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濡れ衣を晴らすため死刑宣告された侯爵夫人は水の力で国を干上がらせ命運を止める最高の仕返しを達成し隣国の王や幼い娘と新しい第二の人生を謳歌する

作者: リーシャ

「はぁ!?うちの娘が聖水を汚したって、本気で言ってんの!?」


ラヴェンナは、華やかな装飾が施された応接間のソファから勢いよく立ち上がった。手にした魔導携帯の画面に表示されたメッセージは信じがたい内容だった。

差出人は王宮の聖水管理庁。告げられたのは愛する一人娘、ロルティが神聖な泉を穢したというあまりにも理不尽な濡れ衣だった。


この国では水は生命の源であり、女神からの授かりもの。それを汚すなんて、死刑にも等しい最も重い大罪となる。信じたくない。いや、信じられるはずがない。

あの子がそんなことするわけない。この理不尽な言葉をどうして受け入れなければならないの?


ラヴェンナは、この世界に転生する前の記憶を持つ。前世は日本のどこにでもいる、ごく普通の女性で毎日の通勤ラッシュにうんざりし、休日は動画配信サービスでドラマをながら見するのがささやかな楽しみだった。

そんな平凡な人生から一転、この中世ヨーロッパ風の異世界で水の力を操る侯爵夫人として生を受けることに。

貴族の生活は格式やしきたりばかりで息苦しいが、ロルティという可愛い娘の存在が彼女にこの世界で生きる意味を与えてくれていた。


「ふざけんじゃないっての!あの子がそんなことするわけないでしょう!」


怒りに震え強く心で叫んだ瞬間、己の持つ水の力が暴走した。窓の外、王都の心臓部を流れる運河の水がスローモーションのように動きを止め、やがて完全に静止する。

水面は不自然なほど滑らかな鏡となり、波一つ立たない。それまで滔々と流れていた運河の生命力が、一瞬にして消え失せたかのようだった。


「ん?今、なにか」


その影響は王都全体に広がり、人々の生活に不可欠な井戸や噴水の水が次々と枯れていくまでに。自らの感情が水とこれほどまでに強く共鳴することに今、初めて気づかされた。

この国が娘の無実を認めず真実を捻じ曲げるというのなら、もうこの国に水なんて一滴もくれてやるものか。

決意は固かった。娘の命が危機に瀕している今、侯爵夫人としての地位もこれまで築き上げてきた名声も、全てがどうでもいい。


最も大切なものはただ一つ。ロルティの安全だけ。処刑なんて許さない。


数日後、ラヴェンナの元に隣国を治める若き王、リーバーからの親書が届けられた。リーバーは政略結婚を嫌うラヴェンナの祖国では異例の、人柄を重視する王として知られている。

以前、国賓としてラヴェンナの国を訪れたことがあった時、リーバーは貴族社会のしがらみにとらわれず娘を深く愛し、自身の意志を貫くラヴェンナの聡明さに感銘を受けていた。


親書には「娘君の無実を確信している。もしよろしければ、我が国へお越しいただきたい。必ず真実を明らかにしよう」と、簡潔だが力強い言葉が記されている。ラヴェンナは迷うことなく祖国を捨てることを決意した。


こんな腐敗した国に娘を差し出すくらいなら、全てを捨てて隣国へ移住する方がまし。前世の知識を活かせば新しい国でも十分に生きていけるし、リーバーという稀有な理解者がいる。決断はこの国ですらありえないほど異例なことだったが、もはや心に迷いはなかった。


「ママ」


ラヴェンナは一時的に帰されているロルティの手をしっかりと握り、静止した運河を見つめた。瞳には愛する娘を守るという燃えるような強い意志しかない。


「ロルティ、ママは絶対にあなたを助けるからね。たとえこの国を敵に回して、世界がどうなろうとも」


愛する娘と共にリーバーの待つ隣国へと向かう。ラヴェンナが意図せず引き起こした水の枯渇は、やがて二つの国を揺るがす大きな波紋を広げていくかもしれない。新しい人生のためならどうだっていい。


侯爵夫人ではなく娘のため、自身の信念のために世界を動かす力を持つ、一人の母として、新たな道進む。

隣国へ向かう馬車の中、ラヴェンナはロルティを抱きしめながら魔導携帯の画面に映るメッセージを、再び確認。


前世の知識を活かして開発した、魔力通信を利用した簡易的な情報端末。画面には故国からの緊急ニュースが次々と流れていた。


「ふぅん?」


『王都、水が完全に枯渇!市民の不満爆発!』


『聖女、緊急記者会見「ラヴェンナ侯爵は魔女だ!」と断言』


眉をひそめた。聖女とは神々の意志を代弁するとされる、国の最高権威。彼女が自分を魔女と公に断言したということは国全体を敵に回したも同然。

だが、少しも後悔していない。政治の人間はそうやってトカゲの尻尾切りをする、というのは知っているから。


数日後。リーバー王の待つ隣国、セフィラの都に到着したラヴェンナたちを待っていたのは、想像以上に厳重な警備と熱狂的な民衆の歓声だった。

隣国であったセフィラ国の人は、故国で起きた水の枯渇の噂を聞きつけ、力と決意に敬意を払う。リーバー王は、こちらをまるで英雄のように迎え入れる。


「ようこそ、ラヴェンナ様。ロルティ君。あなたがたの無実はこの国が証明いたします」


リーバー王はラヴェンナに王都の最高の賓客として、祖国の彼女の屋敷よりも壮麗な館を与えた。直ちにロルティの濡れ衣を晴らすための調査を開始。

ラヴェンナもまた、前世の知識を活かし調査を支援した。犯罪科学捜査の概念、水の成分分析、情報の裏取り。魔導携帯を発明した知見は、この世界の人たちにとって魔法のように映ったことだろう。


しかし、事態はラヴェンナが考えていたよりも、さらに複雑だった。ロルティに濡れ衣を着せたのは、聖女の私欲が絡んだ権力争いだったことが判明したのだ。

聖女は水の力を独占し、政治的影響力を強めるため娘をスケープゴートに仕立て上げたらしい。

故国から派遣された使者たちが、ラヴェンナに水の流れを元に戻すよう懇願に訪れたが、首を縦に振らなかった。やるわけがない。


「娘の無実が証明され、聖女が罪を償うまでは、水は流しません」


強い意志に使者たちは成す術がなかった。故国では水の枯渇による混乱が続き、やがて内乱へと発展していく。


一方、滞在中のセフィラではラヴェンナの協力によって新たな治水技術や農業技術が発展し、国は急速に豊かになっていった。ロルティの無実が公に証明され聖女が失脚するまで、故国の混乱が収まるまで水の流れを元に戻すことはない。


娘を、死刑にすると濡れ衣を着せてきたくせに頼み事とは、何様かと思ったくらいなのに。侯爵夫人ではなく、愛する娘を守るため。真実を求めるために自らの力で世界を変えることを選んだ。

一人の母として、生きていくことを決めたのだ。そして、止まっていた水の流れが再開した日、故国の者たちはラヴェンナとロルティに感謝と謝罪を込めたメッセージを送った。


ラヴェンナはそれに応えることなく、ただ静かにセフィラの人たちと共に新たな人生を行く。

もう二度と過去を振り返ることはない人生は、愛する娘と真実を信じてくれた人々のために使う。


ロルティの無実が証明されてから、数ヶ月。ラヴェンナはリーバー王の隣国で静かな生活を送っていた。

故国は、水の枯渇による混乱からようやく立ち直りつつあると伝え聞くもののラヴェンナはもう、過去を振り返ることはなく無関心でいる。

今は愛する娘と、リーバー王との生活で満たされているのだから。


「ラヴェンナ、今日は二人で出かけないか?」


ある晴れた日の午後、執務室から戻ったリーバーがラヴェンナにそう声をかけた。顔には王としての威厳よりも、一人の男性としての穏やかさが浮かんでいる。ふ、と頬を緩めた。


「デート、ですか?」


ラヴェンナは少し照れくさそうに笑った。転生前、デートなんて当たり前だったけれどこの世界では、ましてや王様となんて想像もしていなかったので。


「ああ。ロルティは侍女たちがみてくれている。たまには、二人だけの時間も必要だろうと思ってな」


リーバーはラヴェンナの手を優しく取った。握り込む。二人が向かったのは王都の郊外にある小さなカフェだ。二人は有名なので対策をしている。

リーバーは変装し、一見するとただの金持ちの若者に見えた。このカフェはラヴェンナが前世の知識を活かして、王都に広めようとしている新しい文化の一つ。


「豆は、こうして煎ることで香りが引き立つんです」


ラヴェンナは得意げにコーヒーの淹れ方をリーバーに説明。リーバーは興味深そうに耳を傾け、一口飲むと香りと味に驚き目を丸くした。


「これはら初めての味だ。とても美味しい!」


心から感動した表情を見せた。王としてこれまで最高級の料理や飲み物を口にしてきた彼だが、ラヴェンナが淹れた一杯のコーヒーは彼にとって特別。

空気は心地いい。カフェでの時間を楽しんだ後、二人は王都を流れる運河沿いを歩いた。

この運河はラヴェンナが力を止めた方の故国の運河とは違い、絶えず清らかな水を湛えている。リーバーは穏やかな水面を眺めながら語りかけた。


「君がこの国に来てから多くのことが変わった。知恵と力は、国に新しい光をもたらしてくれた。よかったと感謝している」


ラヴェンナは少し照れくさそうに顔を伏せた。


「私はただ。娘を守るために必死だっただけです」


「それでも君は正しいことをした。強さに惹かれたんだ」


リーバーは立ち止まり、ラヴェンナを優しく抱きしめる。彼の腕の中で初めて心の底から安らぎを感じた。地位も名誉も過去のしがらみも関係ないただ、一人の女性として彼に愛されている事実が心を温かく満たす。

無言で時間は過ぎていく。二人のデートは普通の恋人たちのようだった。そこには王と元令嬢という立場は存在せず、お互いを深く愛し、尊重する二人の男女がいた。


移住して数ヶ月の頃、ラヴェンナとロルティはリーバー王主催の庭園パーティーに招かれていた。

王都に新しくできた、ラヴェンナがプロデュースしたばかりのイングリッシュガーデンでの催し。


「あら、あれが元水の侯爵夫人ですって?なんだか地味な服ね?ふふふ」


優雅なフリルとレースで着飾った一人の令嬢が取り巻きたちとクスクス笑いながら、ラヴェンナに視線を向けた。彼女の名はエルフェン。

この国でも有数の公爵家の娘で、移住してきたことを快く思っていない一人なのだろう。


「それに、娘さんも。クスッ。ずいぶん庶民的なお洋服を着ていらっしゃるわ。水の力を失ったから貧乏になったのかしら?ああ、怒らないで欲しいの。これは親切心ですから」


嫌味の言葉を聞いたロルティは不安そうにラヴェンナの服の裾をぎゅっと握った。彼女は、今なんと?

その瞬間、ラヴェンナの表情から笑顔が消えた。娘を侮辱されることだけは何があっても許せない。無言でエルフェンとその取り巻きたちの足元に視線を向け、誰にも気づかれぬように指先をわずかに動かした。

すると、エルフェンたちの足元の地面にごく小さな水たまりがじわりと広がっていく。

早朝に降った露のように、微かに紙に浸透していくように地面を濡らしていった。


「あら?」


エルフェンは足元がひんやりするのを感じ、つま先立ちになった。フリルたっぷりのドレスの裾がゆっくりと湿っていく。

最初はほんの小さな染みだったが見る見るうちに広がり、エルフェンのドレスの豪華な裾は尿失禁でもしたかのようにみっともなく、濡れそぼった。


「きゃあああ!な、何これ!?誰か水をっ!」


エルフェンの悲鳴に取り巻きたちも同様に、濡れたドレスの裾を見て混乱。誰も水をこぼした者はいない。しかし、彼女たちの周りの地面だけがなぜか濡れている。ラヴェンナはロルティの手を優しく握り、小さな声でささやいた。


「大丈夫よ、ロルティ。ママはもう、誰にも何も言わせないから。怖い人もなにも言わなくなるからね」


ラヴェンナは、不自然に騒ぎ始めたエルフェンたちを無視して何事もなかったかのように微笑んだ。娘を守るという強い意志とささやかな復讐を成し遂げた、静かな満足感が満ちているだけ。満足している。





豪華な装飾が施された公爵家の応接室に、おもりのような重苦しい沈黙が満ちていた。エルフェンは濡れたままのドレスで、父親である公爵と母親である公爵夫人を前に、震える足で立っている。


「エルフェン、一体どういうことだ?パーティーでドレスを濡らして、恥を晒したと聞いたぞ」


公爵の低い声が部屋に響く。公爵夫人が険しい表情で口を挟んだ。


「ただの水濡れではありません。周りのご令嬢方までドレスを汚し、あのパーティーの評判は地に落ちたわ。あのようなみっともない真似をして、我が公爵家の名誉を傷つけるつもり!?」


エルフェンは、自分がなぜ濡れてしまったのか正直に話す勇気がなかった。


「ラヴェンナが魔法で水をかけた」とでも言えば、逆に笑い者にされるのがオチだ。


「わ、私はただ……あの侯爵夫人が気に入らなくて……!」


プライドの高い両親にとって言い訳は火に油を注ぐ行為。


「気に入らない、だと?あの者はリーバー王の庇護下にある。安易に敵意を向けてよい相手ではない!我が家が危険に晒されることにもなりかねないのだぞ!!」


公爵は激しい怒りを露わにした。彼らはちゃんと、ラヴェンナが水を操る強力な能力を持っていることを知っている。その力で国を干上がらせたという噂は、貴族社会で公然の事実となっていたからだ。知らないものはいない程。


「お前は、何様なのだ?この国の、新しい王妃になるかもしれない女性に、喧嘩を売ったも同然だ。今すぐにでも謝罪に行け!許されるまで屋敷に入るな!」


公爵の言葉にエルフェンは初めて事の重大さを理解した。ただの嫌がらせが、自分の家を窮地に陥れる可能性を秘めていたことに。身体が無意識に震える。


「そんな!い、いやです!あんな女にあ、頭を下げるなんて!私は、誇り高き貴族なのですよっ?」


エルフェンの悲痛な叫びは、両親には届かなかった。公爵は冷たい目で娘を見つめ。


「はぁ、これは罰だ。向こう三ヶ月、お前の小遣いは全て没収。社交界への出入りも禁止する。その身を以て、軽率な行動が家全体を揺るがすことを学ぶがいい。手遅れだがな」


エルフェンは絶望に顔を歪める。傲慢さと軽はずみな行動は最高の罰として最低な始まりとなり、自分の自由と楽しみを奪うことになったのだった。





リーバーとのデートから数日後、ラヴェンナはロルティと二人で王都の目抜き通りを歩いていた。ロルティの無実が証明され、ラヴェンナが水の力を戻してからというもの国の経済は活気づき、通りには活気があふれている。国民の声が心地よい。


「ママ、あのお洋服、すごく可愛い!」


ロルティはショーウィンドウに飾られた、フリルいっぱいの淡いピンクのドレスを指差した。故国にいた頃は侯爵夫人としての格式を重んじ、地味な色の服ばかり着せられていたロルティ。国に来てから表情は格段に明るくなった。


「じゃあ、見に行こうか」


ラヴェンナは笑顔でロルティの手を引いた。店に入ると、色とりどりのドレスや可愛らしい小物が並んでいる。ラヴェンナは前世の記憶を頼りに、まだ存在しないコーディネートという概念をロルティに教えた。


「ただ可愛いだけじゃなくて、この靴と合わせるともっと素敵に見えるから、着てみて」


ロルティは、ラヴェンナの言葉に目を輝かせ次々と新しい服を試着していく。鏡の前で楽しそうにポーズを取る娘の姿にラヴェンナは胸が熱くなった。カメラが欲しくなる。


「ママ、これはどう?」


ロルティは、ラヴェンナが選んでくれた少し大人びたネイビーのワンピースを着て嬉しそうに尋ねた。前世で気に入って着ていた服に似ていた。


「うん、すごく似合ってる。ロルティはもう、こんなに大きくなったんだね」


ラヴェンナは少し感傷的になりながらも、ロルティの頭を優しく撫でた。試着して喉が渇いたと娘が言うから買い物の後、二人はカフェに立ち寄る。


ラヴェンナが記憶を頼りに作った、この国初のパンケーキを二人でシェア。シロップをたっぷりかけて頬張るロルティの笑顔を見て、ラヴェンナは心から幸せを感じた。笑顔が愛おしい。


「ママ、あのね、私、この国に来てから、毎日がすごく楽しい」


ぎゅっと強く胸が締め付けられるような思いがした。故国での辛い出来事を乗り越え、この子なりに前向きに生きている。その強さがラヴェンナの心を奮い立たせてくれた。


「私も、ロルティ。あなたと一緒にいる時間が、ママにとって一番大切」


ラヴェンナは温かいコーヒーを飲みながら、窓の外の賑やかな通りを眺めた。自分は昔、格式や地位に縛られ心の底から笑うこともできなかったほど、縛られていたのだ。


今現在は愛する娘と、リーバーという最高の理解者に囲まれて本当の自由と幸せを手に入れられた。幸運としか言えない。

水の力を操る侯爵夫人ではなく、ただ一人の母として、娘との時間を大切に過ごしていく。




嫌味を言ったエルフェンが自宅謹慎となり社交界から姿を消してしばらく経った頃、セフィラ王国の王都では新しい風が吹き始めていた。ラヴェンナが提案した、これまでこの国にはなかったジューススタンドが理由だ。

特に人気を集めていたのはラヴェンナが故郷で親しんでいた桃を使ったジュース。セフィラ王国にも桃は存在するものの、生で食べるのが一般的でジュースにするという発想はなかった。

王都の一角に設けられた小さなスタンドには毎日、老若男女問わず多くの人々が列をなして。瑞々しい桃の甘さと独自に考案した冷やし方が絶妙にマッチし、一口飲めば誰もが笑顔になると評判。


「この甘さ、たまらない!」


「こんな美味しい飲み物、初めて!」


皆は桃の甘い香りに誘われ、喉を潤す喜びを分かち合う。ロルティもスタンドの看板娘として、明るい笑顔で客を迎えている。今日にもバイトリーダーになれそうだ。リーバー王もまた、桃ジュースの大ファンの一人。

執務の合間にスタンドを訪れ、ラヴェンナと他愛ない会話を交わすのが彼のささやかな楽しみ。


「ラヴェンナ、桃ジュースは本当に素晴らしいな。王都の者たちは、すっかり君の虜になっているよ。私もだが」


リーバーはグラスを傾けながら満足そうに言った。


「ありがとうございます、リーバー国王様。故郷の味を、この国の人たちにも楽しんでもらえて、本当に嬉しいです」


故国では誰も話を聞いてくれなかった。


侯爵夫人としての価値しか見てもらえなかったが、この人は信じてくれた人格者。娘を信じてくれた恩人。ラヴェンナは日差しの中で、キラキラと輝く桃色のジュースを見つめながら微笑んだ。

水の力を操る彼女にとって、自然の恵みを人々に届ける新しい試みは、また違った喜びを与えている。


一方、自宅で謹慎中のエルフェンは窓から見えるジューススタンドの賑わいを悔しそうな表情で眺めていた。美味しそうに桃ジュースを飲む姿は、自由を奪われた現状を見せつけられるものだった。

桃ジューススタンドは、セフィラ王国の新しい名物となり、日常に小さな幸せを運んでいく。



ある日の午後、ラヴェンナは大量の洗濯物を前にうんざりしていた。メイドたちが手作業で洗濯している光景は、あまりに非効率的に映る。スイッチ一つで全てが完了する便利な機械があるのに。


「よし、作ろう」


ラヴェンナは、魔導携帯を片手に、頭の中で洗濯機の構造をシミュレーションし始めた。ドラムの回転、水の流れ、洗剤。これらを、魔法の力で再現すればいいのだ。


まず、王宮の工房にある大きな木製の樽を改造することから始めた。樽の内側に魔力を通しやすい特殊な金属を貼り付け、水の流れを制御する魔法陣を刻み込む。

次に、水を溜めるための魔石を配置し、さらにドラムを回転させるための魔力駆動の機構を取り付けた。実験は困難を極める。


「これもダメか」


初めて動かした時は水の勢いが強すぎて洗濯物がボロボロになったり、逆に弱すぎて汚れが全く落ちなかったりした。


「シュレッダーになってる」


娘のロルティも、横にいて小さな声で「ママ、頑張って!」と応援してくれる。可愛い声が、力になった。


「あ、いける、かも」


数ヶ月後、ついに試作品が完成したのだ。泥だらけの服を樽の中に入れ、魔力を込めた。すると、ドラムがゆっくりと回転を始め魔法陣から水が吹き出す。

放水が行われている。激しい水流が汚れを洗い落とし、水は透明になっていく。何度も挫けそうになった思い出が溢れる。


「で、できた……」


ラヴェンナは感動の声をあげ、力無く座り込む。脱水機能まで完璧に作動したのを見て、近くで立っていたメイドたちは目を丸くして驚いた。

重労働だった洗濯が魔法の機械一つでこんなにも楽になることに、心底感動している。


「すごい!もう手で洗わなくていいのね!」


何をしているのかは説明していたので、これがなにかはすでに皆知っていた。メイドたちの歓声を聞きながらラヴェンナは微笑んだ。作ったのは、単なる機械ではなく生活を豊かにし、労働から解放する未来への希望そのもの。

画期的な発明は、王都中に広まり、ラヴェンナは水の侯爵夫人から生活の魔法使いとして、さらに尊敬を集めることになった。



発明した魔法の洗濯機は瞬く間に王都の話題をさらう。当初、奇妙な形と洗濯は手でするもの、という固定観念から多くの貴族や商人は懐疑的だった。

しかし、デモンストレーションを行い、わずか数分で真っ白になった布を見せるとその驚きと感動は疑念を即座に吹き飛ばす。


「これは……革命だ!時代が変わるぞっ」


メイドたちの労働時間が大幅に短縮され、手はひび割れや赤切れから解放された。節約できた時間で新しい技術を学び始めたり、家族と過ごす時間が増える。

洗濯機は単なる家事道具ではなく、下層の人々の生活の質を向上させる画期的な発明なのだ。成功を受けてラヴェンナは洗濯機の量産化を計画。

王宮の工房だけでなく、信頼できる商人たちと提携し民衆向けの小型モデルの開発にも着手。


「ラヴェンナ様は、本当に私たちを救ってくださる」


「この技術があれば、もっと色々なことができるわ!」


「時間に余裕ができて、子供が喜ぶの」


力に畏敬の念を抱きながらも、もたらす豊かさや利便性に心から感謝した。水の侯爵夫人、と呼ばれた過去は今や人々の生活を豊かにする魔法使いとして尊敬を集めるまでに。当然ながらこの知らせは、故国にも届いた。


依然として水の枯渇による混乱の爪痕が残る故国の貴族たちはラヴェンナの、自分たちが軽視した力で隣国を繁栄させている事実を目の当たりにし、言葉を失う。周りは荒れる。お前のせいだ、いや、お前が言い出したと責任を押し付けるばかり。

娘のロルティと共に笑顔があふれる王都の通りを歩く。辺りを見回す。足元には故国を干上がらせた絶望ではなく、生活を潤す確かな希望が流れていた。


新しい発明は築き上げていく大きな未来のほんの一歩に過ぎない。魔法の洗濯機は瞬く間に王都の富裕層にも広まった。メイドや重労働から解放された家の貴族たちは、便利さに手放せなくなっていた。その裏で、この成功は思わぬ波紋を呼ぶ。

王都最大の商会を牛耳る男爵が、リーバー王に謁見を求めてきたのだが。


「陛下、ラヴェンナ様の洗濯機は素晴らしい発明です。ですが、このような貴重な技術を、平民にまで安易に広めるのはいかがなものでしょうか?」


発明した本人を愛する男の前で平然と言い放つ。男爵は手掛ける民衆向けモデルの開発を中止するよう進言。技術を独占し、富をさらに築き上げようと企んでいたからこそ図々しく宣う。

リーバー王は男爵の言葉を静かに聞いていた。その横でラヴェンナは心を落ち着かせていた。貧富の差が繰り返されるのだけは避けたい。


「男爵。国の富は一部の者だけが享受するものではない。わかるな」


リーバー王の言葉に男爵は顔色を変えた。意見が通るどころか、否定されたのだから。


「 もたらしてくださった技術は、この国全体のもの。人々の生活が豊かになれば、国力は自然と増す。商いも栄え、ひいては貴殿の富も増えるでしょう。それが、まさか貴殿ほどの大商会の長が理解できないなんてことは、ありえないとは思うが」


リーバー王は穏やかながらも揺るぎない口調で続けた。


「洗濯機は民に分け与えるべきだ。それが、我がセフィラ王国の未来」


「……わかり、ましてございます」


男爵は王の決意に反論できず、しぶしぶと退室していきラヴェンナは、リーバー王の言葉に胸が熱くなるのを感じた。


「ありがとう、リーバー」


ラヴェンナは手をそっと握った。リーバーは優しく微笑む。


「君が国にいてくれて、本当に良かった。きてくれたことも」


ラヴェンナの技術とリーバー王の公正な決断が、セフィラ王国を真の意味で豊かな国へと変えていく。その様子は遠い故国にも伝わり、彼らの判断がいかに愚かだったかを身をもって知らせることになる。娘を陥れた怒りはまだ解けてないのだ。




リーバー王の後押しもあり、ラヴェンナは民衆向けの小型洗濯機の量産化を軌道に乗せた。それでも全ての家庭がすぐに洗濯機を購入できるわけではない。

そこでラヴェンナは、コインランドリーというアイデアを思いついた。王都の広場の一角に、小さな木造の建物が建てられ、中には、ずらりと並んだ小型の魔法の洗濯機が。横には料金を支払うための魔石投入口が設けられている。


「ここは水の侯爵夫人の店、って言うらしいわ」


「コインを入れれば、勝手に洗濯してくれるんだって」


「なんて、便利なの」


最初は物珍しさから集まってきた人々だったが、実際に使ってみて便利さに誰もが驚愕。


「すごい!こんなに早く、しかもこんなに綺麗になるなんて」


「大きいものもできるみたい」


特に、大家族でたくさんの洗濯物を抱える主婦や重労働で疲れている労働者たちにとって、コインランドリーはまさに救いの場だった。洗濯に費やしていた時間を家族と過ごしたり、副業をしたりすることに使えるようになったのだ。

洗濯機とコインランドリーの成功は王都の商業にも新たな流れを生み出す。洗濯代行サービスや魔法の洗剤を売る店、洗濯を待つ間に休憩できるカフェまで登場。

ラヴェンナは賑わうコインランドリーを少し離れた場所から眺めていた。ロルティが、おばあさんと楽しそうに話しながら洗濯機のボタンを押している。


「これ、魔法みたいだね!」


ロルティの無邪気な笑顔にラヴェンナは胸を温かくした。技術は単なる便利さを超え、生活に喜びと新しい可能性を与える。故国を干上がらせてまで手にした力は、多くの心を潤す希望の水となってかけがえない居場所へと変えた。


娘の笑顔がその証となり、手を大きくする愛娘へと小さく振り返した。

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― 新着の感想 ―
>ラヴェンナは、この世界に転生する前の記憶を持つ。前世は日本のどこにでもいる、ごく普通の女性で毎日の通勤ラッシュにうんざりし、休日は動画配信サービスでドラマをながら見するのがささやかな楽しみだった。 …
なんか変。娘がいるのに侯爵令嬢って。夫人や未亡人ならともかく。旦那さんどこ?
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