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★フレインボルド視点 後編

 風変りな令嬢、アドリエンヌと会ってから一週間以上が経過した。

 けれど俺を包み込んでくれた体温が消えていくことはなかった。むしろ触れてくれた場所が今でも温かいような気がする。


 また会いたいと、次を待ちわびて過ごした。


 そして今日、待ちに待ったお茶会の日。

 前回同様、俺を囲むのは爵位の高い令嬢ばかり。こちらが乗り気ではないことなど分かっているだろうに、必死で機嫌を取ろうとする。だが俺の気持ちは彼女達ではなく、アドリエンヌに向いている。


 公爵令嬢でありながら、今日も変なドレスに身を包み、お菓子コーナーへと直行した。

 王子の婚約者選びなんてお構いなし。

 大量のケーキを皿に盛るとご満悦な表情で平らげていく。使用人に注がせた紅茶も合わせれば彼女はここが自分の家であるかのように顔を緩ませる。ホッと息を吐く彼女に少し気が楽になる。


 しばらくお菓子を楽しんだ後で、何かを思い立ったように立ち上がった。

 バラ園に向かったのだろう。

 俺もどうにかしてこの会場を抜け出せねばと頭を働かせている間に彼女は会場へと戻ってきた。そしてそのままお菓子の確保に向かう。


 バラ園に向かうつもりはないのか。

 あの約束はなかったことになっているのだろうか。

 そう思うとあの日の出来事が夢の出来事だったのではないかと悲しくなる。彼女のことは諦めなければならないのか。婚約者は無理でももう少し交流を持ちたい。そんな願望は所詮、俺のワガママでしかなかったということか。肩を落とし、ご令嬢達を適当にあしらう。


 すると目を離した隙に、再び彼女は会場から姿を消していた。

 たかが数分である。

 先ほど会場に戻ってきたばかりだというのに、一体どこに行くというのか。

 だが会場のどこにも目立つ彼女の姿はなかった。まるでどこかに突如として出来た穴に落ちてしまったかのよう。だが実際、そんなことはあるはずがないのだ。何かがおかしいとすぐに会場を抜け出した。そのままバラの生垣に突き進み、少し進んだあたりでドラゴンに姿を変える。そこからアドリエンヌの捜索を開始すれば、すぐに変なドレスが目に入った。お茶会会場でも目立つが、自然の緑が溢れたこの場所でも彼女のパッションピンクのドレスは良く目だつ。加えて立派なほどにグルグルと巻かれた金色の髪。


 多くの令嬢がいるとはいえ、よくもこんな特徴の固まりのような令嬢を見失えたものであると感心してしまえるほど。そんな彼女は彼女はなぜかお皿とカップを両手にもってバラ園を徘徊していた。


「ふぅ、後少し遠ざかるか」

「何から遠ざかるんだ?」

「へ?」

「アドリエンヌは何から遠ざかっているんだ?」


 純粋な疑問を投げかければ、なぜか彼女はゆっくりと膝を折り、カップとお皿を一回地面に降ろした状態でハンカチを広げ、そこの上に乗せる。そこからなぜか手をピンと前に伸ばして頭を下げた。


「ははーあ」

「何をしているんだ?」

「あまりの神々しさに頭を垂れています」

「いや、そうじゃなくてだな。俺が聞きたいのは何から逃げていたのかということで」


 意味が分からない。だが前回も似たようなことをしていた。何かの習慣のようなものなのだろう。深く突っ込むつもりはない。


「逃げてませんよ?」

「だが遠ざかっていた、と。誰かに追われていたのではないのか?」

「違いますよ。会場付近でフレイムさんの名前呼んで誰かに発見・回収されると嫌なので、会場から遠ざかっていたんです」

「なんでそんなことする必要があるんだ? 前回と同じ場所に来れば良かっただろう」

「私、迷子体質なので」

「は?」


 迷子だと? お茶会会場と今いる場所は目と鼻の先。この距離で迷えと言う方が無理がある。さらにいえばこのバラ園は入り口こそ複数存在するが、迷うポイントはほとんどないはずだ。冗談だろう? と返したいところだが、彼女の表情はいたって真面目である。


「前回バラ園に到着したのも、今回別の入り口から入っちゃったのも迷った結果です」

「……もしやバラ園に向かったと思ったら会場に戻ってきたのも」

「見てたんですか!? そうです。トイレが長いんじゃなくて、迷いに迷った結果、スタート地点に戻って来ちゃったんです。というか声かけてくれれば良かったのに……」

「俺も出ようと思ったら帰ってきたから」

「帰ってきた? フレイムさん、あの会場にいたんですか」

「あ、ああ」

「じゃあ会場でお話すれば……」


 聞かれて、余計なことを言ったと気付く。今の俺は王子ではなく、ドラゴンである。いくら彼女がドラゴンに抵抗がないどころか撫でさせてくれと頭を下げるほどの変人とはいえ、王子と知られるのはまずい。さすがにすぐにはイコールで結ぶことはないだろうが、変な想像をされても厄介だ。なんと取り繕おうか。ドラゴンへの関心が強いため、ここで選択を間違えれば踏み込まれてしまう。頭をフル回転させて言い訳を探す。


「ドラゴンが人前に出て、パニックにならないはずがないだろう」

「そっか」

「だから隠れて見ていたんだ」

「なるほど」


 急ごしらえではあるが、彼女は納得してくれたようだ。彼女がこのまま踏み込んでくる前にさっさと他の話題に移す。


「だが迷い癖があるのなら前回言ってくれれば」

「恥ずかしいじゃないですか」

「そうか?」

「そうです!」

「そんなものか。ところでアドリエンヌは次回以降、この生け垣の中まで来られるか?」

「会場の近くに入り口あるっぽいので、迷って会場から出なければ……」


 アドリエンヌは頑張りますね! と拳をグッと固める。

 心配ではあるものの、さすがに会場にいる間にドラゴンになることは出来ない。それに王子の姿で声をかけたところで迷惑そうに顔を歪めるだけだろう。

 どうしたものかと悩んだが、こればかりはどうも出来ない。彼女に頑張ってもらうしかあるまい。


「この生け垣の中にさえいれば探せる。だが外で声をかけることは出来ない」

「人に話しかけてたら見つかる確率上がりますもんね」

「ああ。すまない。だがこの中にいれば必ず迎えに行く。入ったと気づいた時点で、入り口から少し離れていればその場所で足を止めてくれ」

「了解です!」


 手を曲げ、おでこに付ける。

 それが一体何を意味しているのかは分からなかった。


 それからお茶会の度に会うようになった。


 生垣のどこかにいる彼女を探すのも楽しみの一つだった。

 毎回会場から抜け出すのには苦労したが、脱走した俺を探す使用人達は薔薇園にやってくることはない。俺が薔薇を嫌っていることを知っているからだろう。俺だってアドリエンヌと忍んで会うことがなければこんなところ出入りする気はない。


 王子であることを隠すことに後ろ暗さを感じたが、手袋にブラシと用意してきた彼女のテクニックがあまりに優れているもので、毎回心地よさに溺れていった。


 次こそは言おう。次こそは。


 そう思いながらも、気が付けばいつだってお茶会の終了間際になっていた。



 回数を増していくごとに人数を減らしていく令嬢達。

 そして俺の我慢も効かなくなっていた。


 早く会いたい。

 お茶会が終わってからはそればかりを考えるようになっていた。

 あの手に抱かれた日からずっと捕らわれている。

 すでに彼女以外が婚約者になるなんて考えられなかった。だが彼女は王子にこれっぽっちも興味がない。なんとか気を引けないものかと一通の手紙を出した。


『城の赤バラをあなたに捧げたい』


 ドラゴンと王子がなんらかの形で結びついてくれればそれに越したことはない。

 だが人がドラゴンになるなんて想像もつかないだろう。

 だから想いを寄せていることだけでも伝わりますようにと願いを込めて封をした。


 けれど彼女にこの想いが届くことはなかった。

 それどころか返ってきた手紙は悲惨なものだった。

『赤バラも素敵ですが、私にはもっと欲しいものがございますの』なんて、明らかに拒絶されている。ドラゴン相手ならあんなにも優しく微笑んでくれるのに……。



 ん? ドラゴン相手ならいいのか?

 その時、俺の頭には名案が浮かんだ。


 ドラゴン好きの彼女を縛り付けることが出来る最良の方法が。

 それがテイム契約。けれどそれは彼女の魂をも縛ることになる。両者の合意さえあればすぐに解除をすることは出来るが、一度手に入れた彼女を手放せる気がしない。だからこそ踏み出すには勇気が必要だった。


 三日三晩迷って、自分の欲と葛藤する。

 そして俺は卑怯な真似を使うのは止めようと決めた。


 ――けれど無理に押さえつけた欲望というのは、きっかけさえあれば簡単にあふれ出してしまうものである。


「でもフレイムさんが成体になる頃には、このお茶会も終わって、会えなくなっていますよ」

「……っ」


 会えなくなる。その言葉を聞いてしまえば我慢の蓋ははじけ飛んだ。

 人に突き放される寒さを知ってしまった俺には、一度知ってしまった温もりを手放すことなど出来なかったのだ。


 ドラゴン好きの彼女をだますような形で契約を結ばせ、直後に王子であることもバラした。そして半ば脅すような形で婚約を結ぶことに成功した。ドラゴンの姿ではマスターを、そして人の姿では婚約者を手に入れたのである。嬉しかった。これでずっと一緒にいられると、彼女はもう逃げられないのだと涙が零れそうになった。


 初めこそ嫌そうに顔を歪めていたアドリエンヌだったが、ドラゴン姿の俺と一緒にいられるようになったことは嬉しいらしい。度々俺の元を訪れてはフレイムを堪能する。人型の時には見せない緩んだ顔に、いつしかドラゴンの自分に嫉妬するようになった。


 いつか人型でも彼女に愛されたい。

 そんなささやかな願いはこの先何十年とかけて叶えていくつもりだった。


 学園への入学が決まってからは間違っても他の男どもがアドリエンヌに手を出したりしないようにと睨みを利かせる。週末はアドリエンヌと会いたいが、王子としての勤めがあった。彼女が夜会に参加するまでの後二年。地盤作りに手を抜くつもりはなかった。離れている間、彼女の気持ちが他の男になびかないか、それが不安でたまらなかった。だから護衛の一人にはアドリエンヌを監視させた。

 初めはなかなか屋敷から出てこないことに安心していたが、いつからか屋敷の中で誰かと密会しているのではないかと不安に思うようになった。彼女が度々「いい相手はいないんですか?」と聞いてくるのも不安感を煽る原因の一つだ。



 不安で不安で。

 今日こそ彼女に直接聞いてみようと決心した日。直前になって体調を崩したとの連絡が入った。すぐに見舞いに行くと告げると、連絡にやってきた御者の視線が分かりやすいほどに泳いだ。


 そもそもなぜ御者が連絡に来るのか。

 問い詰めるとますます彼は戸惑ったように汗をかく。言葉を紡ごうともごもごと動かされる口は上手く言葉を発せずにいる。おかしいと睨んですぐに馬車を出した。

 向かう先はプレジッド屋敷。連絡を受けたアドリエンヌが取り繕う時間など持たせぬよう、全速力で馬を走らせる。案の定、屋敷にアドリエンヌの姿はなかった。


 けれど不思議なことに使用人達は確かに城に向かったはずだと首を傾げる。誰に聞いても同じだ。全員で嘘を吐いているのかと思ったが、問い詰めれば彼らは困ったようにおろおろとし始める。本当に何も知らないようだった。


 様子がおかしいのは御者一人。


「アドリエンヌはどこだ!!」

「お、王子落ち着いてください」

「あいつはどこに行ったんだ! 誰と会っている!」

「それは……」

「男だろう! 相手ごと連れてこい!」


 密会か! こんなんだったらもっと早く問い詰めるべきだったと後悔しながら、大股で屋敷を後にした。馬車に乗り込む直前、アドリエンヌの姿が目に入る。どうやら帰ってきたらしい。このまま城に連れて行って話を聞き出そうと心に決めて歩み寄る。けれど彼女は一人ではなかった。隣には男が一人。浮気相手ではない。その顔には見覚えがある。


「アドリエンヌ! ……と、アーサー?」

 おせっかい焼きのアーサー。

 俺よりも十近く年上の彼は不機嫌な俺に動じることなく、軽い調子で片手を上げた。


「久しぶりだな、フレインボルド。ちょっとお前の婚約者借りてた」

「借りてた?」

 意味深な言葉に嫌な考えがよぎったが、だがこいつには長年片思いをしている相手がいる。ドラゴンの想いがそう簡単に変わるはずがないことは俺も身をもって体感している。だが同時に、アドリエンヌが大のドラゴン好きということも身をもって体験しているのだ。


「良い子だな、彼女」

「まさかお前アドリエンヌにあの姿を見せたのか!?」

「見せていないが……」

「そうか、良かった」

「って、お前こそこの子にあの姿見せたのか?!」


 だが俺の心配は無用だったらしい。

 機嫌を悪くしたアドリエンヌから威嚇され、ドラゴン化してしまうような男に彼女の竜が務まるとは思えなかった。馬車の中でもビクビクと身体を震わせている。これでは冗談だって口には出来まい。アーサーには悪いが、他の男を威嚇する姿は見ていて気持ちがいい。アドリエンヌは俺を見てくれているのだと実感できる。



 また予想外のアーサーの訪問だが、聞きたいことも自然な流れで聞くことが出来た。

 まさか引きこもりの要因がドラゴンとは予想外だったが、他の男と会っているよりもずっとマシだ。ふうっと息を吐き、アドリエンヌの乗った馬車とアーサーの馬車をそれぞれ見送り、いい夢が見られそうだと早めにベッドへ入った。


 ゆっくりと眠れるだろうと思っていた俺だが、変な夢を見た。

 詳しいことまでは覚えていない。けれど目の前からアドリエンヌが煙のように消えてしまう瞬間だけが鮮明に脳裏に残っていた。

 何かの暗示だろうか。

 今回はたまたま何もなかっただけ。また同じような心配をして、今度こそ彼女の隣に他の男が並ぶ日が来るかもしれないと思うと恐ろしくてたまらなかった。


 魂の契約を結んでも、所詮、それはドラゴンと人間。

 別種族で結ばれた約束にすぎないのだ。


 どうすれば彼女をより強く結び付けられるかを考え、一つのアイテムにたどり着いた。


 加護持ちが一番初めに落としたウロコで作る指輪。

 あまりにも強く相手を結び付けてしまうため、多くの加護持ちが使用することなく一生を終える代物だ。幼い頃から伯父に何度と「使わないで済むならそれに越したことはない」と言い聞かされていた物でもある。


 だが使うことに不思議と抵抗はなかった。

 この世に二つしかないリングを手に乗せれば、心にかかった暗い気持ちは一気に晴れていく。


 今度こそ、彼女を結びつけられる強固な鎖を見つけたのだと嬉しくなった。

 次に彼女がやってくる日を待ち、だますように彼女の指に滑らせた。


「喜んでくれて良かった。これで俺たちは正式な夫婦となった」

「は?」

「早速プレジッド公爵に報告に行こう」

「いやいやいやいや、ちょっと待って? 夫婦ってなんですか? 私達婚約者ですよね?」

「その指輪を受け取った時点で婚姻が成立した」

「またハメたんですか!?」

「今回は事前にプレジッド家の許可を取ってある。公爵もアドリエンヌが指輪を受け取ったらいいと」

「事前の言葉的ものが一切なかったんですが?」

「なんだ、アドリエンヌは雰囲気を大事にするタイプだったのか。悪かったな。ハネムーンは力を入れる」

「私が求めているのはロマンチックなあれこれではなく、事前説明です! 私、婚姻成立とか認めませんからね!」


 テイム契約に引き続き、ろくに説明もせずに契約を結んでしまったことに彼女は酷く怒っていた。だが数時間もすれば諦めたように「デザインはいいのに」と呟きながら、指輪を愛おしそうに撫でていた。



 文句は言いつつも、結婚を受け入れてくれたようだ。

 もう誰にも取られる心配がないと思うと、今まで抑えていた感情が一気に湧き出してくる。



 人型で抱きついても、膝に頭を載せても彼女は軽く文句を言うだけで拒絶してくることはない。それが嬉しくて、どんどん深みにはまっていく。



 底の見えぬ幸せに、いつか殺されても構わない。

 だから今だけは手の届く範囲にいてくれるそれを小さな腕で精一杯抱きしめるのだった。


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