前編①黒木、初めての突入
東京の一等地としてその地位をほしいままにしていた元麻布。ここも大疎開の影響で廃墟街となっている。かつての栄光を想起させるのは唯一人の出入りがある日中の特能政策パイプラインとなっている中国大使館位だ。
中国大使館外には警視庁の機動戦闘車がひしめき、何人もの重武装の警官達が立哨に着く。
そして大使館敷地内には中華人民解放軍の精鋭が姿を隠し、警戒をしている。
否、実はもう一軒だけ人の出入りのある建物がある。
やけに白く欧州風な一軒家だ、ここ数週の間に三人の不法侵入者が住み着いている。
不法侵入者達はかつてなら豪邸と言われたであろう廃屋での生活をそれなりに満喫しているようだ。
一方、黒木はその一軒の軒下に身を隠していた。
庭に面した階段付きテラスの脇に黒木は身を隠している。
しかしその恰好は普段の役人全開の黒木とは全く異なる。
普段スーツしか着ない彼は今はグレーの都市迷彩に彩られた戦闘服を身にまとっている。
頭にはバイザー付きヘルメットを被り、胴体にはプレートキャリアーと呼ばれる防弾服を着こむ。
更にマガジンポーチ、無線、手錠等を装備し、いかにも兵士という様相である。
そして手にはダットサイトを装着したJMP7なる短機関銃を握っている。
本来事務屋である黒木とは思えぬ出で立ちである。
夕焼けから逃れるように黒木は身を隠す。
確かにこの二日にわたる赤沢の訓練と演習によって、
黒木の銃火器、戦闘に関する知識は指数関数的に増していった。
指数関数的と言っても元々がゼロなのだから、その程度は知れている。
が、それでも元SP兼戦闘狂の赤沢の『教育』は、
数字を知らない人間に足し算と掛け算まで教える程度の効果をもたらした。
先ず黒木は銃火器メーカーに関する知識を教え込まれた。
否、もはや宗教に近しいなにかへの勧誘を受けた。
赤沢曰く、「友和銃火器工業を称えよ」
実際黒木は訓練初日、赤沢に「あなたは幸運です、友和を崇める奉る機会を得たのですから」という新興宗教染みた新世界への招待を受けた。
そしてトドメ文句は「あなたは友和を讃えますか、称えませんか」
これに対し「あーだりぃー」と答えた植山は顔面に手形が残るほどのビンタを食らった。
仮に黒木が美人のビンタに目が無いようなマゾヒストなら話は別だが、
通常の性癖を持ち、事務屋の黒木に暴力に対抗する力は無く無条件降伏で新たな信仰を受け入れた。
「はい、讃えます」
和友銃火器工業は元々銃火器を製造していた二つの会社によって成り立つ。
実際は官製企業だ、警察、自衛隊、特能省、その他銃を扱う省庁は皆和友に出資している、
日本は『ベイジンショック』時に銃火器の生産力、特に量産性が低かった。
そこで対テロ、対特殊能力者として新たな銃火器を大量に生産する能力が必要になった。
ただでさえ自衛隊の主力小銃の置き換えがその界隈で話題になっていた時期だ。
当然、このを空前のテロと戦争の台風を前に新たな銃が必要となった。
しかし、日本には銃火器を大量生産できる工業ラインもノウハウもない。
海外から輸入する以前にその海外での生産継続が危ぶまれる事態だ。
そこでこれまで銃火器の生産ノウハウのある企業で合弁会社を作り、
特殊能力によって海外の生産ラインを文字通り持ってきた。
それが友和銃火器工業である。
最初こそは生真面目に持ってきた生産ラインをそのまま使っていた。
しかし後に特殊能力を使用した新樹脂によって3Dプリンター整形物の強度が大幅に上がったため、個人個人に合わせたカスタマイズも行うようになった。
赤沢曰くこのカスタマイズが良いのだそうだ。
『そう、友和工業は常に私たちへ慈愛のまなざしを向けてくださっているのです』
確かに黒木に用意されていた拳銃は手によく馴染んだ。
軒下に潜む黒木が握るJMP7は元々ドイツのHk社が生産していたMP7というサブマシンガン、
否PDWというべきか——を日本が物理的に生産ラインごと輸入し国内向けの改良をしたものである。
銃身を僅かに伸ばし射程と命中精度を向上させ、ストックを何種類から選択できるようにした。
そして握りやすいようにわずかにカバーを再設計してある。
黒木はデフォルトの伸縮式ストックを装備している。
トランシーバーに繋げたイヤーピースから声が黒木の耳に響く。
『ヤマザクラ、ヤマザクラ、こちらオオタカ、これより偽装電話を発信オワリ』
声の主は植山だ。
ヤマザクラは黒木、赤沢から成る突入班。
オオタカは監視役の植山を指す符丁である。
そう、黒木はこれからこの一軒家に突入し、三人の不法侵入者を制圧する。
黒木は無線に答えない、声を聴かれ突入を察知させるのを警戒しての措置だ。
黒木は浅くゆっくりと深呼吸する。
特能省に入庁する時に、こんなSWATじみたマネをすることになるとは思ってもみなかった。
銃は装填済み、あとは安全装置を外すだけ。それで発砲が可能になる。
先ずそんなことにはなるまいとは思っている、がやはり人間相手は恐ろしい。
『こちらヤマザクラ1、突入準備完了、オワリ』
赤沢の嬉々とした感情を抑えきれない声が聞こえる。
ヤマザクラ1こと赤沢美咲は爆薬で玄関扉を吹き飛ばし突入する作戦だ。
この準備とは扉の蝶番に小型爆薬を設置したという意味である。
ダイナミックエントリーと呼ばれる迅速かつ複数個所からのド派手な突入を行うのである。
『ねぇ、お姉さんとイイこと……しようか』
そういって黒木は誘われた。そして誘われた先が今まさにここである。
赤沢にとってイイこととは扉を爆破し、内部にいる人間を制圧することを意味するらしい。
『ヤマザクラ、こちらオオタカ、偽装電話終、目標に動きあり、オワリ』
偽装電話で相手を一か所に集め、一挙に制圧する。それが本『作戦』の骨子である。
不法侵入者達は己の身分を弁えているのか全てのカーテンを閉めている。
しかし植山の持つサーマルゴーグルには一味の姿がしっかりと映る。
『ヤマザクラ、こちらオオタカ、目標は一階リビングに集結、オワリ』
リビング、つまり黒木が身を隠しているテラスに面したガラスのすぐ向こうに連中は居る。
『こちらヤマザクラ1、ヤマザクラ2、V班突入用意』
ヴィークル班、V班と呼ばれる警視庁の装甲車隊のエンジン音が遠くで轟きをあげ、近づいてくる。
いよいよか、黒木はかがんでいた姿勢から腰をあげる。既に筋肉が悲鳴を上げている。
出来るだけ足音を立てぬように、それでいて素早くテラスの短い階段を上る。
中にいる連中はカーテンでどうせ外は見えないのだ。
黒木は短機関銃を片手に持ち、ポーチに装着したスタングレネードをもう一方の手に取った。
通常、こういった家屋への突入作戦では窓を割る係、スタングレネードを投げる係、
最初に踏み込む係などなど人員は沢山必要なはずだが、今は黒木一人だ。
『突入』
赤沢の歓声染みた無線を聞き、黒木は窓をトレッキングシューズで蹴り破る。
盛大な音を立てガラスの破片が散らばった。
家をはさんだ向こう側ではドゴンと小さい爆発音が響いた。
赤沢が玄関扉を爆破したのだ。
黒木はピンを抜きグレネードを家の中へ投げ込む。
すぐさま窓の脇へと身を寄せる。
中は大騒ぎだ、だが一瞬のちにその大騒ぎすらかき消す大音響が響く。
黒木は窓に穿たれた穴を、体で押し広げながら屋内に突入する。
短機関銃の狙いを真っ直ぐに保ったまま、目だけを動かして周囲を確認する。
三人の不法侵入者が身をこわばらせて床に倒れていた。
『特殊能力省だ! 抵抗するな! 』
黒木は銃を構え、警戒しながら素早く目標のもとへと前進する。
補聴器が必要なほど老け込んだおばさんと老婆の三人組がそこにいた。