十八話 解けた誤解とハマった指輪
「それで、家で何をしていたんだ?」
「ドラゴンの歴史について学んでいました」
「ドラゴンの、歴史?」
「フレイムさんと会えなくて暇なので家庭教師も付けてもらったんですが、その先生から歴史を習いまして」
「五百年前のあれか」
「そうですそうです」
「だがドラゴンの歴史を学ぶためだけにこの一年間ずっと家にこもっていたわけじゃないだろう?」
「そうですけど?」
何を馬鹿なことを言っているんだ。
あり得ない。
一年で私の知識欲が満足するとでも?
オタクは興味があることなら無尽蔵に知識を取り込みますけど?
むしろ私の一生をかけても調べきれないと思ってますけど?
王子は冷静さを欠いているに違いない。疲れているなら休んでくださいと哀れみの目を向ければ、フレインボルド王子は長いため息を吐いた。ため息が落ちた先で茶色いもふもふが「やっぱり変人だ」と呟いていたが、気にしたら負けだ。
「……つまり俺はお前のドラゴン愛を舐めていたということか」
「男に現を抜かすくらいだったらドラゴン知識を極めます」
「じゃあなんで女のことばかり聞いてきたんだ?」
「それは……」
「まさかまだ婚約解消を諦めていなかったのか」
「他に好きな人がいるならそっちの方がいいでしょう」
「俺にはアドリエンヌしかいない」
「それはドラゴンの方でしょう? 人型の方は別の女性と一緒になってもいいんですよ」
「そういって俺が他の女と仲を深めている間に他のドラゴンと戯れようという算段か! そうはいかないぞ!」
「なんでそうなるんですか!」
「今だって手が動いているじゃないか」
「そ、それは……」
指摘されて、初めて手がわきわきと動いていたことを知る。完全に無意識だった。背中の後ろに両手を隠し、魅惑のドラゴンさんから視線を逸らす。
「アドリエンヌは俺のマスターだ。他のドラゴンへの浮気は許さん! もちろん男もダメだ」
「は~い」
「嬢ちゃんの方も重いが、フレインボルドの方もなかなか重い……」
「運命だからな。取るなよ?」
「いらん!」
浮気なんてするつもりはないが、それでもいらんって酷くない?
ぷうっとほっぺを膨らませれば、フレインボルド王子は楽しげに笑う。俺がいるからいいだろ、なんてどこの俺様王子だ……。でも、機嫌が治って良かった。
アーサーさんは王子の膝から降り、人型へと姿を変える。
そして目の前でパタパタと手を動かした。
「甘い甘い甘い、空気が甘い! 窓開けていいか? 換気したい」
「アーサーは甘いの好きだろ?」
「……今なら砂糖なしの紅茶でいい」
「分かった。使用人に伝えておこう」
明らかな嫌みもさらりとかわすフレインボルド王子は過去稀に見るほどのご機嫌で。
城に着いてからは私を横抱きにして城を闊歩するほどだった。
アーサーさんが訪れてから数日が経った頃。忙しいはずのフレインボルド王子が急に休みが出来たとのことで、サンドイッチを携えてお城に遊びに来ていた。いつものようにソファの上でフレイムさんを乗せながらダラダラと過ごしていると、急に人型に戻り、引き出しから何やら箱のような物を取り出した。
「アドリエンヌ、手を出せ」
「? はい」
何かくれるのだろうか?
中身も分からぬまま右手を皿の形にして差し出す。けれど王子はふるふると首を振る。
「左手の甲を上に」
「甲?」
くれるのではなく、載せるの?
よく分からないが彼の指示通り、左手の甲を上にして差し出す。するとフレインボルド王子は私の薬指にとある物を滑り込ませた。
「指輪?」
今までドレスにアクセサリーと贈り物をもらってきた私だが、指輪は初めてだ。石はついていない。代わりにシルバーのボディにはドラゴンのうろこのような模様が刻まれている。ライトに透かして見てみれば、うろこの間にうっすらと赤い線が見える。私専用に作ってくれたのだろう。
「ただの指輪ではないぞ。俺のうろこを混ぜ込んだ指輪だ」
「マジですか!?」
「マジだ」
「えっ、嘘……ヤバい涙出てきた」
王子の言葉に私の涙腺は崩壊し、ボロボロと涙がこぼれる。
口元を覆った手の指先が溢れ出す雫で濡れていく。水がかかっても消えることのない炎が私の指にともっている。そう思うとハンカチで拭いてしまうことすら勿体なく思えて、手の甲を伝ったそれが作り出すドレスのシミなど気にもならなかった。
「そんなに嬉しいのか」
「はい」
この身にフレイムさんとの契約の証を刻んでいるとはいえ、他人に見せられるような位置ではない。
公に言える関係ではないが、それでも私はフレイムさんの物なのだとこっそりでもアピール出来る何かが欲しかった。独占欲と言われればそれまでだ。だからねだることはせず、胸のうちにひっそりと眠らせていた。だがそれが今叶ったのだ。嬉しくないはずがない。
「一生大事にします」
いや、一生どころか死んだって離すものか。棺桶に入るのも、墓地で埋まる時だってずっと一緒だ。
フレイムさんと生きた証をはめた左手を撫でる。
私、今、最高に幸せだわ。
これが乙女ゲームシナリオ前に神様がくれたサービスだったとして、学園入学直後に死んだとしても、私はもう心残りはない。
緩んだ顔で「ありがとうございます」とお礼を告げれば、王子は三日月のように口角を上げた。
あれ、この顔なんか見たことあるぞ?
確か私が正式に悪役令嬢に任命された日に……。
「喜んでくれて良かった。これで俺たちは正式な夫婦となった」
「は?」
「早速プレジッド公爵に報告に行こう」
「いやいやいやいや、ちょっと待って? 夫婦ってなんですか? 私達まだ婚約者ですよね?」
「その指輪を受け取った時点で婚姻が成立した」
「またハメたんですか!?」
見たことがあると思ったらテイム契約の日のアレだ。悪巧みが成功した時の顔。
あのときも今回も事前に相談すらない。いや、前回はいろいろ隠しつつも却下する機会が与えられていただけまだマシだ。今回なんてよく分からないうちに終わってしまった。
「今回は事前にプレジッド家の許可を取ってある。公爵もアドリエンヌが指輪を受け取ったらいいと」
「事前の言葉的ものが一切なかったんですが?」
「なんだ、アドリエンヌは雰囲気を大事にするタイプだったのか。悪かったな。ハネムーンは力を入れる」
「私が求めているのはロマンチックなあれこれではなく、事前説明です! 私、婚姻成立とか認めませんからね!」
だが今回はテイム契約の時のように簡単に破棄できないなんてことはない。
婚姻の場合、両家のサインやらなんやらがないと成立しないのだ。今からお父様に卒業まで待ってくれと泣きつけば先送りに出来ないこともないだろう。
とりあえずこの指輪は一旦外して、チェーンを付けてネックレスにでも――。
「ってあれ、外れない」
いくら力を込めても動く気配すらまるでない。
えっとこういう時はどうするんだっけ?
油を使って滑りをよくするとか、紐を指にぐるぐる巻き付けるんだっけ?
あ、ただむくみで外れない場合もあるからマッサージとかもいいのかな?
前世で指輪なんてしたことがなかったから何が正しい対処法かが分からない。
帰ったらメイドにでも聞いてみるのが一番かなと考え込んでいると、王子が衝撃的言葉を口にした。
「ああ、それは一度付けたら二度と外れないぞ」
「は?」
「王家に伝わる秘技で作った特別製の魔法道具なんだ。お互いにもう離れることは許されない。十日間離れるか、誰かに貞操を奪われると死が訪れる。死すらも夫婦の絆を断ち切ることは許されない」
「呪いの道具じゃないですか!!」
「安心しろ。事故死や病死の場合は発動しない。代わりに二度と外すことは出来ないが」
「安心出来る所がないんですが?!」
「アドリエンヌが病死したら俺も死ぬし、事故死だったら相手を殺してから死ぬ。何も問題ない」
「こわっ」
「アドリエンヌに同じことは望まないさ。俺が先に死んだ時は好きにしてくれ」
「そういう問題じゃないです!」
ハハハと笑うフレインボルド王子は心底楽しそうで、同時に狂気に満ちている。
裏に事情がある、のよね?
なんか執着されているような気がするのは気のせいだろうか。だが彼がここまで入れ込む理由が私にあるとは思えない。だって私はただのドラゴン好きで、たまたまあのお茶会に参加していた都合の良い令嬢。それだけのはずでしょう? どんなに遅くとも来年にはヒロインが現れるのよね? そしたら私、お払い箱なのよね?
もしかして、私何か間違えた?
過去を振り返った所で、私の指にハマった狂気の結晶が外れることはない。
上機嫌の王子と共に馬車に乗ってプレジッド屋敷へと向かった私達は書類にサインし、紙の上でも夫婦となった。
時期を早めた結婚だが、式は私の卒業を待ってくれるらしい。
それに住居も卒業までこのまま。週末に王子の部屋へのお泊まりが許されたくらい。
変わったことは私の名字と、王子の婚約者という立場が王子の妻になったこと。
大きな変化はなく、王子は一体何がしたかったのかすらもよく分からなかった。
けれど人型でも甘えてくるようになった彼にはきっと大きな変化があったのだろう。
「重いんですけど」
「我慢しろ」
膝に頭を乗せてくる王子の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜれば、彼はふにゃっと力が抜けたように笑うのだった。




