第三十二話
「だって……」
『モモタロ』のおばあちゃんは、お店ではいつもまあるいメガネを掛けてて、
三角巾と割烹着姿で、そんな高そうな着物なんか着てないし……。
それに、
「……いつもはそんな喋り方じゃないよね?」
お店ではもっとチャキチャキしてて、今みたいにおっとりした話し方はしない。
「あの格好をすると自然にああなっちゃうのよ。
商売人モードになるのかしらねえ」
おばあちゃんは口に手をあてて上品に笑った。
「…………」
お店ではいつも大口開けて笑ってるよね?
朝吹のおばあさんと『モモタロ』のおばあちゃんが同一人物?
どういうこと?
頭の中がグルグルしてきた。
「……おばあちゃん、どこか悪かったの?
お店、ずっと閉まってるから心配してたんだよ?
病気で入院でもしてるんじゃないかって……」
聞きたいことはたくさんあったけど、
とりあえずずっと気になっていたことを聞いてみた。
「え?ええ、ちょっとね」
おばあちゃんは僕の質問に目を泳がせた。
「店で業務用の砂糖袋をひとりで持ち上げようとして、ギックリ腰になられたんですよ」
後ろの男のひとがおばあちゃんの代わりに答えた。
「は、速水!」
「紳一郎様と望様の結婚が決まってそれはもう大喜びで、はりきりすぎたんですね。
お年も考えずに無理なさって……。おかげでおふたりの結婚パーティも出席できなくなったんですよ?情けない姿で皆の前に出るのは嫌だと仰って」
「速水!バラすんじゃありません!」
「……申し訳ありません」
男のひとは笑いをこらえながらお辞儀をした。
……思い出した。
このひと、あのパーティで桃まんじゅうを勧めてくれたボーイさんだ。
あの時のことを思い出しながらじっと見ていると、それに気づいたのか彼がニコッと微笑んだ。
「何をふたりで見つめあってるんだ?」
隣から不機嫌そうな声が聞こえた。
「べ、別に……」
チラリと紳一郎さんを見たら、相変わらず仏頂面をしている。
「おばあさま、さっきから何の話をされてるんです。
僕達にもわかるように説明してください。
以前から望君のことはご存知だったってことなんですか?」
おばあちゃんはもったいつけるようにゆっくりと紅茶を飲んだ。
「実は私、去年の秋からお店を始めたのよ。
桃まんじゅうのお店で『モモタロ』って言うの」
「モモタロ?」
「そう、私の名前の『百代』とおじいさんの『一太郎』からとったのよ?
いい名前でしょ?」
「…………」
「去年からなかなか所在が掴めないはずですよ。
てっきりいつものように海外で別荘巡りでもされてるのかと思っていたのに」
香月さんが呆れたように言った。
「紳一郎、おまえ知らなかったのか?」
「……ああ。今、初めて聞いた」
「旅行も飽きたし、かといって家に居てもすることはないし、
息子も孫も忙しくて、ほとんど顔も見せてくれないしねえ……」
おばあちゃんが淋しそうに言うと、紳一郎さんと香月さんは気まずそうな表情になった。
「このままお迎えを待つだけの味気ない生活は嫌だなあと思ったのよ。
私のような年でも立派に働いてるひとはたくさんいるんだし、
大好きな桃まんじゅうのお店を始めることにしたの。
生活がかかってるわけじゃないから、道楽だと言われても仕方ないけどね?」
おばあちゃんは悪戯っぽい声で言った。
……確かに他の店に比べたら営業時間は短いし、定休日も多いお店だ。
「望ちゃんが初めてお店に来てくれた日のことはよく覚えてますよ。
恥ずかしそうにモジモジしながら入ってきたわね?可愛かったわ」
「……………」
おいしい桃まんじゅうのお店が出来たって噂を聞いて、初めて『モモタロ』に行った時は、
お店の中に近くの高校の女子生徒がたくさんいて圧倒されたんだ。
僕、ずっと男子校だから免疫がなかったんだよ……。
あの時は勇気を振り絞ってお店に入ったんだ。
「私のおまんじゅうを気に入ってくれて、お店に何度も来てくれるようになったでしょう?
話をしてみたら、素直で、さっきみたいに私の体を気遣ってくれるいい子だし……。
店にはいろんな女の子が来るけど、望ちゃんほど可愛い子はいませんでしたよ。
どうしても朝吹の家に迎えたくなってしまったの。
都合のいいことに孫の紳一郎はまだ独身で、決まったひとはいないようだったし、
この際ふたりを一緒にさせようと思ったのよ」
……おばあちゃん、僕の性別のことは考えなかったの?