幕間③『風の中で』
かつて霊視と呼ばれた行為は、宗教行為という点では同じだがまるで座禅のスタイルになっていた。林はイヤーマフを取り付け、地べたに胡坐を組んで座り込む。
星には彼女の姿が何か神聖なものに思えた。
彼女の体には相当な負荷が掛かっているのか、時折苦悶の吐息が漏れる。
突然彼女は体を投げ出し、大の字になって天を仰ぐ。
「過去視、相成りました」
息も絶え絶えになり、林は告げる。
「眼鏡を掛けた橋上という看護師が、パニックに乗じて酸素チューブを抜きました」
体をひねり、喘ぎながらこちらを向く林の姿はどこか煽情的であり、同時に星はそうした感情を抱くことに背徳感を受ける。
「それじゃ、義理の息子の指紋が酸素チューブについている理由は」
携帯で橋上の確保を命じる安藤を横目に星は裏どりを進める。
「そもそもこの部屋には西のサイコキネシスはこの部屋にはそこまで及んでいません。
息子さんは浮かびあがった布団に驚いて、点滴スタンドに躓いて倒しちゃったんです。
そのスタンドにぶつかり、頭を切った時に偶然酸素チューブに触っただけです」
なるほど、一応筋は通るか。
だが、その筋はあくまで林にしか見えていない。更なる捜査と物的、供述証拠が必要だ。
林の説が正しいとすれば過去の連続不審死も看護時の犯行が疑われる
「林、今回の看護士には連続殺人の疑いがある、それについても霊視を頼めるか」
星は決して無理強いをしない。
「今回の捜査には最大限協力せよとのことなので問題ありません」
林は呼吸を整え答える。
星と浅沼はどこか不安げな表情で彼女を見守る。
「いえ、そうじゃないんです。あなたは犯行現場を『観る』んだ。相当なストレスでしょう」
浅沼がどこからか、ペットボトルのお茶を差し出し林に渡す。
「いえ、慣れてますから……」
同年代の少女が犯され、嬲られ、永遠の暗闇に捕らわれる。
それを彼女はまだ、その行為の意味が解らぬまま『観て』きたのだ。
『慣れている』、その言葉は彼女が口にするにはあまりにも残酷な言葉だ。
殺人現場にはあまりにも悲しい静寂が訪れた。
一行は過去の不審死が起きた病室へ向かう。
「慣れてるって愛羅ちゃん、事件か」
星は林に問う、これは彼女の閉じた傷口を再び開くかもしれない行為と知りながら。
先ずこの質問が好奇心とかいうものではないのははっきりしている。
星は刑事として、組織人として、林を異質な『もの』として見てこれなかった。
そんな星の非人間的な行いの罪を、この無情な問いによって白黒つけたい。
そもそも白黒つける必要すらないのに、それも俺の性が。
クソ、何がしたいのか俺自身がよくわからないまま口に出しちまった。
「愛羅ちゃん事件、私にとっては『始まりの事件』です」
悲惨な事件を回想し、悲痛な声で林がつぶやく。
「そもそも、私は昔から霊能力なんてなかった。母がそう仕立てたんです」
「じゃ、ベイジンショック前から特殊能力を持っていた、という事か」
エレベーターで最初の不審死が発生した病室がある。五階へと向かう。
「はい、母はこの力を金のなる木程度にしか考えていませんでした」
エレベーターは上へと向かう。
「そのせいで何度も、何度も惨く、悲しい場面を『観る』ことになりました」
エレベーターの上昇がやけにじれったく感じる。
星はこの話題を持ち出したことを後悔し始めた。
「行方不明、殺人、不倫、夜逃げ。段々とその行為の意味がわかるようになって」
五階に着く、ドアが開く。
「その頃、母はもう優しかった母ではありませんでした。そして私は『観る』ことを辞めたんです」
「じゃあ、何故今、事故調で働いてる。国だって特能を財源としか見ていないだろ」
星はこの問いに、意味があるとは思えなかった。だが口から出てしまう。
「私が再び『観る』きっかけになったのは、ある友人がきっかけなんです」
この話に聞き入りながら一行を先導する浅沼について行く。
「知り合ったのは確か5年前です。父は、その物心つく前に失踪していて私の母が亡くなり、東京の親戚の家にお世話になる異なりました。それで学校を転校したんです」
目的の病室は目の前にある。
だが誰も入ろうとはしない。
「その子も私と同じ東北の出身で、家族もいないっていう境遇も一緒だったからか打ち解けたんです。それまで私は『巫女』様か『バケモノ』扱いだったから嬉しくて……」
由香里の目にはうっすらと涙が浮かぶ。
星は『バケモノ』扱いしていた自分を酷く恥じる。林はそれを察したらしい。
「警察の人は私を『バケモノ』扱いして当然です、いえそうじゃないといけないんです。
だって、私を無条件に受け入れたら、捜査なんて出来ないでしょう」
「でもそんなこと、事故調になって初めて感じたことだろ」
星の自責の念は、余計なことを口走らせる。
今の星は安藤をおしゃべりなんて責めることはできない。
「それで、いろいろ話していくうちにその友達のお兄さん、3.11で行方不明だって事を話してくれたんです。今も行方はわかっていません」
刑事や看護師も静まり返る。
「私、その子に『観える』事を伝えてなかったんですけど、その子が唯一の友達だったから何か力になりたいって思って。それで、休みを使っては東北で『過去視』を始めたんです」
林の声が恐怖に震える。
轟音を立て、街を飲むどす黒い波、人々の絶叫を繰り返し、繰り返し彼女は見たのだ。
画面越しではなく、まるで自分がそこにいるかのように。
「こういうと、悪いですけど人間の所業より、アレは怖かった……」
「最初はその子に内緒で過去視をしていたんですけど、もっとお兄さんについての正確な情報があれば過去視で見つかる確率も上がると思い、打ち明けたんです。その子も最初はとても驚いていたけど、受け入れてくれました、ありがとうって、抱きしめてくれて」
林は、毅然とした口ぶりになる。
「私はその時思ったんです、探偵でも、霊能力者でも、超能力者でもなんでもいい。
こういう悲しんでる人たちの力になりたい、って」
「何故、事故調に。他にもそういう事が出来る仕事はあったでしょう」
浅沼は腑に落ちないようだ。
「特能事故調なら間違って誰かを間違えて傷つけてしまった特殊能力者の力にもなれるし、個人的に過去視を使う時にも資料を提供するって雇用条件を結んでもらえたので」
「なるほど、特能省ならあんたの主義を通す為に必要な資料を取り寄せたりも出来るな」
星は合点した。
「そういう事です。今回ならば、これ以上連続殺人で悲しむ人を増やすわけにはいかない、それが私が過去視する理由です」
林はようやく、第一の殺人現場と思われる病室に立ち入る。
「過去視に入ります」
林は早々に座禅を組む。が、先ほどよりも苦しむ時間が長い。
3分ほどが過ぎて、ようやく彼女は緊張を解いた。
「今回の事件、複数犯です」
息も絶え絶えに林は告げる。
「1人が主犯、2人は犯人隠匿です。つまり3人組ですが、1人による脅迫による洗脳です」
「名前はわかりますか」
安藤が尋ねる。
「大城が殺人の主犯、橋上、戸越が犯人隠匿で従犯。ただ、戸越が洗脳の犯人です」
「ちょっと待ってください、それってどういういうことですか」
安藤が悲鳴にも似た声をだす、理解が追い付かないのだろう。
「その前に、少し水をください」
林がペットボトルの水を受け取り、飲み干す。
「最初の一件目は、大越のミスによる医療事故です。点滴の濃度をミスしてます。
ただ、それに気が付いた戸越が金と見返りに見逃してやると持ちかけました」
患者のいないベッドに腰掛けた林が淡々と述べる。
「そして、戸越は大城の金で橋上の借金を自ら肩代わりすると、彼女を恐喝しました」
「待て、何故この病室一室の過去視でそんなことがわかる」
星はこの過去視に胡散臭いものを感じた、余りにも出来すぎている。
「言いたいことはわかります。ここは第三の殺人事件の現場で、戸越、大城、橋上が一同に会しています、その様子も観えたんです」
「それはどういう内容だった」
「戸越を二人が責めていたんですけど、そのうち過去の話で逆転され、丸め込まれています。
そして、戸越が大城に酸素チューブを引き抜かせました」
「そもそも戸越は何故そんなことを」
安藤は解りもしない疑問を口にする。
「それは、過去視ではわかりません。警察の仕事です。とにかく、この三人の身柄確保を」
林はそういうと、安藤は所轄刑事の輪に戻っていった。
「疲れたんじゃないか」
星が林を事務的に労わってやる。
「いえ、この程度の空間と時間遡行なら全然平気です」
林はやややつれつつも笑顔で返す。
「わかった、県警に手を貸すのももう十分だろう。引き上げないか」
大丈夫、という言葉の裏腹に少しやつれた林を労わっての言葉でもある。
それに、特能が関係しないと分かった今、特能警備局が殺人現場にいることがおかしい。
星は安藤の姿を探したが見当たらない、恐らく三人の身柄確保と裏を取りに出ているだ。
傍にいた警官に慰労と撤収の伝言を頼んだ。
「警備局の星さんは帰ってもいいですけど、事故調の僕たちは残らないと」
元運輸省の役人、元鑑識、元科捜研の事故調組は西の能力突発事故を調査しないといけない。
たしかに、星は『普通の』殺人事件が絡んだ可能性もあったから元捜査一課の要員として送り込まれただけで、他の人間にはまだ調査すべきことがある。
「アシどうしますか、麻酔中の突発事故の前例はないので調査長引きますよ」
車一台で四人を運んできた、星以外はもしかした泊まり込みかもしれない。
「星さん私のバイク、タンデムでのりますか」
林が意外な提案をした。
「おいおい、嬢ちゃんそれは流石に……」
もう星は五十だ、男の根は枯れかかってるがそういう問題じゃない。
小さくて禿かかった老人に片足つっこんだおっさんが、すらりとした女性ライダーの後ろに乗る絵面が何となく気恥ずかしかった。
想像以上の風圧を感じる、星は林の腰にしがみつくのが精いっぱいだ。
セクハラで訴えられても、この状況でバイクから落ちる方の恐怖が優っている。
「やめてくださいよ、くすぐったいなもー」
過去視の疲労が取れたと思われる林が苦笑する。
林のバイクは、特能省の装備品だった。
スズメバチを思わせる攻撃的なフォルムをグレーの都市迷彩。
ボディーに赤色灯が内蔵されており、使用時にはせり出す、覆面仕様。
そもそも、迷彩を施している時点で覆面していないのだから、これは趣味なのかもしれない。
何よりその加速度が尋常じゃない、けたたましいエンジン音と振動も脳に響く。
一昔は知り合いに乗せてもらってツーリングじみたことをしたこともあるが、大違いだ。
「林よう」
星は風の風切り音の中で林に呼びかける。
「なんですか」
「お前のことは、もう『バケモノ』なんて思わないがよ、このバイクは『バケモノ』だな」
林と星は轟音の中で笑った。
俺の告解は許されたのか、そんなことはどうでもいい。
この連続殺人もどうでもいい、いや良くはないか。
でも、この娘が自分の道を真っ直ぐ歩んでくれればいい、そう思った。




