コロナとゾンビのウィルスについても考察
今現在(2020年4月中旬)、日本にいる大多数の人にとって一番の恐怖の対象は新型コロナウィルス(武漢肺炎)だ。
目に見えない、どこにい(あ)るかわからない、それなのに破壊力がすごい。それって最強に怖い。
コロナにかかったらのんきにネットで、YOUTUBE見ている日常が多分、全部終わる。
多分…多分?
そう、怖いのは「多分」の部分。多分終わるけれども終わらないかもしれない。感染したところで終わらずに、やりすごせるかもしれない。そして感染したことを知らないまま、誰かを終わらせてしまうかもしれない。ウィルスにあやつられて、拡散の片棒をかつぐ。それはそれで人間としては社会的に終わり。
っで、ゾンビ。
ゾンビは感染したら、確実に人間をやめなければいけない。多分の要素はない。救いは自分がゾンビウィルスにあやつられて誰かを感染させたところで、罪の意識がないこと。けれども罪の意識なんてものを持ったところで何のたしになる?
結局、コロナもゾンビも大差ない。
コロナもゾンビも感染してしまったら、終わる。終わり方が社会的か(コロナ)、人間的か(ゾンビ)か。
コロナにかかっても社会的に終わらずに悼む対象にされるのは、志村けんさんくらいなのだから。
ゾンビ映画をたくさん見た。
感染経路は明確で大抵は噛まれたら終わり。けれども、同じ空間にいるだけじゃなんともない。その点はコロナと違う。コロナの感染経路がゾンビを履修するなら、明白ですっきりする。噛まれなきゃいいだけなのだから。
ゾンビに比べるとコロナの感染経路はとても不確実でわからない部分が多すぎる。
濃厚接触てナニ? 同じ空間にいるってどこまで? 1メートルはアウトで、2メートルならいいの基準は? ファミレスで隣のボックス席にいたおばちゃんがむっちゃ唾飛ばしてしゃべっていたけれども(1分間で100ワード以上)、それはどう?
ゾンビ的なら明白。例え、10センチの距離だろうが、どれだけ唾飛ばしてむっちゃしゃべってようが、オバちゃんがいきなり噛まなければ、感染しない。
ただし、コロナならそうはいかない。
1分間に100ワードの勢いでくっちゃべるおばちゃんの唾液がこちらのテーブルに飛んできて、それがワタシの口に入り、コロナに感染する。
そして、ゾンビならば、ワタシは感染した時点で全ての人間活動を終わることができるのにコロナだったら、感染した私は何ともないかもしれない。感染しても全く変わりなく、いつもと同じように、カラオケに行って歌って、バイトに行ってレジ打ちして袋詰めをする。
そして、2週間後、私のまわりでコロナのヒトがたくさん出る。
「コロナ、こわーい」
「ウツすなんて信じられない」
きっと、私はトモダチと言いあう。ゾンビならちゃんと私が感染したところで人間が終われるのに、コロナはそうはいかない。友達の友達が死んだことに私が加担していることなんて永遠にわからない。私はこれから60年以上生きる。死ぬまでずっとそのことを知らない。
私にだって良心くらいある。
けれども責任をどう償えばいいのかの問題を思うと「バレなきゃいい」にたどりついてしまう。