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第二十二話 迷いと執着

「どうすればいいんだろう?」

 ニーナさんと別れた後、私は授業にも出席せずに屋敷へと戻った。

 すぐに寝間着へと着替え、ベッドへ寝転がる。そして首から下げた虹色の石を天井に掲げながら呟いた。


 フレインボルド王子には幸せになって欲しい。

 けれど私は彼と離れたくはない。


 どちらを選ぶべきか。

 石をベッドサイドに置き、ベッドの上でごろんごろんと転がる。

 三回ほど端から端までローリングを決めた頃、ドアをコンコンと叩かれた。


「アドリエンヌ様」

 夕食にしてはまだ早すぎるが、来客にしてはもう空はすっかりと暗くなっている。

 父か王子から何か贈り物だろうか?

 寝ていた身体を起こし、髪を軽く梳かす。ドレスの皺も軽く伸ばした。よし、このくらいでいいか。一応身だしなみを整え、腰を上げる。


「何?」

「フレインボルド王子がいらしています」

「今行く。それにしても何かしら?」


 今日の帰りは日の変わる辺りだと聞いていたが、早めに終わったのだろうか?

 理由はともあれ、王子の突然の来訪は特に珍しくもない。アーサーさんと出会った日から、気が向いた時は度々訪れるようになった。結婚してからは遅い時間にやってくることも度々ある。

 王子が待っているだろう客間へと向かおうとドアを開けた所で目の前が暗くなった。


「アドリエンヌ」

 抱きしめられたと理解したのは、フレインボルド王子の声が頭の上から振ってきてから。

 今日は妙に抱きしめる力が強い。一日近く離れていたからだろうか。背中に手を回そうとして、バタンとドアが閉められた後と同時に部屋の温度が一気に下がったのを感じた。


「今日、誰と会っていたんだ?」

「え?」

「ずっと屋上にいたそうだな。今日一日付けていた護衛が途中で見失ったと聞いて急いで帰ってきた」

「ええっと~」


 そういえばニーナさん、何度か接触を計ろうとして護衛に殺されたって言ってたっけ?

 ここで素直に彼女の名前を出したらどうなってしまうのだろう。殺すなんてことはしないと信じたいが、寒くなった空気が私の確信を揺らがせた。


「男じゃないだろうな?」

「それは違います!」

 他の人に火の手がいかないように断言する。王子はふうっと長い息を吐き、腕を少し緩めてくれた。どうやら大きな怒りは静まってくれたようだ。それでも解放までは至らない。


「イリスに呼び出されたとかでもないよな? 俺がいない間にアドリエンヌに何か余計なことを吹き込んだかもしれないと……元婚約者とはいえ、一度話し合いをしておくべきか」

「違います。彼女とはあれ以来顔を合わせていません」

「手紙も来ていないようだし、今のところはいいか……。だが何かあったら遠慮なく言ってくれ。俺がどうにかする」


『どうにか』が何を指しているのかは私には分からない。けれど彼が心配してくれていることだけは分かった。背中に手を回し、トントンと叩けば肩に彼の頭が落とされる。


「心配なんだ……。アドリエンヌが俺の側を離れる要因は全て潰しておきたい」

 フレインボルド王子のこれが執着だと知っているからこそ、ずっと一緒にいますよ、なんて無責任なことは言えなかった。



 王子が我が家に訪れた翌日。

 彼はわざわざ屋敷まで迎えに来て、王家の馬車に乗って二人で登校した。

 よほど心配なのか、教室の席まで着いてきてギリギリまで私にへばりついていた。そして五分前にようやく自分の教室に戻したのに――。


「あなたまだ不相応にもその場所に居座っているのね」

「なんでここに……」

 フレインボルド王子と入れ替わりになるように、イリスさんが訪れた。

 流れるように私の隣の椅子に腰掛け、私を嘲笑う。


「今まで家庭教師に習っていたのですが、体調が安定しましたので今日から通うことにいたしましたの。これから二年半ほどよろしくお願いしますわ」

「え、ええ」

「まぁ卒業する頃には左手の指輪がなくなっているかもしれませんけれど」

「っ」


 イリスさんが言いたいのはおそらく、離婚を言い出されないように精々努力することね! みたいな嫌みなのだろう。けれどこの指輪は彼女が想像しているような、ただの趣味の塊ではない。のろいの道具のようなもの。簡単に外れるような代物ではない。


 いや、私の選択一つで外れてしまうのか。


「イリス様はフレインボルド王子とどうなりたいのです?」

「え?」

「元の関係に戻りたいのですか?」

 私がこんなことを言うとは思わなかったらしく、イリスさんは眉間に皺を寄せる。そしてしばらく視線を彷徨わせた後、私と視線も合わせずにそれらしい理由をつらつらと並べる。


「え、ええ。まぁ私は公爵家の中でも歴史のある、由緒正しき家ですから。私以上に王子妃に相応しい人はいないでしょうね」


 けれど私が聞きたいのは『その地位を獲得したいか』ではない。

 あくまで『フレインボルド王子』と『元の関係に戻りたいか』どうかである。

 王子は王子でも、私が聞きたいのはどこかの国の王子様全てに適応される理由ではなく、彼個人をどう思うかなのだ。


「王子妃に相応しいかどうかではなく、フレインボルド王子個人とどうなりたいのですか?」

「あなたの言っている意味がわからないわ」

「そう、ですか」


 こてんと首を傾げる彼女は嫌みを言っているのでも何でもなく、本当に私の問いの意味が伝わらなかったらしい。


 彼女が私に絡む理由がなんであれ、地位を重要視するイリスさんと、王子の気持ちを重要視する私では多分わかり合うことは出来ないのだろう。


 だが、どちらと一緒になることがフレインボルド王子の幸せなのか。

 一晩で少し収まっていた『幸せとは』という問いが私の頭の中をぐるぐると回り始める。




「ねぇ、ちょっとあなた大丈夫?」

「何がですか?」

 ゆらゆらと肩を揺すられ、ハッと意識を浮上させる。

 せっかくもうすぐで抜け出せそうだったのに、なぜ邪魔をするのか。

 隣に視線を向ければ、想像していたような嫌みな顔はなく、彼女は眉を潜めて心配そうに私を覗き込んでいた。


「もう午前の授業終わったけれど」

「え? いつの間に!?」


 イリスさんは額に手を当て、ふうっと息を吐く。

 呆れたような目で時計を指さした。


「そろそろ王子が迎えに来るんじゃない?」

「あ、そうですね」

「本当に、なんで私の代わりがこんな子なのかしら……」


 あれ、意外と悪い人じゃない?

 不思議と私の脳内でイリスさんのイメージが、嫌みな令嬢から苦労性な世話焼きさんに変わっていく。


「そういえばイリスさんはなぜ王子が迎えに来ることを知っているんですか?」

「幼なじみがずっと手紙で王子のことは伝えてくれていて……でも冗談だと思っていたの。私が知っている王子は優しい人だけど、それでも芯の通った強い人だったわ。人前で盛大にいちゃつくような人なんかじゃなかった。あなたさえいなければあんなふぬけにはならなかったのに……」

「ふぬけ?」

「国のトップが場所もわきまえず色に浸って……本当に、ずっと気にしていた私が馬鹿みたい。ああ、もう! 今日から学園にも通うし、我慢していたロマンス小説も読みまくるわ。あなた、半年間のノートとプリント見せなさいよ?」


 言葉だけ聞くと凄く上から目線なのだが、勝手に意訳してしまえば今日からよろしく! である。

 今世では友人のいなかった私にとって初めてのお友達になってくれるかもしれない。


「ドラゴンが登場する本限定ですが、私も何冊かロマンス小説を持っていますのでよければお貸ししますけど」

「取りに行くからお茶でも用意しといてちょうだい! 後、ドラゴン以外の本も読みなさい。私秘蔵の本を何冊か貸すから!」

「ありがとうございます~」


 両手を合わせて喜べば、彼女は「便せんを大量に用意しておきなさいよ!」と捨て台詞を残して教室を去って行った。


 ツンデレ? もしかしてずっと婚約を解消したことを気にしていろいろと我慢していたのかな?

 事情は違うにしても、私と同じようにお友達がいなかったと思われる。父に頼んで、女の子向けの可愛らしい便せんを用意してもらわなければ……。イリス様って何が好きなんだろう? お花とか? 初めは桃色の便せんから初めて様子を窺いながら変えていくのもいいかもな~。


 便せんと一緒にロマンス小説を何冊か買ってもらおうかな? なんて想像をすれば、頬は自然と緩んだ。




 王子の自室で二人揃ってダラダラと過ごす。

 ソファに寝転がってフレイムさんをお腹に乗せ、数日ぶりのドラゴンのうろこを堪能していると、彼はぼそりと呟いた。


「アドリエンヌ、しばらく竜化はお預けになりそうだ」

「え?」


「そろそろ成体になりつつあるようで、竜化をすると身体の調子が悪くなるんだ」

「え、大丈夫なんですか! すぐに人型になりましょう?」

 なぜそれをもっと早く言わないのか!

 すでに私が部屋に来てから数刻ほど経過している。昼食も取った後だし、いつもの流れだとここからおやつを食べるかお昼寝でもするところだったわ。急いでお腹の上からフレイムさんを持ち上げる。そして私自身も起き上がり、空いたスペースに彼を下ろした。


「悪いな……。この期間ばかりは人型の方が楽なんだ」

「謝らないでください。私が王子の体調の変化に気付かなかったのが悪いんです」

「アドリエンヌ……」


 フレイムさんは瞳を潤ませ、ありがとうとぺこりと頭を下げた後で人型に姿を変えた。

 赤い髪を揺らし、登場したフレインボルド王子の姿も今ではすっかりと見慣れてしまった。これからしばらくこの姿が標準となるのか、と寂しくなる。けれど審判の結果によっては標準も何もなくなる。この姿こそフレインボルド王子の唯一無二の姿となるのだ。あのバラ園で出逢い、盛大な土下座を披露した火竜さんはこの世から姿を消す。


 記憶のリセットじゃないけれど、一部だけでも修正してくれれば悩まなくて済むのにな~。

 ドラゴンのことを忘れてしまったらきっとこの関係も初めからなかったことになるのだろう。イチかゼロのどちらか。中途半端なんて存在しないのに、私は自分の苦しくない道を選ぼうとしてしまっている。


「ねぇ王子。もしも竜化しなくなったら嬉しいですか?」

「どういう意味だ?」

「竜化を解くことが出来るかもしれないんです」

「一体誰に吹き込まれた?」

「吹き込まれたなんて!」

「まさかあの日、巫女と会っていたのか!?」

「……はい」

「あれは巫女の役目だ。他の竜達との話し合いもついている。アドリエンヌは余計なことを気にしなくていいんだ」

「余計なことってなんですか! 私だって真剣に考えたんです!」


 考えて考えて答えは出なかったけれど。

 それでも余計なことなんて、考えたことすら無駄だと言い切って欲しくはなかった。

 声を荒げて反抗すれば、フレインボルド王子は見たことないほどに怖い顔でこちらを睨んだ。


「なら忘れろ。もう後半月ほどもすればどうせ決まるんだ」

「なんでそんな無関心で居られるんですか! 巫女が光を選べば王子の竜化は一生解けないままなんですよ」

「アドリエンヌが愛してくれるならそれでいい」

「でも竜化しなくなれば、私とのテイム契約はなくなりますよね? 王家の秘密を外に漏らされると心配しなくても済む訳ですし」

「だが竜化がなくなれば、ドラゴンの背中には乗れなくなるぞ?」


 あのとき、バラ園でドラゴンの背中に乗りたいなんて言わなかったらフレイムさんは私に捕らわれずに済んだの?

 優しいあなたを縛り付けてしまった原因が私の些細の夢ならば、そんなもの喜んで燃えるゴミにでも出してしまおう。


「王子はそんなことを気にする必要ないです。好きに生きてください。……それに、ドラゴンでなければ私なんかに執着する必要はなくなります。他の女性と一緒にだってなれます」

「離婚、したいのか?」

「王子の優しさの矛先はすぐに消えるような、とってももろいものなんです。あなたが人になったところで、ドラゴンなんて他にいくらでもいます。あなたである必要はない」


 口にして、自分の胸にグサリと突き刺さる。

 現在人間に使役されているドラゴンの数よりも王子と一緒になりたい女性の方がずっと多いはずだ。私なんかより、ずっと相応しいご令嬢はたくさんいる。隠された事情さえなければ、あのお茶会で選ばれていたのは他の誰かだから。


「私、巫女に会ってきます。闇を選んでって伝えなきゃ」

 決心が鈍らないうちに伝えに行こう。

 立ち上がり、部屋を後にしようとドアノブに手をかけた。けれど私の身体を隠すように王子が上から覆い被さった。王子と影にすっぽりと包まれてしまった私はそのままピタリと制止する。早く解放してくれないかな、と望めば、頭上からは弱々しい言葉が落ちてくる。


「…………やはり人である俺には価値がないのか。だが俺は離婚なんてするつもりはない。アドリエンヌは俺のものだ」

「え?」


 王子の様子がおかしいと顔を上げれば無表情の顔がそこにあった。

 まるでよく出来たお人形のようだ。お茶会で散々見てきた死んだ魚の目をした彼とは少し違う。色つきの石でも埋め込まれたかのよう。光を反射させることすらないそれは、今にもぼとりと落ちてきそう。

 王子、と手を伸ばそうとした瞬間、手元からカチリと変な音がした。

 一瞬のうちに何があったのか。おずおずと視線を手元に下ろせば、黒いわっかが左右の手にかっちりとハマっていた。わっかには同じ色の鎖が繋がれており、それは王子の手元に伸びていた。


「てじょ、う? なんで?」

「巫女には光を選ばせる。それまでアドリエンヌはここにいてくれ」

「え、ちょ、離してください! 鎖とか嫌ですって」

「半月ほどの辛抱だ」


 ぽんと私の頭に手を置くフレインボルド王子。

 なぜか彼は困ったように眉を下げて笑った。けれど現時点で困っているのは私だ。


「離して~」

 身体を左右に動かせば、鎖がじゃらじゃらと音を立てる。

 けれど抵抗も虚しく、軽く後ろに引かれれば簡単に王子の胸元に倒れ込む。


「俺も学園を休んで一緒にいてやる。……いっそ、この先もずっと繋いでおければ」

「監禁反対!!」

「全ては巫女次第だ。アドリエンヌはただ、俺の帰りを待っていてくれればそれでいい。すぐに終わらせるから」


 彼に頭を撫でられると途端に睡魔が訪れる。

 今まで眠くもなんともなかったのに。抵抗しなきゃと思うのに、まるで薬でも盛られたかのように全身から力が抜けていった。


「いざとなったら巫女を……」

 最後、彼がぼそぼそと呟いた言葉を聞き取ることは出来ず、そのまま意識を手放したのだった。


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