ガキの頃に無理やり連れ回して泣きじゃくっていた気弱で泣き虫な親友と10年振りに再会したら、アイドル顔負けの美少女になっていた件。〜あれ? お前……女だったのか……!?〜
『アキラくんまってよぉ~!』
『へへっ、はやくこないとおいてくぞリョウ!』
退屈な授業の最中、先生の声に混じって耳に二つの声が飛び込んでくる。
いや、正確に言えば頭の中で声が響いている、という感じだった。7月に入り入道雲が空に立ち昇る様。
それを見てふと思い出したのは幼い記憶だった。
小学1年生の頃だったか。夏休みで祖父母の家に帰省していた時、俺はある少年と出会った。
名前は''リョウ''
祖父母の家の近所に住んでいた少年で、いつもオドオドしていて気弱だった。
当時の俺は人見知りのひの字すら知らず、まさにわんぱく少年を地で行くような性格だった。「名前を知ったから友達!」なんてあっさりとした定義でリョウと友達となり、夏休みの間中一緒に遊びまくった。
『ほらリョウ、カブトムシだ! おれしじょうさいきょうのおおきさだ!』
『わぁあああ! ムシこわいよぉ〜!!』
『このたかさからとびこんだらぜったいたのしいって!!』
『む、むりだよぉ〜! ボクしんじゃうよ〜!』
『ホタルだぜーっ! きれいだよなリョウ~!』
『う、うん……。そうだけどここどこ……? ボクたちかえれるのかな……?』
野山を駆け巡ったり、海や海で泳いだり、蛍を見に行ったり、他にもいろんなことをした。時には怪我すらも厭わない危険を冒したりもして、泣きじゃくるリョウの手を無理やり引いて遊びに連れ回したっけ。
とにかく、あの頃は楽しかった。人生で一番と言ってもいいくらい楽しかった。祖父母の家では特にすることもなく暇を持て余していた俺に、リョウという友達の存在は何よりも大きくて、大切な存在だった。だから……
『おれとおまえはしんゆうだからな! またぜったいあおうぜ、リョウ!!』
俺はそう言って勝手にリョウを親友にした挙句、また会う約束を勝手にした。
『う、うん! ボクとアッくんはしんゆうだよね……! また、ぜったいあおうね!』
別れを惜しんでくれたリョウの泣き顔は、きっと忘れることはない。
けれど結局、リョウとはその夏休み以来会う事はなかった。その次の年にはリョウは既に引っ越していたから。
今となっては、リョウには悪いことをしたなと思う。
自分の思うがままに行動してどれだけ危険な目に遭わせたことか。命知らずのわんぱく小僧である俺に、虫を見ただけでも涙目になるような気弱なリョウは絶対無理をして付き合ってくれていたに違いない。
他の人の気持ちを慮ることが出来ない、俺は本当にただのクソガキだった。
「で、あるからして、ここはピタゴラスの定理を用いて……」
だからこそ、今は。こうして大人しく数学の授業を黙って聞く優等生になっていた。
高校生になった俺は、学校では本当に大人しくしている。いや、正確に言えば大人しくせざるを得なかった。
成長するにつれて俺のパーソナルスペースは極端に狭くなっていき、所謂''コミュ障''になっていた。子どもの頃の俺は、どうしてあんな簡単に友達が出来ていたんだろうと不思議に思わない日はない。
学校が退屈なのは授業が聞かずとも理解出来る明晰な頭脳に成長したのもあるけれど、それ以上に友達がいないからだった。クラス内の評価も''勉強は出来るからまぁ利用してやろう''くらいだろうし、今から友達になるのは至難の業だろう。
とは言え、その退屈にもすっかり慣れてしまった。とりあえずはこのまま無事に高校を卒業して良い大学に行って、何かしらの上場企業に就職して……まぁ願いが叶うならその間に彼女も出来れば良いな。今のところはてんで可能性なんて皆無だけれども。
彼女……かぁ。ホントに今の俺には考えられない。友達すらいないのに彼女なんて夢のまた夢のn乗しないといけないくらいだ。なおnは2以上の整数である。
奇跡でも起きないくらい、彼女なんてとても出来そうにない。拝啓お父様お母様、残念ながら曙家の血筋は俺で終わりです……。
いや、まだだ。まだ終わらんよ。
諦めちゃいけない。日本にはこんな言葉があるじゃないか。"人事を尽くして天命を待つ"、ということわざが。
そう、俺は既に人事を尽くした(高校に入って女子と会話した回数は26回ほど。内容は「消しゴム貸して」とか「宿題写させて」とか「掃除当番代わって」とかそんな感じで頼み事されることがほとんどだったけど)。つまり後は天命、神からのお恵みに期待するしかない。
かしこみ~かしこみ~申し上げる。日出る国・日本に住み給う八百万の神々よ。
無駄に八百万もいるなら、非モテ非リア充の俺に救いの手を差し伸べる神がいてもいいのではないのだろうか。だから、どうかお救い給う下され。かしこみ~かしこみ~申し上げる。
と、俺はぼんやりと外を眺めて願ってみた。もしかしたら願いを聞き届けた神が、空から俺の彼女となる天使を遣わせてくれるかもしれない。
「……なんて、ある訳ないよな」
しかし、しばらく何も変化が訪れなかった空に俺は誰にも聞こえない程の小声で呟いた。
願えば彼女が現れてくれる、なんてそんなのあり得るはずがない。そんな神様がいてくれたら日本に、いやこの世に非モテも非リア充も絶対にいない。
結局、天使は現れなかった。代わりに上空に浮かぶヘリコプターが余計に現実を叩き付けて来る。クソっ、やっぱり神なんていないんだ。日本人に無神論者が多い理由が分かった気がする。
あーあ……退屈だ。というか、辛い。友達も彼女もいない自分が、自分でも可哀想だと思ってしまう。普段はこんなこと思わないのに、今日に限ってはリョウとの思い出が蘇って来たからだな。
「……会いたいな、リョウに」
その呟きは静かに、誰の耳にも届かず虚空に消えていく。
彼女を空から遣わしてくれなかったように、俺のこのささやかな願いを神が叶えるはずもない。
──そのはずだった。
「……なんか、ヘリの音近くない?」
クラスメイトの誰かが発した言葉と共に、俺の未来予想図は一旦取り消された。
窓際の端の席に座る俺だけじゃなく、クラスの誰もが気づいていた。ヘリコプターのプロペラ音、それが異様に近い。外を歩いていると低空飛行しているヘリコプターを時折見かける時もあるけれども、今聞こえているのはそれよりもさらに近い。
窓の外に再び目をやる。俺以外の皆も授業そっちのけで窓側へと押しかけて来る。「おーい、授業中だぞ皆ー」とやる気があるのかないのか分からない教師の声が教卓から聞こえてくるも、最早そちらを気に留める者はいなかった。
「あれって……」
ぽつりと、俺は推測を込めた独り言を漏らす。
徐々に下降しながら運動場に盛大に砂塵を巻き起こすそのヘリコプターは、見間違いがなければ俺が先ほどボーッと眺めていたそれだった。
ずっとここら辺りを飛んでいるなぁとは思っていたけれど、まさかここに着陸するつもりだった……? いや、そんなはずは……。
俺があーだこーだ考えている間にも、ヘリコプターは轟音を響かせながら着陸態勢を整えている。地面まで2~3mくらいの高さでふわふわと滞空しながら、満を持してと言わんばかりに降り立った。
謎のヘリコプターの着陸。となれば最早授業どころではなくて。生徒は窓側に詰め寄って話をし始めていて、ふと振り返ると教師は口をあんぐりとして棒立ちしていた。
そんな状況に、自分の席から動かないままではあったが俺も心を躍らせた。退屈な日常、それを劇的に変えてくれたあの存在には感謝するしかない。新しいおもちゃを手に入れた子どものように、今の俺の瞳は輝いていることだろう。
あのヘリコプターは、いったい何なんだろうか。
だけど、まだ心の中にいた冷静な自分がそう呟いた。
そうだ。根本的な疑問に立ち返らないと。"ヘリコプターが学校の運動場に着陸する"という非日常、異常事態について。
日本においてはヘリコプターを含む航空機は、陸上においては空港など以外の場所での離着陸は原則禁止されている。ただ、やむを得ない理由などがあれば国土交通大臣の許可さえ得ればそれらは認可されると聞いたことがある。学校の運動場も離着陸可能な箇所として含まれていたっけ。
だからこそ、最初に考えられるのはドクターヘリという可能性だった。だが、そもそもあの朱色のヘリコプターはどう見てもそれっぽく見えないし、あの先生の反応を考慮してもそれはなさそうだ。
となれば、次なる可能性は……あまり考えたくはない。この法治国家日本では、平和で退屈な日常ばかりの日本では、あまり考えられないこと──"武装勢力による襲撃"。
ドクターヘリ以外で、見覚えのないヘリコプターが着陸する。その意味を考えればこの答えに当然帰結してしまう。日本で武装勢力によるテロなんて、教科書に載ってるくらいの非現実的なことだったけれども。
だがそれが実際に現実に起こってしまう。あと数分もしない内に。……ならば、俺が取るべきことは一つだ。
この退屈な日常を、無邪気に青臭く生きている学校の皆を──守るだけだ。
「皆、どいてくれ」
謎のヘリの話題で持ち切りとなった空間に、俺は声を穿った。
授業の発言以外ではほぼ誰とも会話をしない俺が声を発したことは、あのヘリと同等の衝撃だったようで。皆は信じられないといった顔を俺に向けていた。
「あ、曙君……?」
「あいつらはきっと、どこぞの武装勢力だ。俺が、あいつらを止めて来る」
「そ、そんな!? だとしたらますます行かせるわけにはいかないよ! 曙君止まって!」
大の字を描くようにして通せんぼする女子生徒。うちのクラスの学級委員長だ。
こんな俺を心配してくれるのは彼女くらいだ。他の皆は言葉を失ったまま「何言ってんだコイツ」といった様子だが、彼女だけは真剣に心配の眼差しを向けてくれる。
それだけで、俺は命をかける意義がある。ありがとう、委員長。
「じゃあ、行ってくるよ」
「っ!? あっ、曙くーーーーんっ!?」
委員長の悲痛な叫びとクラスメイトのどよめきを耳にしながら、俺は勢い良く窓から飛び出す。
三階の教室、ともなればその高さは約15mほど。やはり中々高いな。
猛烈な勢いで地面が迫ってくるが、俺が感じたのは死の恐怖などではなく懐かしさだった。幼い頃、リョウと一緒に野山を駆け巡った時は木登りしてはそこから命知らずのダイビングをよく決めていたから。
「はっ!」
気合の一声を着地と同時に吐き出す。
もちろん両足で落下の衝撃なんてモロに受け止めようものなら、俺の両足は使い物にならなくなる。故に、子どもの頃のことを思い出して地面に転がり込んだ。転がりながら脛の外側、お尻、背中、肩の順に着地することを意識して。
これぞ世界に名だたる超一流のスナイパーも愛用すると言われる"五点接地"と呼ばれる由緒正しき着地法だ。
「よし、大丈夫だな」
安堵のため息とともに体を起こす。
これをやるには相当の訓練を要するらしく、初めてする素人が成功出来る代物なんかじゃない。だけど、幼い頃の記憶、経験が今こうして成功に導いてくれた。クソガキの頃の俺よ、ありがとう。
「さて……」
立ち上がり、ヘリコプターに向かって歩を進める。
本題はここからだ。あのヘリに乗っているであろうテロリストとの戦闘に臨まなければ。
相手は何人か、武器は何なのか、使ってくる武術は何なのか、といった戦闘に関わる要素を俺は計算していく。馬鹿で元気さと明るさだけが取り柄だったクソガキの頃とは違い、今の俺はそれらを犠牲にしたおかげで手に入れた明晰な頭脳がある。
「……よし、"視えた"」
時間にして僅か3秒ほど。俺の頭の中ではありとあらゆるシミュレーションが構築されていた。これでどんなパターンにも対応出来る。
後は、俺の体力がどれほどもつか。五点接地が出来たとはいえ、間違いなくクソガキ時代から俺の体力は落ちている。だからこそ、戦闘はなるべく早く終わらせなければ。故に──
「ふっ!」
短期決戦、先手必勝。短く鋭く息を吐き出すと、歩いていた足を走りへとを切り替える。
思いのほか、瞬発力は落ちていなかった。体力測定ではいつも適当に流してやっても大体校内のトップクラスにいたけれども、まさかこれほどまでに衰えていないだなんて。嬉しい誤算だ。
50mほどの距離がドンドン詰まっていく。この勢いなら接敵までの時間は5.26秒、もちろんあちらから銃撃がないかどうかも注意しなければ。
「!」
と、俺が集中力を再び高めた所であちら側にも動きが。
朱色に染まった機体の扉が開き、中から一斉に男達が飛び出してきたのだ。
「Ataaaaak‼」
黒ずくめの服に身を染めたガタイの良い筋骨隆々の外国人風な男達が4人、雄たけびを上げながらこちらに突撃してくる。
その手に銃火器の類はなく、背中に突撃銃らしき影もない。どうやら相手も徒手空拳らしい。銃刀法違反を律儀に守るテロリストなのか?
なんて冗談も考えつつも、あちら側のスピードも考慮して接敵までの時間を再計算。その時間は──1秒後、間もなくだった。
「アキラさはぶふぉっ‼」
まず先頭の男に挨拶代わりのボディーブロー。
蹴り技は最初に出してしまうと隙が大きく避けられた時のリスクが高いが故にだった。
「アキラさひぶふぉっ‼」
次いで、一撃目を打ち込んだ男をそのままタックルで突き飛ばしてその後ろにいた男にぶつけてから。そのすぐ横を縫うようにして駆け抜けて瞬時に背後を取ると、肘打ちで背骨のド真ん中を穿つ。さながらサンドイッチのような状態だった。
「アキラさっ……アキラさっ……アッッキラさふぶふぉっ‼」
サンドイッチとなった2人が崩れ落ちる間に、両脇にいた男の内動揺の大きな方に仕掛ける。こめかみへの水平チョップ、ボディーブローといった連続攻撃は防がれてしまうものの、最後に放った蹴り上げからの踵落としは決まって沈黙させた。よく舌噛まなかったな。
「はあっ……はあっ……」
ここまで順調すぎるほど最速で戦闘を進めてきた。
が、思っていた以上に体力は落ちていた。たったあれだけの戦闘で、こんなにも息が上がるなんて。
だが、あと一人だ。次で最後なんだ。
気合を見せろ、そして力を貸してくれ……クソガキだった頃の俺!
「ヒエッ……!」
「うおおぉおおおおおおっ!!」
気合の叫び声をぶつけながら、最後の一人に向かって行く。
最早反撃など考えていないのかそいつはただただ防御に徹していた。上手く急所や狙いどころをガードされ、決定打に欠けてしまっていた。
「こなっ……くそぉぉぉおぉおおおおっ‼」
体力の限界も近かった俺は最後の大博打に打って出る。
相手が徹底してガードするなら、その上からでもダメージが与えられるほどの強烈な一撃。それを連続でぶち込むしかない。となれば……やるのはアレしかない。
上半身を左右に振って無限大の軌道を描きながら、その反動を利用して左右から強烈無比な一撃を連続で叩き込む鬼畜技……"デンプシーロール"を!!
「あぁあああぁあああああああぁああああっ!!」
「ひぃいいぃいいいいぃいぃいいいいぃいっ!!」
ガードを固めていようが、俺は無我夢中で両拳で殴り続けた。攻撃が続けば続くほど、遠心力や反動が上乗せされて威力が上がっていくこの技は、もちろんそれに比例して体力の消費も大きかった。
校舎からも声援が聞こえて来る。「まっくのうち! まっくのうち!」と何故か俺の名前じゃないのが少し解せなかったけれども、俺の心を奮い立たせるには十分だった。
友達も、彼女もいない俺だけれども。
そんな俺でもこんな風に誰かから応援して貰えるんだ。
そう思うと、俺は悲鳴を上げる筋肉に鞭を叩いて、より一層力を込めてパンチを放つ。そして遂に……!
「ほげあっ! うぶへえっ! あぶほぉ! えげがっ! いぎゅぅ!」
ガードを打ち崩し、顔面に拳が届く。
となればもう、今まで以上に無我夢中に打ち込み続けるだけだった。筋肉の痛みも、体力のこともすっかり忘れて、俺は男に拳を奮い続けた。
「うおぉおぉあああぁあああぁあああぁああああぁああっっっ‼‼‼」
高校に入ってから、一番と言っても過言ではない雄叫びと共に、俺は利き腕である右腕での一撃を最後に打ち込んだ。これで全てが終わる……そう思いながら。
だが、その時。俺はまだ気づいていなかった。
自分が致命的なミスをしていることに。
「っ!?」
渾身の一撃は、男の頬に届く直前で止まった。
いや、止められた。
拳はしっかりと何者かの掌の中に納まってしまっていたのだ。
「なん……だと……!?」
驚愕の思いと同時に顔を上げると、そこには"5人目"の姿があった。
そう、ヘリコプターはそもそも搭乗定員は運転手も含めて6人だ。運転手は逃走用に操縦席に控えているとしても、俺はすっかりと5人目の存在を失念していた。
「はあっ……はあっ……はあっ……はあっ……!」
なんてことだ。計算をしくった……終わりだ。
もう体力は残っていない。受け止められた拳は筋肉疲労で震え、身体は今にも崩れ落ちそうだった。4人目の男が崩れ落ちるのが視界に映ったが、最早それも意味はない。
俺は、このまま死ぬ。
誰の役にも立たず、英雄にもなれず。
高校に入ってから、友達も彼女も出来ないまま。
……あぁ、なんて空しいんだ。
お父さんお母さんごめん……。
それから……。
「……ホントにごめんな……リョウ……会いたかったな」
クソガキだった頃、俺の我儘に付き合わせてしまって。
また絶対会おうっていう約束を果たせないまま、会えなかったリョウ。
人生最後に思い浮かべるのがリョウの顔だなんて、よほど俺は後悔していたんだろう。今となっては何もかもが遅いけれども……。
──こうして俺は、"テロリストに立ち向かって死ぬ"という壮絶な最期を迎え、その短い生涯を終えたのだった──。
「……う、嬉しい……!」
「……は?」
しかし。
その言葉を聞いた瞬間に、必死に呼吸する合間を縫って俺は驚きの声を漏らしていた。
う、嬉しい? えっ? ど、どういうこと……?
ってか今の声を発したのは、俺の腕を掴んでいるテロリストじゃねえか……!?
「アッくんも、ボクと同じ気持ちだったんだね……!」
一瞬で混乱に陥った俺にさらなる追撃。殴られていないのに脳天がぐわんと揺れた。
会いたかった、同じ気持ち、"ボク"という一人称、そして……俺のことを"アッくん"と呼んだこと。
俺がまだあの頃のように体力馬鹿のクソガキならば気がつかなかっただろう。しかし今は体力と引き換えに知性と賢さを手に入れてしまった。
故に先ほどの言葉の意味、目の前のテロリストが何を言っているのか。
それが……理解出来てしまった。
「お前……まさか……リョウなのか……!?」
自分でも信じられない名前を口にする。
心は驚きと「そんなはずない」という想いで満ちている。
だって、俺の腕を掴んでいるテロリストのメンバーは。
──目を疑う程の、絶世の美少女だったのだから。
「そうだよ……ボク、リョウだよ!」
少女の方も名乗る。
風も一切吹いておらず聞き間違える可能性など微塵もない中で口の動きも音の響きも確実に"リョウ"と。
気品すら漂うような艶やかな黒の長髪は腰まで伸びており。
スラッと伸びた手足はモデルを彷彿とさせるどころかそれ以上に綺麗で。
特に顔つきは神が心血を注いで作られたと言っても過言ではないほど綺麗で、俺のこれまでの記憶にあった美少女の最高記録を軽々と更新していた。
リョウは……女だった。
その事実に雷で体を打たれたかのような衝撃に俺は襲われた。開いた口も目も一向に閉じられそうな気がしない。
だって、あのリョウがだぞ。子どもの頃はずっと男の子だと思ってたし、何よりリョウの一人称は"ボク"だ。それは昔も今も変わっていないのに、酷く聞こえ方が違うような気がする。
「アッくん、どうかしたの?」
「あ、いや……えっと……本当にリョウだよな?」
「うんっ! リョウだよ! でも今は日暮綾じゃなくて、宵月綾っていう名前なんだ」
「宵月だと……」
"宵月"
その名を知らない者は、この国にほとんどいないと言ってもいいほどだ。何せ、日本どころか世界有数の大企業グループ"ミッドナイトグループ"の社長一族の名前だから。
リョウがその名前になったということは……。
「まさか、お前宵月一族の養子になったのか!?」
「うんっ! そうだよ!」
弾ける笑顔で答えたリョウに、俺は再び度肝を抜かれた。
リョウは事故で両親を失っていて、それが故に田舎の祖父母の家に住まざるを得なかった。いつかは血が繋がっていなくてもお父さんやお母さんが欲しいと、子どもながらに寂し気な顔をしていたリョウを俺はよく覚えている。
およそ10年ぶりの再会にして、リョウはその夢を叶えていた。喜ばしいことなのだけれども、何だか随分と遠い世界の存在になってしまったような気さえする。
俺の背中でビクビクと怯えてはちょっとしたことで大泣きしていた気弱な少年……いや少女だったリョウが、まさかこんなにも明るい笑顔で笑えるようになった。夢を叶えたことと併せて、祝ってあげないと。……親友として。
「リョウ、おめでとう。夢が一つ叶ったな。にしても、養子にして貰ったのがあの宵月グループだなんて驚いたぞ本当に。どんな縁があったんだ?」
「んーとね、縁っていうか、今のお父さんがボクに一目惚れしたっていう感じかな?」
「一目惚れ?」
「小学校卒業してすぐくらいだったかな。おじいちゃん達と一緒に映画を見に、ちょっと都市部の方まで行ったんだ。その時、たまたま商談でそこに来てた今のお父さんがボクに一目惚れして、血相変えて『養子にするッッッ!!』って言ったんだ。まぁボクは世界で一番可愛いから、当然なんだけどね」
「な、なるほど」
「ねぇアッくん、ボク世界一可愛いよね? ね?」
「お、おう……」
「だよねーっ! えへへへっ、嬉しいなっ!」
瞳をキラキラと輝かせて尋ねるリョウに、俺は肯定せざるを得なかった。
確かにリョウはえげつないくらいの美少女になっているし、それは疑うべくもないことだ。にしても、リョウってこんなに自信満々だったか……? 俺の中の記憶にいるリョウと全く違う。気弱で泣き虫だったことなんて初めからなかったくらい、今のリョウは自信に溢れていて前向きだ。ちょっとオーバーなほどに。
「と、ところでリョウ。俺が殴り倒しちゃった人達って……」
「あぁ。ボクのボディガードの皆さんだよ」
「デスヨネー」
リョウの答えを聞くや否や、俺の目は急速に色を失っていったに違いない。
天下の宵月グループに喧嘩を売ってしまった。明日にでも俺はコンクリート詰めにされて東京湾に沈められるかもしれない。拝啓お父様お母様……先立つ不孝をお許しください。
「でも、流石はアッくんだね! やっぱりアッくんは凄いや!」
「へっ?」
「だってボクのボディガードの人達は、お父さんがボクに過保護な余り特に強い選りすぐりのメンバーを集めて編成されたもん。でも、その人達を圧倒しちゃうなんて、アッくんは凄い!」
「そ、そうなのか……?」
「うん! 凄いっ! 凄すぎるよ!! これで何も問題なく、ボク達結婚出来るねっ!!」
「……──はあッッッ‼‼????」
リョウの口から飛び出した衝撃的過ぎる言葉に、俺は今日一番の驚愕を見せた。
「けっ、けけけけ結婚んんんんん!? 結婚てそのっ、アレだよな!? 結婚するってことだよな!?」
「そうだよ! 今日まで本当に長かったんだから……アッくんに会いたくて会いたくて震えちゃって眠れない夜が何度もあった……。アッくんがどこにいるのか、戸籍謄本のデータベースをハッキングしたりとかして調べたりして……でも中々見つからなくてどうしようって思ってた矢先に、ヘリコプターで遊覧してたら窓の外からアッくんの姿が見えて……大きくなったけど間違いなくアッくんだって、ボクの女としての本能が告げたから……ここに来たんだよ……!」
涙目になりながら、感動話のように話すリョウ。いや、いろいろとツッコミ所がありすぎて逆にツッコめんぞこれ。
というか結婚ということは、少なくともリョウは俺に好意を抱いていたということになる。い、一体いつからだ? 遊んでる時にか? あんなに無理して付き合わせて泣かせちゃってたのに?
「りょ、リョウ。一つ聞いていいか?」
「ん? なぁに?」
「お、俺と結婚するってことは、俺のことが好きだってことで良いんだよな?」
「うん! ボクはアッくんが大好きだよっ‼」
「っ……! そ、それで……いつから俺のことが好きだったんだ……?」
「もちろん、初めて会った時からだよ!」
「初めてって、10年前のガキの頃だよな?」
「うん!」
「ど、どうして俺を好きになったんだ? だって俺は嫌がるお前を無理やり連れだして、色んな危険な目に遭わせちゃって──」
「──でもアッくんは、ボクの親友になってくれたんだもん‼」
その声と共に、リョウが輝いて見えた。
後光が差す、なんて表現だけのものかと思っていた。けれども間違いなく、今笑顔を見せてくれているリョウの後ろから、目を瞑りたくなるくらいの眩い光が差していた。
だけどそれ以上に俺は。俺の心は。
リョウの笑顔と言葉に、鷲掴みにされていた。
「気弱で泣き虫で誰かと仲良くもなれなくて、両親がいなくて寂しかったボクと、アッくんはたくさん遊んでくれた。怖がりでどこにも一歩を踏み出せないボクの手を引いて、知らない世界をいっぱい見せてくれた。アッくんと一緒に見たカブトムシも蛍も、一緒に飛び込んだ海も川も、駆け巡った野山の感触や匂いも景色も、何もかもボクは覚えているよ。一生、忘れられない宝物なんだよ」
「……」
「アッくんは……ボクを変えてくれた、ボクを救ってくれたんだよ。だから、ボクはアッくんが好き、大好きなんだよ。また会えて、本当に本当に本当に、嬉しいんだ……。でも、離れるのももう二度と嫌なんだ……。だから……ボクと結婚してください、アッくん」
瞳に涙を浮かべたまま、俺の両手をそっと握りしめてリョウは言った。零れ落ちる涙はまるで宝石のように綺麗で、俺の瞳はそれに吸い込まれてしまう。
高校に入ってから、友達は出来なかった。ましてや、彼女を作ることも叶わなかった。
だから……"人事を尽くして天命を待つ"なんて言葉が、本当に実現することも想像だにしていなかった。
「……あぁ。分かった、俺と……結婚してくれ、リョウ」
でもこの日俺は。
会いたくてたまらなかった親友と再会出来たのみならず。
それ以上に大切な存在として、これからの人生を歩いていくことを一緒に決めることが出来た。
もう二度と、離れない。離したくない。
心が導くままに、俺はリョウのことを抱き締めていて。リョウもまた、俺の背に両手を回して抱きしめてくれていたのだった。