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エピローグ『ジェリーの店にて』

『失われた金の玉』、ジェリーの店はにわかに活気に満ち溢れていた。

客は皆厳つく、そして逞しいが破顔し酒を酌み交わしている。

彼らこそが、『桜ちゃん救出作戦』の思わぬ立て役者、警視庁緊急時即応部隊、ERTだ。

ERTの面々は他の部署と何とか折り合いをつけ、殆どの隊員が集結している。

突発的な事件があったらという心配は無用だ、今のご時世他にも武装組織はある。

いざという時は店の前に止めてあるバンに乗り込み、アルコール分解促進剤を打てばいい。

バンにはたんまりと装備が詰め込んであるし、一分間で酔いは醒める。


 赤沢は彼女の父親が機動隊体育教官だったので人だかりの中心にいる。

彼女の美貌に吸い寄せられる若い隊員もいるが、父親を知るなり皆恐れをなして退散する。

 植山は、新たなコネクション作りだろう、各隊長格に積極的に近寄っていく。

植山はFBIで鍛えられた技術を生かす上で人脈は欠かせないのだと言っていた。

 黒木はその一団をカウンターに座り、水割りを片手に眺めている。


 ジェリーの店は予想以上に大きかった、黒木は勝手に小さなバーだと思っていた。

実際はショーが出来るステージがあり、天井には二つの金色のミラーボールが垂れ下がる。

ケバケバしい内装も、今日はなんだかしっくりくる、そんな感じがした。


 元々は大勢のオカマを擁するショーパブだった、100人は客を収容できたという。

しかし、大疎開により、ホステスも客足も遠のき、大店も伽藍洞と化した。

 そして、大疎開と時を同じく、先代こと『ジョセフィーヌ』が肝臓ガンで逝去したのだ。

ジェリーとキャサリンはこの店を守ってきたが東洋会によりこの店は略取されかかった。

正確にはキャサリンが東洋会に売った、チャイニーズマフィアの目的はジェリーの地震能力。

 当初キャサリンが殺害されたと思われたが、東京都利島村で生存が確認された。

大疎開の今、離島は一等地であるから当然キャサリンは法外な値段でこの店を売ったのだ。


 今はジェリーの特殊能力給付金と常連の特能省職員によってこの店は成り立っている。

相談室がジェリーを助けた礼として渡された永久会員権で、この宴会はほぼ無料だ。

当然、宴会は大盛り上がりを見せ、今や過去の栄華を塗り替えんばかりの熱気で満ちている。

 ジェリーはその逞しい肉体で警官と力試しをし、それを中心に人だかりができている。

腕相撲で小隊長が勝利を収め、ジェリーは嬉々として高級な酒も飲み放題に追加した。

当然、場の盛り上がりは一層高まり、ジェリーも夢に酔いしれているようだった。


 この賑わい様は見てるだけの黒木でも楽しくなる。

大疎開以降、これだけの規模のどんちゃん騒ぎを見たことがない。

仮に宴会が開かれたとしても、何かの謀議か、どこかしみったれた感じをぬぐえない。

 黒木は三杯目の水割りを飲み干した、ネクタイを緩める。

今日の客は流石に店ではさばききれないから基本的にセルフサービスだ。

黒木はカウンターの上の角瓶に手を伸ばそうとする。


 「何かお注ぎしますか、お勧めはバランタイン17年のハイボールですが」

洒落ているが瀟洒なシャツ、上質な生地のベストを着た美青年がカウンター越しに尋ねる。

中性的で、同性でも色気を感じさせる顔立ち、なのに今まで全く気が付かなかった。

 「あ、それでお願いします」

いきなり現れた青年に動揺した黒木は思わず注文した。


 ん、バランタイン、17年?

特能省時代の上司がウィスキー好きだったために、黒木もその価値はなんとなくわかる。  

東京には物流網が届かなくなり、物価は高くなる一方、嗜好品は尚更。

というか、イギリスからの輸送は途絶している筈だ。

となれば、バランタインと言うと、今の相場は…… それが飲み放題だと。

 そんな黒木の銭勘定を横目に、バーテンダーはずんぐりとしたボトルを取り出す。


 「ジェリーさん、大勢のお客さんが来るから先代に胸を張れるって喜んでたんですよ」

バーテンダーは良く通る中性的な声で話す傍ら、ウィスキーをグラスに注ぐ。

 「その上、今日のお客さんと気が合ったんですね。今日は大赤字です」

彼は店の損失を喜ぶかのように笑顔を浮かべ、グラスに水を注ぐ。

 「失礼、赤字云々を相談室の方に話すべきじゃありませんでしたね」

軽く頭を下げ、非礼を詫びる。

 「いえいえ、こちらこそ、なんか申し訳ないというか……」

黒木は言葉に詰まる。

「このお店はもうジェリーさんの趣味ですから、お客様がいらっしゃれば、お金は」

彼は肩をすくめ、苦笑する。そうした所作一つ一つが上品ながら、色気もある。

「だから、ある意味ジェリーさんが今日一番この場を楽しんでいるのです」

彼は優しいまなざしで、腕相撲を繰り広げるジェリーを見つめる。

バーテンダーは僅かにウィスキーをつぎ足し、軽くステアする。


 「このグラスをご覧ください」

黒木は差し出されたハイボールを見る、だが気泡が無い。

「お気づきですか、これはまだ水割りです」

彼はグラスを両手でそっと握り、目を瞑る。

途端にパチパチと気持ちのいい音と共に気泡が浮かび始める。

 「はい、『失われた金の玉』特製ハイボールです」

彼は下品な言葉すら上品に思わせる動きで黒木にグラスを差し出す。

 「手品かどこかのメーカーの新製品……ですか」

黒木は温度や、何かで気泡が立つ仕組みなのだろうと勘ぐった。

 「残念、ハズレです」

バーテンダーはからかうように軽くウィンクする。


 何方も違うとなると『アレ』しかないが、先にそれを考えなかった黒木自身を悔やむ。

「特能か。きっと、気体を液体に注入するとかそういうの」

黒木は悔しさの余り、酒をあおる、甘味とスモークの香りが炭酸で押し出される。

「ご名答、注入できるのは二酸化炭素だけなんですが。ストレートウィスキーの炭酸もできますよ」

「そんなシャンパンみたいな、宜しければお名前を伺っても」

黒木は美酒を嗜みつつ、今後仕事上関わるであろう相手の情報を探る。

 「黒木麗です、源氏名は。本名は渡辺晶です」

「源氏名が黒木ですか、僕も黒木です」

黒木はこれは偶然じゃないだろうと疑った。

 「ええ、ジェリーさんが自分の命を救ってくれた人の名前から拝借したと仰ってました」

サービスです、と麗は北海道産のビーフジャーキーを差し出した。

弾ける炭酸によって香りが一層強まる美酒とこのつまみの相性は抜群だ。

 それにしても、ジェリーは黒木をそんな風に思っていたのか、少し照れ臭い。


 「黒木ぃさーん」

どこかで聞いたことのある声が背後から響く。

黒木が振り返ると、顔も見たこのない男が立っていた。

体はごついくせにどこか抜けた顔で、まだ若い、24、5だろう

 「忘れたなんて言わせませんよぅ、猫アレルギーの本職ですよー」

嗚呼、桜ちゃん救出作戦の時のくしゃみが止まらなかった隊員か。

「あぁ、先日はお世話になりました」

黒木は一礼する。


 「お辞儀なんて辞めてくださいよぅー、未来のエイートさまなんですから」

彼は相当、酔っ払っているようだ、足元がおぼつかないし、顔は真っ赤だ。

 「大丈夫ですか、ええと……」

黒木は名前を知らないから言いよどむ。

 「腕相撲、ジェリーさんに負けたらテキーラ一杯飲むんです、自分は五敗……」

彼は悔し気に右手をパーにして突き出した。

「でも大丈夫です! 」

彼は急に笑顔になる、これはキてる。

麗もそれを察したのか、グラスに氷を入れる。


 「ところで、本職さんのお名前は」

黒木が名前を尋ねる傍らで、バーテンダーはグラスに水を注ぐ。

 「これは失礼いたしましたぁ! 本職は森川颯太巡査でありまぁす」

森川は大声を出し、敬礼する。

余りに大きい声で叫ぶものだから、黒木は一瞬ひるんだ。

バーテンダーに差し出された水が、炭酸水に変わっている気が付かず森は飲み干す。

 なんというか、テキーラ五杯という数字も、この酔い方もどこかこう中途半端だ。

「いや、黒木さん凄いっすねぇ。こんだけのどんちゃん騒ぎ開ける店も人もーいないっスよ」

「はぁ、ありがとうございます」

この盛況は黒木ではなく、ジェリーの接客によるものが大きい。適当に受け流す。


 「ところで、おねぇさん。なにかおすすめ、ある」

森川はぐったりしながらバーテンダーに問う、彼はもう麗の性別すらわからないようだ。

 「瀬戸内海産レモンを使ったレモンサワーなんていかがでしょう」

このレモンサワーが十分上質なことには変わり無かったとしても、

イギリスからの物流が途切れて手に入らぬ逸品を酩酊者に出すつもりはないらしい。


 「お姉さんって、まあその内お姉さんになるんだろうけどさ」

黒木は森川をつつく。

目の真の中性的なバーテンダーはきっと手術を経て「オカマ」になるのだろう。

何故ならここはオカマバー『失われた金の玉』だからだ。

「お二人の目論見はどちらもハズレです。オカマの逆は? 」

「マカオ、マカオ人? うん、マカオってどこだっけ」

森川は勝手に錯乱してる。

 黒木が答える、「オナベ? 」

「ご名答、手術はまだなので肉体的にはまだ女ですけどね」

 レモンを絞りながら、バーテンダーは受け答えする。

「では、まだ男装の麗人という訳ですか」

 バーテンダーの作業に見とれながら、黒木は古めかしい言葉で彼女の現在を表現する。

「今はそうですね。僕自身その表現が気に入っているので手術をするかは戸惑ってます」

彼女は特能でミネラルウォーターを炭酸水にし、レモンサワーを森川に渡す。

 酔っている森川もこのレモンサワーには感激したらしく、グラスを見つめる。

森川はそのうまさを同僚に伝えたいらしく、どこかへ消えていった。

 「実際、ジェンダーの問題はあります。でも僕はそれと別に美意識も絡んでいるので」

「確かに、イケメン、美男子なんて陳腐な言葉より、男装の麗人の方が美しい響きですね」

ジェンダー、セクシャルマイノリティの問題に疎い黒木も美という点で同意する。


 「しかし、特殊能力者、それもえーと失礼なんといえばいいのか」

「オカマ、オナベでよろしいですよ」

グラスを磨きながら麗は首肯する。

 「では、特殊能力者のオナベ、オカマが集まるなんてすごい偶然、な訳無いですよね」

「無論。そんなことはありません。滝匡司さんという方にご紹介いただいたのです」

あぁ、ジェリーとは入省前からの知り合いで黒木の同期、滝匡司か。

滝はいつぞやジェリーの店に個人的に尽力すると言っていたか。

 「そうですか、滝が。うん、滝らしい」

滝は省内でも人権派のホープであり、同時に戦略家の面を持つ、一見剽軽な男だ。

セクシャルマイノリティ、特殊能力者をくっ付けて、それを産業として成り立たせる。

しっかりと生活の根を張ってこそ、人は生きていけるのだ。

 まだ、この店にはその能力は無いが、恐らく滝はそこもきちんと考えているだろう。


 「レディース&ジェントルメーン&その他ァ―」

ジェリーの軽快なMCが響く、客は一斉にステージ上に釘付けになる。

ジェリーは筋肉に不相応なセクシーなラテン系のドレスを身にまとっていた。

 「これより、警視庁ERTの皆さまに地震ショーをお見せいたします」

ま、マズい。ジェリーは正気を失ったのか、ついこないだ事件を起こしたばかりじゃないか。

黒木は慌てて止めようとする、が麗に呼び止められる。


 「ご安心ください、このお店は次世代型免振システムの実験場でもあるのです」

麗はボトルが落ちないよう、棚にシャッターを下ろす。

「予測型アクティブ電磁免振、よくわかりませんが、ここと外は切り離されているのです」

「つまり、地震を起こせるジェリーさんがいる店は恰好の実験場ってことですか」

成程、ジェリーを封じるのではなく逆の手をついたか。

ここでならいくらでも暴れてもいいよと場所を与え、その代わりデータはもらう、ウィンウィンだ。


 「では皆さま、お足元にご注意あそばせ。先ず震度1」

ジェリーが地面をデコピンする。少し揺れた気がするが、酔っているからわからない。

 「次は震度2……と見せかけて3! 」

グラグラと揺れる、どこかでグラスの落ちる音がする。

隊員達も驚き、ジェリーを見つめる。

一部の隊員が、立食用にあつらえた小さなテーブルに身を隠していた。

一同がしーんと黙り込む。

「はい、今テーブルに身を隠したいい子ちゃんには後でビーフストロガノフをプレゼントよ。

職業柄、顔はしっかり覚えたから安心してね」

ジェリーは沈黙を介さず、キスを飛ばしMCを続ける。


 ジェリーは客が酔いを醒ますのも計算の上だったらしい。

「はい避難訓練は終わり!ミュージックスタート!」

途端に陽気なラテンの音楽が流れ、ホールが金色の光に包まれる。

 ジェリーは四つん這いになり、ドレスの襟から見事な乳房、もとい胸筋を露わにする。

そして両手で軽く地面を叩き、ラテンの調べに合わせる。

揺れに合わせて自然に体もリズムに合う、ライブで自然と体がリズムをとるのに似ている。

一度は酔いが醒めた客にも再び笑顔が戻り始め、このライブを楽しみ始める。

客がノルのに合わせて、ジェリーも少しずつ揺れを強める。

それに合わせ、また客も盛り上がる。

もはやホールはさっき以上の熱気に包まれている。


 黒木はスマートフォンで地震速報に目を遣るが、情報は全くない。

 「重ね重ね、ご安心を」

麗はフロアを微笑し、眺める。


 「地震を見世物にするなんて不謹慎、って言われませんか」

黒木は単刀直入に問うた。

 「ジェリーさんも、僕もその問には悩みました」

麗が黒木を見つめる。


「これは地震じゃない、って説明したところで意味はありません。そこで思いついた一つの回答が、さっきの避難訓練です。『今地震が起きています』という説明だけじゃ心理的な訓練にならないですし、突然の地震への対処を体験することができますよね」

 「つまり、ただのショーではなく、防災の一環だと」

黒木はハイボールを飲み、麗はジェリーへと目を移した。

「ええ、地方の学校を巡業して避難訓練を援助する文科省のプロジェクトも動き出しています」

麗は先ほどまでの優雅な声ではあるが口ぶりは毅然としている。

「いざという時助かる人々を増やし、同時に楽しんでもらう。それって不謹慎ですか」

 麗は黒木に毅然とした態度を示す。


 「震災でトラウマを抱える人はこのショーはとてもじゃないけど楽しめないでしょう」

黒木はそういうと、残りのハイボールを飲み干す。

麗もその言葉を黙って受け止めた。

「でも僕はそうじゃない」

麗にジャケットを預け、ライムを押し込んだコロナを片手に狂瀾の宴へと繰り出した。

 黒木もまた、ジェリーの繰り出す波に当てられた乱痴気騒ぎの阿呆の一人になった。

黒木はラテンと地面の鼓動のリズムに身を任せた。

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