第十七話
「失礼致します」
ノックの音がしてメイドさんが入ってきた。
「紳一郎様、秘書の方はお車でお待ちになるそうです」
「……ああ、時間か。
悪いが、今から社に戻らなければならないんだ。
今夜も遅くなるだろうな……」
紳一郎さんは腕時計を見て、溜息をついた。
なんだ。
また会社に戻っちゃうんだ……。
あれ?なんだろ、このガッカリ感は。
「あいかわらず、忙しそうだねえ。
ちょっと痩せたんじゃない?」
「ここ一ヶ月、スケジュールが目一杯詰まってるんだ。
おかげで、望と過ごす時間が全然とれない。
秘書に文句を言ったら、いきなり結婚を決めたりするから調整ができなかったんだと怒られたよ。
……まあ、来月ぐらいには余裕が出来るだろう。
さて、行くか。
アンリ、もう用事は済んだからおまえもさっさと帰れ」
紳一郎さんが手で追い払う仕種をすると、アンリさんは唇を尖らせた。
「冷たいなあ。
もっとノゾミと話したいのに……。
そうだ、ノゾミ、庭を案内してくれない?
朝吹邸の庭と温室は、海外でも有名なんだよね」
「え……僕がですか?」
無理だ。
この間、庭師のひとに案内してもらったけど、
ここのお庭は植物園みたいに広くて、どこをどう歩いたのか全然覚えてない。
「何考えてるんだ。図々しい奴だな。駄目に決まってるだろう!」
「……やっぱり駄目か。
わかった。今日は諦めるよ。
ノゾミ、会えて嬉しかったよ。
ああ、そうだ。今度、朝吹家の家宝の指輪を見せてくれないかなあ。
もちろん結婚パーティではお披露目したんだよね?
最高級のダイアモンドで、噂によると軽く億の値がつくとか」
「お、億!?」
家宝の指輪なんだから高いんだろうなーとは思ってたけどそんなにするの?
そんな高価なものを桃まんじゅうなんかに忍び込ませるなんて、
なくしたらどうするんだよ。
朝吹のおばあさんってチャレンジャーだなあ。
うっかり飲み込んだりしなくてよかった。
紳一郎さんが立ち上がったので、僕もつられるようにして立った。
ちゃんとお見送りしないとね。
「ああ、見送りはいいよ。まだ着替えてもいないじゃないか。
今日はこんなヘンタイ男につきあわせて悪かったな」
紳一郎さんはそう言って僕の頬を優しく撫で、唇を重ねてきた。
アンリさんが目の前にいるのに!
メイドさん達もまだこの部屋にいるんだよ!!
焦っている僕をよそにキスはどんどん深くなっていく。
窒息しちゃうよ!
紳一郎さんがやっと唇を離してくれた時には、僕はもう失神寸前だった。
「君達~みせつけないでくれよ」
「うらやましいだろ?おまえも早くまともな人間になって嫁をもらうんだな。
それじゃ、望、行ってくるよ」
「また会おうね。ノゾミ」
紳一郎さんとアンリさんは応接室から出ていってしまった。
僕はまたソファーに座りこんでしまった。
ただでさえ紳一郎さんにキスをされると、頭の中がふわふわして、
胸がドキドキするんだ。
それなのに、あんなハードなキスをされたら、体中の力が抜けちゃって……。
「…………」
僕は、この結婚を1年間我慢したら、さっさと離婚して実家に帰るつもりだった。
だって、紳一郎さんは僕を脅して結婚を強要するこわいひとなんだ。
そんなひと、好きになるはずがないと思ったんだ。
でも……。
朝の短い時間にしか紳一郎さんと会えないのはなんだか淋しいなと思ったり
抱きしめられたりキスされたりするとドキドキしたり
紳一郎さんと付き合っていたひとのことが気になったり
これって………
もしかしたら僕、紳一郎さんのこと好きになっちゃったのかな?