第十話 テイム契約
「……やばい」
会場端でサンドイッチを食べていると左前方から刺さるほどの視線を感じる。
今日も今日とて沢山のご令嬢に囲まれているはずなのに、彼女達を飛び越えるようにこちらを見つめてくる。ガン見だ。
手紙で機嫌を損ねられた?
それにしては不機嫌そうな様子もなく、見慣れた死んだ魚の目はどこか水を得たように見える。
もしかして手紙を返したことで、抜け出し仲間に認定されたとか?
隠れ場所を教えろなんて言われたら面倒だ。私は王子の婚約者になりたくないだけで、ご令嬢達を敵に回すつもりはないのだ。
いつも使っている抜け道がバレて、ついてこられても面倒なので、仕方なくお手洗いへと向かう。
そのまま迷ってバラ園に辿り着くのでも、まわりまわってスタート地点に戻るのでもいい。少しでもフレイムさんとの時間を大切にしたい私にとって時間の浪費は何よりの痛手だが、背に腹は代えられない。
巻き込まれるのはゴメンだ。
その後、予想通り? 城をぐるぐると迷いに迷ってバラ園へと到着する。
そしていつものように地面に座り込んだのだがーー。
「フレイムさん遅いな」
待てど暮らせどフレイムさんはやってこない。
予定でも入ったのだろうか。もしや体調を崩したとか?
近海にしょっちゅう台風が発生していた日本ほどではないが、この世界も気圧や天候の変化はある。晴れの日が多いが、一昨日はどんよりとした雲が天を多い小雨が長く降っていた。寒暖差や気圧差にやられてしまっていてもおかしくはない。
こんな時、連絡先を知らないのは不便だ。
待つのはいいとして、お見舞いにもいけやしない。
「はぁ……」
ポケットを撫でてため息を吐く。
そこから半刻ほど待機するがやはりフレイムさんの姿はない。それに、今日は珍しく王子捜索の声が聞こえないな~なんて空を見上げる。
そろそろ婚約者選びも最終選考に入ったのだろうか。
来週も招待されればいいけど、これが最後だったら……。
最後の最後でフレイムさんと会えないなんて嫌だ。そう思うとなかなか腰を上げることも出来ずに時間ばかりが過ぎていく。
「フレイムさんがいつも会場付近にいたのって王子様の婚約者選考に携わっていたからなのかな?」
何かの手違いで私も有力メンバーの一人に入っていて、例の手紙で落選が決定したとか。婚約者になる見込みがない者にはこれ以上、時間が割けないとかなのかな?
元よりいつまで続くか分からない関係だ。
また今度、なんて口約束で今日だって彼が私の元に来てくれる保証はない。
そろそろ帰ろうかと腰を上げた時だった。
「遅くなった!」
「フレイムさん!」
「少し抜け出すのに手間取ってな……」
「遅いですよ」
「待たせてすまなかった」
しょんぼりと頭を下げるフレイムさんが可愛らしくて、何より遅れてでも私の元に来てくれたのが嬉しくて「もう……」と頬を膨らましながらもいつものように彼を胸の中に受け入れる。
「何かあったんですか?」
「王子のことでちょっと、な……」
「今日は捜索の声がしないのもそのせいなんですね」
「まぁ、な」
「ついに捕まったんですね」
「ん?」
「バラ園にいるのがバレたんでしょう?」
文字として残してしまえばどこかから流れ出てしまうのも仕方のないことだ。
筆跡なんてすぐにバレそうなものだし。
羽ばたく音はまるで聞こえなかったが、フレイムさんは空中捜索隊として派遣されたのかもしれない。声を出さなかったのはフレインボルド王子に逃げられると困るから。フレイムさんもゆっくり音を出さずに滑空していたのだろう。
「捕まっては、いないが……」
「そうなんですか? でも時間の問題でしょうね。それにしても一体どこから見ているんだか……」
「案外すぐそこにいたりするのかもしれないぞ?」
「さっさと会場に戻ればいいのに」
それにしても、捜索隊が私の近くを通らなくて良かった。王子を探していたら変な令嬢が釣れたなんて笑い話にもならない。巻き込まないでよね……。愚痴を零せば、フレイムさんは困ったように弱く笑った。
「そんなことを言ってやるな。王子にもいろいろあるかもしれないだろう?」
「前の婚約者への思いを引きずっているとか?」
「……かもな」
「お二人の間に何があったのかを私は知りませんけど、婚約は解消されてしまった訳ですし、こうして大規模なお茶会を連続して開催してしまっているんです。逃げ回った所で戻る鞘はもう残っていないんじゃないですかね」
「意外と辛辣だな」
「目を付けられたくないですからね~」
元婚約者の代わりに婚約したと思ったら、今度はヒロインに惚れて~なんてたまったもんじゃない。
どうせ捨てられることには変わりないが、だったら数年くらい空席にしておけ! と言いたくなる。避けられるのならば、被害者は一人も出さずに終えるのがベストだ。当て馬選考レースから完全に離脱出来ていない私からすれば、王子の行動は傲慢だ。
「王子に見初められるのはそんなに嫌か?」
「嫌ですね」
「即答か」
「私にも事情があるんですよ」
「事情、か」
「海よりも深い事情が……。見ず知らずの運命なんかに殺されるのなら、フレイムさんに殺されたい」
個人的に未練たらたら王子はゴメンだが、彼の恋愛事情をおいても、悪役令嬢には沢山の運命が待ち構えている。平穏な日常がずっと続くことを祈る私としては殺害という形で人生の幕を閉じたくはない。餓死と自殺の次くらいに嫌だ。死にたくない。けれどフレイムさんに心臓部分を一撃してもらえたなら思い残すことは最小限で済みそうだ。
「今の王族に反乱分子はいないし、王子の婚約者ともなればそれ相応の護衛が付くと思うが」
「う~ん、多分殺しに来るのってそういうのじゃないと思うんですよね」
「よく分からんな」
出逢いが出逢いなためか、フレイムさんは私が殺されたいと口にしたところで動揺することはない。
代わりに王子の婚約者が殺害されるならどの方法かを真面目に考えてくれている。さすがフレイムさん、優しすぎる……。だがそもそも婚約者にさえならなければ殺害される可能性なんてグンと減るのだ。婚約者になって殺されないことを考えるよりも、婚約者にならない方法について考えたいところだ。
「私も詳しいこととか分かっていないんですけど、王子の婚約者になるのは断固拒否です!」
胸の前でバッテンを作れば、フレイムさんは眉間に皺をぎゅっと寄せた。
「それに私には夢があるんです」
「夢?」
「一度ドラゴンの背中に乗って空を飛んでみたい」
折角ドラゴンがいる世界に転生し、こうして仲良くなれたのだ。初めはブラッシングをさせてもらっただけで十分だと思っていたのに、むしろ一つクリアしてしまったことでどんどん欲が出てきてしまったようだ。
「それは、今の俺では叶えられないな……」
「私もさすがにフレイムさんに乗ろうとは思いませんよ~」
私もまだ幼いとはいえ、フレイムさんは小型犬サイズ。空を飛ぶどころか身体を預けた時点で潰れてしまう。変な声を出して潰れるフレイムさんももちろん可愛いだろうが、そんな姿は見たくない。乗るにしても他のドラゴンさんに当たるしかあるまい。
「だが成体になれば乗せられる!」
「でもフレイムさんが成体になる頃には、このお茶会も終わって、会えなくなっていますよ」
「……っ」
フレイムさんもいつか終わりが来ることくらい理解しているはずだ。
元々彼とは王城外では会うことはない。王家主催のお茶会の日。会場から抜け出した時限定で会うことが出来る特別な存在。それがフレイムさんなのだ。王子の婚約者が決まれば王城に足を運ぶ機会なんてなくなるだろう。私みたいな彼との交流を避けていた令嬢ならなおのこと。
それでも私の夢を叶えてくれようとしている。本当に、優しいドラゴンだ。だがその優しさが今はとても悲しい。薄く切れた傷口に塩を塗り込むように、小さな痛みが私を襲う。
「ありがとうございます」
「何の礼だ」
「私の夢を叶えようとしてくれたことに対して」
「…………王子の婚約者が、近日中に決まるらしい」
「そう、ですか」
フレイムさんは俯きながら小さく呟いた。
脱走王子のお相手もついに決まってしまったらしい。意外だとは思わない。心を決めたか、周りのおとな達が決めたのか。どちらにせよ判断材料に困ることはなかっただろう。会場に居なかった私が知らないだけで、試験のようなものが繰り広げられていたのかもしれない。運命どうのこうのなんて考えて損した。だが王子や当て馬婚約者のことなんてどうでも良かった。
「これが、最後なんですね」
終わりが来ることなんて分かっていたのに、いざ決まるとぽろぽろと涙がこぼれた。
拭うことすらしないそれはフレイムさんの顔に落ちる。吸収されることなく、彼のうろこを伝ってするすると落ちていく。
「そうとは限らない」
「え? もしかして私に手紙を送ってきたのって、私とフレイムさんがバラ園で会っているのを知っている王子様からの気遣いだったり? もしかしたらお茶会が終わってからも会わせてくれるかもだし……。だったらもっと愛想良い文章書けば良かった!!」
顔を両手で覆って天を仰ぐ。
もっと分かりやすい文章を書いてくれれば……と文句を言いたいところだが、ろくに会話も交わしたことのない相手にこれ以上を望むのも酷と言うものだろう。
毎回ガン見していたのもフレイムさんから話を聞いていたかもしれない、と考えると後悔がひたすら押し寄せて来る。
「感情の起伏が激しいな。というか気にするところはそこなのか」
「フレイムさんの交流以上に気にするところとかあります?」
暗闇の中に放り出されたと思ったら、一筋の光が見えた。
これではしゃぐなという方が無理だ。だが私はその光差し込む窓に思い切り板を打ち付けて塞いでしまったかもしれないのだ。
くっ、今からでも時を戻したい。
あの不躾な手紙をビリッビリに破いて、ここぞとばかりにごまをすって媚びを売りたい。
バラよりも欲しいものをフレイムさんの交流だって解釈してくれないかな~。
今から直談判もあり? 帰って手紙を出すべき?
私の思考はグオングオンと凄い音をたてながら猛烈なスピードで回転する。
頭を両手で押さえながら百面相を繰り広げていると、膝の上から呆れたような視線が向けられた。
「自分が選ばれるかもしれないと、手紙はそのために送られたものだとは考えないのか」
「え、何ソレ。めっちゃ嫌なんですけど」
婚約者になんて選ばれたら最悪でしょ。
記憶を取り戻して速攻でミニマムな頭で考え出した最大の回避方法がダメだったってことになる。
それに何より、まともに王子と会話もせず、好きなだけ飲み食いをし、あろうことか毎回お茶会から抜け出す女を選ぶなんて、明らかに裏の意味があるに決まっている。当て馬の悪役令嬢就任だけでは済まないとか一体どれだけ私に役職を押しつけるつもりだ。働きたくない。一生フレイムさんをなでなでしながら暮らしたい。これでもかというほど歪んだ表情をフレイムさんに向ければ、少しだけ視線を落とした。どこか悲しそうな顔だ。けれどそれも一瞬だった。
「……ところでアドリエンヌ」
「なんでしょう?」
「王子の婚約者が決まっても俺たちが離れなくて済む方法が一つだけある」
「なんですか! 教えてください」
「テイム契約だ」
「テイム、契約……」
「俺とお前が望んだ時にのみ結ぶことが許される魂と魂の契約」
テイム契約とは、モンスターと人間が結ぶ契約のことだ。
この世界の契約については詳しく知らないどころか、この世界にも存在したことを今知った訳だが、前世のラノベや漫画・ゲームでは『テイマー』と呼ばれる特殊な素質を持ち合わせている者しか結べないことも多かった。
「私に、出来るでしょうか?」
「出来るさ。お前が心から望みさえすれば」
フレイムさんは軽く笑って、私の心配を吹き飛ばしてしまう。
「それを結べばずっと一緒に居られるんですか?」
「死ぬまで一緒だ」
「フレイムさんはいいんですか?」
「嫌ならわざわざ教えない」
「なら結びます! 方法を教えてください」
フレイムさんが許してくれるのなら、私は彼とこの先ずっと一緒にいたい。
悪役令嬢なんて当て馬役で顔もよく知らない王子様の隣にいるのではなく、フレイムさんの隣で友人として笑っていたい。だから私は彼に教えてくれと縋った。
「なに簡単だ。お前はただ俺とのテイム契約を許可すればいい」
「え?」
その時、空中に変な画面が登場した。
『フレイムとのテイム契約を結びますか? YES/NO』
私は迷いなく赤字で書かれた『YES』を押した。




