第三話 転生したところで迷子癖は治らない
「ここ、どこだろう?」
人を避けてずんずんと進めば、いつの間にか会場を抜け出していた。
微かに人の声は聞こえる。まだ会場からそう離れていないのだろう。
きっと今から引き返せば、お茶会終了までには会場に戻れるはずだ。
けれど私は『超』がつくほどの迷子体質。
自慢ではないが、前世では出口が二つある駅を待ち合わせとした場合、確実に私は間違った方を引く。出口は真逆方向。歩き出した方向までは合っているのに、なぜか別の出口に出る。大きな駅なんかで待ち合わせをすれば、最悪、隣駅に辿り着く。
トモちゃんなんて「探す時間が無駄。電車から降りたらドアに一番近いベンチで座って待ってて」と言い切るくらいだった。
人が多くなったら確実にはぐれるからと手を繋ぎ、それでもはぐれる可能性があるからと会ったらまず初めにスマートフォンの充電具合を確認される。なんならモバイルバッテリーの持参確認までされていた。
実際、モバイルバッテリーの存在に感謝したことは数知れず。
それほど酷い迷子な私が転生した所で、迷子が治るだろうか。否、無理である。
「……変にチャレンジ精神出さなきゃ良かった」
私の迷子癖は筋金入りだったらしい。刺繍の呪いは代わりではなく、追加という形で私の身に降りかかったようだ。
転生四日でマイナスポイントを二つも発見してしまうとは……。
あ、でも、ご令嬢って基本的に一人で歩く機会ないからセーフじゃない!?
マイナスポイントじゃなくて、通知表のもう少し頑張りましょう扱い。もしくは二重丸・丸・三角・バツのバツポジション。そう思うと、今世もどうにか迷子癖とは良い関係を築けそうだ。
ーーとはいえ、今はめったにないイレギュラーな状態に直面している。
どんけつ一歩手前で歓喜するにはやや場所が悪い。
声は耳に届いているが、未だ城内で迷い続けている。
途中で座れるような場所もなければ、道を尋ねられる人すらいない。
お城って使用人がたくさんいるイメージがあったが、案外そんなことはないらしい。
上位貴族の子ども達も揃っているから会場内の警備を強化したのかな?
それにしてはここに来るまで一回も止められなかったけれど。
こんな目立つ格好した令嬢一人が抜け出すのも阻止出来ないとは……。
お手洗いに向かうと勘違いしたにしては、皿を持っている不自然さに気づくべきだ。
大丈夫か、この国? 警備体制の薄さに思わず国の未来が心配になる。
「私が泥棒だったら簡単にお宝取られちゃうわよ。って、まぁそもそも現在地すら把握出来ない奴にたどり着ける訳ないけどさ……」
宝物庫にはちゃんと警備がなされているだろうし、万が一でもお宝を手に入れられた所で、帰り道が分からない。
私には致命的なほどに泥棒の才能はないようだ。
なる気もないから構わないのだが。
ブツブツと呟きながら、声のする方角に向かって進み続ける。
すると会場ではなかったはずの香りが風に乗ってやってきた。鼻をくすぐるこの香りはーー。
「バラだ! ということはここが王家自慢のバラ園ね」
見事なまでの赤バラが咲き誇っている。
王城に足を運ぶのはこれが三度目だが、一人で来るのはこれが初めて。お茶会で何度も話題にあがっていた王家自慢のバラを目にする機会などなかった。
少し離れた位置からでも香りを楽しむことが出来るなんて、よほど手入れがしっかりなされているのだろう。香りに誘われるように近づいて思わず顔を歪める。品種だろうか? 近くで楽しむにはやや香りが強すぎる。多分、こんな至近距離で楽しむものではないのだろう。空いた手で鼻を擦れば、今度はお菓子の甘い香りが鼻をくすぐる。
あ、合わせるとちょうど良い感じ。
ここに紅茶が混ざればもっといいかも?
確か前世でバラのお菓子ってあったような? と想像すると、口の中で唾液が生成されていく。お皿に視線を落とせば、きゅうううううとお腹から頼りない音が聞こえてきた。
「ここなら生け垣もあるし、地面に座って食べてても怒られなさそう」
まだ十になったばかりの子どもが目的地も分からずに何十分も休みなく歩き続けていれば疲れるのも仕方がないだろう。
辺りをキョロキョロと見回して、人がいないことをよく確認する。
生け垣の迷路を進む際もちょこちょこと頻繁に立ち止まっては人の気配を探る。そして数回角を右に曲がった辺りで立ち止まる。直進か右折しかしていないから帰り道にも迷うことはないだろう。
「それにしてもここ良いところよね~」
香りがキツいところが難点だが、それを我慢すれば良いところだ。本当は入り口から見えたガセボに到着出来ればベストだったのだが、さすがに無理だろうと早々に諦める。来た方向を見失わないように足で地面に跡をつけた。直線だと分かりづらいから小さめの丸を二つ。よし、これで大丈夫。
ポケットからこれまたピンク色のハンカチを取り出し、地面に広げた。
大きさは少し小さめだが、子どものお尻を載せるスペースには十分だ。カバー出来なかった分は立ち上がった時にパッパと払えばいいだろう。
腰を降ろし、足は小さく畳んで正座をする。
ドレスで正座ってどうなんだろう、と自分でも思う。
でも体育座りで中身がチラリすることに怯えるよりいいだろう。誰に見られる訳でもないのだが、気分の問題だ。ハラハラしながらではお菓子を楽しむことも出来やしない。
それに王家のバラ園だけあって、しっかりと整備されて小石一つないのだ。一時間くらいなら足も痛くならないだろう。
空を見上げながらふわぁと大きなあくびをする。
睡魔を噛んでから、お菓子を口に運ぶ。
喉が乾きそうな物は選んでいないが、お菓子だけというのも素っ気ない。
「お茶も持ってくれば良かったな~」
もごもごと口を動かしながらぼやく姿はとても公爵令嬢とは思えない。
こんな所他の人に見られたら一巻の終わりだ。
だが奇行を目撃されれば、それはそれで王子の婚約者候補から外されるかもしれない。代わりに凄く怒られるだろうから、その作戦はなるべく取りたくない。
けれど私はすでにドレスで悪目立ちしている。
見つかったら見つかったで、迷って歩いていたら足が疲れて~とか適当に言い訳すればいいだろう。
大人達の駆け引きなんてよく分からないし、深く考えるだけ無駄だ。
綺麗な赤バラと良く晴れた空を眺めながらピンク色のマカロンを口に投げ入れる。
まだ時間はあるし、とりあえず食べ終わったらまた会場を目指して彷徨う予定だ。
「それにしても今日は良い天気よね~。お昼寝日よりだわ~」
かみ殺したはずの睡魔は再び私に襲いかかる。
このぽかぽか陽気がいけない。ついうつらうつらと船を漕いでしまう。
さすがに寝たらダメなことは私でも分かる。
バラ園で寝ているところを発見されては言い訳が効かなくなってしまう。
眠気の格闘に勝利すべく、私の数少ない本編知識に思考を巡らせる。
本格的に今後について考えたい所だが、悪役令嬢の情報以外に私が知っているのは攻略対象者達の名前と顔。攻略者達につき数枚分のスチルくらいだ。
どれもプロローグとオープニングで出ていたもので……って、そういえばこのゲーム、ドラゴン出てこなかったっけ?
「ドラゴン、ドラゴン……」
呟きながら必死で記憶を巡らせて、頭の中でオープニングムービーを再生する。
初めに主人公のビジュアルと軽く内容に触れ、そこから攻略者達が順番に紹介されて…………っとここだ!
それぞれのキャラのカットが二周目にさしかかる直前、十秒ほどの間、四匹の竜のシルエットが並んだ。
そのイラストにかかるように『四竜の加護は祝福か、呪いか』なんて意味ありげな言葉がゆらゆらと揺れていた。
確かトモちゃんがこのゲームを勧めてくれたのも、ファンタジー要素があるから乙女ゲーム初心者の私もプレイしやすいだろうとの理由だった気がする。
推しが推し故に推しで~って圧が強すぎて細かいことはあやふやだけど。とりあえずヤンデレが出ることだけは確かだ。
ヤンデレ好きのトモちゃんがヤンデレ不在のコンテンツにハマることはない。だからこそトモちゃんは、季節ごとにリリースされた四本のうち三作目に当たるこの作品を購入したのだ。プレイ後、結局シナリオが気になって他の三本も買ったらしい。「気に入ったら他のも貸すね~」と言ってくれた。
確かヤンデレくんは王子の幼なじみだったはず。
ヤンデレに興味はないが、トモちゃんは闇と病みが濃ければ濃いほど強く惹かれる傾向にあった。
ヤンデレくんが悪役令嬢と関わってくるかは定かではないが、接触は避ける方向でいこうと思う。
だってヤンデレってモブと悪役に容赦ないし。
それに私はヤンデレくんだけではなく、攻略対象全員に興味はない。
恋愛というのがよく分からないのだ。彼氏欲しいと言いながら恋というものをしたことがなかった。推しは沢山いたけれど、幸せになってくれればそれで良い派のオタクだった。自分は自分。推しは推し。次元を越えた恋は芽生えず、子どもを見守るような愛情ばかりがすくすくと育っていた。
そんな私を心配したトモちゃんが貸してくれたのが本作なのだが、私の脳内は数人のイケメンよりもドラゴンに支配されている。
ドラゴンーーそれは想像上の生き物にして、物凄く格好いいモンスターである。
固いうろこに大きな牙。鋭い爪のカーブや太い尻尾の魅力もさることながら、一番素敵なのはやはりあの目だ。全てを見透かすような目がいい。
「どうせ殺されるなら人間なんかよりもドラゴンがいいな」
物騒なワードを吐いてはみたものの、死にたいわけではない。
あくまでよく分からない運命の人とか、死んだ魚の目をした王子様に殺されるよりはマシという話だ。
だがこんなファンタジー世界に転生したなら一度くらいドラゴンと会ってみたいものである。
大きなドラゴンと対峙する自分を想像してみる。
人間ごときでは手の届く存在ではない圧倒的高貴さを前に、跪いて殺される。恐怖で足はすくみそうだけど、悪くない。
少なくともなんだかよく分からない業火だのなんだのよりもずっとマシだ。とはいえ、死にたいわけではない。繰り返す。望んで死にたくはない。
贅沢しながら暮らしたいし、好きなものだけ食べて大往生したい。
生存ルートがあるのならば全力で乗っかっていく所存である。
まぁそのルートに乗れるかどうかは今日のお茶会にかかっているのだが、正直、答えが出るまでこの行動が正しいのかすらも分からない。
最悪、記憶に強く残っていたからと選ばれる可能性だってある。
婚約者をちゃんと選ぼうという気概がまるで見えない死んだ魚のような王子様の思考や行動なんて私に理解出来るはずがないのだ。
「早く終わんないかな~」
早く婚約者を決めてくれ、と願いを込めて空を見上げる。
お皿に手を伸ばしたが掴むものがない。空気をもみもみとした後で、そろそろ帰るかと腹を括って足を崩した時だった。
「死にたいのか?」
聞き慣れない声が耳に届いた。
父よりも低い。それに少しだけかすれている。年齢は四十~五十代といったところだろうか。
「お前は一生を終えたいのか?」
要領を得ない私に、耳元で声の主が少し言い方を変えた問いを繰り返す。たまたま巡回していたら、自殺志願者を見つけてしまったとでも思ったのだろう。
早く終わんないかなから、一生を終えたいって話が飛躍しすぎじゃない?
普通の人ならそんなこと思わないよね?
悪役令嬢であると自覚したのが数日前。
役目から逃げようとしたから、今度は死神でも派遣された?
死亡エンドまでのタイムリミット短すぎない?
もうちょっと心に余裕を持って欲しい所だ。
だけどこんな時、お客様の声を投書する場所など教えられていない。ツイてないと割り切って次に行くか。
よくいえば聞き分けの良い、悪くいえば諦めが早い私は早々に今世への執着を捨てる。
けれど一応質問されたら答えるのがマナーというものだろう。両手を上げて、魂回収に抵抗する意思がないことを示しながら、問いに答える。
「進んで死にたいとは思いません。けれど神のご意志に逆らう気もありません」
この世界に神様が存在するのかは知らないけれど、正直トップの存在が神でなくても構わない。
無駄に敵視されたり、異端分子としてみなされるよりもずっとマシ。無駄な抵抗は止め、長いものには巻かれる。
「ではなぜドラゴンに殺されたいなど世迷い事を口にした」
あ、結構序盤から聞いていたのか。なら自殺志願と勘違いされても不思議ではないか。
心配して声かけてくれたのかな?
死に神だなんて勘違いして申し訳ない。
両手を挙げたまま、言い訳の言葉を紡ぐ。
「人に殺されるよりはマシという話でして。比較の問題です」
「殺されることが前提なのはなぜだ?」
そこを突っ込まれるとなぁ……。
実は私、前世の記憶がありまして~だの未来を知っているだの言っても頭がおかしいと思われるだけだ。
今でも十分ヤバい奴だと思われているのだろうが、わざわざ初対面の人に話すこともないだろう。
「それが私の運命ですので」
声の主が誰かも分からずに、それっぽい言葉を吐く。
もういっそ変な令嬢認定されてもいいからさっさと帰ってくれないかな~なんて遠くを見つめる。けれどその人は一向に立ち去ってはくれない。
「運命、か……。お前はそれに逆らおうとは思わないのか?」
運命だなんて言葉を飲み込んで、さらに踏み込もうとしてくる。
一体どこのお節介さんだ! 放っておいてくれればいいのに……。
父の知り合いとか?
会場を抜け出しただけではなく、死にたがりだなんて余計なこと言われたら面倒臭いな……。
だが背後にいる相手がどんな人であっても、いつか私の元に運命の相手が現れる。
知識のない私ではどうしようもない運命を背負ってくる相手が。
せめてシナリオの大筋だけでも知っていれば、抵抗する気力も湧いたかもしれない。だが何も知らないのだ。
前世だって成人前に死んで、今世だって十年くらいしか生きていない。
常識と非常識の境目が分かるくらいの子どもがどう立ち向かおうというのか。はっきり言って私は頭がよろしくない。
特殊な知識も技能もない。
顔の作りと爵位はそこそこだが、私程度他に何人もいる。
運命に逆らった所で得られるものもない。抵抗したって無駄なのだ。
「とんでもございません。私ごときが逆らえるなど、それこそ世迷い事でございます」
ここで勘違いされるのもまた、私の運命なのではないか。そう思うと一気に気が楽になってくる。
「お前が相手なら私は……」
後ろの誰かさんは何を思ったのか、私の耳元で謎の言葉を小さく呟く。
だが「最後の方聞こえなかったのでもう一回言ってください」という勇気はない。
それに、内容よりも耳元で聞こえる音が気になる。
バッサバッサとまるで鳥が飛んでいるような音。とてもバラ園で聞くような音ではない。
突如として聞こえ始めた異質な音の正体が気になり、我慢出来ずに振り向いた。