戦場の黒蝶の復帰
しん、と静まり返る暗闇の中に対になった赤い光が前後左右に点在している。その赤い光達は囲い込んだ中心の人物を徐々に追い詰めて行く。
ひゅんっと風を切る音がしたと思うとそのすぐ後に凄まじい打撃音が立て続けに響いた。
囲まれていた筈のその人物は赤い目をした魔物を次々と足で蹴り飛ばし、急所を突き、踵を落として地に叩きつけていく。
その動きはまるで黒い蝶が舞っている様だ。
気付けば四体いた筈の魔物はものの数分で屍と化していた。ただの塊となった魔物は霧のように黒く霧散していった。
すると辺りに明かりが灯る。明るく照らされた事でここが一体どこであるのかが明確になる。
そこは四角い部屋だった。四隅に火を灯したランプが置かれただけでなにもない、ただの部屋だ。
その部屋の中心に立つ一人の女の姿がある。
オリーブ色の緩くウェーブのかかった肩までの髪に黒色の制服。ほっそりとした体つきからは先程まで四体の魔物を足技のみで倒したとは想像出来ない。
女が一息ついた時、後方で女の名を呼ぶ声が聞こえた。
「エイル!もう足は大丈夫なの!?」
「スクルド!ええ、お陰様で足はこの通りよ。私もそろそろ復帰しないとね」
「じゃあエイルもシグルド隊長に呼ばれたの?」
女が名を呼ばれた方へ視線を向けると、部屋の入り口から長い銀髪を二つに束ねた少女がこちらへ駆けつけて来るのに気づく。スクルドにエイルと呼ばれた女もまたレギンレイヴの一人だ。
エイルがニコッと柔らかく微笑んで言うと、スクルドは安心したように息を吐いてから直ぐに破顔する。
すると部屋の入り口から賑やかな声が聞こえて来る。入って来たのはヒルドとフリスト、アルヴィトの三人だ。
エイルの姿を見つけるなり、ヒルドが驚きの声を上げる。
「エイル!その格好ということはもうレギンレイヴに復帰出来るのか?」
「ええ、今日からやっと戻れる事になったの。腕が鈍ってないか不安だったけど、さっき練習したらだいぶ感覚を取り戻したわ!」
「うわっ、練習用の魔物がもう空っぽじゃないっすか!確か一部屋に百体はいる筈っすよね……」
エイルが戦っていたのは人工的に作り出した魔物である。魔物の強さは五段階で調整ができ、それぞれの訓練場に百体ずつ用意されているのだが、エイルはたった一人で五段階のうち最も強いレベル5の魔物を一匹残らず倒してしまったようだった。
フリストは壁に付けられた計測機を見て目を見開いた。
赤く〈0〉と表示された隣に、戦闘時に計測した数値が各項目ごとに表示されているのだが、攻撃力、敏捷、命中率が百六十という数値を叩き出していた。
通常、エインエヤルの平均値はどの項目も数値は百前後である。それをエイルは六十も越えている。
エイルは以前、魔物によって足を負傷し、長期に渡って戦場から遠ざかっていた。
負傷する前も周りのレギンレイヴに劣らずの戦闘力を誇っていたが、長期のブランクにも関わらず、こうして以前と変わらぬ戦闘力……むしろ以前よりも戦闘力が上がっているのではないかと思える程の数値は長期の療養を余儀なくされたエイルの並々ならぬ努力の成果と言えた。
フリストの隣にやって来たヒルドもそのエイルの数値を見て顔を青くしている。
「ねえ、エイル……もしかして怪我する前よりも強くなってるんじゃないか……?」
「そうかしら?でも私の武器、改良してもらってからとても使いやすくなったわ」
そう言ってエイル自身はそれ程強くなっていると実感してないのか、うふふと笑いながら足の爪先で床をトントンと軽く叩いた。
ふと、エイルは自分達の後ろの方にいるアルヴィトに気付いて目を輝かせる。
「貴方がアルヴィト君ね!噂は聞いているわ。エイル・ウインディよ、私もレギンレイヴの一人なの。よろしくね」
「はい!今日からよろしくお願いします」
アルヴィトが緊張した面持ちでエイルに頭を下げる。そんな姿にエイルは驚いて目を丸くする。
「あら、たった半年でレギンレイヴに入ったって言うからどんな子かと思ったらとても礼儀正しいのね!てっきりスクルドみたいな子を想像していたわ」
「ああ、わかるわかる!俺もスクルドみたいに荒くれ者かと思ってたからなあ」
「ちょっとヒルド、それってどういう意味!?」
「いてっ!ちょっ、何で俺だけ殴るんだよ!」
すると賑やか話し声を打ち消す様に、部屋の中に低く威厳のある声が響く。
「皆揃ったようだな。知っての通り、アルヴィトの加入とエイルの復帰が今日からとなる。それに伴い部隊の編成を大幅に変える。それには個々の能力を再確認する必要がある。その為これから一対一の模擬試合を行う。先ずはアルヴィトとスクルド、お前達からだ」
名前を呼ばれ、アルヴィトとスクルドは互いに顔を見合わせた。スクルドの瞳は既に闘志でみなぎっている。
「あんたには負けないんだからね」
「……はい、僕も負ける気はありませんよ
」
ギラギラした視線を向けるスクルドに対し、笑顔で返すアルヴィトだが、その顔に先程までの温厚な雰囲気は欠片も残っていない。
二人は間隔を空け、向かい合った。
アルヴィトは右手の腕輪を腕を覆う爪に変化させ、スクルドは両手のグローブを硬質化させる。
今までのニコニコとした優しげな様子とは一転して闘志を放つ真剣な顔つきのアルヴィトにフリストが感心した声を漏らす。
「アルヴィトの奴、さっきとはまるで別人だな」
「確かに、あれで若干十五歳と言うのだからとんだ逸材だな。これからの成長が楽しみだ」
突然聞こえてきた中低音の声にスクルドとアルヴィト以外のレギンレイヴ達が一斉に声の方へ振り向く。
「ウルド!?最高司令官ともあろう者が何でこんなところにいるんだよ!」
「ヒルド、私だって史上最速でレギンレイヴ入りしたエインエヤルがどんな奴なのか気になっていたんだ。その新人が模擬試合を行うと聞いていてもたってもいられなくなってな」
声の主はエインエヤルの中で最も高い地位ある最高司令官のウルド・ノルンだ。
輝く様な長い銀髪を緩く編み、見つめられたら吸い込まれそうな程、澄んだ明るい茶褐色の瞳とその瞳を髪色と同じ色の長い睫毛が縁取っており、きりりとした眉と形の整った鼻梁が美しさの中に凛々しさと勇猛さを兼ね備えている。
彼女はスクルドとヴェルサンディの姉であり、ヒルドとエイルの同期である。そして元はレギンレイヴに所属していた。
「ウルド、仕事は良いのか?」
「ああ、エインエヤルの実力を把握しておくのも大事な仕事だ」
適当に理由を付けて居座るのを決め込むウルドに、やや飽きれ気味にシグルドは溜め息をつく。けれどもウルドは気にした様子もなく、今まさに目の前で行われようとしている模擬試合に視線を向けている。
「二人とも、用意はいいか。これより模擬試合を開始する」
シグルドが気を取り直して向かい合うスクルドとアルヴィトに視線を戻す。すると辺りが水を打ったように静まり返る。
「始め!!」
シグルドの号令と同時に、アルヴィトとスクルドは一斉に動き出した。