第十九話 シナリオ開始、のはず……
「じゃあ昼になったらまた来る」
「あの王子。毎日いらして頂かなくても大丈夫ですよ?」
「俺が一緒に食べたいんだ」
「あ、はい」
指輪を贈られてからというもの、甘えたがりが加速した王子だが、入学と同時に過保護にもなった。
プロローグが開始されるはずの入学式は私の隣から離れず、あまりの過保護さに周りがざわついたほど。王子に腰を抱かれ、そのまま馬車まで誘導された。平民のくせに王子に話しかけるなんて~みたいなイベントが起こる隙すらなく道が空いた。
プロローグだけではなく、今の今までイベントらしいイベントが起こることはない。
ヒロインの姿すら見ていないし、そもそも王子の周りに女性がいるところすら見たことがない。
――というか、王子ってお友達いるのかな?
教室移動の時にたまたま見かけた彼の周りには取り巻きっぽい男子生徒が数人いたが、本当にいるだけらしかった。話を聞いても名前と家の説明をされるだけで、基礎プロフィール以上のものが得られない。前世の記憶を取り戻したばかりの頃に怯えていたヤンデレくんこと王子の幼なじみは、ゲームに描かれていたような影はなかった。王子と一緒にいる時に視線を感じることはあるが、話しかけられることはない。
「膝」
「はいはい」
今日も授業終了の鐘がなってからほどなくして、お弁当持参でやってきた王子と昼食を取る。ドラゴン姿の時はフレイムさんを膝の上に載せる私だが、なぜか学園では王子の膝に載せられるようになった。意外と腕の筋力が強く、左腕で支えられているだけでも安定感がある。いつものようにあ~と口を開けば、サンドイッチを口に運ばれる。一ヶ月もすれば恥ずかしさなんてものは消えた。今だって王子の幼なじみを筆頭に、他の生徒達から視線を注がれているが、気にしたら負けだ。
「お茶」
「はい」
「ん」
トントンと胸の辺りを叩いて意思表示をすれば、カップを取ってくれる。もういらないと中身の残ったカップを渡せば置いてくれるし、飲み終われば追加してくれる。不便はない。ただ難を言えば、毎回頭の匂いをかがれることくらいだろうか。今日も頭上からスンスンと鼻を動かす音が聞こえる。
「嗅ぐの止めてくれません?」
「また午後から数刻も離れるんだ。今、アドリエンヌ分を吸収せずにいつしろと?」
「週末とか……」
「週末はフレイムにべったりじゃないか」
「だってフレイムさんはお城でしか会えないし……」
「譲ってやってるんだ。昼間くらい我慢しろ」
「むう」
譲るも何もドラゴンの姿か人型かが違うだけで同一人物じゃない。
私がフレイムさんとフレインボルド王子を同一視するようになってから、逆に王子が彼らを別の人物のように扱いだした。機嫌が悪くなることはないが、言い訳に使い出す始末。昼間くらいと言う王子だが、月に二~三度はフレイムばかりずるいと言って私をベッドに連れ込むのだ。枕のように抱きしめて、満足気にすやすやと寝息を立てる。寝るならドラゴンの姿でいいじゃないか、と言えば、分かってないとなぜか私が怒られる。
「午後の授業出たくない」
「ちゃんと出てくださいよ」
「なんで別のクラスなんだ」
「学年が違うんだから仕方ないでしょう」
「また一年生からやり直したい」
「止めてください」
昼休みが終わる五分くらい前になるといつもこうだ。私をぎゅうっと抱きしめて首元に顔を埋める。いい加減慣れて欲しい。というか、私がいなかった二年間、どうやって過ごしていたのだろうか。ポンポンと背中を軽く叩いて宥めながら、駄々っ子王子が少し心配になってくる。
「頑張るからなんかご褒美をくれ」
「ん~、じゃあ週末一緒にお風呂に入りましょう」
「! 約束だからな!」
「はいはい。だから早く行ってください」
まさか入学して初めてのお泊まりでプレゼントされた肩紐のついたバスタオルがこんなに活躍することになろうとは……。当初の予定としては、お城の大浴場でフレイムさんを洗わせてもらう際のアイテムだったのだが、今では人の姿をした彼と湯船に浸かることも多い。使用人を全員下がらせて頭を洗ってくれとせがむ姿は小さい弟が出来たかのようだ。
何が楽しいのか。
もこもこと泡立てれば幸せそうに笑う彼にとって『お風呂』はすっかりご褒美となっている。
一国の王子様がそれでいいのか。
週末お風呂はドラゴンの姿だといいな~なんて思いながら腰を上げる。
辺りでは「お風呂」「バラを浮かべたりするのかしら……」「王子のお顔見ました? あんなに嬉しそうに」「まるで氷が溶けたかのよう」「私でよければ授業中の席を変わって差し上げたい」と小声で話し合う声が聞こえる。これもまぁいつも通り。散々王子が周りの目を気にせずデレッデレとしているのに、意外と周りの反応は好意的なものばかり。貴族のご令嬢・ご令息達に免疫があるのは分かる。社交界でドレスにアクセサリーにと王子から贈られたものを身につけていれば慣れてもおかしくはない。
だがこの学園には貴族だけではなく、平民も多く所属する専門コースなるものが存在する。使用出来るスペースはコースごとに異なるが、全ての校舎の真ん中に位置するこのスペースだけはどのコースも使えるようになっている。そう、私達は学園のど真ん中で膝に載ったり載せたりをしているのだ。なのにほとんどの生徒からなぜか好意的な反応をもらっている。
王子がこんなだからヒロインも出てこられないのかもしれない。
結婚しちゃってるし。
きっと王子ではなく、別の攻略者にアタックしているのだろう。
そう考えて他の方々の周りを探ってみたものの、桃色の髪をした少女の姿は見つからなかった。そして他の男の周りをうろうろしていた私は王子に確保され、そのまま一晩抱き枕の刑に処されてしまった。
だから半年が経ってもヒロインの姿すら発見出来ぬまま。本当にこの学園にいるのかさえも不明だ。
「竜の巫女っているんですか?」
「なぜそれを俺に聞く」
「だってフレインボルド王子には聞きづらくて。アーサーさんなら王子と同じ加護持ちですし、何より二人で会ってても王子に文句を言われない!」
悩みに悩んだ私は今、バレン王国のアーサーさんの元を訪れている。
グッと拳を固める私を呆れた顔で見るアーサーさんだが、しっかりとスコーンにお茶まで用意してくれる。
「俺なら取られないで済むと思ってるんだろうよ。俺、好きな人いるし。あ、砂糖は何個?」
「一個で。ってアーサーさん、好きな人いるんですか? もしやあのときも好きな人いるのに、私に婚約どうのこうのとか言ってたんですか?」
「彼女とは結婚なんて出来るはずがないからな。俺の隣に据えてフレインボルドが悲しまなくて済むなら安いもんだろ」
「アーサーさんも大概フレインボルドさんのこと好きですよね……」
「加護持ちは皆、複雑な事情を持っているからな。その中でも土竜は一番マシな方だ」
「そうなんですか?」
「見た目がドラゴンっぽくないのもそうだが、うちの国は身内が加護持ちだろうとなんだろうとあまり気にしない。普通の人と同じとまではいかないが、それでも……な」
同情、なのかな。
アーサーさんの真意は、純粋にドラゴンが好きで、その流れでテイム契約を結んでしまった私には分からない。複雑な事情とやらを深く突っ込んだところで私の頭では理解出来そうもない。それに何より今の王子が幸せそうならこれでいいような気がした。それよりも気になるのはアーサーさん自身のことだ。
「なんでその人とは結婚出来ないんですか? 既婚者とか?」
「いや、独身だが」
「ならなぜ?」
「好きだから、人ならざる者であると怯えられたくない」
マシと言いつつも、アーサーさん自身は自分の姿を人外だと恐れているのか。
あんなキュートなもふもふでも人以外の姿になれる、なってしまうというのは恋心を押さえ込む理由には十分なのかもしれない。人の心配なんてしている場合じゃないじゃない……。背中を撫でながら、とりあえずお茶飲んで、と励ましたいところだが、一つだけ引っかかることがある。
「……それ、言い換えると私ならどうでもいいと思ってたってことになりません?」
「そうだが?」
「ひどっ」
「まぁ実際はフレインボルドの姿がバレているどころかドラゴン好きの変人だったがな。その上、二人揃って引くレベルで重いし」
「運命ですからね!」
私は王子と比べればまだまだ軽いと思うが、それでも運命だ。
バラ園で出会ったのも、よく内容を理解せずにテイム契約を結んだのも、指輪をはめてしまったのも。そして何より悪役令嬢になったのも全て運命だ。全力で抗った所で何者かの力が発生して、私はそこに流れ着くことだろう。そう思うと、私がドラゴン好きだったのも運命のピースの一つかもしれない。カップに視線を落としながら「この紅茶綺麗ですね。フレイムさんと同じ色……」と呟けば、アーサーさんは何も言わずに自分の分のカップを横にどけた。
「それにしてもお嬢は気楽でいいな。てっきり竜の審判が来るのを恐れているんだと思ってたんだが」
「竜の審判?」
「知ってて巫女について聞きにきたんじゃないのか?」
「いえ。その竜の審判っていうのに竜の巫女は関係あるんですか?」
巫女と竜が関係するだろうことは予想がついていた。だが審判なんてものがあるなんて……。今まで父が与えてくれた本のどれにも記載されていなかった。秘匿事項なのだろうか。首を傾げれば、アーサーさんはなんてことないように衝撃的事実を告げた。
「関係あるも何も竜の審判を行うのは竜の巫女の役目だ。百年に一度、彼女達は加護持ちの生き方を決定するために出現する」
「え?」
「巫女が闇を選べば、少なくともこの先百年間は四つの国全てが竜の加護を失う。そして光を選べば状況が変わることはない。現在生きている加護持ちのほとんどが竜化が解けることなく生涯を終えることになるだろうな」
想像以上に重要な役目を担っているのね……。
だがここでヒロインが闇を選ぶことによって、王子の竜化が解けて~というストーリーはなんとも恋愛メインの物語にありそうな流れである。だがなぜこちらが『闇』なんだろう? アーサーさんの先ほどの話から察するに、竜化は彼らにとっては人外の象徴でもある。ある意味、呪いとも取れる竜化からの解放は『光』になるのではなかろうか? だがそれ以上に大きな疑問がある。
「竜化が解けるのはいいことなんですよね? なぜ過去の巫女たちは光を選んだんですか?」
「竜の加護っていうのは、何も竜化をすることだけじゃないんだ。加護持ちは皆、何かしらの分野で優れた才を持っている。闇を選べばその恩恵が全てなかったことになる。最悪国の機能が麻痺し、衰退することとなる」
「……っ」
「だから過去の審判はほぼ光が選ばれている」
だから『加護』なのか。
マイナス面を持ちつつも、簡単に切り捨てられないプラス面がある。
本人達にとっては釣り合いが取れているのかは定かではないが、他者から見れば彼らがいる恩恵は大きいのだろう。
「ほぼってことは例外もあるんですか?」
「巫女の選出基準は分からんが、中には国やドラゴン、加護持ちに良い思いを抱いていないものもいるからな。その反対で、加護持ちを解放したいという気持ちで闇を選んだ者もいる。五百年前の巫女がそうだったらしい」
「でも五百年前は水竜が神になったんですよね? 竜化は解けてないんじゃ……」
「殺されたんだ。闇を選ばれては困る人間に、な。そして巫女の権利を持たぬ者達によって光の審判が下された」
「それってありなんですか?」
「受け入れられるか受け入れられないかはともかくとして、受理されたのは確かだ」
どちらを選んでも苦しむ者が出てくるということは理解した。
そしてその一件があったために四竜はそれぞれ異なる道を歩んだということも。
トモちゃん、初めにプレイする乙女ゲームにはシナリオが重すぎるよ……。
私はドラゴンが好きだけど、初めての恋愛ゲームくらいは普通に竜化が解けてハッピーエンドな物語をプレイしたかった。天井を見上げて、初めのオススメでハードなのはダメだって……と前世の親友の顔を思い浮かべる。まぶたの裏側には親指を立てながら「Let's 沼」と深みに引き釣り込もうとする彼女の笑顔が映る。ああ、そういえばこんな子だったわと納得してしまうのは付き合いが長いから。実際、私も転生なんてしなければ楽しんでいたかもしれない。それこそ恋愛ガン無視で。変に意識しないようにとの配慮もあったのかもしれない。
「まぁもう五百年も前のことだ。そんなに深く考えるなよ。俺らの国にはまだ今代の巫女が顔を見せてはいないから人柄は分からんが、かなりの確率で光が選ばれるんだ。心配なんてしなくとも愛しのフレイムは高確率でドラゴンのままだぞ」
アーサーさんは元気だせよ、と紅茶のおかわりを淹れてくれる。トモちゃんに思いを馳せる私を、竜化が解ける可能性について思考していると勘違いしたらしい。
「顔見せに来るんですか?」
「顔見せというか、うろこをもらいに来るんだよ。審判には四竜それぞれのうろこが必要だから」
「それもらえなかったらどうなるんですか?」
「審判を司るドラゴンがその国を焼き尽くすとされている。だが加護持ちは巫女には従うようになっているらしいからその心配はないだろうな」
「巫女に従う?」
「逆らえないんだろうよ」
「……そう、ですか」
それはテイム契約の強制力とどちらが強いのだろうか。
もしもフレイムさんが竜の巫女に望まれてしまったら、彼は私の前から姿を消してしまうのだろうか。
フレイムさんにはドラゴンで居て欲しい。
けれど巫女に取られるくらいだったら、加護なんてもの……とそこまで考えて、自分が想像以上に深みにハマっていたことを自覚した。
ああ、そうか。
私、彼を取られたくないのか。
テイムをし、呪いの道具のような指輪をハメられてもなお、私はヒロインの出現が怖くてたまらない。
唇を噛む私に、アーサーさんは何も言わずに帰りの馬車を用意してくれた。
「どうか王子を取らないで」
馬車の中で呟いた言葉は神様に届いてくれるのか、私には分からない。
けれど彼を私の隣から取らないでと祈らずにはいられなかった。
「アドリエンヌ、どうかしたのか?」
「え?」
「元気がないぞ?」
「そんなことは……」
「さっきから手が止まっている。今日はドラゴンの姿なのに考え事をするなんて、よっぽどだろう?」
「あ……」
数日前に王子と約束した通り、私達は今、一緒にお風呂に入っている。
てっきり人型になって頭を洗わせるのかと思っていたら、後から入った私を待ち受けていたのはドラゴンの方で。桶にはこんもりと泡が出来上がっていた。存分に洗うがいい! と薄手の手袋まで渡されて、いつもなら乗り気でわしゃわしゃと洗わせてもらうのに、今日は手が止まってしまっている。指摘されるまで全然気付かなかった。
「すみません。痒いところは」
「アドリエンヌ、そこ座れ」
「……はい」
怒られるのかな?
ドラゴンの姿で洗わせてくれるなんて出血大サービスで貧血を起こしてもおかしくないレベルなのに、何しているんだろう。肩を落としながら、近くの椅子に腰掛ける。しょぼんと肩を落とし、背中を丸める。けれどそんな私にかけられたのはお怒りの言葉などではなかった。
「目つぶって」
「はい」
ざぶーんと頭の上からお湯をかけられる。
かと思えば今度は泡立てられて――ってこれシャンプー?
ドラゴンの手ではなく、明らかに人の指だ。ちゃんと腹を使って、地肌をマッサージするように洗われている。
「痛くないか~」
「ちょうどいいですけど……王子、何やっているんですか?」
「ドラゴン姿になっても喜んでもらえないなら人型を我慢する意味がないからな。戻った」
「そうじゃなくて、シャンプーなんて」
「俺だって髪くらい洗える。アドリエンヌの髪は柔らかいな。鼻を埋めるのもいいが、こうして洗うのもいいな。今度から交代制にしよう」
撫でるように、揉み込むように。私の髪を洗うというよりも堪能する彼の声は楽しげだ。私が考え事に耽っていたことを責めることはない。それどころかふふふと楽しそうに笑って「アドリエンヌ専用のものを作るのもいいな」と呟く。フレインボルド王子はお風呂での楽しみ方を思いつく天才らしい。
「髪を乾かすのも梳かすのも今日は俺がやる」
そう宣言して、湯船に浸かって服を身につけた私を自室へと抱き上げたまま連れ込んだ。
弟のようだと思っていたのに、今日はなんだか姉と弟が逆転してしまったかのよう。
大事にされているな~とは思う。
だが乾いた髪で王子に抱き寄せられながら瞳を閉じても、一度自覚してしまった恐怖はなかなか脳裏から離れてはくれなかった。




