第一話 悪役令嬢には運命の人がゴロゴロといるらしい
全ての発端は二ヶ月前ーー私の十歳の誕生日にさかのぼる。
寝て起きたら前世の記憶が搭載されていた。
ハッピーバースデー自分! なんて祝うよりも先に頭を抱えた。
前世のラノベや漫画のように激痛を伴って~とか高熱が出て~とかは一切ない。当たり前のように記憶の一部として頭の中にあった。
データが十数年分増えたというのに、私の脳みそは熱暴走すら起こさない。
キャパシティに比べて今世のデータが薄すぎるとかではないはず。
スカスカでスペースがありあまっていた、とかではないと思う……多分。事実がどうあれ、私の異世界転生には自動アップデート制度が適応されていたらしいことだけは確かだ。
神様がアップデートに備えてちょっと記憶のスペースを大きめに作ってくれた、と考えるのが私の精神に優しい。まぁ痛いことも発熱も嫌いだから何事もないのが一番だ。
それに新たな記憶を思い出したこと自体はいい。
死亡直前辺りの所をぼやけさせてくれた所には神様の優しさまで感じる。さすがにトラックに轢かれて薄れ行く記憶の中で~なんてことがあったら数日は好物である肉すら食べられる気がしない。だからこれだけなら、もしゃもしゃとサラダを頬張りながら「結局彼氏出来ずに死んだんだな~」くらいで終わり。
さっさと思考を現世に切り替えるだけ。
問題は前世の私が所有していた知識と、現在の私の立場に共通点があったこと。
「この年からツインドリル搭載。しかも寝起きですでに完璧にぐるんぐるんに仕上がってるとか悪役令嬢の髪質どうなってんだろう?」
寝癖知らずにコテいらず。見事なまでの金髪ドリルに指を絡ませながら、鏡の自分をじいっと見つめる。
指が離れた瞬間、グルッと形が戻ってしまう。
画面越しに見ていた時は、メイドさんが毎朝頑張っているのだと思っていたが、まさか天然ものだとは……。
一体どういう仕組みになっているのだろうか。
鏡に顔を近づけて髪を巻き付けては離すを繰り返す。やはり原理は不明だ。
だが見覚えがあるのは金色の髪だけではない。
顔にも見覚えがある。記憶にあるものよりも幼く見えるが、狐のようなつり上がった緑色の瞳もスラッとした鼻筋も。
私が死ぬ前にプレイしていた『dramatic Lover ~真実の愛を君に~』に出てくる悪役令嬢のものだ。今世の私の名前『アドリエンヌ=プレジッド』という名前も同じだし。
中世ヨーロッパ風の世界に転生した私はそこら辺のご令嬢ではなく『悪役令嬢』という特殊な役目を与えられていたという事実は理解した。
ここまでは問題ない。
いや、問題はあるけれど。とりあえず状況整理時点では気にするポイントはない。
それよりも大きな問題を抱えているのだ。
「悪役令嬢が断罪されるものってとこまでは分かるんだけど、私肝心要の本編シナリオも知らなければ、乙女ゲームテンプレってのもよく知らないんだよな~」
本作は大学受験を終えた私に友人が貸してくれたゲームであり、初めてプレイする乙女ゲームでもあった。そしておそらく私は、プロローグをプレイした時点で死んだ。いや本編までガッツリプレイしていた可能性は否定できないのだが、今の私にその記憶はない。
現在、私が知識として持っているのは『第一王子の婚約者である悪役令嬢はどのルートでも断罪されること』『悪役令嬢はエンディングによっては業火の炎で焼き殺されること』である。
どのルートもってことはおそらく悪役令嬢の断罪もしくは死亡パターンは複数種類存在して、その一つが焼死なのだと思う。詳しいことは分からないし、調べる手段すらないからあくまで私の予想では、だけど。
トモちゃん、ゲームを布教するのに死ぬキャラクターのこと詳しく語らないで……って言ってごめん。
私にこのゲームを貸してくれた前世の友人を思い浮かべながら、両手を合わせる。
キラキラと目を輝かせてガンガンネタバレしようとしてくるトモちゃんを前に、両手で耳を塞ぐなんて、私は何と馬鹿なことをしてしまったのだろう。
身体を前のめりにしながら、悪役令嬢のことだけでももっと深く聞いておけばよかった。
特に業火の炎で焼かれるってところ。
ファンタジー世界とはいえ、中世ヨーロッパ風の世界観だし、処刑方法の一つかな? 程度にしか思っていなかった。
いや、そもそも私は悪役の死亡原因になど興味はなかった。
細分化せず、適当にフェードアウトすれば良いと思う派の人間もとい、他のストーリーにカット数を割り振って欲しい派なのだ。
だが自分の身に降りかかるかもしれないと思うと、どのくらいの罪を犯すと選ばれる処刑方法なのかが気になってしまう。
たかだか十年とはいえ、この世界で培った記憶を総動員させて『火あぶりの刑』に関する知識を掘り起こそうと試みる。だが一向に脳内検索にヒットはない。
そう、この世界にそんな残酷な処刑方法はないのだ。
だが確かにトモちゃんは『業火の炎で焼き殺される』と物騒な言葉を口にしていた。
一体どうなっているのだろうか。
意味が分からない。
業火の炎って何? どこのラノベ主人公の必殺技だよ……と突っ込みたい。
けれど突っ込む相手がいない。
仲良しのトモちゃんはおそらくまだ日本でオタクライフをエンジョイしていることだろう。
スマホでメッセージを送ったところで返信はくれないし、わざわざここまで来てくれるなんてこともない。そもそもこのなんちゃって中世ヨーロッパ風の世界にスマホなんて文明の利器はない。魔法はあるけれど、どんな高等魔術を使用したところで異世界との交流なんて不可能だ。
グッバイ、トモちゃん。
もう二度と会うことはないだろう友人の笑みを思い浮かべると、思わず瞳に涙が溜まる。
けれど今の私がすべきなのは前世に思いを馳せるのではなく、今世と向き合うことだ。
この世界で業火の炎とは……なんて話を出来る相手がいるとしたら、それは私を殺す相手である。
多分私が悪役令嬢として活躍中に遭遇するであろう、ある意味、私の運命の人だ。
ああ、なんてロマンチックな響きだろうか……絶対会いたくないし、出来ればずっと引っ込んでいて欲しいけど。
遭遇したら顔を赤らめるどころか血の気が白旗上げて退却するわ。
とはいえ、どのルートでも断罪されるということは私の運命は他にもある訳で、業火の炎さんにだけ構っている暇はない。
私の運命の人は各地にゴロゴロと転がっていることだろう。
どのくらいの確率で遭遇するものなのかすら分からないことも恐ろしい。
通常、運命の相手は天文学的確率で遭遇するものだ。
確かその確率を数字として導き出すための公式もあったような? だがそのデータも、複数のデータありきのものだったはず。公式も覚えていなければデータも保有していない私に、運命が降りかかる確率を導き出すことは不可能だ。
知識の浅さが憎い。
けれどこんな私でも、たった一つだけ解決の糸口を見つけ出すことは出来た。
トモちゃんは確かに言ったのだ。
『第一王子の婚約者である悪役令嬢』は断罪されるーーと。
超重要情報をキャッチしていた自分を盛大に褒めたい気分だ。
今の私ならコンビニでちょっとお高い、200円超えのアイスを買っても許されることだろう。
なにせ今の私は第一王子の婚約者ではないのだから。
言い換えれば、私はまだ正式な悪役令嬢ではない。悪役令嬢(仮)。むしろ仮免すら持っていない状態。
正確に言えば、私には王子様どうのこうの以前に婚約者と呼べる相手がいない。
年齢的にそろそろいてもおかしくはないのだが、不思議と話すらない。私が知らないだけで話はあるのかもしれないが、今のところは隠れ婚約者もいない。
けれど悪役令嬢、何それ? 所詮、前世の記憶でしょう? とうかうかもしていられない。
最近、第一王子が婚約を解消したらしい。
何があったのかまでは聞かされていないが、次期王子妃のポジションがいつまでも空席であるはずがない。近々、次の婚約者が選出されることだろう。
そして私が悪役令嬢ポジションに収まる可能性もゼロではない。
私が転生を自覚したことで回避するという道が発生した訳だが、両親が婚約を決めてしまう可能性もある。というか、貴族の子どもの婚約・婚姻において本人の意思が介入することはごく稀である。それでもいつ切れるか分からないほっそい糸でもそれ以外頼るもののないのだから仕方ないだろう。
小さな手を伸ばしグッと引き寄せた運命の糸を、身体にぐるぐると巻き付ける。
魔の手の中に落ちませんように、と祈りながらパチンと頬を打った。
「誕生日おめでとう、アドリエンヌ」
「ありがとうございます」
一晩明けたら頭がおかしくなったと思われないように、私はいつものように食事へと向かった。
テーブルには私の好物ばかりが並んでいる。
甘やかされているのではなく、好き嫌いが多すぎるのだ。アドリエンヌという娘は気に入らないものが並ぶとすぐに癇癪を起こす。これは面倒臭いことを避けるための食事なのだ。
前世の記憶が戻ったことで、嫌いな物のほとんどを克服した私には少しだけ寂しく感じる。
野菜はほぼなく、コーンスープでトウモロコシの甘さを感じながら無言で食事を取っていく。
前世で家族の食事といえば、リモコンの争奪戦から始まり、基本人の声が途切れることはなかった。
昼間だってトモちゃんとオタクトークに花を咲かせる。
なのに今世と来たら誰一人声を発さない。
部屋に入ってから耳にしたのはお祝いの言葉だけ。決して貴族だから行儀を重んじているとかではない。
会話の少ない家なのだ。
両親はよくある政略結婚で、愛人こそ抱えていないものの幸せな家族と聞かれれば悩む。よくある貴族の家。
食事以外でも度々癇癪を起こしていたアドリエンヌだが、そのほとんどが両親に構って欲しいからこそ。
基本的に両親にはスルーされるか物だけ与えられ、使用人達に迷惑をかけて終わる訳だが。そしてその使用人達にすらもいつものことだと流される始末。
ワガママばかり言うのは良くないとはいえ、これはこれで悲しすぎる。とはいえ、王子様にそんなことは関係ない。あくまでアドリエンヌと家族の問題だ。
正直、よくもまぁこんなワガママ娘が王子様の婚約者になれたものだと思ってしまう。特別な力を持った平民になびく気持ちを少しくらいは理解出来る。
でも王子に完全同意出来ないのは、私がそのワガママ娘だから。他人であったら全力で首を縦に振ることだろう。
メイプルシロップに溺れたパンケーキを口に運びながら、朝食みたいに甘い人生を歩みたいものだと今後の未来を見つめる。とはいえ、乙女ゲーム知識のない私の視線の先にあるのは無表情の父の顔だけだが。アドリエンヌと同じ金色の髪すら揺らさずに食事を取る父はまるで置物のよう。顔の作りはよく、世に言うイケメンなのだが、父親であると思うとイケメン見物にシフトする気さえ起きない。
栄養を摂取する場と化したこの場にいるだけで息が詰まりそう。
一日三回もこの場所に集まらなければいけないなんて、苦行もいいところだ。
王子様が登場する前からこんなに辛いなんて……。
私の第二の人生は苦難の連続かもしれない。ずーんと沈みながら、べちょべちょになったパンケーキを流し込むのだった。