第三十一話
「俺と入れ替わりに、今度は親父が向こうに行くことになってね。
留守の間彼女をひとりにするのは心配だから、ここで預かってくれと頼まれたんだ」
紳一郎さんが尖った声で説明した。
「俺は『平気で身重の愛人を花嫁に紹介する無神経な男』だと思われたのか。
……君は俺のことを信じていなかったんだな」
「ごめんなさい」
小さな声で謝ったけれど、紳一郎さんは何も言ってくれなかった。
……怒ってるんだ。
「ふん。誤解される方にも問題があるんだ。
何しろおまえは、複数の恋人と同時につきあえる器用な男だからな。
それに、今更そんなことどうでもいいじゃないか。
どうせ離婚するんだろ?」
「龍二、おやめなさい」
今まで黙って話を聞いていたおばあさんが、香月さんを窘めた。
「あなただって、けして褒められた性格じゃありませんよ?
子供の頃から紳一郎が持っている物ばかり欲しがって、手に入れた途端すぐに飽きてポイ。
今でもそのクセは治っていないそうね?」
香月さんは子供みたいに唇をへの字にした。
「……おばあさま、僕のことはいいでしょう。
大体、望君がこんな目にあったのは、もとはと言えばおばあさまが悪いんですよ?
妙な方法で紳一郎の花嫁を選んだりするからじゃないですか」
「だって、どうしても望ちゃんを紳一郎のお嫁さんに欲しかったのよ」
え?
思わず顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべているおばあさんと目が合った。
僕はその笑顔に何か引っかかるものを感じた。
それに、今のはどういう意味?
「そうそう、望ちゃんにお土産があるのよ。すっかり忘れていたわ。
速水、あれを」
「はい」
後ろに控えていた男のひとが返事をして、紙袋をおばあさんに渡した。
いつのまにかサングラスをはずしていて、ハンサムな顔が現れている。
……気のせいかなあ?
このひと、前に会ったことがあるような気がするんだけど。
「はい、まだあたたかいわよ」
おばあさんが紙袋から取り出した包みを僕に渡してくれた。
こんな雰囲気の中でいいんだろうか?
……なんだか暢気なひとだなあ。
「あ、ありがとうございます……あれ?」
この包装紙にはすごく見覚えがある。
桃のイラストと店名がプリントされているこれは、
僕がいつも桃まんじゅうを買いに行ってる『モモタロ』の包装紙だ。
「お店は来週から開けるつもりなんだけど、望ちゃんの為に特別に作ったのよ」
「え?」
僕は今の言葉の意味を考えながら、包みとおばあさんの顔を何度も見比べた。
そして、
10秒ほどおばあさんの顔を見詰めた後、おそるおそる尋ねてみる。
「……もしかして、おばあちゃん?」
「気がつくのに随分時間がかかったわねえ、望ちゃん」
『モモタロ』のおばあちゃんが、呆れた顔で僕に言った。