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「…すか…飛鳥!起きろ!」
名前を呼ばれて目を開けると、眩しい光に照らされた。と同時に、自分の顔を覗き込んでいる人達が視界に入った。
「おい飛鳥、大丈夫か?」
顔のうち1つが喋りかけるので、僕はぼんやりとしつつも頷いた。頭の下でシーツの擦れる音がする。
そうか、僕は倒れたんだなとどこか他人事のように思った。無理して来るんじゃなかった。言い知れないだるさが体に広がった。
また同じ顔―いつも隣の机で作業している斎藤さんが口を開く。
「お前出勤してすぐぶっ倒れたんだぜ?」
すぐか、皆驚いただろうな。
「皆でここまで運んだんですよぅ」
ベッドの端からちょっとだけ顔を出して女性が言う。この人は佐伯さんか。赤いベレー帽の下からくりくりした目が覗いている。
「ごめんね、驚いたよね」
「驚いたどころじゃないっつーの」
「とにかく安静になさい、今日の分の仕事は私達でやっておくから」
斎藤さんの溜め息に継ぎ、優しいお局様美谷さんが微笑んだ。
「神谷さんはゆっくり寝ててください」
佐伯さんが僕の頭を撫でる。袖の少し長いセーターの布地が額にあたる感触がした。休めるのはありがたい、だけど。
「僕、帰ります」
体を起こすと、美谷さんと斎藤さんが慌てたように手で制す。
「休んでなさいな、貴方病人なのよ?」
「そうだ。帰り道で倒れたらシャレになんねーぞ」
…違う。肩がずしりと重くなるのを感じた。
僕は病人じゃない。
「帰りは俺が送ってくから!」
それは駄目だ。耳元で、何かが軋む音がした。
ああ、これはまずいな。
僕は布団をはね上げてベッドから降り、スリッパをひっかけた。
「寝てなきゃダメですよぅ」
「大丈夫、顔を洗いに行くだけだから」
半ば振り切るように廊下に出た。周りが静かになると突然生暖かい空気に包まれる。酷い頭痛。歯を噛みあわせるような音がすぐ近くでした。
やめてよ。
頭を振っても耳を塞いでも音は追ってくる。
堪らず僕は走り出した。ひたひたと湿った足音が駆けてくる。必死に逃げるが、差は開かない。こんなとき自分の鈍足と体力の無さが恨めしい。
不意に後ろから服を引っ張られ尻餅をつく。振り返るが、見えるのは延々と続く廊下のみ。
震える腕を抱いてその場で動けない僕の耳元で、何かが囁いた。
《殺してやる》
もうやめて。
無駄だと知りながらも僕は耳を塞ぐ。けたたましい笑い声が頭に直接響いた。
誰か助けて。その言葉は声にはならずに、喉の奥でつっかえた。