退廃の世界
男はそこに居る
電線がまるで蜘蛛の糸のように蔓延る都会だった所がある。殆どのビルは錆びれ、辛うじて機能しているであろう工場からは、延々と煙を吐き出す何本もの棒がある。
電飾だったであろう看板は空気と時間で汚され、留め具も大部分が外れてプラプラと垂れ下がっている。
見渡す限りに、一つの色彩も無く、
ただ灰色と黒と茶色が、ここの全てであった。
工場から、轟音が絶え間なく鳴り響いてはいるが、あるべき筈の人の声は聞こえてはこない。更に言うなら、昔の住居であったような所からも、光や音すらも無い。
ただ、虚しく機械的な音が辺りに響き渡っているだけだ。
その都市の離れ、ちょっとした商店街であったであろう所に、それはいた。
10階建ての商業ビルの屋上、看板が置いてある場所の横の発電機の様な物を修理している人影が、一つ。
その姿は、一言で言えば「珍妙」と言うほか無い。
頭には、昔の潜水服のヘルメットのような丸みを持ち、またそれに溶接の際に顔を防御する為のフェイスガードを厳つくしたような物を取り付けている。背中には旧時代のコイルを幾重にも巻きつけた棒状の物を大小4本と無茶苦茶に絡められつつもその棒につながっている電線が付けられている箱がたのバックパックがある。そのバックパックの左右からは電線が何本か垂れ下がり、一本の電線は腰辺りに着いている拳銃のようなデバイスに繋がっている。
その衣服もまた奇妙で、肉屋が付けているような巨大な白のエプロンと、黒色の分厚い長袖の服を着ており、胴部分にはまたも電線が絡み付いている。
下半身は黒色の作業ズボンのような物を着け、靴は巨大なゴム製の長靴を履いている。その男自体がしゃがんでいても分かるほどにどう少なく見積もっても2メートルはある背丈からか、その靴にも違和感は無い。
彼が発電機らしき物をいじる度に、火花と共に、パチリという音が虚空に響き渡る。灰色の世界に赤色のそれが彩っていく。何度か繰り返した後、作業が終わったのか男は作業を止め、立ち上がった。大柄な体躯、先程の作業で少し黒ずんだ手袋、静かな呼吸音、男は暫く立ち竦んだ後、ビルの屋上から辺りを見渡した。
やはり、煙と機械音、色の乏しい建造物以外は見当たらない。
男が左手を握りこむと、僅かながら青い光が瞬いた。よく見ると男の左手には、背中に付けられているコイルの棒を小型化したようなデバイスが指の数だけ取り付けられていた、そこからは背中のバックパックに繋がるように電線が伸びている。
僅かに意志を感じさせる行動をとったのち、それが皮切りだったのか、男は屋上から飛び降りた。
ここは10階だ、常人ならば挽肉になってしまっているだろうが、男は違う。
地面のコンクリートを割る音と着地の際に起きた轟音が鳴り響き、辺りを震わせる。男は片膝と片手をついたその姿勢から立ち上がると、ゆっくりと辺りを見渡した。
電線張り巡らされる街中、本来なら機械音と風の音位しか聞こえないであろうその通りに、生物的な唸り声や鳴き声が微かに聞こえてくる、それもだんだんと、その声のような物は大きくなってくる。
しかし男は動かず、ただじっとそれを待つ。
永年の経験から、この声が何なのかを男は身に染みて分かっていた。
即ち、排除すべき害敵が来るのだ、と。
コンクリの固い地面に響くような足音が幾重にも響き、それが近付く度に男はその左手を強く握りしめ、右手はデバイスに手を掛ける。
男の臨戦態勢を表しているのか、背中のバックパックに付けられた棒状のコイルは青白く光り輝き、棒と棒の間にはやはり青白い光の筋が繋がっている。生み出された電気は、右手にあるデバイスに注ぎ込まれている。
ーー不意に全ての音が止まる
その刹那の瞬間、「それ」は男の右手の路地の暗がりから現れ出た。
やせ衰え、しかしあり得ない程の脚力を以って、男との間の距離をたった一回の跳躍で一気に詰めた。
腕は四足歩行に特化したのか人のそれより遥かに長く、その爪は鋭く尖っている。口は裂け、隠しきれぬ程の大きさの牙と口腔が見える。
だが、その胴体と、毛は無いものの、その頭部から、元は人間であったであろう事が窺い知れた。
その硬質な牙は、今まさに、男の頭部、即ち奇妙なヘルメットを捉えている。男が「常人」ならば、なすすべもなく喰われているだろう。
この怪物にとっての一つの大きな誤算があるとするならば、その男がとうの昔に「常人」を棄てている事だ。
飛び出てきたその瞬間を瞬時に捉え、男はその左手を一瞬の間にスパークさせる。「それ」が何だったのかは最早誰も憶えてはいないが、稚拙な表現で言うならば、「スパークナックル」と言った所か。
膨大な熱量を持ったその拳は、今まさに喰らいつかんとする怪物の顔面を的確に捉え、その顔面の表面の皮膚を瞬時に溶かす。
しかし、怪物らしい生命力を持つ奴らは、顔面の皮膚が溶けて殴られただけでは死なない。
ーーだからこその「雷」
殴りつけ、拳がつき、皮膚を溶かした瞬間、その怪物の顔面は文字通り爆裂した。
無理も無いだろう。拳程の面積に、何百万Vという電流が流れたのだから、いくら怪物とはいえ、元が人では耐え切れる筈もなかった。
怪物を破砕し、瞬時に後ろを振り返り、右手のデバイスを抜く。
後ろからは今にも飛び掛らんとする怪物の姿があった。
それなりの知性を持ち合わせているであろう。先程の怪物はどうやら囮だったようだ。
ただ男には通用するものでは無い。ただそれだけの事だ。
接敵する前からチャージされていたデバイスの先端、まるで大型のピストルのマズルにラッパの先端部分を取り付けたかのような部分から、青白いスパークが引き起こされ、同時に青白いを通り越した白い雷の球体が放たれる。
瞬間、辺りに閃光が走る。
一際大きな音が鳴った後には、身体を立ったまま痙攣させながらバチバチと音を立てて固まっている哀れな怪物がいた。
電流が迸る音と悲痛な叫び声が聞こえる以外に、男の歩む音が鳴る。
そして至近まで近付くと、その左手をスパークさせながら怪物の首根っこを掴む。
ギシリ、ギシリと骨が軋む音がし、肉が焦げる匂いが辺りに蔓延する。
数秒持ち上げた後、男はその腕からなる筋力を以って、豪快な風切り音を立てながら、近場の建物に叩きつけた。コンクリにヒビが入り、その手に掴んでいた怪物は、そのスパークと衝撃で上半身が完全に挽肉になっていた。
その光景を一瞥し、男は肉がこびりついた左手をスパークさせ、肉を焦がし消し去る。
男が辺りを見回すが、あの哀れな怪物の死骸以外は特に変化が無い街並みが広がっている。
風が吹いた、埃が舞った。
しかし街も男もなんら変わりはない。男にとっても街にとっても、先ほどのような事態は人間が食事を摂るのと同じほど尋常な事なのだ。
死体を適当に端に寄せ、男は街を歩む。やはり、響くような足音が街の一角を包んでいく。
男には、仕事があるのだ。うかうかしてられない。
男が歩んでいくと、一軒の家があった。シャッターが下りていて、ショーウィンドウらしき物が割れている。
きっと昔は何かの定食屋か商店だったのだろう。無論、看板などなく、やはり店は灰色だ。所々に錆びの茶色があるのみである。
男はシャッターを力任せに押し上げた。男の腕力なら、どうという事はない。
見渡す限りに生物は見当たらず、また商品も殆どない、缶詰のような物がかろうじて棚に残っているのみだ。
男はそれを手に取ると、ゆっくりと腫れ物を扱うように丁寧に開けていく。それもそのはず、男の筋力では、缶詰めごと粉砕しかねない。人が箸で豆腐を崩さず食べるよりも繊細な作業が必要になってくる。
ミシリ、ミシリと缶詰の蓋が徐々に開き、遂には中身を露出させた。
どうやら中身は挽肉のようだ。
少し香ばしい肉と胡椒の匂いが辺りに漂うが、残念ながら男には匂いを嗅げるような繊細な嗅覚は無かった。男は缶詰の中身を摘み、ヘルメットを上げて口を露出させ、それを口に放り込んだ。
…だが残念ながら男には味覚すら無かった、ただ口の中にボソボソとした何かの感触を感じるだけだ。
男はそれを食べ終えると、その缶詰を放り捨て、店にあった奇妙なブレーカーのような物を切る。
街は未だ、暗闇と錆に包まれたままだ。
初めまして、アストラの下級騎士と申す者です。初投稿の為至らぬ点が多々あるかと思います、申し訳ありません…。
この錆臭い世界観を好きになって貰えたら幸いです。後更新はスローペースになるかと思います、気長に待っていただければ助かります…。
今後ともよろしくお願いします!