第二十八話
玄関の扉を開けてもらって外に出ると、丁度車寄せにピカピカの黒い高級車が滑り込んできたところだった。
よかった、間に合った。
ここはお屋敷の門から玄関までの距離があるから、こういう時助かるよ。
助手席から秘書のひとが降りてきて、後ろのドアを開けた。
「あれ?」
紳一郎さんが出てくるのかと思ったら、若い女の人だった。
誰だろ?
涼しげなブルーのワンピースを着たほっそりしたひとだ。
反対側のドアから紳一郎さんが降りてきた。
そのまま女のひとのところに行って、手に持っていたカーディガンを彼女の肩にかけた。
「芦川さん、あのお客さん、どなたですか?知ってるひと?」
僕は隣に立っている芦川さんに尋ねてみた。
「お見かけしたことがあるようなないような……。
えーと、どなただったかしら?ああっ!ここまで出てるのに!」
「……綺麗なひとだね」
紳一郎さんと並ぶと、すごくお似合いに見える。
じっと見ていると、女のひとが僕に気づいて、紳一郎さんに何か言った。
紳一郎さんが振り返ってこっちを見たので、ついペコリとお辞儀をした。
ふたりが僕の方に近づいてくる。
紳一郎さんは僕の前まで来ると、柔らかく微笑んだ。
「わざわざ迎えに出てくれたのか?嬉しいな。
ただいま、望」
「お、お帰りなさ」
「きゃっ!」
紳一郎さんの隣に立とうとした女のひとの体が前に倒れそうになった。
「おい!大丈夫か?気分が悪くなったのか?」
慌てて彼女を支えた紳一郎さんが、焦った声で言った。
「ごめんなさい。ちょっと躓いちゃって……」
「まったく、ヒヤヒヤさせるなあ。君ひとりの体じゃないんだぞ」
「はい。気をつけます」
「君もわかっていると思うが、その子は朝吹の家を継ぐことになるんだ。体を大事にして、丈夫で元気な子を産んでくれよ」
え?
女のひとは困ったような顔で、お腹に手を当てている。
僕はその意味がわかって、頭の中が真っ白になった。
「望君」
誰かが僕の肩に手を置いた。
「あ……」
それは険しい表情をした香月さんで、
その横にはアンリさんもいて、心配そうな顔で僕を見ていた。
「少しやすんだほうがいい。すぐに君の部屋を用意させるよ」
紳一郎さんは女のひとから手を離すと、僕の方に向き直った。
「望、紹介するよ。彼女は。
……おい、なんでおまえがここにいるんだ?」
それに、なんだその手は」
香月さんに気づいた紳一郎さんが、冷たい声で言った。
「紳一郎、おまえってやつは……。
結婚したばかりで、いくらなんでも早すぎるだろう!
望君を馬鹿にしているのか!」
「何のことだ?いいからその手をどけろ!
望、こっちに来なさい!」
紳一郎さんの声は、今までに聞いた事もないような強い口調だった。
僕の足は動かなかった。
さっきまで、女のひとにはあんなに優しい笑顔を向けていたのに……。
なんで、そんなに怖い顔をするの?
僕……
香月さんから跡継ぎのことは聞いてたから、
いつかこんな日が来るんだろうな、とは思ったけど……。
その時は覚悟しなくちゃって思ったけど。
まだ、心の準備ができてないよ。
香月さんじゃないけど、いくらなんでも早すぎるよ。
愛人はつくらないって言ったのはついこの間なのに、愛人どころか赤ちゃんまでもうつくってるじゃないか!
「望!」
苛立った声で名前を呼ばれて、僕は俯いていた顔を上げた。
「の、望?」
紳一郎さんの焦ったような声が聞こえた。
返事をしなくちゃいけないのに、喉が詰って声が出ない。
それに、なぜか目が潤んできて紳一郎さんの顔がぼやけて見える。
「シンイチロウ、見損なったよ」
「紳一郎様、あ、あんまりです!望様がお気の毒ですわ!」
「こんな純粋な子に、なんて酷い仕打ちをするんだ。
こんなヤツが従兄だなんて、恥ずかしいよ!」
香月さん達が口々に紳一郎さんのことを責め立てている。
「おまえたち、何を言ってるんだ?
どうして、望は泣いてるんだ!!
誰か説明してくれよ……」
困ったような紳一郎さんの声が聴こえるけど、どんな顔をしているのかわからない。
どうしよう、涙が止まらないよ。