第二話 婚約者もとい当て馬選考会
そこから会話が弾むなんてこともなく、食事を終えた私は部屋へと戻った。
特にすることもなく、机に放置してあった刺繍で時間を潰す。
前世では裁縫といえば専らぞうきん縫いだった私だが、今世では流れるように針を進めていく。
さすがは公爵令嬢、刺繍はお手の物!
ーーと言いたいところだが、アドリエンヌが刺繍出来るのはバラの花一択。
まず第一に致命的なまでにイラストセンスがない。
そして第二に刺繍の才能がない。
布に転写してあってもなぜか異形の物が生成される。
何かの呪いでもかけられているのだろうか、と疑うほど。
練習して練習してやっとこれだけ出来るようになったのだ。
前世の私は裁縫のセンスこそなかったが、イラストはそこそこ上手いのだ。記憶の中にある花を思い出しながら針を進めれば、よく分からない塊が生成された。第一の要素はあまり関係なかったらしい。
アドリエンヌは刺繍の神様から見放されているのだ。
「でもまぁバラが出来ればいいでしょ。どうせ婚約者に渡す刺繍はバラだし」
貴族の令嬢の手習いといえば刺繍。
爵位に関係なく、とりあえず刺繍だけは習得する。そして習った技術は主に婚約者に刺繍入りのハンカチをプレゼントする際に発揮される。
それ以外は基本暇つぶしというか教養として身につけていれば良い程度。
だからこそアドリエンヌの先生は必死でバラの刺繍だけ教え込んで去って行ったのだ。最終的にはさじを投げられ、アドリエンヌはそれはもう烈火の如く怒り散らしていた。でも今なら、先生はよくやってくれたと思う。
私は早々に諦めた。
このレベルで生成出来るのは色違いのブラックホールくらいだ。
暇つぶしでするにしても、糸と布が勿体ない。
プチンと糸を切り、針を裁縫セットに仕舞った。
するとコンコンとドアがノックされた。
「アドリエンヌ様」
声の主はアドリエンヌ付きのメイドの声だ。
癇癪持ちのアドリエンヌのワガママにいつも付き合わされる、この家最大の被害者。
記憶を取り戻したからにはせめて意図的に迷惑をかけるのだけは止めようと心に決める。
「入って良いわよ」
「失礼します。ご当主様からお誕生日プレゼントを預かっております」
「あら、何かしら?」
すました声で返事をし、彼女の手元へと視線を落とす。
「ドレスでございます」
う゛っと変な声が漏れなかった自分を褒めてあげたい。両親同様に感情の読めないメイドが運んできたのは、薄桃色のドレスだった。ベース色はいい。ピンクで統一するのもいい。
だが絶妙に色のチョイスが悪い。
そしてなぜここでレースを採用したのか。
突っ込みどころは多いが、一番気になるのは腰についたどでかいリボンだ。
私の顔面をすっぽり覆ってしまいそうなそれは、プロペラのように回って空を飛ぶことが出来るんですよ~と説明されても納得してしまう。
もちろんそんな機能はなく、夏祭りに向かう小学生がお母さんにねだって豪勢にしてもらった飾り帯の如く鎮座している。なお、パッと見ただけでもしっかりと縫い付けられているため着脱は不可。
嫌がらせ目的で送ったとしか思えないドレスを、メイドは特に気にすることもなく「失礼いたします」とだけ言って、流れるような手つきで私に着せていく。そして鏡を前に顔のヒクつかせる私に「お似合いですわ」と伝えた。
これは普段散々迷惑をかけ続けたアドリエンヌへの反抗なのか。
はたまた当主が贈ったものだからどんなセンスであろうと似合っていると褒めるしかないのか。
多分、どっちもなんだろうな~。
誰が選んだ物なのかは知らない。だが両親はプレゼントを用意したなんて一言も言っていなかったし、メイドか針子にでも選ばせたのだろう。
今日は試着するだけですぐに元の、朝に着せて貰ったごくごく一般的なドレスに戻る。
同じピンクでもこっちは目に優しく、センスもごくごく普通だ。
だが贈られたということは、いつかあれを外に着ていく日が来るかも知れないということ。想像して、背筋がゾッとした。
ここでダサい、無理といつものように癇癪を起こせれば良かったのだが、あのドレスは両親からのプレゼントなのだ。誰に選ばせたにしても文句を言えば、それは両親に向けたものになってしまう。用意されたら着るしかない。
「前世でもファッションに興味なんてなかったけど、あんなダサい服で人前には出たくない」
私が出来る事と言えば、メイドが下がった後で頭を抱えるだけ。一人になった部屋で文句を吐き出す。
「でもまぁお茶会用に仕立てられたものじゃなかっただけマシよね」
いつかはまた腕を通さなければならない事実から目を逸らし、ため息と共に吐き出した。
ーーだがまさかそれがフラグになるなんて思ってもみなかった。
ドレスを目にした数日後、私は王家主催のお茶会に連れて行かれた。
前日にお茶会の存在を告げられ、翌朝、当たり前のように例のドレスが用意されていた。
ドレスを目にしてやっと、このドレスが誕生日プレゼントなどではなく、今日のために用意されていたのだと理解した。
今回のお茶会は第一王子の婚約者を選ぶためのものらしい。
そろそろ次の婚約者が選ばれるだろうとは思っていたが、意外と早かった。長期間空席にしておくつもりはないのだろう。
なんとなく釣り合いの取れているご令嬢を据えるのだと思っていたが、まさかお茶会を開くとは……。
それも王子と年の近い貴族令嬢のほとんどを招待しているらしい。
シンデレラの仮面舞踏会をお茶会にした感じ。
乙女ゲームシナリオがスタートするのは学園入学からで、彼女は確か平民出身だったはず。
貴族のご令嬢が集められるお茶会なんかに参加するはずがない。
それにわざわざ大規模のお茶会を開く理由が分からない。
王子は私よりも2つほど年が上だ。
今まで何度とお茶会に参加しており、王族ともなれば権力の釣り合いを考慮する必要がある。公爵家だけと限定するならまだ分かるが、全ての爵位の娘に声がかけられている。
正直、嫌な予感しかしない。
「うっ、急にお腹が……」
お腹を押さえ、腹痛を訴える。もちろん仮病である。
婚約者選出をずるずる伸ばすとも思えない。今日さえ乗り越えてしまえば全ての問題は消え去るだろう。
けれど鉄仮面の父の口から出されたのは無情な言葉だった。
「そうか。では私は先に馬車に乗っているから、収まったら来なさい」
「え?」
ツカツカと遠ざかる父の背中を見守る私の脳内に『人生そんなに甘くない』とよぎる。
まさか仮病が効かないとは……。父もこんな絶好のチャンスを手放したくはないのだろう。
いっそ今日一日トイレに引きこもってやろうかと考えたが、それはそれで後々面倒なことになりそうだ。
トイレを済ませ、軽く時間を潰した後で馬車に乗り込む。
「もういいのか?」
「……はい」
世界観が変わろうとも、子どもというものは無力なものだ。
出荷される子牛のようにゴトゴトと揺られる。リボンが大きすぎて背もたれに上手く身体を預けることが出来ない。
腹筋が鍛えられる前に馬車酔いしそうだ。
気を紛らわせるための会話でも出来ればいいのだが、車内でも会話は一切ない。父の顔は代わり映えがなく、仕方なしに視線を窓の外へと向けた。
胃が限界を迎える少し前に辿り着いたのは市場ではなく、王城だった。
仔牛が運ばれた場所とは異なるが、似たようなものだ。
「時間になったら迎えに来る」
ステップ台を下ると馬車から低い声が振ってくる。
父は感情の見えない顔でじっとこちらを見下ろしていた。
帰りも来るのか……。迎えなら馬車だけでもよくない?
正直、あの重々しい空間に帰りも押し込められると想像すると息が詰まりそうだ。
ぐぇっとカエルを潰したような声が喉まで上がる。けれどここで父の機嫌を損ねるわけにもいかない。
「はい」
余計なことは言わず、短く返事だけして「いってまいります」と頭を下げる。
父は小さく首を縦に振り、そのまま馬車を走らせるよう御者に命じた。
走り出した馬車を眺めながら、改めて厄介な家に産まれてしまったなと実感する。
いつもろくに構いもしないくせにこんな時だけ。
よほど今回の婚約者選考会に思い入れがあるらしい。
だったら馬車の中で頑張れよとか激励の言葉の一つでもかけてくれればいいのに。
乙女ゲーム本編での悪役令嬢を知らないのでなんとも言えないが『悪役』なんてつくくらいだ。きっと性格が曲がってしまっているに違いない。
娘を政略の駒としてしか見ていないだろう両親と、将来婚約者を捨てる王子様。
せめてどちらかは回避せねば、ストレスで見事なまでのツインドリルが根元からぼとりと抜け落ちてしまいそうだ。
「ああ、めんどい」
ぼそりと呟くと、どこからか案内役の使用人がやってくる。彼女に案内されるがまま会場へと足を運ぶ。
お茶会会場にぴったりな開けたスペースには、私と同様に王子の婚約者選考会に集められたご令嬢達が沢山いた。
ざっと数えて50人はいると思われる。
今までアドリエンヌが参加したお茶会のどれよりも参加人数が多い。しかも私が会場入りしてからも続々とご令嬢達が到着している。
私には急に告げられたお茶会だったが、おそらく前々から情報は出ていたのだろう。
どの令嬢もこの日のためにあつらえたと思われる、一等品のドレスを身にまとっている。お姫様みたいで可愛らしい子ばかりだが、おそらくこの会場で一番目立っているのは私だ。ピンク・ピンク・ピンクのオンパレードででっかいリボンをつけていればそりゃあ悪目立ちもするだろう。
会場の奥の方で早速ご令嬢達に囲まれている王子様と視線が合う。
つい先ほどまで女に興味なんてないみたいなすました顔をしていたというのに、目を丸く見開いて。珍しい動物でも発見したかのよう。
もしかしてこのドレスって目立つ用だったのかな?
父よ、なぜ娘に身体を張らせた……。
いくら数年かけても友達が一人も出来ないコミュ障でもこれは些か酷すぎるのではないだろうか。
もし私が前世の記憶を取り戻さずに、ワンチャンある! と勘違いしてメラメラと燃やしたやる気を胸にアタックなんてかけたら悲惨すぎる。
もちろん私が。
いい笑いものだ。
精神崩壊・人間不信ルート一直線だわ。
どんな思惑があったにせよ、わざわざ会場まで送ったのがやる気ゼロの娘だなんて父はどう思うだろうか。
少なくとも両親の意思に背くなど貴族の娘としては失格だろう。
だが私は貴族である前に一人の人間だ。精神の平和は人生の優先事項トップ3に入っている。ほんのちょっぴり残っていた両親への申し訳なさはどこかへと消え去った。
それに、どうせ今回王子様の婚約者ポジションを勝ち取ったとしても、数年後には選ばれし力を保有した平民の少女に奪われるのだ。
射貫かれるハートは恋愛感情ではなく心臓で。
恐怖でドキドキと忙しなく動いた胸は、命の灯火が消えると同時に活動を停止する。
期限付きの婚約者というよりも、ヒヒーンと泣いて殺される当て馬。
不憫だ。悲しすぎる。
ワガママな性格をどうこうしたところで、運命のお相手さんはまさかの方向からやって来るだけなのだろう。
当て馬になる以前に当て馬選出レースすらも棄権したい。
けれどこの場所に足を運んでしまった時点で、私のエントリーは確定し、すでにレースで足を進め始めている。私がお馬さんにされる可能性はゼロではなくなった。
それはもう悔やんでも仕方ない。仮病が使えなかった時点で諦めた。
だから私は非情な判断だとは知りながら、その役目を誰かに押しつける気でいた。私は世渡り上手ではないのだ。
選ばれし令嬢もといお馬さんは、数年の婚約者生活の間に甘い蜜を存分に啜って断罪されないように上手くやればいいと思う。
全ては本人の手にかかっている!
私は知らない。関係ない。
そもそもろくにシナリオだって知らないのだ。ヒロインの名前とビジュアルと持ってる能力の名前くらいしか情報がないのに、戦える訳がない。
サポートも無理。というかアドリエンヌには自らの手を差し出すほど仲の良い友人などいない。
もっといえばお茶会で見かけたら声をかけるような相手さえいない。そこそこの地位はあるはずだが、完全なぼっちを貫いていた。
知らない相手が当て馬になろうとも痛む胸もない。
貴族は時に、冷酷非情であらねばならないのだ。
婚約者選出にのり気なご令嬢方を横目に食事スペースへと向かう。
多くのご令嬢が各地から集められるだけあって、テーブルの上には多くのデザートが並べられていた。ティータイムのお供としては欠かせない、クッキーやスコーン、カップケーキにサンドイッチからマカロンにゼリー、ケーキまで盛りだくさんだ。
お茶会開催中、ずっと食に徹していても飽きることはないだろう。
会場をくるくる回っている使用人達はそれぞれ異なるお茶をカップに淹れているらしい。ご丁寧にも腕のところに色違いのリボンを付けている。
この場に王子様と、彼を狙うギラギラ系令嬢さえいなければスイーツバイキング会場である。
早速お皿を片手に好きなものを載せては、会場の端っこで口に運んでいく。
初めこそドレスで悪目立ちをしていた私だが、今ではすっかり会場に馴染んでいた。時間が経つにつれて、候補から離脱した令嬢として認識され始めたのだ。
敵認定さえされなければ嘲笑すら向けられないのだから、意外と平和というかなんというか……。
「それ、美味しいですか?」
「ええ。そこにあるベリージャムと合わせると美味しいですわ。少し甘めなので、紅茶は濃いめのものがおすすめです」
「ありがとうございます」
彼女で、私に声をかけてきたのは五人目。
皆、揃いもそろって私にお菓子のおすすめを尋ねてくる。
見た感じ、全員田舎から出てきた子っぽい。
私が言うのもなんだか、ドレスの型が少し流行から遅れている。それに生地も、王都で見慣れているものよりも数段劣る。
おおかた、変なドレスを着て、開始からずっとお菓子を食べている私もお仲間だと思ったのだろう。
目を爛々と輝かせながら私が勧めたセットを取り、口に運んでいる。
彼女達と話を弾ませられれば、お友達一歩手前くらいにはなれるのかもしれない。だが5人のうち誰を選んだところでこのお茶会が終われば王都を去って行くのだ。
次いつ会えるかも分からない。前世でも積極性に欠けていた私は、彼女達を追うことはせずにケーキを口に運んでいく。
「美味しい」
一人で食べ続けるのも割と飽きるもので、遠くから王子を見物していれば目が合った。
たまたまかと思っていたが、これで八度目だ。そろそろ見られている可能性を考慮して、場所を変えた方がいいかもしれない。
王子もこのドレスに慣れてきたのか、驚く様子こそないが、死んだ目でこちらを見るのは辞めて頂きたい。
お菓子がまずくなる。
とはいえ、私が見ているから視線を感じて~という可能性もある。他の御令嬢も同じく王子観察をしているので、なぜ私とだけこんなに目が合うんだという話になるが、深く考えるのも面倒くさい。
その場から退避するように皿に載せられるだけお菓子を載せて、人のいない方向へと向かうのだった。