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★フレインボルド視点 前編

 アッセム王国の王家は四竜の一角、レッドドラゴンの加護を受けている。王家には加護持ちが数人おり、特に強い加護を持つとされる者は胸元にドラゴンのうろこのような痣を持つ。数十年に一人の割合で現れる加護持ちは、他の者よりも才能に富んでおり、代々国の重役についてきた。国王になった者も多い。

 

 選ばれし者のように扱われている加護持ちだが、詳しいことのほとんどが王家内でも秘匿にされている。

 その最たるものが竜化である。名前の通り、ドラゴンになってしまうのだ。自分の意思でどうにか出来るならいい。だが人型を維持するのは難しい。

 

 

 気持ちが昂ぶった時。

 体調を崩していた時。

 大気中の魔素が乱れている時。


 理由は様々だが、自分の意思とは異なるタイミングでドラゴンになってしまう。コントロールに不慣れな子どもならなおのこと。


 けれど自分がドラゴンであると誰に言えるだろうか?


 俺、フレインボルドの身近な人間で竜化について知っているのは、国王であり加護持ちの兄を持つ父と伯父、二人の護衛だけだった。母は産まれてすぐに竜化した俺を見たことで心を病んだ。父は竜化について母には話していなかったのだ。


 まさか自分の子どもが加護持ちに選ばれるとは思っていなかったのだろう。

 父の兄、俺から見れば伯父であるその人は第一王子でありながら配偶者を持つことが出来ないとの理由で王位を返上し、自ら補佐官となった。返上する際に、次期国王となった父に竜化を告げたらしいが、他の兄弟には告げていないようだった。

 過去に何があったのか話してはくれないが、伯父は俺が婚約者を持つことに反対をしていた。

 何度も父に「この子は普通に育てるべきではない。王位は他の子どもに継がせるべきだ」と進言し、俺を引き取って育てようとまでした。けれど父は頑なに譲らなかった。俺も竜化を制御出来ているつもりだった。だから父の考えに従った。

 

 婚約者との仲も良好。

 お慕いしておりますと控えめに微笑む彼女が愛おしく、何事もなく暮らせているつもりだった。

 けれど今になってから思うと、婚約をして6年間も竜化がバレなかったのはただ運が良かっただけに過ぎなかったのだ。

 


 ある日、王都からほど近い場所でスタンピードが発生した。自我を失った大量の魔物達により、大気中の魔素は乱れ、コントロールが効かない日が続いた。体内の魔力が自分の意思とは関係なく駆け巡り、吸収・排出されていく。普段の体調不良とは比にならないほど辛く、高熱にうなされるようになった。

 数日経ってもドラゴン状態から戻ることは出来ず、うめき声と共に胃の内容物を吐き出す日々。

 それでも朝昼晩と様子を見に来てくれる伯父が、苦しみを理解してくれる相手がいたことが救いだった。ドラゴンの姿になった伯父と共に鳥粥を胃に流し込み、食事の時以外はベッドの横で丸くなって過ごした。

 

 毎日婚約者からは体調を気遣う手紙と贈り物が届き、返事さえもろくに返せないことにもどかしささえ抱えていた。


 ――そしてスタンピードが発生して一週間が過ぎた日に事件は起きた。

 事情を知らぬ使用人が見舞いにやってきた婚約者を勝手に通してしまったのだ。熱で視界が定まらぬ中、彼女が入ってきてしまったことだけは理解した。ベッドに近づく彼女を制止することも出来ぬまま、ベッドの横で丸くなり続ける。苦しみと葛藤しながらも声を潜め、どうか気づかずに部屋から出て行ってくれと願った。けれど運命とは残酷だ。王子様に会いに来た彼女はすぐにベッドが空っぽなことに気づいた。そして部屋を見回して、ドラゴンを見つけてしまったのだ。

 

「ひぃっ。モ、モンスターが……」

 勢いよく尻をついた婚約者と視線が合えば、顔面を白く染めた彼女はボロボロと泣き出した。

「許して。食べないで」

 歯をガチガチとならしながら、必死で懇願の言葉を繰り返す。ごめんなさいごめんなさい、と。その瞬間、何かがガラガラと崩れ落ちたような気がした。

 

 すぐに異常に気付いた伯父が部屋に駆けつけて、婚約者と使用人は部屋を後にした。

 使用人は口止めをされ、暇を出された。

 だが問題は婚約者の方だった。

 

 彼女はドラゴンの正体が自分の婚約者であることには気づいていないようだが、ドラゴンを間近で見た恐怖からふさぎ込むようになってしまった。部屋から一歩も出ることなく、声すら発することもなくなった彼女から手紙が来たのは一カ月後のことだった。

 

『婚約を解消してください』

 震えた字でたった一行だけ書かれたそれに了承する以外の選択肢などなかった。

 正式に婚約を解消してから、伯父は何度となく国王に今からでも王位継承権を放棄させるべきだと進言した。俺がこれ以上傷つかないようにとのことだろう。俺の体調が回復してからも食事を持って訪れる伯父の目はいつだって泣きそうなほどに揺らいでいた。伯父がもっと心配することは分かっていても、俺は部屋から出ることが出来なかった。仲の良かった幼なじみからは何度となく手紙が送られてきた。だが震えた彼女の幼なじみでもあるあいつからの手紙になんと返せばいいのだ。初めは俺の体調を気遣う手紙が送られてきていた。だが次第に何かを探るようになってきたそれを、いつしか開くことさえ怖くなった。


 このままずっと引きこもって暮らせれば、とどんなに思ったことだろうか。

 けれど両親から告げられた言葉は残酷だった。


「すぐに次の婚約者を見つけてやるから安心しろ」


 両親は伯父の進言を無視し、まだ俺に王位を継がせる気なのだ。

 父は俺の次期婚約者を探すため、わざわざ俺と年の近い令嬢全員招待したお茶会の開催を決定したのだ。


 伯父の言葉では届かないと悟った俺は父の元へ行き、自らの意思を告げた。


「義弟に王位継承権を譲りたい」

 俺には腹違いの弟がいる。竜化なんてしないごくごく普通の人間だ。年は五つほど離れているが、まだ幼い彼になら今からだって十分次期国王としての教養を身につけさせることが可能だろう。

 なのになぜ父は、これほどまでに俺に王位を継がせたがっているのか。前妻との間の子どもが俺一人だから、勢力図が崩れるのを嫌っているから、と結論づけられればどんなに楽だろうか。確かに義母は俺の母よりも少し爵位の劣る家柄ではある。だが母が子を産んだこと心を病んだと知った時点で彼女の生家は俺に王位を継がせることを半ば諦めかけている。そして弟が生まれてからは、そちらが継ぐものだとでも思っているのだろう。母が亡くなってからもわずかに残っていた交流はほぼなくなった。何より父と母は政略結婚だった。俺自身にも、かの有名なワガママ娘の家のように溺愛している、とまではいかずとも愛情など向けられた記憶はない。俺に固執する理由が分からなかった。


 けれどにいっと上がった口元にようやく理解させられる。

 

「兄さんと同じ加護持ちのお前ならきっと良い国王になれる。大丈夫。兄さんが認めているんだ。成人したらすぐに王位につけるさ。その時、隣に飾り物がなかったら寂しいだろう?」


 そう言って笑う父は歪んでいた。

 父は俺が王位を継承することに固執しているのではない。彼は盲目的なほどに伯父を慕っているのだ。劣等感に似た尊敬は、息子を見る時さえもその視界を曇らせるには十分だった。


 初めから、それこそ母が心を病むよりも前から、父は一度だって俺のことを息子として見ていないのだ。

 母が心を病んだのは本当に人ならざる息子を自らの腹から出してしまったことに対してなのだろうか。


 父だと思っていた人が知らない狂信者になってしまったようで、俺は婚約者を失った時よりもずっと深淵に突き落とされた。


「たくさん用意したからお前の好きなものを選ぶといい」

 暗く深い、どこかも分からない闇の底。

 俺を突き落とした男の顔が、その日から脳内にこびりついて離れない。



 お茶会の準備が進む中、突如として伯父が姿を消した。

 残されたのはたった一枚の紙切れだけ。便せんを急いで破ったと思われるそこには、生真面目な伯父の物とは思えないほど荒れた文字が記されていた。


『一人にしてすまない、フレインボルド。けれど私には果たさねばならぬ役目があるのだ』

 その意味が分からず、捨てられたのかもしれないと絶望した。

 伯父すらも俺を見捨てるのか、と。

 けれど枕の下に残されていた一冊の歴史書で全てを悟った。

 伯父は俺を見捨てたのでも、実の弟から逃げたのでもない。伯父は竜の審判に選ばれたのだ。


 竜の審判――それは幼い頃から伯父に聞かされてきた、竜の加護持ちが逃げられないもの。

 百年に一度、どこからか生まれる『竜の巫女』によって俺たち加護持ちの運命が決められる。その際、大陸にいる多くの加護持ちからたった一人だけ、審判の竜として選出されることとなる。審判自体はまだ十年近く先のこと。けれど事前に何かあるのかもしれない。何が待ち受けているのかは選ばれた加護持ちしか知り得ない。ただ、共通して審判の竜に選ばれた者は二度と帰ってくることはないのだ。そのため、竜の審判の詳細を知り得ない一般人向けに出されている書物の多くには、ドラゴンが竜が命を賭して大陸を守っているのだと書かれていることが多い。



「そっか。良かったね」

 伯父さんが死ぬかもしれない。そんな恐怖よりも、この場所から逃れる術を手に入れられたことを祝う気持ちの方がうんと強かった。彼は優しすぎるから。俺自身より、ずっと俺の境遇を嘆き悲しんでくれる人。緩んだ頬を引き締めて、伯父からの手紙は本の間に挟んでベッドの下に隠した。


 ほどなくして伯父が姿を消したことに気付いた現国王は騒ぎだし、より俺に固執するようになった。

 成人したら王位にと言う話も、卒業したら、入学したらとどんどん時を早めていく。とっくに狂っていたはずなのに、まだ正気を失うことが出来たらしい。同じく伯父を信仰していた義母と共に俺の隣に据える飾り物探しに躍起になった。けれど二人揃っておすすめを俺の近くに置くことはあっても、勝手に選ぶつもりはないらしい。予定通り行われたお茶会には参加せず、どこからか見守っているようだ。姿は見えずとも視線は見えるだけに、気持ちが悪かった。


 ただ俺にとって救いだったのは、会場入りした瞬間から俺に価値を見いだしていないご令嬢がいることだった。まず生地の色がパッションピンク。この色だけですら目立つのにさらに大きなリボンをいくつも付けて、ビラビラのレースは至るところを這い回っている。一体どこの令嬢だろうか? あの令嬢にガンガンアピールされたら胃もたれを起こしそうだ。思わず見開いてしまった目を逸らしつつ、まともそうな令嬢に囲まれる。けれど彼女は一向にこちらに近づいてくる気配はない。むしろ真っ先にケーキコーナーへと足を運び、皿に山盛りを確保した上で会場の端で大口を開いて頬張った。


「これおいひい」

 加護持ち特有の、常人よりも良い耳はこの会場で悪目立ちをしているご令嬢の声をしっかりと捉える。

 彼女はこの会場をバイキング会場か何かと勘違いしているのだろうか。王家のお茶会でなくとも、あそこまで周りに遠慮なく食べるなんてあり得ない。


 だがこの状況では不思議と安心感すら抱く。


「あ、お茶もらえます?」

 手を上げて使用人を引き留め、お茶を注がれたカップを傾けながら「あったまるわ~」と間延びした言葉を吐く。本当に、あの令嬢は一体どこの家の娘なのだろう。よほどの田舎から来たのだろうとは思うのだが、なぜかその顔には見覚えがあった。はて、どこだったか。チラチラと顔を確認してみたものの、一向にヒットしない。そもそも他人に興味があまりないというのも大きいのだろう。途中からこちらの視線に気付きだし、居心地悪そうに目を逸らすようになった。けれど一向に皿とフォークを手放そうとしないのはさすがと言えるだろう。けれどそんな風変わりな令嬢も、気付けば姿を消していた。あんなに目立つというのに、会場のどこを見回しても見つからない。手洗い場にでも行ったのだろうか。気を逸らす手段を失った途端、この場で竜化してしまったらと考えると怖くなった。

 気の許せる相手もいない場所で、いつも以上に大勢に囲まれてすでに限界を迎えていたのだろう。ただあの令嬢に支えられていただけに過ぎない。名前さえも分からない相手だと言うのに、姿が見えなくなっただけでこうも精神は揺らぐ。胃の中からこみ上げるような吐き気を覚え、真っ青な顔で輪から抜け出した。そのまま医務室にも向かわず、適当な部屋へと逃げ込んだ。

 

「うっ」

 音を立てずにドアを閉めたのと、ドラゴンになるのはほぼ同時。口から漏れた声はまだ10代にも関わらず低くて渋い。地を這うような声に嫌気が差す。いつドラゴンになるかも分からない人間の婚約者なんて、誰が進んでなるものか。事情を隠したところで似たような惨劇を繰り返すだけ。また同じようなことがあった時、果たした俺は正気を保っていられるだろうか。

 俺なんかが父が望む『良い国王』になんてなれるはずがない。

 部屋の端に蹲って、ようやく伯父が配偶者を持たず、王位継承権をも放棄した理由を理解した。耐えきれなかったのだろう。逃げてもなお、新たな役に捕らわれることを理解していながら彼は新たな選択をした。だが俺にはその選択権さえも与えられていない。

 

 誰かに恐れられ続け、心を許せる相手ももういない。

 他のドラゴン達との交流もあるが事情がまるで違う。完全に打ち解けることなど不可能だ。

 鬱々とした気持ちで部屋の端に場所を動かせば、物騒な呟きが耳に届いた。


「どうせ殺されるなら人間なんかよりもドラゴンがいいな」

 しかもよりによってドラゴンとはピンポイントである。姿が見られたのかと見回せばやはり部屋には俺一人。窓の外かと眺めれば、姿は見えない。けれど正体が気になった。残ったわずかな力で人へと姿を変え、窓から外へと出る。そしてかすかに聞こえる服の擦れる音を頼りに足を進めていく。生け垣の中に入った時点で、吐き気が再び喉元までこみ上げる。我慢するのも辛くなり、そのままドラゴンへと姿を変えた。けれど声の主を諦めることは出来なかった。ドラゴンの姿で低くゆっくりと飛び、奥へと進んでいく。そして少し進んだ辺りで、バラ園の生垣に隠れるように腰を下ろす何者かの姿を見つけた。生け垣に隠れた金色の頭は、人の肉眼では捕らえることは難しいだろう。ドラゴン状態であるからこそ見つけられたと言える。クンクンと鼻を動かせば、バラの香りに混じって微かに嗅ぎ慣れない者の体臭が混じっていた。柔らかみのある甘い香り。おそらく幼い少女のものだろう。それも会場で俺を囲んでいた者とは別の人物。会場を抜け出したかと思えば自殺志願者とは、一体どんなご令嬢だろうか。

 ますます興味が湧いた。同時に死にたいと願う彼女へ嫌がらせをしてやろうと。妙な考えが頭を過ったのは、いっそ問題でも起こせば父は今度こそ諦めるかもしれないと思ったから。

 にやっと笑えば、不調はしゅううっと吸い込まれるようにどこかへ消えていく。自分でも性格が悪いとは思う。けれどそのまま姿を変えず、ドラゴン状態で足を向けた。パタパタと音が出ないようにゆっくりと。けれど確実に金色の頭へと近づく。


「早く終わんないかな~」

 少女は呟いて空を見上げる。そして右手を彷徨わせる。

 一体何を探しているのだろうか。

 まさかナイフ!? と慌てて確認したが、そこにあるのはクリームや菓子のくずが落ちた皿だけ。どう使おうというのか。見つめていれば、彼女は足を崩して立ち上がろうとする。


 このままでは立ち去ってしまう。

 彼女が騒ぎ出す前に、どうしても聞いておきたいことがある。

 焦りつつ、けれど悟られないよう。ドラゴンへの恐怖が増すように普段よりも少し低めの声で問いかけた。


「死にたいのか?」

「は?」

「お前は一生を終えたいのか?」

 続けて問いかけても、彼女は振り向きもしなかった。見事なまでの縦ロールを少しばかり揺らしただけ。ここまで近づいてあれ、と気付く。この髪にも、ドレスにも見覚えがあった。いや見覚えがあるどころではない。なにせ彼女の身を包み込んでいたそれは目にも記憶にも強く残るパッションピンクだったのだから。先ほどまでケーキとお茶を存分に楽しんでいた彼女がなぜ死にたがるのか。疑問は深まったが、今さら引き返すことなど出来なかった。ただ、彼女の答えが知りたかった。じいっと見つめれば彼女は座り込んだまま、首すら捻らない。代わりに開いた両手をスッと上げた。何のつもりだろうか。魔法でも発動するつもりかと一瞬ひるむ。けれど続いた言葉に、ハッとした。

 

「進んで死にたいとは思いません。けれど神のご意志に逆らう気もありません」


 どうやら抵抗する意思がないことを示すためらしい。

 不思議なことをするものだ。けれど抵抗されても面倒だ。バレて騒がれるのはいい。ただ知りたいことだけ教えてくれれば。


「ではなぜドラゴンに殺されたいなど世迷い事を口にした」

 さっさと質問を済ませてしまおうと核心に迫る問いを投げかける。

 けれど彼女の返答は想像もしていないものだった。



「人に殺されるよりはマシという話でして。比較の問題です」

「殺されることが前提なのはなぜだ?」

「それが私の運命ですので」


 目の前の少女が殺されることが運命ならば、俺の運命は何なのだろう?

 父の劣等感を満たすために、国王として君臨することが俺の運命なのだろうか?


 逆らおうと思うことは罪なのか。無駄な抵抗だろうか。

 

「運命、か……。お前はそれに逆らおうとは思わないのか?」

 少女に問いかけているのか、自分に問うているのか。はたまた彼女の告げた『神』に確認を取っているのか。自分でもよく分からない。


 誰かに答えを教えて欲しくて手を伸ばす。けれど伸ばした手は何かを掴むことなく、落ちるだけ。

 

「とんでもございません。私ごときが逆らえるなど、それこそ世迷い事でございます」

「お前が相手なら私は……」


 口にして、何を期待していたのかと自分を責める。

 たまたま会っただけの令嬢に救いを求めようなんてどうかしている。

 そろそろ会場に戻ろう。人を怯えさせたいなど考えること自体が間違っていたのだ。そんな趣味の悪いことを実行しようとは頭がおかしくなっていたのだ。

 

 このまま振り向いてくれるなよと願いながら、部屋へ戻ろうとした時だった。


「……っ、あなたは」

 頑なに振り向こうとしなかった少女がこちらへと視線を向けたのだ。真っ青な瞳を見開いた少女は両手で口を押さえる。わかりやすいほどに震え、恐怖していた。ああ、なんて自分は酷いことをしてしまったのだろう。反省しつつも、このまま放置するわけにもいかない。せめて悪意がないことだけでも示そうと口を開く。

「お前が殺されたいと願ったドラゴンだ」

 だが殺すつもりはない、と続けようとした時だった。少女は覆った手の上からでも分かるほどににんまりと口角を上げ、呟いた。

 

「神様、大サービス過ぎる……」

 潤んだ瞳からはつうっと涙が伝う。けれど恐怖などみじんもない。

 少女は自分を殺すかもしれない相手との遭遇に歓喜しているのだ。

 

 死にたがり、か。

 

「怖くないのか?」

 だが殺されたいと願うのと、いざ殺されるかもしれないという状況に遭遇するのではまるで心持ちが異なるものではなかろうか。肝が座っているというか。とても変わっているというか。

 

「怖くないも何も……このサイズ感でどこを怖がれと?」

 こてんと首を傾げた少女に思わず怒りが湧き上がる。

 確かに今の俺は子犬ほどのサイズしかない。成体である伯父と比べればまだまだ可愛いもので、伸びしろはまだまだあるといえるだろう。だがこれでもドラゴンなのだ。


「普通の令嬢なら、この姿でも恐れをなすぞ!」

 モンスターに遭遇すれば、普通の令嬢は恐れるものである。元婚約者の反応が普通だ。この少女がおかしなだけ。イレギュラーとの遭遇に気が動転し、羽ばたく音も大きくなる。バッサバッサと、とても人間では鳴らすことの出来ない音。この音だけでも恐怖の対象になってもおかしくはない。けれど彼女は平然としている。


「いつの世もイレギュラーというものは存在するものです。ということで撫でさせてください!」

 口を開いたかと思えば、撫でさせろとは、イレギュラー中のイレギュラー。変な相手に遭遇してしまったものだ。

 これは夢か何かだろうか。理解者が欲しいと願った俺の脳が見させた幻影。

 実は逃げ込んだ部屋で寝てしまったのではないだろうか。じいっと視線を落とせば、彼女は心を決めたようにこちらをカッと睨んだ。かと思えば「お願いします!」と地面に額を擦り付け始めた。意味が分からない。だが確かなまでの圧を感じる。


 これはお茶会から逃げ出したバツだろうか。

 夢ならば早く覚めてくれ。怯えさせるつもりが、逆にこちらが恐怖を覚える。初めて遭遇するタイプの恐れに、確実に距離を取っていく。けれど彼女は俺を逃がしてなどくれなかった。


「ちょっとでいいんで。記念にうろこくださいとか言わないんで。10秒、いや5秒。指二本分とかでいいんで触れさせてください!!」

 再び頭を下げてしまった彼女だが、こちらを見つめる瞳には恐怖などまるでなかった。キラキラと宝石のように輝いている。本当にドラゴンを欲しているのだと理解してしまえるほどに純粋だった。


 殺されたいと告げたことさえも憧れの一つで片付けてしまえるほど。

 これはバツなどではなかったのだ。

 現実逃避をした末に辿り着いた摩訶不思議な許し。俺自身を認めてくれる変人。

 

「お前、本当に変わっているな」

「触らせてくれるなら何とでも言ってください!」


 きっとこの時を逃せば二度と会えなくなる。

 これから先、伯父以外の理解者など現れるとは思えない。ならば少し変わっていようが、限られた時間だけでも手を伸ばそうと思えた。


「……分かった。特別に許可しよう」

「ありがとうございます!!」

 名前も知らない少女はお礼を告げると、両手を広げて伸ばす。歓迎してくれているらしい。遠慮しつつも身を寄せる。


「あれ、意外と固くない?」

 ボソッと呟いた第一声がこれだ。それも俺を気遣ってのことなのだろう。抱く力が少しだけ緩んだ。けれど柔らかくて、温かい。母のぬくもりさえも与えられなかった俺には初めての体験だったが、居心地がいいものだ。


「俺はまだ幼体だからな。成体になる頃には剣さえ通さぬほどの強度になる」

「へぇ~。あ、じゃあまだ普通のブラシでブラッシング行けるんですか?」

「いや専門のブラシが……ってお前、ブラッシングまでするつもりなのか?!」

「さすがに持ってませんからしませんよ」

「持っていたらするつもりだったのか……」

「もちろん事前にドラゴンさんの許可を取りますよ?」

 全く変な娘だ。だが今まで誰かにブラッシングをしてもらおうなんて考えたこともない。月に一度、伯父と交代でそれぞれの身体をブラシで擦る程度だ。それも小さな埃や砂を落とすのが目的で、いわば習慣のようなもの。好んでするものではなかった。その習慣すらついこの前になくなった。大きめのタオルケットに身体を擦りつけるのが関の山だろう。そう思うと途端に魅力的な言葉のように思えた。期待したところでこの場にはブラシなどないというのに……。

 

「フレイムだ」

「は?」

「俺の名前はドラゴンさんではなく、フレイムだ」

 本名を隠したのは、ドラゴンを受け入れてくれた彼女が、竜化出来る人間を受け入れてくれるとは思わなかったから。どうせこの場限りなのだ。ならばいっそ伯父しか呼んでくれぬ愛称で呼んで欲しかった。

 

「フレイムさん……」

 彼女は繰り返し、頬を緩ませる。微笑みなんて可愛いものではない。頬の筋肉を失ったように、にへえとだらしない笑みだ。令嬢がするようなものではない。いや、女としてどうなのか。呆れながら見上げれば彼女は「えへへ~」と幸せそうだ。

「お前の名前は?」

「アドリエンヌです。アドリエンヌ=プレジッド」

「プレジッド家の一人娘か」

 プレジッド家はアッセム王国の公爵家の一つである。もちろんかの家の一人娘も今日のお茶会に招待されていることだろう。今日の名簿には目を通していないが、年の近いご令嬢の名前は一通り頭に叩き込んである。だが名前だけで、アドリエンヌという少女がどんな人物だったかと思い出そうとしてもなかなか思い当たらない。立場上、何度も同じ会に出席しているだろうに。名前を聞いても未だどの茶会で会ったか覚えていないほど。目立たない少女だったのだろう。

 

「え、フレイムさん、私のことご存じなんですか?」

 アドリエンヌ自身も俺が彼女の存在を知っていることに驚いていた。今までは変わっている部分を上手く隠してきたのだろう。彼女とてまさか会場から少し離れたバラ園で誰かに遭遇するとは想像もしてなかったに違いない。今までも何度か脱走しているのかもしれない。


「一応な。だがこんな変人だとは知らなかった」

「他ではちゃんとしてますよ」

「本当か?」

 疑いの眼差しを向ければ、アドリエンヌはグッと親指を立てながら笑う。


「はい。今日だって王子様の婚約者選考会に嫌々ながら参加している訳ですし」

「この場にいる時点で参加はしてないだろう」

「ちょろっと顔出したんで大丈夫ですよ。両親には恥ずかしくてろくに話せなかったとでも伝えておけば問題なしです」

「問題はあるだろう……」

 彼女も多少は自覚しているのか、はははと軽く笑って話を受け流す。けれど俺を撫でる手を止めるつもりはないようだ。

 

「王子に興味がないのか? 見初められれば婚約者、将来の王子妃になれるんだぞ?」

 ハッパをかけようというのではない。アドリエンヌ=プレジッドという娘がどんな人間なのか、深く相手を知るためだ。軽く突けば、アドリエンヌは「ああ~」と間延びした声を漏らし、小さく息を吐いた。


「なったところで、って感じですね。正直深く関わりたくないというか……」

「それは王子が前の婚約者とのいざこざがあるからか?」


 詳細は限りある人間しか知らないはず。けれどこの時期に理由も明確にせずに次を探している時点で、何かがあるのは確実だ。それに、元婚約者はあれ以来引きこもっている。変な勘ぐりをされてもおかしくはない。

 彼女は面倒事が嫌だから避けていただけか。

 それなら会場内にも似たような娘達が何人もいた。こちらの気を損ねないように、それでいて構ってはくれるなと。ああ、なんだ。何も変わらない。勝手に期待して、落ち込む。けれど彼女の口から続いた言葉は思いがけない言葉だった。

「婚約解消した時点で何かあるんでしょうけど、そこは割とどうでも」

「なっ」

 アドリエンヌを見上げ、目を見開く。

「普通気にならないか?」

 どうでも、で片付けるようなことなのか!?

 興味がないとはいえ、こちら側が婚約者にと望めば彼女は俺の婚約者となるのだ。無理強いをするつもりはないが、それにしても興味がなさすぎではないだろうか。


 俺はそこまで魅力がないのだろうか?

 婚約者と上手くやれている期間だってそれとなくすり寄ってくるご令嬢は一定数いたのだ。第一王子という立場はそれほど魅力的で、容姿だってそこそこであると自負していた。なのに、どうでもいいなど……。胸に刺さった刃を抱えながら問いかければ、彼女は「ないです」とバッサリ切り捨てた。刺された上に柄の部分を握ってぐるりと半周回された気分だ。プライドは無残にもえぐり取られ、ぼとりと地面に落ちる。


「え? 両家での話し合いがついているならよくないですか? 細かいことは大人が気にします。力なき小娘はGoサインを出されたら従うまでです」

「今まさに従ってないように見えるが?」

 瀕死の状態で、問いかければ彼女はハッと鼻で笑いながら左右に手を振る。

「どうせ両親だって自分の子どもが王子の婚約者になれるなんて初めから思ってないからいいんです」

「親不孝なやつだ」

「なんとでも言ってください」

 どうやら俺に魅力が足りないのではなく、他人に対する興味が極端に薄いようだ。貴族の娘として正しいような、それでいて何か間違っているような……。なんとも言えないが、変な女であることだけは確かだ。


 まぁどうせ今日だけだ。

 目を閉じれば、彼女の手がゆっくりと動く。こんなに心地の良さを感じたのはいつぶりだろうか。アドリエンヌによって作られた影の中、朗らかな風が吹く。やや強いバラの香りが鼻をくすぐるが、嫌な気はしない。

 睡魔との狭間の間で揺られれば、耳に良い声が振り落ちる。

 

「良い天気ですね~」

「ああ」

 

 あのとき、彼女が側にいてくれたらどれだけ救われただろうか。

 この時間が長く続けば良い。そんなことを考えれば、無情な言葉が吐かれた。

 

「王子様の婚約者も早く決まるといいですね~」

「……ああ」

 アドリエンヌに悪気はないのだ。

 ただ世話話をしたに過ぎない。けれどいつか必ず訪れる別れに胸が痛んだ。

 頬を擦り寄せれば彼女はふふふと笑って、お茶会終了までずっと俺を膝に乗せて過ごした。一度たりとも手を休めることはなく、それ以上の要求をすることもない。ただただ俺を撫でて満足しているようだった。

 この空気感が心地よくて、立ち去ろうとする彼女に思わず手を伸ばした。

 

「またお茶会の日、ここで待っている」

 気まぐれ。心が弱っていたのだろう。次があるとは限らない。けれど彼女は迷いなく「また会えるんですね!」と手を取った。満面の笑みで手をブンブンと手を振る彼女を背に、バッサバッサと空を切りながら飛んでいく。


 この場限りの約束になるかもしれない。

 それでも今日の思い出と共に、次があるかもしれないという希望があれば、久しぶりによく眠れそうな気がした。


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