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第7話「はじめてのおつかい」

一週間後。 爽やかな朝の陽ざしが差し込む屋敷の庭で、俺は洗濯物と格闘していた。といっても、タライでゴシゴシ手洗いするわけではない。


「『念動』『小瀑布』『効果付与』」


俺が指をくるくると回すと、宙に浮いた巨大な水の球体の中で、俺とリナの服が洗濯機も真っ青の勢いで回転する。 汚れは遠心力と水に付与した洗浄能力によって瞬時に消滅。


「続いて『神風』」


ゴォォォォォ!!

ドライヤーの親玉のような風を浴びせ、脱水と乾燥が完了。 所要時間、わずか30秒。


「ふっ、他愛ない……」


俺が畳んだ洗濯物をカゴに入れていると、リビングの窓から不機嫌そうな顔が覗いた。


「ユウト~、お腹空いたー」

「はいはい、今行きますよ」


世界最強の家政夫は、今日も今日とて家事に勤しむ。

キッチンへ戻り、エプロンを締め直す。


「で、お嬢様、お昼は何がよろしいでしょうか」

「昨日の夜、アンタが言ってたやつ。オムライスだっけ? それがいい」


オムライス。日本発祥の洋食の王様だ。

ケチャップライスをふわとろの卵で包み込む、あの黄色い至宝。 俺も久しぶりに食べたくなってきた。


「了解です。えーっと、材料は……」


俺は『無限収納(イベントリ)』もとい冷蔵庫代わりにしている亜空間――の中身を確認する。ちなみに、屋敷にある冷蔵庫は魔石が勿体ないという理由で使われていない。

米、よし。鶏肉、よし。玉ねぎ、よし。トマト、よし。調味料、よし。 そして肝心の卵も――


「……あ」

「なによ」

「卵、切らしてます」


今朝、目玉焼きにして全部使い切ったのだ。


「えー……」


リナが露骨に嫌そうな顔をする。美しい顔が台無しだが、その食い意地だけは尊敬に値する。


「買いに行きたいんですけど、今ちょうど煮込み料理の仕込み中でして、火から離れられないんですよね」


嘘ではない。コンロでは夕飯用の『ギガント・ボアの赤ワイン煮込み』が佳境を迎えている。全知全能による完璧な火加減コントロールは必須だ。


「卵を産むスキルとか持ってないの?」

「無茶言わんでください……」


俺は溜息をつき、提案する。


「リナさん、おつかい行ってきてくれません?」

「は?」


威圧的な眼に一瞬ひるみながらも、俺は続ける。


「確かに、俺なら一瞬で買ってこれますよ? でも考えてみてください。こうして二人で共同生活を送っているのに、すべて俺に任せきりでいいんですか?」

「代わりに衣食住を提供してるじゃない」

「……」


断じて自分から頼んだわけではないが、結果的に、俺は成り行きとは言えリナに養われている。

なんだかんだで食費や生活にかかる費用もしっかり渡されちゃってるんだよな。

ん-。よし、ぐうの音も出ない。


「ごめんなさい。俺が間違ってました」

「分かればいいのよ。でもまぁ、たまには私が行ってあげもいいわ」

「え!? マジですか!?」

「マジよ。煮込み料理が途中なんでしょ。あんたはそれ作ってなさい」

「あ、え、あ、はい。じゃあ、そうさせてもらいます」


リナはふんと鼻を鳴らしながら、大きめのローブをすっぽりと被った。


「なんですか、それ」

「どう? これなら顔も見えないし、完璧でしょ」


目元まで深くフードを被り、怪しさ満点だ。

美少女オーラは消えているが、代わりに指名手配犯オーラが出ている。

そもそも、これまでさんざん顔見せて出歩いているんだから、今さら被っても無意味な気もする。いやでも、ナンパ除けとかが目的ならいいのか?


「……逆に目立ちません?」

「大丈夫よ。気配を消すのは得意だから」


不安は残るが、背に腹は代えられない。

リナは「行ってくる」と短く告げ、風のように屋敷を出て行った。



リナが出発してから10分。俺はキッチンの鍋をかき混ぜながら、どうしても落ち着かない気持ちを抱えていた。


「……大丈夫かな」


あの人、ちゃんと卵買えるんだろうか。

店員を脅したり、卵を握りつぶしたりしないだろうか。

少なくともあの年齢まで生きて来たわけだし、心配し過ぎか。いやでも、一人で生きて来たにしては生活能力終わってんだよな。

心配性の母親のような心境になり、俺はついに禁断の手に手を出した。


「『遠見術(クレアボヤンス)』」


脳内に半透明のモヤが出現し、リナの姿を映し出す。

彼女は今、市場の入り口付近を歩いていた。


【対象:リナ・アークライト】

【状況:対象の周囲に不審者を警戒する人物が多数】


フードを目深に被った小柄な人物が、堂々と大通りを闊歩する。

雨の一つでも降っていればいくらか紛れ込むことも出来ただろうが、天気は生憎の雲一つない晴天である。

リナは周囲の目など気にする素振りも見せず、とある露店の前で足を止めた。新鮮な卵を山積みにした店だ。


『……おい』


リナの低い声が響く。 店主のおじさんがビクッとした。


『へ、へい! なんでしょうお客さん!』

『……卵』

『ひぃっ! 命ばかりは!』

『金は払う』

『あ、買うんですか』


プレッシャーが盗賊のそれなんよ。それでも何とか商談は成立したようだ。

リナはカゴいっぱいの卵を受け取り、代金を支払った。

しかし、お釣りを受け取ろうとした、その時だった。


「おい、そこのお前」


画面の端から、槍を持った衛兵二人が近づいてきた。


『ちょっとフードを取りなさい』

『断る』

『怪しいな。さては指名手配中の盗賊か? 詰所まで来てもらおうか』


衛兵の一人が、リナの肩に手を伸ばす。


【警告:リナのストレス値が上昇】

【予測:衛兵の生存率 5%】


待て待て待て! 殺すなよ!? 街中で衛兵殺したら、この街に住めなくなるぞ!

俺の祈りが通じたのか、リナは手を払いのけるだけに留めた。


『気安く触るな』

『貴様、抵抗する気かッ!!』


生き急いだ衛兵の一人が、果敢にもリナに飛び掛かる。

終わった。俺の平和な日常と、今夜のオムライスが。


『チッ……鬱陶しい!』


リナが動いた。持っていた卵のカゴを空中に放り投げる。両手がフリーになった瞬間、彼女はその場で旋回し、美しい回し蹴りを放った。


ドガァッ!!


衛兵二人が、人間とは思えない速度で真横に吹っ飛んでいく。

彼らは露店のテントを突き破り、野菜の木箱を粉砕し、そのまま建物の壁にめり込んで停止した。

市場が静まり返る。そして、リナは空中に投げ出されていたカゴを、パシッ、と優雅にキャッチした。


【報告:衛兵二名、気絶。命に別状なし(全治三か月)】

【報告:卵の生存率、100%】


「すげぇ……」


俺は感嘆と絶望が入り混じった溜息をついた。

卵を守るために人を蹴散らすなんて、明らかに優先順位がバグっている。

リナはふんと鼻を鳴らし、呆気にとられる群衆を尻目に、凄まじい速さでその場を離脱した。



「ただいまー」


数分後。リナは何事もなかったような顔で帰宅した。


「お、おかえりなさい……」

「ほら、卵買って来たわよ」


リナはドヤ顔でカゴを差し出す。

確かに、中には艶やかな卵がぎっしりと詰まっている。ヒビ一つない。


「……ありがとうございます。でもリナさん」

「なに?」

「市場の方から、すごい音が聞こえませんでした?」

「さあ? 私の腹の虫じゃない?」


白々しい!  まあ、顔は見られていないし、すぐに逃げてきたならバレてはいない……のか?

全知全能さん曰く、衛兵たちは黒いフードの悪魔と怯えていたらしい。この街に新たな都市伝説が爆誕してなきゃいいが。


「さ、早くオムライス作って。お腹空いて死にそう」

「はいはい、今作りますよ」


俺はキッチンに立ち、卵を割る。ジュワァ……とバターの香りが広がり、黄色い半熟卵がフライパンの上で踊る。チキンライスの上にそれを乗せ、ナイフを入れると、トロリと卵が雪崩のように広がった。


「できた。特製、タンポポオムライスです」


テーブルに置かれた黄金色の皿を見て、リナの目が輝いた。


「いただきます!」


パクッ。

リナが一口食べる。


「……ん!!」


彼女は目を見開き、そして蕩けるような笑顔を見せた。


「おいしい……! 苦労して買ってきた甲斐があったわ」

「(苦労したって言っちゃうんだ。しかも苦労したのは衛兵だし)それは良かった」


リナが無心でスプーンを動かすのを見ながら、俺は苦笑する。

遠くのほうでなにやら衛兵の駆け回る音が聞こえるが、この屋敷の中だけは平和だ。

この笑顔が見られるなら、多少の器物損壊と公務執行妨害には目をつぶろう。

俺は共犯者としての覚悟を決め、自分の分のオムライスを口に運んだ。

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