第三十話
「おばあさま!」
香月さんが慌てた様子でおばあさんに駆け寄って行った。
「一体今までどこにいらしたんですか!?
別荘で静養されてると聞いてたのに、どこにもいらっしゃらないし、捜したんですよ!?」
「知り合いの温泉旅館でのんびりしていたのよ。
別荘なんかにいたら見舞客の相手が面倒ですからね」
おばあさんはおっとりと言った。
このひとが、朝吹のおばあさん?
想像していたひとと違うなあ。
小さくてかわいいおばあちゃんだ。
朝吹家で一番偉いみたいだから、もっと怖そうな感じのひとだと思ってた。
「紳一郎?」
「……はい」
紳一郎さんが気まずい顔で返事をする。
「話は中で聞かせてもらいますよ?」
「………」
ニコニコしてるけど、有無を言わさない感じ。
やっぱり、怖いひとなのかな?
「呆れてものが言えないよ」
香月さんが低い声で言った。
紳一郎さんはふてくされたようにして、行儀悪くソファーにもたれかかっている。
僕達は応接室に場所を移した。
僕の隣には紳一郎さん、その隣には女のひとが座っている。
……嫌な構図だなあ。
紳一郎さんを挟んで本妻(僕)と愛人が並んでるなんて。
正面のソファーにはおばあさんが座っていて、両隣には香月さんとアンリさんがいる。
おばあさんの後ろには、サングラスを掛けた若い男のひとが控えていた。
車寄せにおばあさんが乗ってきたらしい車が止まっていたから、このひとが運転してきたんだろうな。
ドアの近くには秘書のひとが立っていて、いつもの無表情に戻っている。
芦川さんやメイドさん達はお茶の用意が済むと部屋から出て行ってしまった。
なんだか心細いな……。
皆がソファーに落ち着くと、紳一郎さんは結婚までの経緯を何もかもバカ正直に話してしまった。
まるでヤケになっているみたいだ。
あれから一度も僕の顔を見ようとしないし……。
「父親の会社の件で脅して無理矢理自分の花嫁にしたってことか。
つまり、望君の人生を、朝吹の権力で買ったんだな?
……援助交際より性質が悪いじゃないか」
香月さんの言葉に、紳一郎さんの眉がピクリと動いた。
「リ、リュウ、その単語はNGだよ?」
アンリさんが慌てて窘めると、香月さんはハッとした顔で僕を見た。
「いや、今のは望君を侮辱したわけじゃないんだ。
すまない、失言だった」
「いいえ……」
そうだよね。
僕がやってることは、援助交際と変わらないんだ。
お父さんの会社と僕の体を引き替えにしたんだから……。
「望は被害者だ。全部俺が悪いんだよ。何とでも言ってくれ。
望とは離婚して実家に返す。……どうやら嫌われているみたいだからな。
もちろん、彼の父親には何もしない。
これでいいだろう?」
「え?」
僕は思わず紳一郎さんの方を見た。
さっきは離婚は許さないって言ってたのに……。
紳一郎さんはかたくなに僕の方を見ようとしなかった。
香月さんはそんな僕達を見て溜息をついた。
「嫌われるのは当たり前だろ?
卑怯な手段で望君を自分のものにしたうえに
平気な顔で身重の愛人をここに連れてくる無神経なヤツなんてさ」
「何?」
「あのう、皆さん何か誤解なさってるようなんですけど……」
女のひとがオズオズと声をはさんできた。
「お腹の子の父親は、あの……」
彼女はおばあさんの方をチラチラと伺いながら、言いにくそうにしている。
そんな彼女に代わって紳一郎さんが言った。
「親父の子だよ。彼女は親父の恋人だ」
「「「ええっ!?」」」
僕と香月さんとアンリさんの叫び声が重なった。
「……まさかおまえ達、彼女が俺の愛人だと思ったんじゃないだろうな!?」
紳一郎さんは怒りを抑えたような声で言ってから、初めて僕に視線を向けた。
こっちを見てくれたのはいいけど、凄く怖い顔をしている。
目を合わせられなくて、僕は俯いてしまった。
そういえば、紳一郎さんのお父さんってマンションで女のひとと一緒に暮らしてるって言ってたっけ。
こんなに若いひとだとは思わなかった。
なんだ……。
僕の勘違いだったんだ。
よかった。
……でも、
紳一郎さん、さっき僕と離婚するって言ったよね?
僕も離婚してくださいって言っちゃったし……。
これって離婚成立?