蝶と庭と 一夜目:1
現在70,000字で執筆を中断しています。
投稿しているこの物語は初めの1,500字のみです。
これは儚い幻想のお噺。
◆
青いジニアの花が、微かなオルゴールを聴いている。
緩やかに瞼を持ち上げれば、その目覚めを祝福してくれる。眩しさに身動ぎすれば、仄かなベチバーが鼻をくすぐる。
朝が訪れる。
ベールの隙間から見えるテラスウィンドウはエメラルドを纏い、草木はそれをピアスにして美しくドレスアップしていた。
きれい。感嘆を漏らすと、彼女たちはそれに応えて踊ってみせた。煌めく宝石を鳴らすその姿は、オルゴールのように優しかった。たった今まで、穏やかな眠りについていたというのに、また、夢へと誘われてしまいそうになる。温かな巣を後にするのは名残惜しいけれど、起きなくてはならない。
途端に、オルゴールはラメントを奏でる。わたしはそれを傍目に、身を起こす。柔らかな殻をはだけ、青い翅を伸ばす。白髪の彼女の香りが優しく包む。殻を丁寧に畳み、腕に抱えれば、彼女の温もりが伝わってくるようだった。
テーブルには無造作に閉ざされた物語に、冷めたミルクが置いてある。重く返された頁を幾らか捲ってみるけれど、覚えのある文字は未だ見えてこない。仕方なく、直近の節に印を折り、カップに手を伸ばす。
その隣に置いてあったベルフラワーのエバーラスティングに目がついた。桜のリボンを結んできれいに圧されたこの花は『栞』と云うらしい。本に挟んでいつでも物語を続きから歩めるようにするものだと聞いた覚えがある。
――なんて、なんて、優しく静かで、残酷な発想なのだろう。
儚く短い命をもつ花の、その美しい姿を、永遠の徴として留め置こうとする心。物語の途切れに、忘れぬよう挟むのがただの紙切れではなく、たったひとひらの記憶を宿した花であることが、たまらなく愛しい。それはまるで、読んだ者と物語の間に小さな秘密を結ぶようで、頁を繰るたびに、ふとその柔らかな記憶が胸の奥をそっと撫でるに違いない。
それに、このベルフラワーの花言葉を、ふと思い出す。感謝、誠実、大切なひと――。
誰かがこれを、わたしのために選び、リボンを結んでくれたのだとしたら。その指先が、どんな想いでこの小さな花を閉じたのだろうと想像する。
けれど、それと同時に、魂は滅んだのにも関わらず永遠囚われ、帰ることすら赦されないその運命に心が痛む。
やけに重く感じる書を開き、垂れた頭を撫でる。お詫びと言わんばかりにソレを優しく挿しこんで。
碧い、碧い部屋を見渡して、テラスウィンドウに手をつける。
つめたい。
歌劇場の特等席ですら満足できず、ウィルダネスの踊り子たちを見つめる。淡い光は彼女たちをよりいっそうに艶かしく映しだし、目を離したくなくなってしまう。そのもの静かな激情は帳から、衣服から。なにもかもを燃やしてしまえそうに思う。テラスウィンドウに垂れ下がる夢のベールを剥がしてみれば、もし、「希望」というものを絵に描くのなら、こんなふうになるのだろうと思わせる。光は薄暗い部屋をまっすぐにつきぬけて、世界に初めて色がつく。
空はまだ夜の気配を残して、フローライトのようだった。朝のひばり、この数分間の決して実ることのない恋に、真珠のような愛を歌う。その儚くも美しく、力強いメロディは雨のように心を潤してくれる。夜明けの光の中に溶け込んでいく歌声は、まるで高貴な乙女が孤城のタレットの中でその満たされない愛を癒そうとしているかのように――。




