秘密の場所
「……お前ら、一体何をしたらそんな格好になるんだ?」
月が昇り、スクルドとアルヴィトの二人と合流したフリストは二人の姿を目にした途端、呆れた声を漏らした。
スクルドのみならず、シグルドから慎重な戦い方だと指摘されたアルヴィトさえも全身を血色に染めているのだから無理もない。
程なくしてヒルドとエイルも三人に合流した。
「うわー、今日も派手にやったねぇ」
「いつもこんなに血まみれになって帰って来るの?暫くいない内にレギンレイヴも過激な部隊になったわね……」
「あはは……」
ヒルドとエイルに呆れを通り越していっそ感心したように言われ、アルヴィトは力なく笑い、スクルドは気まずそうに視線を明後日の方向へ向けている。
「スクルドさんと一緒にいると血まみれになるのは必須の様ですね」
「ちょっ……あたしが血まみれになったのはあんたのせいでしょ!」
「はいはい、二人ともさっさとその格好をどうにかしてきなさい」
不気味な格好のまま言い合いを始める二人に――ほとんどスクルドが一方的に言っているのだが――ヒルドが慣れた様子で二人を半ば強制的に浴場へと送り出したのだった。
***
体に付いた魔物の血を洗い流したスクルドは、久方ぶりに町を訪れていた。
東、西、南に別れている町の中で最も商店が賑わう東部の町中をスクルドは買い物客で賑わう通りを人を掻き分けながら進んでいく。
そして色とりどりの菓子が並べられた露店を見つけてその店へ駆けて行った。
「おじさん!新しいお菓子入った?」
「おお!嬢ちゃん久しぶりだな!今日は嬢ちゃんが好きそうな新商品が沢山入ったぞ」
そう言うなり店主はスクルドの前に菓子を並べる。
「うわっ、この真っ黒いやつ何!?これ食べれるの?」
「心配すんな、これはちゃんとしたグミだ。ユグドラシル味なんだが……まあ味は食べてからのお楽しみだな」
「へー、なんか面白そう!これ買う!あとこれと、これと……」
黒い色をしたグミを始め、スクルドはいくつか目ぼしい菓子を選んで買った。
スクルドは週に何回かこの店に足を運んでいた。そして決まってエインエヤルの施設があるエーリヴァーガルではなく、別の方向へと向かって帰って行くのを菓子屋の店主は毎回不思議に思っていた。
「嬢ちゃん、気になっていたんだが……菓子を買ってからいつも〈魔法の森〉の方に行ってるが、まさか森の中に入ってる訳じゃないよな……?」
店主の言葉にスクルドはギクリとする。しかしそれを気付かれない様にスクルドは明るく笑って見せた。
「まさか~!近くに友達が住んでるからそこに行ってるんだってば!」
「そうか、それなら一安心だ。あの森は一度入ったら二度と出てこれないって噂があるからな。嬢ちゃんも間違っても〈魔法の森〉には近付くんじゃねえぞ」
「うん」
またねと手を振って店を後にしたスクルドは、店から少し離れた所まで走ると大きく息を吐き出した。
スクルドは菓子屋の店主に嘘をついた事に罪悪感を覚えていた。だけど素直に〈魔法の森〉に入ってると答えたら絶対に止められるだろうと容易に想像が出来た。
だけどもスクルドは行く先を変える事はせず、北の方へと足を進めた。
巨大樹ユグドラシルとその根元に湧き出す泉フヴェルゲルミル。
この場所と町を隔てる様に茂る森、人々の間では〈魔法の森〉と呼ばれている場所があった。
この森は一度入ると二度と出てこれないと言う噂があり、実際に入った者は森の外に戻って来れはするものの、森の奥には何故か進めないと話す。巨大樹と泉がある奥へ進もうとするのだが、気付けば森の外に出ていると言うのだ。
そんな言われがある為、いつからか人々はこの森を〈魔法の森〉と呼ぶようになった。
スクルドは森の前に着くと辺りを見回し、他に人の気配が無いか確認してから森の中に素早く足を踏み入れた。
エインエヤルの規則では〈魔法の森〉に立ち入ることを禁止している。その為、森に入った事がばれれば罰則を受けることになる。
スクルドは真っ直ぐに森の中を進んでいく。
月明かりの届かぬ森の中。しかし不思議な事に木々の存在ははっきりと分かる。なので明かりが無くとも小石につまずく事も木にぶつかる事もなく進む事が出来た。
次第に前方で淡い光が木々の間から漏れているのが見えた。スクルドの足取りは早くなり、光が見えた木の間を抜けた。
目の前にはさわさわと葉を揺らす巨大な樹木とその足下に仄かに光を放つ泉が広がった。その泉の上を淡い小さな光が無数に浮かんでいる。
スクルドが初めてその光景を見た時、その光がまるでヒルドの武器に似ていると思い、爆発するのではないかと恐れていたが、この光の主はこの泉に生息するおとなしい生き物だと分かり安堵したものだ。
スクルドは辺りに舞う光の中を泉に向かって進んでいく。淡い光が水面に近付く度にその光を反射してキラキラと輝く泉は、小さな光の生き物と相まってなんとも幻想的な光景だ。
泉の中に根を生やしている巨大樹は太い幹から幾つもの長い枝を伸ばしている。
スクルドはその巨大樹に向かって呼び掛けた。
「シンモラ!お菓子持ってきたよ!一緒に食べよう!」
すると巨大樹の後ろから白いワンピースを着た少女が顔を出した。
「スクルド!最近来てくれないから寂しかったのよ!」
少女は嬉しそうにスクルドに駆け寄ると、スクルドの手を取り巨大樹へと連れていく。
二人は巨大樹にたどり着くと、その太い幹に登り始めた。二人は器用に太くしっかりと伸びた枝まで登るとそこに腰を下ろした。
二人が座った枝は巨大樹の枝の中でも一番下の方だが、それでも十分泉の周辺を見渡せる程の高さだ。
〈魔法の森〉を抜けるとそこにはユグドラシルと呼ばれる巨大樹とフヴェルゲルミルと言う泉がある。ただこの森を抜けた者は今だかつて現れていなかった。
なのでこの場所にたどり着けたのは自分だけではないかとスクルドは思う。
そしてこの場所に訪れるといつもいる不思議な少女。彼女は初めてスクルドがこの場所に来たときから何の警戒もせずに笑顔でスクルドを迎えてくれた。
スクルドは彼女の名前以外、何も知らない。それでもスクルドは気にしなかった。何故か、何故そう感じるのかは分からなかったが彼女からは優しく見守られているような、そんな感じがした。
シンモラと話しているだけで不思議と心が休まる気がする。
「ねえシンモラ、今日はちょっと面白いお菓子買ってきたんだ」
スクルドは先程買ってきた菓子が入った袋を開け、中から真っ黒いグミを取り出してシンモラに渡す。手のひらに乗せられた黒い物体にシンモラが青い瞳を丸くする。
「これ……本当にお菓子なの?どんな味がするのか想像がつかないわね」
「これ、ユグドラシル味らしいよ」
そうは言ったものの、ユグドラシルなど食べたことがないスクルドはシンモラと同じ様にこの謎の菓子の味が想像出来ない。以前ヴェルサンディにユグドラシルの葉や木の皮は薬に使われていると聞いたことがあるが、味については特に言ってなかった。
「ねえ、シンモラが先に食べてよ」
「ええ!?スクルドが買ってきたんだからスクルドが先に食べて!」
その美味しそうに見えない黒色とユグドラシル味と言う未知の味に二人は中々口に入れる事が出来なかった。
「じゃあ二人で一緒に食べよう!せーので口に入れるからね!せー……」
「ちょっと待って、スクルド」
グミを口に入れようとしていたスクルドをシンモラが止める。スクルドがシンモラを見ると、シンモラは手のひらのグミではなく森の方へ視線を向けていた。
「お客さんが来たみたい」
その言葉にスクルドも森へと視線を向ける。だがスクルドにはシンモラの言う「お客さん」が一体何を指しているのか分からない。目を凝らしても、木々の間には闇しか見えない。
シンモラは森を誰が歩いているのか分かる様だった。相変わらず笑みを浮かべながら森を眺めている。
スクルドが暫く目を凝らして見ていると、森の中から人影が出てくるのに気づいた。
その人物はこの場所の明るさに目が眩むのか、手をかざして歩いてくる。
そしてその手が下ろされた時、スクルドは「えっ」と声を漏らした。
森から現れたのはアルヴィトの姿だった。