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元の理考察  作者: 東雲之東風
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第一部解釈篇  【段落・五】

 【段落・五】

『かくて、雛型と道具が定まり、いよいよここに、人間を創造されることとなった。そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたねとされた。』


 【段落・一~四】までで人間を創造する上で必要となる全てが揃ったのである。つまり、人間へと進化してゆく生命体を生み出してゆく雄性、雌性の元の生命体が完成したことを示している。

 次に、どろ海中のどじよを皆食べて今度は「心味を試す」ではなく「心根を味い」とある。試さずにそのまま用いているわけである。皆食べてとあることから「どじよ」はほぼ食べつくされ絶滅したと考える。やはり、食う食われるの関係でゆくと「どぢよ」の方が小さかったのではと推測できる。

そして、神から見て「どじよ」の心は一点の曇りもない水のようであったのであろう、一言で表すならば「無」というところである。これを「人間のたね」とした。「たね」いう言葉より植物的な印象を受ける。「子種」等の表現もあるので動物に対しても「たね」を用いるのであるが、どじよに対し、他の道具に見られる「引き寄せ、呼び寄せ」等動的な表現がないことから植物的印象を持つ訳である。また、【段落・二】において、その数を「沢山」と言っていることから「ぢば」周辺にも数多く生息しその必要が無かった、或いは、雛型である生命体に機動性があり、動いて捕食出来たと考えられる。

 先より言っているように、これは形の喩えである。私は「どぢよ」とは糸状のシアノバクテリアのような生命体であると考え、「たね」とは「魂、心」であると捉える。動物細胞へと進化する過程で消えているが、現在の植物へと進化し植物細胞に見られる葉緑体の元となった生命体である。

その証拠として、人間は植物の作り出す酸素を呼吸で取り込まなければ生きて行けないように進化したのではないかと推測する。

科学的にには、メタン生成や光合成よりも、酸素を取り込むことによりATP(アデノシン三リン酸)というより効率的に大きなエネルギーを含む物質を作れるように進化したのである。

 そして、雛型と道具を揃え、そこより生み出される魂の器である人間の身体へと進化してゆく生命体に、一点の汚れも無い美しい魂を入れたのである。

 神は、人間として進化、成長させてゆくために作っているから、最初に生み出される生命体が我々人間の言う微生物に当たるものでもそれは人間なのである。

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