蝶と庭と 一夜目:8
夜の帳が降りて、庭は薄闇に沈んでいた。
あたりはしんと静まり返り、遠くの森の方から、梟の低い鳴き声がひとつ。
月光が森を柔らかく包み、静寂のなかに銀の葉が揺れる夜。わたしは、薄青い霧の中をひとり歩く。細かな星々が枝葉の間に宿り、闇はまるで淡いヴェールのようだった。花々はもう夜露をまとい、月光を受けて淡く鈍い輝きを放つ。葉の上には小さな雫が宿り、それが風に揺れて、微かな音を立てる。長い銀の髪が風にふわりと舞い、薄絹のドレスの裾が草の上を撫でる。蝶たちの羽音も消え、花の香りさえ眠りについた静かな夜には、彼女の吐息さえも、音をもたらす。
わたしは、なぜか導かれるように、誰も近づかない泉の畔へと足を踏み入れていた。
泉には古びた石造りの建物があり、まるで忘れ去られた鏡のように、夜空の星を映し込んでいる。時間さえも止まってしまったかのように水面は凪いでいる。
夜の闇の奥から、ひとつの影が姿を現す。
靄のように曖昧で、それでいて確かにそこにいる存在。それがアナタだった。
髪は夜闇のように揺れ、纏うドレスは深緑と黒の織り成す影。その瞳はわたしのものと同じ輝きを持ちながら、深い哀しみと諦めの色を湛えていた。夜闇に染められた黒髪は夜の帳と同じ色をしていて、肌は青白く、まるで月に照らされた水面のよう。その瞳だけは暗闇の中で静かに光を宿し、ティターニアを見つめていた。
「……こんな夜に、ひとり?」
声は風に溶け込むように静かで、甘さと冷たさが同居している。わたしは一瞥もしない。けれど、その存在には気づいている。黒い水面に目を落とせば、月の光も映らぬ虚妄は闇の鏡。わたしの顔だけを、曖昧に映し出す。そして隣に、ありえないはずのアナタの姿が映っていた。鏡のように似ているのに、どこか違う。薄闇のようなその人は、咲った。その笑みは夜の奥底に沈むように、静かで、翳りを帯びていた。
「孤独な庭ね。花も、蝶も美しいけれど……音がないのね」
風が二人の間を通り抜け、薄青の花弁をひとひら運んできた。その花弁はティターニアの肩に落ち、そこに小さな跡を残す。
「孤独は悪くないわ。誰もいない庭で自分の声だけを聴く夜。それがどれほど甘美かわたしは知ってるはず」
泉に落ちた花弁が水面をわずかに揺らし、星の光が砕ける。
「私はわたし。アナタが棄てた夜のかけら。夢の隙間、涙の裏。どんな庭にも私の居場所は残されているのに……」
アナタはわたしの肩を撫でる。抑え込んでいた孤独が、恐怖が。波濤となって溢れ出す。
「いやっ!」
泉の星が、夜空が。ガラスのように砕けていく。
「かわいそうに……」
アナタはわたしに聞こえない、静かな音を呟いた。
暗く、深く、冷たい場所。音のない、誰も知らない夜。
ひとり、力ない少女がすすり泣く声だけがこだました――。
◆ 次節 白昼夢 ◆
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