第八話 最高に可愛いフレイムさん
「だが何はともあれ、無事に会えて良かった」
フレイムさんはそう呟きながら、私に向かってとことこと歩いてくる。私は両手を広げ、彼を抱き上げると膝の上に載せた。まだ二度目だというのにすっかりと慣れた様子だ。
まるで私の膝の上がフレイムさんの居場所のよう……なんて言い過ぎだろうか。
幸せを噛みしめながら、目を細めると視界の端にお菓子が映り込んだ。私がここまで持ってきてしまったお菓子である。隣にはカップも鎮座している。
「フレイムさん、お菓子食べます?」
「前回もそうだが、なぜアドリエンヌは当然のようにこの場所に皿を持っているんだ?」
「会場内の安息地で食べようと思って歩いてたらここに辿り着いちゃったんです。別に美味しいから持って帰ろうとかじゃないので安心してください」
「安息地?」
「王子の視線が気になるんですよ。変なドレスで目立っている自覚はありますが、だからって何度も目が合うのはあんまり……」
愚痴を吐きながら、一番上に鎮座していたマカロンを口の中に放り込む。
なら見なければいいだろう、との指摘が入るかと思ったが、フレイムさんの反応は違った。
「変なドレスだという自覚はあったのか。てっきり奇抜なセンスを持っているのだとばかり……」
まさか王子よりもドレスに食いつくとは……。
軽く見下ろしたところで今日も今日とて凄いセンスのドレスだ。突っ込みたくなる気持ちも分からないではない。前回指摘しないでくれたのはフレイムさんの優しさなのだろう。
「ありますよ! でも両親に用意されたから着るしかないし、それにあの人達はこれを最高に可愛いと思っているんで……」
「そうか。なんというか大変だな」
「まぁ私は悪い噂が立ったところで教えてくれる相手すらいないので大丈夫です」
「友人がいないのか?」
「ストレートに言わないでください!」
「確かに友人がいれば会場の外であんなこと呟かないよな。どこかの死にたがりかと思った」
「ハハハ」
両親のセンスはともかく、友人については反論出来ない。アドリエンヌ百パーセントの時はもちろん、今後も出来る見通しがない。それにあの発言も今となっては本当に死にたがりでしかないし。
乙女ゲームが~と説明した所でフレイムさんに通じることはないだろうし、私だってよく分かっていないのだ。笑い飛ばすしかない。
フレインボルド王子を参考に、死んだ魚の目で遠くを見つめれば、膝の上から小さな謝罪が届いた。
「……すまなかった」
「悪いと思っているならブラッシングさせてください」
しょぼんと落ち込むフレイムさんにこんなことを言うなんて卑怯かも知れない。だが絶好の機会だったのだ。申し入れくらいさせてもいいだろう。キラキラおめめで彼へと視線を注げば、長いため息を吐かれた。
「素直に謝った俺が馬鹿だったか。それにしてももう手に入れたのか? あれからまだ二週間ほどしか経っていないが……」
「帰りの馬車で牛革の手袋とブラシをおねだりしたんです。数日前に手元に届きまして」
「ブラシは分かるが、牛革の手袋なんて何に使うんだ?」
「フレイムさんをなでなでする用です。力加減ミスって傷つけたら嫌ですし、先にこっちかなと思いまして」
一応どちらも持参している。
ブラッシングを断られても、今度は手袋着用の許可を取って撫でさせて貰う作戦に移行するだけだ。
「今日は持ってきているのか?」
「はい。両方ありますよ」
「なら今日は手袋にしてくれ。あいにくとブラッシングは慣れた相手にしかされたことがないからな。慣れたらブラシな」
「ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げ、早速ポケットから手袋を取り出す。
装着すると想像以上にぴったりと手に馴染んだ。おそらくこれも両親が選んでくれたのだろうが、アドリエンヌは過去に手袋を贈られたことはない。
いつの間に手のサイズを計ったのだろうか?
疑問はあるが、それよりもフレイムさんだ。
「それにしてもプレジッド公爵は一人娘に甘いな……」
「みたいですね。最近知りました」
「結構有名だぞ?」
「そうなんですね~。まぁそんなことより、どこをどうすれば」
全く本人に伝わっていなかった両親の溺愛情報を聞くよりも、私はフレイムさんをなでなでしたい!
手袋を装着した手を空中で右へ左へ動かして指示を仰ぐ。
「アドリエンヌは本当にドラゴンが好きなんだな」
「はい!」
呆れたような声に元気よく返事を返す。だって事実だし。
「まずは背中から」「そこそこ」「うろこの間のゴミをさらうように」「首元……」
指示通りに撫でていくと、徐々にフレイムさんの声がとろんと蕩けていく。
気持ちよさそうにするフレイムさんが可愛らしくて、胸の辺りがぽかぽかと温かくなる。ふふふと顔を緩ませていると、フレイムさんから一度ストップが入った。かと思えば、彼は私の膝の上でコロンと転がり、あろうことかお腹を見せてくれた。
「ん」
「い、いいんですか!?」
「力は弱めで」
「了解です」
フレイムさんは多くを語らない。
だが無防備なドラゴンのお腹を見た人類ってどれくらいいるのだろうか?
それもまだ会って二回で。
フレイムさんも私に運命を感じてくれているのかもしれない。
「失礼します」
人でいうと腕の付け根に当たるのだろう、羽根の根元まで手をいれさせてもらってマッサージをする要領で軽く押していく。
「きもちいい」
小さく漏らすフレイムさんが可愛くて、何度抱きしめようと思ったことか!!
バラ園の外では「王子~」「フレインボルド王子~」と王子の名前を呼ぶ大人達の声がする。
フレイムさんを撫でる手はそのままに、彼に話を投げる。
「王子がどっかいっちゃったんですかね」
「ああ、脱走癖があるからな……」
フレイムさんにとっては王子のことなどあまり重要ではないらしい。威厳のなくしたほわほわボイスでなんてことないように呟いた。だが城関係者と思わしきフレイムさんには大したことなくとも、私には結構一大事だったりする。
「ここにいて大丈夫でしょうか?」
ここでフレイムさんと一緒にいるところが見つかって、会場に連れて帰られてはフレイムさんと会えなくなってしまうかもしれない。怯える私を見上げながら、フレイムさんはふわっとした優しい笑みを零す。
「大丈夫だ。王子はバラが苦手だから追っ手がここまで捜索しにくることはない」
「ああ~。ちょっと匂い強いですからね」
「っふ、そうだな」
何かがフレイムさんのツボにハマったようで、少しうろこが薄いお腹がピクピクと動いている。
「え、なんで笑うんですか?」
「よりにもよって王妃のお気に入りの場所を匂いが強いという奴がいるとはな」
「あ! 私が言ってたって言っちゃダメですからね」
「言わないから安心しろ」
「約束ですよ」
「ああ。だからもっと撫でてくれ」
腕を動かし、もっともっととねだるフレイムさん。
やばい。鼻血出そう。
鼻を軽く押さえた私の頭からは、脱走癖のある王子様のことなど抜け落ちていく。
そして脳内メモリの全てを埋め尽くすように、手元の可愛い生物を脳裏に刻み込むのだった。
終了時間ギリギリまで撫で続け、帰りは会場付近まで送ってもらった。
「ここを真っ直ぐ行けば会場だ。カップと皿は俺が返しておくから、今度から間違って持ち込まないように」
「了解です!」
手をくの字にして、敬礼すればフレイムさんは楽しそうに笑った。
また今度。
その約束が嬉しくて、意気揚々と会場へと戻った。
ずっと捜索されていたフレインボルド王子だが、結局見つからなかったらしく、会場にはお茶とお菓子とマウント合戦を楽しむご令嬢達が残されていた。
ススス~と何事もなかったかのように会場の一部に溶け込む。
時間が時間だけあってお菓子はほとんど残っていないが、使用人は未だカップを手に会場を回っている。一番近くにいた使用人に声をかければ、フルーツの香りがするお茶を注がれた。フレーバーティーか。
前回はもちろん、会場を出るまでには用意されていなかったと思うが、途中で追加されたのだろう。お菓子の種類追加といい、さすがはお城のお茶会。至れり尽くせりだ。
ホッと息を吐けば、ご令嬢三人組がお皿片手にこちらへと直進してくる姿が目に入った。
なんだろう?
もしかしてこの場所、彼女達が確保していた場所だったとか?
お菓子を取りに行った間に場所が取られて~なんてことだったら申し訳がない。すぐさま場所を移ろうとしたが、どうやら彼女達は場所ではなく、私自身に用事があったらしい。
「探したのよ。あなたどこへ行っていたんです?」
「え、ああ。ちょっとお手洗いに」
「そう……よければこれどうぞ」
「これは!!」
「先ほど追加されたマカロン。沢山食べていたから好きなのかと思って取っておきましたの」
「いいのですか?」
名前も知らない相手にお菓子を確保しておいてくれるとか、どこの聖人だ。
しかも彼女が差し出してくれたのは、チョコのマカロン生地にベリーのジャムが挟まった、前世の私一押しの味だ!
さらに気前がいいことに、なんと三つも確保しておいてくれているではないか。
お皿と彼女達の顔を何往復もすれば、ふんわりと優しく微笑んだ。
「もちろん。この前教えて頂いた組み合わせ、とても美味しかったですわ。また教えて頂けるかしら?」
「もちろんですわ!!」
なるほど。この世界はこうして交友を広げていくのか。
早速フレーバーティーを淹れてくれる使用人が付けているリボンの色を教えると、彼女達はぺこりと頭を下げてお茶の確保へと向かった。
開始と同じ鐘の音でお茶会はお開きとなった。
今日も今日とて会場まで迎えに来てくれた父に手を引かれ、馬車へと乗り込む。走り出してからしばらく経つと、父は無表情のまま質問を投げかけた。
「アドリエンヌ、今日は」
「とても楽しかったです!」
「そうか……」
私が食い気味で答えれば、ほんの少しだけ父の顔が和らいだ気がした。
一ミリくらいは口角が上がっていたように思う。喜んでくれているのは確かだろう。
十年以上娘に溺愛を隠し続けてきた父とて、まさか娘が城のお茶会に行って王子と会話するのでもなく、人間のお友達を作るでもなく、ドラゴンと戯れているとは思うまい。
手袋とブラシの入ったポケットを撫で、世界一愛らしい彼のことを思い浮かべる。
「ふふっ」
今度はいつ会えるかな?
次を想像すれば思わず頬が緩んだ。