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第十一話 脱走王子の隠れ場所

 指が触れた瞬間、私達の身体はまばゆい光で包まれる。

 正面さえも見えないのに、不思議とフレイムさんの居場所だけは分かった。胸元にいたはずの彼までは少し距離が空いてしまっている。けれど手を伸ばせば簡単に引き寄せられる。抱き寄せれば私の胸にはぬくもりが集まった。フレイムさんの熱ではない。


 彼とは違う、けれど同じくらい心地の良いもの。

 温かくて優しくて。

 ゆっくりと目を開けば、至近距離にはフレイムさんの顔があった。

 金色の瞳だけは私だけを見つめている。


 私の、私だけのドラゴン。

 顔に手を運び、ゆっくりとうろこを撫でれば彼は心地よさそうに笑った。


「アドリエンヌ。今日からお前は俺のマスターだ」

「マスター?」

「何でも言うことを聞かせられる俺の使役者。その証に胸元にドラゴンの刻印が刻まれているだろう?」


 フレイムさんは私の胸元をツンツンと突く。

 首元を緩め、上から覗き込めば確かにその位置には見慣れぬ証が発生していた。ドラゴンを模したタトゥーのようなもの。


「これがフレイムさんとのテイム契約の証……」


 この刻印が身体に刻まれている間は、フレイムさんと一緒にいられる。

 顔を緩めて「ずっと一緒」と漏らせば幸せが胸いっぱいに広がった。


「そして俺の婚約者の証でもある」

「は? こんやく、しゃ?」

 ドラゴンとも結婚出来るんですか? と疑問を投げかけようとした時だった。フレイムさんは先ほどと似たような光に包まれ、形を変え、人の形を作り出していく。私よりも頭一つ分は高めに固定された光は少しずつ散り、シルエットだけの姿はやがて姿を見せる。


 人間に変化出来るドラゴンだったんですね! なんて両手を合わせて喜べたのならどれだけ良かったのだろうか。


 だが残念なことに、私はフレイムさんが変化した男性の顔をよく知っていた。


「フレイムさんの本名って……」

「フレインボルド=アッセム。知っての通り、アッセム王国の第一王子もとい脱走王子とは俺のことだ」

 え、じゃあ私ってお茶会初日から王子様と会っていたの?

 会話一回もしたことないどころか、会場にいるご令嬢達の誰よりも濃厚な接触を行っていたってこと?

 バラ園のどこかでこちらを見ているのだと思っていたが、まさか膝の上から見上げているとは思うまい。というか、自国の王子様がドラゴンになれるのだと誰が想像するだろうか。


 回避したと思った悪役令嬢突入ルート。

 私自身が喜んでフラグを育てていたなんて……。

 夜中に寝室でぐるぐると回っていた両親の姿が脳裏に浮かぶ。


「アドリエンヌ。君は王家最大の秘密を知ったんだ。婚約、してくれるよな?」

 自信に満ちあふれたイケメンが憎い。死んだ魚の目がデフォルトの残念王子だったくせに、なぜこんな時に限って俺様属性を振りかざしてくるんだ!

 炎を彷彿とさせるほどの赤い髪に、全てを見透かすような金色の瞳。目の前の王子様は、私がこの二つの色に弱いことを知っているのだろう。だってどことなくフレイムさんに似てるし! この目でお願いされるとついつい甘やかしたくなってしまうのだ。そのことを十分理解しているからか、断られるなどつゆほども思っていないようだ。


 わざわざ『王家最大の秘密』なんてたいそうなものまで振りかざして、婚約を迫るなんて卑怯すぎる。

 こっちが公爵令嬢だから、格下だから断れないとでも思っているのだろう。いや、私がフレイムさんに駄々甘だから?


 実際、この場にお父様がいたら「はい、よろこんで!」の二つ返事で婚約が成立してしまうかもしれない。


『きっと王子様もアドリエンヌのことを気に入ってくれますわ』

 まさか彼らの言葉があの夜にはすでに実現していたとは……。

 王子様から婚約を結びたいなんて言われたら、絶対即了承することだろう。迷ったところでお茶会の度に会っていたことを告げられたら一発アウトだ。夜になるのを待たずしてくるくると周りだすかもしれない。もちろん無表情で。


 だがここは王城のバラ園。

 私達以外誰も居ない。


 断るなら、この申し入れをなかったことにするなら今がチャンスだ。

 娘を溺愛している両親の耳に入れば一発アウトだ。娘の幸せと信じて全力でアクセルを踏むことだろう。大量のリボンやレースで装飾されただっさいドレスどころでは済まない。


 どうにかここで阻止せねば……。

 私は最大級の笑みを浮かべて口を開く。


「嫌です。断固拒否します」

 自ら王子様との婚約を受け入れるのは、よほど自分の教養の高さと身分に自信があるか、ロマンスに憧れているか、玉の輿狙いかの三択だろう。


 私はそのどれでもない。

 あるのはドラゴンに対する愛だけ。

 王子の婚約者となるために特に重要視されるであろう、教養とかない。勉強は嫌いだし、人の上に立つとか責任感を伴うものは苦手中の苦手なのだ。マナーだって出来ていない。その上、今世の死因に関わるかもしれない王子様との婚約なんて絶対嫌。


 イケメン? それがなんだ!

 顔なんて死んだら拝む機会なんてなくなるし、生理的に無理でもなければいずれ慣れる。

 イケメンなんて所詮、顔のパーツが整っているだけ。私はメンクイではないのだ。イケメンは数日も見てたら飽きる。生涯を賭してまで拝み倒したいものではないのだ。


 私が拝み倒したいのは高貴なドラゴンと、可愛さフルMAXなフレイムさんの成長だけだ。


 誰かと婚姻を結びたかったら、他の女性でも連れてくるんだな!


 お茶会の会場に戻れば公爵令嬢なんてたくさんいるのだ。よりによってこんなお茶会を抜け出すような不良娘を選ぶことはないだろう。


「お前が嫌と言ったところで王家が打診した婚約を正当な理由もなく断るなんて出来ないのだが」

「詐欺だ、詐欺。私は政略的にハメられたんだ」


 舌打ちしたい気持ちを我慢して、抗議の姿勢に移る。

 王家が絶対的権力を有しているとかこの国の権力バランスはどうなっているのだ。

 公爵家を筆頭とした貴族や官僚達が存在するのだから、もう少し分散すればいいのに……。もしくは自分の娘を婚約者に! とゴリ押しするために、他の家の足を引っ張ろうとする家とか。まともな意見を進言する宰相とかでもいい。


 とにかくこの暴走王子を止めてくれるなら誰でも良い。

 良い感じのポジションの人が来てくれないかと周りを見渡した所で、今日も今日とてバラ園は閑散としている。助けや捜索者など来る様子もない。だからこそ王子は正式な場所ではなく、この場で切り出したのだろう。


 策士め……。

 自分の考えのなさを悔やんだ所でもう遅い。

 私はもう、彼にハメられた後なのだ。


「詐欺も何もアドリエンヌ以外の女は引っかかる可能性が限りなく0に近い作戦を好んで打ち出す訳がないだろう。時間の無駄だ。ということで明日からよろしく頼むぞ、マスター。いや、俺の麗しの婚約者様」

 しかも私を狙い打ち。

 自らの身を危険に晒しながらも、確実に私を仕留めたイケメン王子はにっこりと微笑んで私の手の甲にキスを落とす。


 端から見ればロマンチックな光景だ。

 会場に残されたご令嬢なら目をハートに変えて「喜んで」と一つ返事をすることだろう。


 そう、他のご令嬢ならば。私はそんじゃそこらのご令嬢とは違うのだ。


「いやああああああああ」

 私の悲鳴は城に木霊する。高くて良く響く声だ。自分でも少し耳が痛い。会場のご令嬢達にも聞こえてしまっているかもしれない。だが耳の痛みよりも精神に負った痛みの方が大きいのだ。

 他人の心配なんてしていられるか! それに好奇の視線ならもう慣れっこだ。

 手を胸元に引き寄せ、ハンカチで勢いよく甲を擦る。


 王子の唇が触れるなんて恐ろしい。

 この痕を速攻で消し去りたい。


 なんならここ二ヶ月ほどの過去もまとめて消し去りたい。


 ロード! ロードボタンはどこですか!?


 記憶を取り戻した所から全てやり直したい。

 今度こそ上手く立ち回る自信がある。断固としてベッドから出ないとか、いっそのこと二ヶ月は安静にしてなければならない怪我をするのもいいかもしれない。


 なぜあのときの私はお茶会に足を運んでしまったのか。

 いや、せめてバラ園に足を踏み入れなければ何かが変わっていたかもしれない。



 私はただ断罪されるまで悠々自適にファンタジーライフを謳歌したかっただけなのに……。

 出来ることなら悪役令嬢という役職を辞退したかっただけなのに……。

 どうしてこうなった!?


 知識もなければ解説すらなし。バッドエンド不可避? な悪役令嬢ルートに突入した私は、これから先、どうやって生きていけば良いのだろうか?


 目元をハンカチで押さえれば、王子の腕が肩に回される。


「気を張らず、今まで通りでいてくれればいい」

「だったら婚姻とか辞めて、今まで通りの関係で……」

「それは無理だ」


 イケメンスマイルを浮かべる王子様をぶん殴りたい気持ちを押さえるために、私は両手で顔面を押さえ、地面に向かって叫ぶ。


「元に戻してえええええええ」

 けれど叫び声を上げた所で、この男がひるむ気配はない。今さら奇行が一つ増えた所で気にしないのだろう。

 接した時間は少ないが、私はこの男相手に素の自分を隠すことなく接していたのだから。


「嘘、これは夢……そう夢に違いない」

 ホラーだ。

 これは私が見せた悪夢に違いない。目を覚ませば、私の愛すべきドラゴンさんと目が合うことだろう。

 その場合、テイム契約はなかったことになるかもしれないが、致し方ない。今度はこちらから打診させて頂けばいい。だから、どうか夢であってくれ。


 現実を受け止めきれなかった頭はキャパシティーオーバーを起こし、私は意識を手放したのだった。



 目を覚ました時、私の視界に入ったのはフレイムさんではなく、父の顔だった。どうやら気を失った私は迎えに来た父の膝の上で横になっていたらしい。


「起きたのか」

「はい」

 一体どこからが夢だったのか。

 もしかしてフレイムさんが来た時には私は寝てしまっていたのかもしれない。

 全部悪夢だと思い込みたい。けれど父は私を見下ろしながらぽつりと呟いた。


「まさかお茶会の度に王子と逢瀬を重ねていたとはな……我が娘ながら驚かされた。すでに婚約の話は進めてある。書類作成の都合上、数日はかかるが遅くとも週末にはめでたくフレインボルド王子の婚約者となっているだろう」

「……そう、ですか」


 時すでに遅し。

 私は政略的にハメられたのだ。

 ニンジンもといフレイムさんとの今後に食いついた結果がこれだ。

 無力と無知を合わせれば、政治のために動くお人形となる。私の場合、当て馬さんだけど。


 両親は顔には一切出さないが、娘の婚約に大喜びで、夕食には豪勢な食事が並んだ。

 両親の溺愛を知らなければ、最強のカードゲットだぜ! 我が娘よ、よくやった! みたいなものとしか思わないのだろうが、この両親に限ってそれはない。寝たふりをしてベッドで待機後、深夜に部屋を抜け出せば、彼らは寝室でダンスを踊っていた。それも夜会で踊るようなワルツなどではなく、子どもが適当に踊るようなもの。マナーや規則性などはなく、心のままにスキップまでして。


「初日で王子の心を射止めるとはさすがはアドリエンヌ」

「あの子に会うために毎回お茶会を抜け出すなんて情熱的だわ!」


 すごく喜ばれている……。

 くるくるまでは予想が出来ていたが、まさかここまでとは……。想像以上だ。


「婚約発表のドレスどうしましょう?」

「それが王子がアドリエンヌに贈りたいのだと」

「なんですって?」

「自分のデザインしたドレスを着てもらいたいらしい。アクセサリーと合わせて用意させてくれと頼まれてしまったよ」

 こればかりはフレインボルド王子ナイス! と心の中でガッツポーズを決める。

 ピンクドレスに慣れていた私だが卒業が許されることならば、他のドレスに移行したい。あのドレスを奇抜なセンスと言った彼のことだ。変なデザインにはしないだろう。そう、願いたい。


「それは素敵だわ。……でも、私達の楽しみがなくなってしまいますね」

「仕方ないさ。これも娘の幸せだと受け入れよう」

「そうですわね」


 ダンス会場となっている寝室に背を向け、私は自室に戻る。

 とりあえず明日父にお願いして、近いうちにフレインボルド王子と会わせてもらわなければ。


 何かしら意図があったのだろうテイム契約についてもちゃんと聞かなくちゃ。

 布団に潜り込み、まぶたを閉じる。


 今日はいろんなことがあった。

 ありすぎ……た。ふぁとあくびをすれば、私の意識は眠りの世界に飲み込まれていった。

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