大阪にあの地震が戻って来た
2018年6月18日 月曜日
「今朝の地震、結構揺れたよね。うちの家…六甲道のマンションのエレベーターが止まってたけど、それ以外は…電車が全線運休になって、会社に到着したのがお昼過ぎになっちゃって……
会社、六甲アイランドなのに、凄く時間掛かって、ホント大変だったよ……週末の約束、どうする?」
関西に、比較的大きめの地震が来るのは、久しぶりだった。
地震が、少し落ち着いてから、海斗の携帯に電話。
葵は、週末のデートの約束がキャンセルにならないか、海斗の答えが気になっている。
「俺はあの時間、もう、大阪支店にいたんだ。朝一番の会議で、資料の最終チェックしたくて、早めに会社行ったらあの地震だろ?大阪の本町の事務所だから、結構な揺れだったよ。大阪支店の社員がまだ、ほとんどいない時間だったから、取引先からの問い合わせの対応とか、朝から面倒な仕事に巻き込まれてた……あぁ、土曜日のご飯食べる約束だろ?大丈夫、大丈夫。」
海斗の答えに、ほっと、胸をなで下ろす葵。
こうやって、たまにある関西出張の機会とかを、上手く活用しないと、海斗と会うのは、ホント困難だ。
葵が、東京まで逢いに行けるのは、せいぜい、月に一度程度。
海斗の会社があるのは丸の内だが、海斗は、江東区の東陽町の、会社借り上げのマンションに住んでいて、海斗曰く「阪神尼崎みたいで通勤には便利」らしい。
あたしは、海斗の東京の家に、遊びに言った時は、むしろ板宿に似てる、って思ったんだけどな……。
海斗のお母さんの実家が、同じ江東区の深川にあるらしいので、海斗にとって、おばあちゃんの家の近くで、比較的馴染みのある街、なのかもしれない。
それはともかく、海斗は、関西地方への出張が、比較的多いので、こうやって海斗の出張の機会に、会う約束をして、遠距離恋愛を維持している。
関西に、大きめの地震が来るのは、かなり久しぶりだった。
阪神大震災以来の揺れになるんだろう。
「でも、今日の地震、驚いたよね……阪神大震災の時の事を思い出しちゃったよ……あの時……避難所で、あたしのこと、励ましてくれて、ありがとね」
「おいおい、なんだよ、23年も前の話だろ。ああ、確かに俺たち、あの避難所で仲良くなったな」
「避難所のとき……海斗は、何を一番覚えている?」
「うーん……避難所、色んな宗教関係のボランティアの人達が来てて、ボランティアついでに、校舎のあちこちに、ポスター貼ってたから、インドのシヴァ神の隣に、マリア様の微笑みのポスターが貼ってあって、うあぁ、この避難所、凄えカオスだけど、色んな神様に守られてるな、最強だな、とか考えてたこと、かなぁ……」
「もう、またそんなこと言うんだから!あたしとの思い出はもう忘れたの?」
照れ隠しなのか、海斗は、殊更に話題を変えようとしているようだ。
でもね、あの23年前の地震の時に、好きになったんですよ、海斗のことが。
それまで、ただのクラスメート、の関係。
阪神大震災の時、同じ避難所に、葵と海斗が、避難していた。
それが、二人を、近づけるきっかけに、なったのだった。
1995年1月19日。木曜日。
地震のような、大きな天災の時は、ある種の、独特な雰囲気を作り出す。
それまで、それほど仲が良いわけでもなかった人でも、お互いの生存を確認して喜び合う。
葵が、生き残った喜びを、最初に分かち合ったのは、海斗だった。
葵の通ってる小学校は、激しい損壊で避難所として耐え得る状態になく、区の北東部にある高校が、葵の避難所になった。
避難所までの道で見たもの……1階部分が押し潰されるように全壊した家屋。
アパートの道路に面した前半分が崩落し、道路に向けて丸出しになっている、壁に貼られているアイドルのポスター、1月17日のままの日めくりカレンダー、傾いた天井から歪んだ状態でぶら下がってる電灯など、それまで住んでいた人の生活空間が、隠されることがない全壊家屋。
高校には、既に沢山の人が、避難している。
そして、その上を、悠々と、旋回している報道ヘリ。
ヘリの音が無くなれば、あとは消防車のサイレンが鳴り響いて来るだけだ。
避難所での生活は、既に三日目。
家は、とりあえずは、延焼火災からは免れているが、まだ頻繁に余震は起こっていて、大きめの余震が来た時に、家が耐え得るか、分からないという判断で、昼間のほとんどは、避難所になった高校の教室で過ごし、夜は、パパとママと三人で、車の中で寝泊まりしていた。
こんな状態でも、パパは、今日から自転車で、会社に通勤し始めた。
ママも余震に注意しながら、部屋の片付けを始めていて、葵は、避難所の高校の校舎で、一人過ごすことが、増えて来ている。
この高校に避難しているクラスメートもいない。
見たことがある、程度の、学年が違って知らない人……ひとりぼっち。
2年前に、パパの仕事の都合で、神戸に引っ越して来た。
神戸での生活も慣れたけど、近所に幼馴染がいるわけでもなく、学校の友達も、かなり限定的だ。
そして、今、避難所での孤独感。そして不安。
寂しいって、こういうことなんだな、と思う。
葵は、半ば暇を持て余して、避難所に設置されたテレビを見る。
学校の友人や、知り合いの名前が読み上げられていないかを、確認して、知っている名前がなければ、少し安心出来て、知っている名前があると……酷く胸が痛んだ。
あたしは、これからどうなっちゃうんだろう……。
そして、神戸は、どうなっちゃうんだろう……。
葵は今、避難所の高校の校庭。
葵は天を仰いだ。
「あ……おまえ、4組の葉原? 葉原葵だよな?」
突然、自分の名前を呼ばれ、葵は、声の発せられた方向に、視線を向けた。
ーークラスメートの……笹林くん?……ああ、取り敢えず、生きてたんだ!
笹林海斗。くりくり頭で、太い眉。
目元が印象的な顔立ちをした、男の子。
クラスでは多分……三番目位に、面白い子だ。
常に笑いを取りに行く感じではないが、ここぞ、という時に、教室で戯けて、クラスメートの笑いを、誘う。
クラスで三番目とはいえ、東京だったら、普通にクラスで一番面白いって言われる子だろう。
さすが関西は違うと、引っ越して来たばかりの時、葵は、驚いたものだ。
あ、でも、夏の水泳の授業がある時の着替え……前を隠さず、裸で教室を走り回るのは、ホントやめて欲しい……
でも、戯けるのが好きな割には、成績はかなり良い、そんなタイプの男の子。
普段、葵は、特に用事がない限り、クラスの男子に積極的に話しかけるタイプでは無かったし、笹林海斗とは、教室で、席が隣同士になったりも、しなかったので、今まで、話す機会が、ほとんど、なかった。
が、この特殊な環境で、避難所の高校の校庭で、同じクラスのクラスメートに会えて、葵も気分が高揚して……そして、誰かと話しをしたい! そういう気持ちになっていた。
「ああ、笹林くん、生きてたんだ! 良かった! ほんと、良かったよぉ…で、お父さんとか、お母さんとかは……ご家族は大丈夫だったの?怪我とかない?」
「おう、俺は全然、大丈夫。俺は不死身だぜ、とか思ってたけどさ、今回の震災は、マジ怖かったよなぁ……母ちゃんは、元気だよ。でも、ちょっと、父ちゃんが、今、歩けないしな、それにうちの犬の……ジョンがさ……」
少し、深刻そうな表情を浮かべて話す海斗……。
えっ!お父さんが歩けないって……地震で大怪我しちゃったんじゃ……それに、ペットが、って……亡くなっちゃったり、しちゃったの……?
葵は、聞かない方が良かったのかな、と一瞬後悔した。
しかし、海斗の表情が、パッと明るくなって、
「あ、違う、違う、父ちゃんは、違うんだ!震災の二日前、会社の草野球大会でハッスルしちゃって、スライディングして、足を挫いてたんだ。地震の前の日までは、痛くて歩けん……とか言ってたのに、地震が起きた時、一番早く走り回ってたけどな、もう、ベン・ジョンソンもびっくりするくらいに、ババババって。
もう、母ちゃんもさ、父ちゃんの足のこと、聞かれるたびに、地震前に野球で無茶したこと、説明しなきゃなんないから、父ちゃん、母ちゃんから、何でこんな紛らわしい時に怪我すんのよ、って叱られてる」
海斗のお父さんの、失敗談。
家族で、賑やかそうに会話している様子を想像し、思わず顔がほころんだ。
海斗が、話しを続ける。
「ジョンの奴もさ、あいつ、地震で驚いて、腰を抜かしちゃったんだよ!揺れが収まって、ジョンの様子見に行ったら、前足は、バタバタバタって駆け寄ろうとするのに、後ろ足が、だらーん、として、力が入らないみたいでさ、怪我したのかと思ったけど、家族の顔を見て、凄く安心した満面の笑み、みたいな表情で、ああ、こりゃ単に腰が抜けただけだなって……。
普段、飼い主にすらグルルって威嚇する奴なのに、あいつ、以外とヘタレ。母ちゃん、うちの家で頼れるオスは、海斗しかいないね、って呆れてるよ。それで、父ちゃんも、ショボーンとしてる」
海斗のお父さんがショボン、としてる様や、飼い犬が、満面の笑みで腰を抜かしてる様子を想像し、葵は、思わず吹き出してしまった。
「やだ、それ、絶対、話を盛ってるでしょ!」
「本当だよ、ほんとだってば、ジョンは、今は尻尾振って、そこら辺走り回ってるけどな……葉原のとこは、みんな大丈夫だった?」
葵は、地震が起こって、今日までの三日間の出来事を、海斗に話した。
パパママも含め、家族みんな無事なこと、家も傾いてはいるが、延焼被害には至らなかったこと……いっぱい話した。外の寒さも忘れるくらいに、懸命に。
色々聞いてみると、海斗のところも似たような感じらしかった。
夜は、体育館の中に設置した、キャンプ用のテントの中で寝ているらしい。
二人で、話している時も、海斗は、普段、教室で見せるように、要所要所で、ギャグを飛ばして、葵を笑わせた。
同じ学年のクラスメートとお話しするだけで、気分が、だんだん落ち着いて、心が温まって来る感じがする。
もうすぐ、夕方五時になる。
お昼過ぎから話しているから、3〜4時間は、話し続けたみたいだ。
「校舎の中、入ろっか……日も落ちてきて、寒いだろ」
海斗が葵を気遣って、建物の中に入るように促す。
「うん。なんか、お腹も空いてきたしね!中で何か食べようか? あ、家から避難する時に、ポテトチップス持って来たんだよ。最後の一袋、一緒に食べよう」
二人で、一緒に、校舎へと、歩き出した。
久しぶりに、いっぱい話をした。いっぱい笑えた。
今日のこと、寝る前に、車の中で、パパとママに話そう。