夢の中で会いましょう
第7話
――大姫
春の風が、かすかに頬をなでていく。
そのやさしさが、かえって切なくて、目を閉じた。
あれから、どれほどの季節が巡ったのだろう。
十七になった今、ようやく「生きる」ことを、心の奥から受け入れようとしていた。
けれど、身体はもう、それを待ってはくれなかった。
咳が出るたびに胸が裂けるように痛んで、
食事の味も、花の匂いも、ぼんやりとして届かない。
夜になると、熱が身体をゆっくりと溶かしていく。
医師たちは言葉を選んでいたけれど――
わたしには、もうわかっていた。
春が終わるころには、
きっとこの世には、いないのだと。
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そんなある晩、
まどろみの中で、わたしは春の庭にいた。
小さな花たちが、風に揺れている。
「おすましさん」「ぴかぴかさん」「ごきげんさん」……
わたしたちが子どもの頃、無邪気に名づけた、大切な庭。
「……あれ……?」
花の向こうに、ひとりの少年が立っていた。
まっすぐな眉に、涼やかな目元――
「……義高さま?」
その名を呼ぶと、彼はそっと微笑んだ。
「大姫さま……よく、がんばりましたね」
――あの日のままの声だった。
遠い日の面影を宿したまま、少年の姿で。
それなのに、距離も、年の差も、どこか消えてしまったように感じた。
わたしはふらりと歩き出した。
彼も、まっすぐにこちらへ向かってくる。
そして――その手が、わたしの手に重なった。
あたたかかった。
懐かしくて、涙が出そうなほど、やさしい体温。
「大姫……迎えに来ました」
「……うん……わたし、ずっと……ずっと待ってたの」
その瞬間、胸の奥に閉じ込めていた涙が、
静かに、音もなく、こぼれ落ちた。
夢のなかのわたしは、ようやく、泣くことを許されたのだと思った。
春の光が、やわらかく差し込んでも、
わたしの世界は、どこかぼんやりと霞んでいた。
ほんとうはね、
ずっと、生きたかったの。
あの日、義高さまがいなくなったあの時から――
わたしの時間は、止まったままだったのだと思う。
笑っても、泣いても、
誰かと話していても、
胸の奥には、ひとつだけ、動かない空洞があった。
少女のまま、心が育つのをやめてしまったの。
だけど、季節はめぐる。
わたしがそれを望まなくても、春は来て、花は咲いて、風はまた吹いた。
みんなが言うの。
「大姫さまも、前を向いて」って。
「生きてほしい」って。
わかってるの、わたしも。
誰かを恨んで生きるのは、もうやめたいと思った。
義高さまがあのとき、何を想ってわたしの元を離れたか、
今なら……少し、わかる気がする。
でもね……
心がそう思っても、身体が、もうついてこないの。
咳が出るたび、痛くて、
声もかすれて、食べ物の味もわからなくなって。
きっとこれは、神さまがくださった猶予なんだと思う。
この春だけは、わたしに残してくれた、最期の時間。
だから、夢を見たの。
わたしのいちばん大切な、あの庭の夢。
世界でいちばん優しい景色。
世界でいちばん、好きな人――
義高さまが、笑っていた。
「大姫さま、よく、がんばりましたね」って。
それだけで、もう十分だった。
もう泣いてもいいんだって、ようやく許された気がした。
待っていてくれたんだね。
ずっと、春の庭で。
わたしが自分を赦すのを――
やっと、こころから「生きたい」と願う日を。
そして、わたしが「行く」と決めたとき、
その手を、ちゃんと差し伸べてくれた。
うれしかったよ、義高さま。
ありがとう。
あなたに、迎えにきてもらえて――
わたしは、ほんとうに幸せです。
――政子
大姫が旅立ったのは、春の明け方だった。
静かな朝。
障子を開けると、庭には名も知らぬ花が咲いていた。
つくしではなかったけれど――
それは、まるであの頃の庭のように、やわらかで、あたたかな色をしていた。
「大姫……」
わたしは娘の名を呼びながら、その手を取った。
ひんやりと冷たいけれど、どこか安らかだった。
その顔には、微かに微笑みが浮かんでいて――
まるで、夢の中で誰かと語らっていたかのようだった。
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その夜、風が吹いた。
花の間をすり抜けて、庭を撫でていく。
――鈴の音がしたような気がした。
それが幻でも、わたしは否定しなかった。
きっと、あの子はあの庭で、
もう一度、義高と出逢えたのだ。
夢のなかで。
花咲く、やさしい春の中で。
すべてを赦されて、
涙をこぼしてもよい世界の中で。




