名乗る少女が何を言っているのか理解できていなかったし、こんなことが起こりうるはずがないという信心があるにも関わらず働き出していた彼の勘がようやく答えを見つけ出したと言わんばかりに少女を信じろという信号を発している。
「おねがい、たすけて!」
「いや、でも」
「え、どういうこと?」と武志は説明を求めた。
「とにかくここからはなれよう。わたしのいえにむかって。ここからちかいから!」
高校2年生の女性をデートに誘ったはずなのにやって来たのは小学2年生ぐらいの少女だった。同姓同名を名乗るがやっぱり信用できないので半信半疑に武志は駅前を少し歩いたところで尋ねた。
「宮島楓って俺の知り合いの? 今日、遊園地に行く約束をしてたその宮島?」
「そう!」
「えー、信用できないな」
「もう、いそいでるのに。やきゅうぶで3ばんさーどのクラシキタケシくん。とくいきょうかはたいいくとえいご。
えいごがとくいなりゆうはめじゃーにいったときとか、ぷろやきゅうにすかうとされたときにかいがいせんしゅとえんかつにこみゅにけーしょんをとるためにべんきょうしてるから!」
「げ、マジ?」
「まじ!」
事前に交わしていたメッセージのやり取りの内容だった。野球をあまり知らないという楓にどういったスポーツであるのか教える事から始められたやり取りは彼女がインフィールドフライを理解するまでに深められていた。つまるところはそれぐらいにやり取りを重ねていたのである。
「え、でも、なんで?」
「わたしもわからないの。とにかくわたしのいえにきて!」
「分かった。とにかく急ごう」
急げばまだ遊園地で遊べるかもしれないと彼はまだデートの可能性を捨てていなかった。彼の一張羅であるジャケットの胸ポケットにはその遊園地の入場券が沈黙して入っている。
「そう決まれば善は急げだ」
武志は彼女の両脇に手を当てて持ち上げると肩車をして駆け出した。
「行くぞ!」
頭上では楓だと名乗る少女が指示を出していた。
ほどなくして2人は宮島家前までやって来ていた。表札にはしっかりと宮島と書かれていてそこは確かに宮島楓の自宅に思われた。
彼女の家は大きい。倉敷家の2倍はあろうかと思われて武志は圧倒されている。車庫には高級外車が1台と国産車が1台停められていて近所の家々とは一線を画していた。
「ここ?」
「うん。はいって!」
彼女の家は和風の装いで手入れがしっかりと行き届いているので古めかしさなど微塵もなかった。
「お邪魔します」
靴を揃えて脱ぐ武志を楓は慌てた様子で呼んだ。
「こっち!」
長い廊下を歩いて行くと楓の声が聞こえてくるリビングに入った。
フローリングのフロアと畳のフロアと区切られていたが襖は開けられていてとても広いリビングに感じられた。20畳はあろうその部屋にポツンと100歳を超えていると思われる老人がソファに座って垂れ流されているバラエティニュースを見ていた。
「こんちは」
挨拶をするが返事は無い。見向きもしないのを見ると武志の声は耳に届いていないのだろう。
「おじいちゃん?」
「ううん、ちがう。おとうさんなの」
「君の?」
「うん」
そうなると100歳ぐらいで妻を妊娠させた計算になるはずだった。医学の知識のない武志は自分の父親と母親が100歳を過ぎてから弟や妹を作りだしたら困るなという感想を抱くだけに留まるのだった。
困惑はますます強くなっていく。何が起こったのか理解すら難しくて楓に説明を求めるしかなかった。
「こっち!」
テレビを眺める老人を眺めて思考を完全に停止させている武志の裾を再び幼い楓の手が引っ張った。
階段を上っていく楓に付いて行くと夫婦の寝室らしき部屋に導かれた。
広い部屋の壁際の中央に置かれたクイーンサイズのベッドの上を楓は指さした。そこには丸まった赤子がいた。年齢は1歳か2歳かといったところだろう。
「おかあさん、たぶんね」
「おかあさんのパジャマをきてたから」と付け加えて信憑性を足そうとしていた。
いよいよ武志は困り果てた。夢という逃げ場所が彼には必要になった。逃げ込む準備はとうに出来ていていつからだろうかと悩み始めるのだった。幸せな夢だったと後になって考えるかもしれない。なにせ、宮島楓が自分のデートの誘いを受けてくれたのだから。いや、受けた時点で夢だったのかもしれない。ベッドの上の赤子を見つめながら武志は全力で「覚めろ、覚めろ」と念じていた。
「あさ、おきてからこうだったの。どうなってるのかもわからないの!」
「お、俺も分かんねえ」
「でも、いちばんヤバいのはいもうとがいなくなってることなの!」
「妹?」
「そう!」
「いなくなってるって事は出て行ったのか?」
「たぶんね。きょうはバレーのえんせいだったから。そっちにいっちゃったのかもしれない!」
「なんてこった。妹さんも姿が変わっちゃってるのか?」
「わかんないよ。だって、みてないうちにでていっちゃったんだもん。しゅうごうがあさの6じにがっこうだったの」
「な、なんとか分かった。妹さんを見つけたいんだな?」
「そう!」
楓の顔がぱあっと明るくなった。幼いと言えどもその可愛らしい姿が喜びに溢れるとあたかもそれを自分が提供した物のように思われて武志は嬉しくなった。
「彼女を探そう。まずは学校からだ」
「うん!」
楓の妹の薫は宮島家から徒歩10分ほどのところにある学校の中学2年生で女子バレー部に所属しているという事を武志は教えてもらった。
バレー部で活躍している楓の妹を想像した。飛んで跳ねて打って飛び込んで、激しい動きを思い浮かべるがその姿は老婆であったり、乳児であったりと到底受け入れられそうにもない想像だった。
準備らしい準備などなかった。武志は楓に靴を替えた方がいいと忠告したがこれよりも小さな靴はないようだった。
いざ宮島家を出て学校へ向かうぞという段階で突如、楓がもじもじしだして「おといれ」と言ってトイレに駆け込んだのを見ると武志は気が落ち着かなくなった。
先行きが不安だが天性の明るさでどうにかなるさと言い聞かせて気を強く持った。
トイレから出て来た楓は自分の家でありながらもそこで済ませたのを恥ずかしがるような仕草で武志の傍へとパタパタと小走りでやって来た。
「いこ」
「おう」
頷くとすでに準備を終えていた武志は楓の足のサイズには大きすぎるスニーカーを手に取って本来そうするべき年齢の子にそうするようにスニーカーを履かせようと彼女の野球のバッドよりも細い足を持った。
「きゃあ!」
叫び声を聞くと力強く握り過ぎたかと慌てて手を離して彼女を見た。
「そ、そんなことしなくていいから!」
「じぶんではけるから」と付け加えて彼女はぶかぶかのスニーカーを慌てて履きだした。
「ごめん」
幼いシンデレラである。童話を思い出すと靴のサイズが合致したのが決め手になったのに馬鹿馬鹿しさを感じていたものだが今ではそうとは思えなかった。
靴を履き終えてぴょこんとジャンプして玄関に降り立つ楓が傍に立つ武志を見上げて明るく言った。
「いこう!」
「おう!」
そうして2人は宮島家を出て行った。100歳を超えた父親とベッド上で丸くなっている生後間もない母親を残したままで。リビングでは変わらずにニュースが流れているし、母親の眠る寝室ではスマホがひっきりなしに鳴り響き続けているのだった。