第十六話 誘拐されました?
少し我慢すればまた前のように……なんて思っていたが、一年生が終わってもフレイムさんとは時間が取れないまま。夜会ってこんなものなのかな? 学業の方も相当忙しいらしい。勉強、したくないな~。回を増すごとに増えていく勉強量に思わず嫌気が差す。
「死ぬならここまで頑張る必要ないんだろうけど、でもお馬鹿すぎて死ぬとか嫌だな~」
本の表紙を撫でながら愚痴を吐く。
年度も変わって今年こそヒロインが登場したかと探りを入れてみたものの成果はない。それどころか最近は顔を合わせても不機嫌になるばかり。理由も教えてくれず、へそを曲げた彼は私のドラゴン好きに抵抗するかのように人型になることもしばしば。私なりにいろいろと考えてはみたものの、やっぱり理由は分からない。好きな女の子でも出来たなんて雰囲気ではないが、乙女ゲームシナリオに突入するよりも婚約を解消する日の方が早いかもしれない。
フレイムさんと出会ってから、城に向かう馬車に乗りたくないと思ったのはこれが初めてだ。
婚約をどうにかしてなかったことにして欲しいと思った日でさえ、心は重くとも話合いをするために真っ直ぐと足を向けていたはず。
でも顔を合わせてもどうせ機嫌を損ねるだけだと思うと、彼の気持ちも分からない自分が嫌になる。
魂の契約なんて自分とフレイムさんは特別だって思っていたのに、私は所詮、ただのドラゴン好きでしかなかったのだ。それでも断ることなんて出来ずに手作りサンドイッチを詰めたバスケットと共に馬車に乗り込んだ。
――そんな私の気持ちを神様はお見通しだったのだろう。
「馬車を止めろ」
後もう少しで城に到着するという頃、剣を構えた男達が馬車の前に立ち塞がった。
物取りにしては三人とも身なりが整いすぎている。服は新品同様だし、おそらくオーダーメイド。靴だってなかなか上等なものだ。剣には詳しくないが、多分そこそこのものではあるのだろう。貴族や商人から奪った物にしてはサイズがしっかり合っており、急に入ったお金を使ったにしては調和が取れている。ここ数年で養われた貴族としての感覚が、彼らがそこそこの地位を持つ人間であることを告げていた。
「アドリエンヌ様」
「止めてちょうだい」
「こちらの馬車に乗れ」
「分かったわ」
グッと立てられた親指で差された馬車も上等なものだ。御者に「王子に断りをいれておいて。後、私が長い間帰ってこないようだったらお父様に伝えてちょうだい」と短く告げて、あちら側の馬車に乗り込んだ。
「アドリエンヌ=プレジッドだな」
「ええ、そうよ。あなたは?」
「アーサー」
アーサーと名乗るその男は先ほどの男達よりも上等な服を着ている。だが明らかにやつれている。後ろで一本に縛られた茶色の髪はボサボサで、至るところからしまい込めなかった毛がぴょんぴょんと跳ねている。髭は伸びっぱなし。しばらくろくに寝ていないのか、目の下には真っ黒なクマがあり、髭は数日間手入れされていないと思われる。それでいて肉付きはいいし、服越しでも筋肉がしっかりと付いていることは分かる。見た目のせいで年齢の判断は効かないが、選択肢から『商人』は消えた。貴族やどこかの国の役職持ちのお抱え用心棒といったところだろうか。
ただ直感的に、悪い人ではないのだろうと理解した。
男の身体から匂う独特な香りには馴染みがあった。おばあちゃんの家でするお線香の香りによく似ているのだ。ドラゴンはいるし、魔法もある西洋風な世界で前世の夏を思い出す。チリンチリンと風鈴の音がすれば完璧なのに……。それでも心を許しはしない。
こんな誘拐みたいな真似をされて、感情を表に出しては公爵令嬢失格だ。いついかなる時もポーカーフェイスを保たなければ。両親みたいにはなれずとも、出来る限り、戸惑いを見せないように心がける。
「アーサーさんね。それで、私に何の用事?」
バックに身分の高い人がいるだろうことは承知で、私は目の前の男を突っぱねる。
「あんたの望みを叶えるために来た」
「意味が分かりません」
身代金要求されるどころか、ランプの精のように願いを要求された訳だが、誘拐であっているはず。
この世界に人の願いを叶えることを生きがいとしている人が存在していて、目の前の男がそれに該当しなければ、の話だが。
「何か望みはないのか? 何でも叶えてやるぞ」
「初対面の相手にそう言われましても何を望めと?」
それにしても名前だけの簡素な自己紹介の次に望みを、なんてどこの宗教だ。
いや、宗教勧誘でも初めは悩みはありませんか? とか本当にあなたは今の生活に満足していますか? などの質問から入るはず。
「例えば、そうだな……。フレインボルド=アッセムとの婚約破棄とか?」
例えばという割に的確すぎる。目の前の男はまるで私がそれを望んでいると確信しているかのように、ニッと口角を上げてみせる。
この男、一体何が目的だ?
本当に私が望んだらそれを実行させることが出来る力の持ち主がバックにいる?
いや、提案するのが『婚約解消』ではなく『婚約破棄』を持ち出した時点で強引な方法を取ろうとしていると見て間違いないだろう。
考え事が苦手な頭をごおんごおんと変な音でも聞こえそうなほどにフル回転させる。
口元は笑っているのに、この男、出会った頃のフレインボルド王子を彷彿とさせる死んだ魚のような目をしている。そのせいで彼の考えが一向に見えてこない。もしもここで私が望みはないと言い切ったら、どんな行動を起こすかの予測も難しい。けれどここで適当なリアクションを取って、婚約破棄はプレジッド家が望んだことだと騒ぎを起こされても困る。どうしたものかと考え、彼から焦りが見えてこないためしばらく泳がせることにした。ここで身元の一つでもペロッと話してくれれば楽なのだが……。
「あなたはなぜ私がそれを望んでいると思うのですか?」
「あいつは化け物だから」
「化け物?」
「そう、化け物だ。あいつは人間じゃないんだよ」
「だから?」
「は?」
「もし彼が人間ではなかったとして、それは私が婚約破棄を望む理由にはなりません」
もしかして私とフレインボルド王子って大恋愛の末に婚約を結んだとでも思われている?
まぁお茶会に婚約発表の流れから勘違いされても仕方のないことかもしれない。だが私が恋愛的に盲目なご令嬢だったとして、それはそれですぐに頷くはずがない。
私の答えがお気に召さなかったらしく、目の前の男は眉間に皺を寄せた。怒っているのではない。剣を抜く様子もなく、それどころか利き手の指を使って眉間の皺を解している。おそらく私の発言の意味が分からないのだろう。だがそんなに突飛なことを言ったつもりはない。
「お嬢ちゃんはあいつの前の婚約者がどんな理由で婚約を解消したのか知らないのか?」
「存じ上げませんわ」
「本当の姿を見て、びびったんだよ」
「そうですか」
「そうですかって、あんたはフレインボルド本人に興味がないのか?」
「ありますよ。彼は私の婚約者ですから」
多分目の前の男が指しているのは、人間の方のフレインボルド王子。
フレイムさんに対する興味とは劣るが、それでもまるで興味関心がない訳ではない。なければ将来私を裏切るかもしれない王子様に気を遣ってやることはない。
「愛している、とかではなく?」
「え、ああ。愛していますよ。彼は私の運命です」
愛しているのはドラゴンの方。
でも運命の相手は人型とドラゴンの両方だ。まぁ人型の方は嫌な意味で、私を死へと誘う方の運命だけど。それでも私にとって彼という存在は天使と悪魔両方の顔を持った運命であることに違いない。
「うん、めい?」
「はい。どちらかが死ぬまでずっと一緒。私が彼と縁を切る時は私が死んだ時ですね」
「重っ!」
「愛なんて大概重いものですよ」
貴族スマイルを浮かべれば、不気味なものを見るような目が向けられる。だがこれが私の本心だ。ヒロインが現れて、私という役が不要になったとしてもテイム契約を解除するつもりはない。この先どんな相手が現れようともあのドラゴンのマスターは私だ。ハメられたあの日から死ぬまでずっと。この場所は誰にも譲るつもりはない。
「……だがあいつにはこのくらいでちょうど良いのかもしれないな。俺は潰れそうで嫌だけど」
「私があなたの婚約者になることはないので安心してください」
「ああ、初っぱなで俺の婚約者になれと言わなくて良かったと心底ホッとしているところだ」
からかうように胸に手を置く男は先ほどよりも表情が柔らかい。何より先ほどまでハイライトを失っていた瞳が嘘のように明るさを宿している。髪よりもトーンの明るい茶色は思わず吸い込まれそうな魅力を持っていた。香りといい、彼には親近感を抱かせる要素がいくつか揃っているようだ。
「あなたの婚約者?」
「そう。フレインボルドがまた傷つく前にあんたを遠ざけようと思ったんだよ。前の婚約者との婚約解消理由を知らないならなおさら。また同じことを繰り返すかもしれない」
「アーサーさんはフレインボルド王子のお知り合いなのですか?」
「ああ、俺はバレン王国の王子でな、フレインボルドとは昔からちょくちょく顔を合わせる仲なんだ」
この大陸は4つの大国と小国が存在する。大国は東西南北に別れており、アッセム王国は南の方角にあり、バレン王国は北に位置する。フレインボルド王子によると4国間で交流があるらしいが、王子の婚約者の出番はない。名前で知っている程度だ。だが戦争を起すなど、変な動向は見えてこない。やはり私の直感は間違っていなかったようだ。想像以上に地位のある人物だったことに、とりあえず背筋を正す。
「王子様でしたか! それはとんだ失礼を……」
「いや、先に失礼をしたのは俺達の方だ。事情があったとはいえ、いきなりすまなかった」
今度は膝に両手を置き、頭を深く下げる。やり方は強引だったが、礼儀の正しい男のようだ。
「いえ。それで目的は果たせましたか?」
「どうだろうな。俺にはその想いが盲目的なもので、いつかその時が来ても保ち続けてくれるものかを見極めることが出来ない」
「その時とは?」
「俺の口からはとても言えることじゃない。だがもしこの先何があってもあいつと向き合って欲しい」
「はぁ……」
真っ直ぐにこちらを見つめるアーサーさんの目はどこか拒絶されることを恐れるかのように揺れていた。
まるで自分のことのように。
その瞳が妙に脳裏に焼き付いて、屋敷に送ってもらう最中もずっと頭から離れなかった。




