93 やはり原作は正しかった
「中にもう一人います」
ライナスが小声でユージィンに囁きかける。
ユージィンは軽くうなずくと、老人を真正面から見据えて口を開いた。
「突然の来訪をお詫びする。私はユージィン・エイルズワース。貴方ではなく、ここに匿われている女性に用があってきた。我々を中に通すか、彼女をこちらに連れてきて欲しい」
「ここにいるのは私一人……と言っても通らないのでしょうな。大したご友人をお持ちのようだ」
老人は苦笑しながらユージィンの背後に控えるライナス、そしてクローディアに視線を送った。
(あれ、この人……)
目が合った瞬間、クローディアは既視感を覚えた。原作にこんな老人が出てくるシーンがあっただろうか。リリアナと乳母との邂逅は、湖のほとりで涙ながらの告白を聞いて、それで終わりだったはずなのだが。
クローディアが戸惑っているうちに、老人は五人を中へと招じ入れた。
屋内は簡素だが綺麗に掃き清められており、奥にはもう一つ扉が見える。乳母の姿が見当たらないところを見ると、扉の向こうにいるのだろう。
「ここにいるのは、この女性で間違いないな?」
「ステラですね。よく似ている。……ええ、確かに彼女はここにいますよ」
ユージィンが絵姿を差し出すと、老人はあっさりと乳母の名前を口にした。
やはり原作は正しかった。自分の父親が「家の金をつぎ込んで情報機関ごっこしている変なおじさん」にならずに済んで、クローディアは心から安堵した。
「素性を知ったうえでかくまっていたのか?」
ライナスが咎めるように言うと、老人は「ステラは私の友人で、恩人でもありますから」と軽く肩をすくめて見せた。
「貴方は一体何者なんだ? この建物は地元の人間でも知らないようだが」
ユージィンが問いかける。
「私はただの引退した占星術師です。当たると評判で持て囃されていたころもありましたが、不吉な予言をしたことで高貴なお方の怒りを買って、半年近く投獄されましてね。以来すっかり世間とかかわるのが嫌になって、ここで隠遁生活を送っております」
それを聞いて、クローディアは老人が誰であるのか気が付いた。
側妃アンジェラの妊娠中、王宮に招かれてリリアナの運命を占った占星術師だ。原作の回想シーンに登場した姿をもう少し老けさせれば、目の前の老人と一致する。
とはいえ占星術師がその後投獄されていたことや、乳母と交流があったことなどは作中で触れられていなかったが。
「この建物は占星術が今よりずっと盛んだったころ、ブラッドレー公爵家よりはるか昔にここを治めていた一族が建てた星見台です。今ではすっかり忘れ去られているようですが、私は職業柄ここのことを知っていたので、勝手に隠居所として使わせてもらっております」
老人の話によれば、乳母は投獄された占星術師に同情して、何度も差し入れに来てくれたのだと言う。その際交わしたやり取りで、アーデン村の近くに古い星見台があることや、釈放されたらそこで世捨て人のように暮らしたいという希望も話したとのこと。乳母は逃亡中にその話を思い出して、老人を頼ってきたのだろう。
「殿下、ステラは確かに罪を犯しました。しかし彼女はもう十年以上もの間、私以外には誰とも話すこともなく、この通りの山中で囚人のような生活を続けています。私は望んでこの隠遁生活を送っていますが、王都育ちのステラにとっては辛い毎日だったでしょう。今さら彼女を裁きの場に引き出して断罪する必要があるのでしょうか」
「誤解しないで欲しいが、我々は別に彼女を断罪しに来たわけではない。無関係な人間が罪を負わされているかもしれない状況を正すために、彼女に協力を仰ぎに来たんだ」
「無関係な人間?」
「私の母だ。彼女の犯した罪の首謀者とされて、もう十三年もの間幽閉されている」
「なんと、そんな惨いことが……」
老人が息をのむと同時に、奥の扉の向こうで、がたりと人の気配がした。
皆が見守る中、扉がゆっくりと内側から開かれていく。
中から姿を現した蒼白の女性は、紛れもなく十五年間行方をくらましていたリリアナの乳母に他ならなかった。
「申し訳ございません! まさか、まさかそのようなことになっているとはつゆ知らず……!」
床にうずくまって泣きじゃくる姿は、場所と相手こそ違え、クローディアがかつて漫画で目にした光景そのままだ。
「……見たところ、君は真面目な人間のようだが、なぜあんな真似をしたのか話して欲しい」
ユージィンが感情を交えない声で問いかける。
「は、はい、実は……」
その後乳母が涙ながらに語った動機は、やはり前世のクローディアが漫画で読んだのと同じ内容だった。クローディアにとっては既知のものだが、ユージィンらにはなかなか衝撃だったらしく、しばらくの間、その場には泣きじゃくる乳母の声だけが響いていた。
「……そういう事情ならば、君には同情すべき点がある。王宮に戻っても、君が過酷な目に遭わないように取り計らうつもりだ」
ややあって、ユージィンは気を取り直したように言った。
「あ、ありがとうございます……」
「しかしそのためには王宮舞踏会で皆が見守る中、全てを告白してもらう必要がある。内々に交渉しようとしたら、君を処分して闇に葬ろうとする者がいるかもしれない」
「はい。全て仰せの通りにいたします……!」
「それからこの十五年間、君がどこにいたかについてだが……君は無人の山小屋を偶然見つけて、そこで一人で暮らしていた、ということにしよう。……貴方の方もそれでいいな?」
ユージィンが老人に向かって問いかけると、老人も「はい。感謝いたします」と恭しく礼を述べた。
横からエリザベスが「村人に迷惑をかけないなら、今まで通りここに住んでて構わないわよ」と言い添える。
そうして老人と乳母が互いに別れの挨拶を済ませ、一同が乳母を伴って山を下りる段になって、クローディアはふと思いついて、老人に向かって問いかけた。
「貴方が投獄される原因となった予言だけど……今でも正しかったと思っている?」
「え? それは……正しかったと信じておりますが」
「今同じことを占ったら、違う結果が出る可能性はあるかしら」
「いいえ。あれはとても強い運命です。今占っても、同じ結果が出るでしょう」
老人は明瞭な口調で言い切った。その声音からは、一かけらの迷いも感じられなかった。
「そう……あ、もうひとつ」
「なんでしょう」
「あの認識阻害のアーティファクト、大丈夫だった?」
「ええ、おかげさまで何とか……。このペースであと半日でも続けられると聞こえたので、壊れる前に機能を停止させました」
老人は苦笑いを浮かべて言った。
その後、別荘で数日を過ごしたのち、ユージィンは乳母をエリザベスに託してガーランド公爵領へと向かった。言うまでもなく、今回入手した情報をもとに祖父母を説得するためである。
一方、乳母はエリザベスの庇護のもと、王宮舞踏会までこの別荘で暮らすことになった。下手に王都に連れ帰って、証言前に万が一のことがあってはならないとの配慮である。
ライナスも「エリザベスだけじゃ不安だから」と自ら志願して、王宮舞踏会まで別荘に滞在することになった。
表向きはエリザベスとライナスが同じ別荘でバカンスを過ごす形となるため、事情を知らない人間からすると相思相愛のカップル以外の何物でもないが、二人ともその点については意識していないようなので、クローディアとしてもあえて指摘はしなかった。
一方、クローディアとルーシーは一足早く王都に戻り、クローディアはラフロイ侯爵とレナード侯爵夫人、ルーシーはトラヴィニオン辺境伯に事情を打ち明けて、王宮舞踏会に備えて根回しをしておくことになった。
そんな風にして日々は過ぎ、ついに王宮舞踏会当日となった。
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