92 隠者の住処
「……それは確かなことなの?」
「はい、間違いありません公爵様。この女性はアーデン村にはおりませんし、隣村でも見かけた記憶はございません」
村長の困惑しきった表情は、到底嘘をついているようには見えなかった。
「クローディアさん、彼女がアーデン村に住んでいるのは確かなの? その情報き……その人が彼女を見かけたとき、たまたま村に来ていただけって可能性はないのかしら」
「え、それは……」
クローディアはそこで言葉に詰まった。
――そういえばあの乳母は「アーデン村に住んでいる」と言っていただろうか。
「……アーデン村ではないかも知れませんけど、とにかくこの別荘の近くに住んでいるのは間違いありませんわ」
少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』において、くだんの乳母はリリアナが「すぐ近くの別荘」に来ていると聞いて、元気な姿を一目見て安心したい一心でこっそり様子をうかがっていたと言っている。それだけの情報でアーデン村の住人だと判断したのは軽率だったが、ともあれ近くに住んでいること自体は間違っていないはずである。
それに乳母が現れたのはリリアナたちが到着した日の夕方だ。リリアナたちもクローディアたちと同様に先ぶれなしで別荘を訪れたことも考えあわせれば、リリアナ来訪を耳にしてその日のうちにここまで来られる距離に住んでいるのは確定している。
「分かったわ。アーデン村かどうかはともかく、この近辺なのは間違いないのね」
エリザベスはそう念を押すと、再び村長の方に向き直った。
「聞いた通りよ。村の者かどうかはともかくこの近辺に住んでいるはずよ。この女性がいる場所に心当たりがないか、村中の人間に聞いて回りなさい。有益な情報があったら、褒美としてアーデン村の税を五年間免除するわ」
「えっ五年間も? 本当ですか?」
「私は嘘は言わないわよ。隠し立てするとためにならないとも伝えなさい」
「はい、畏まりました!」
村長は深々と頭を下げると、弾むような足取りで退出した。
しかしながら、それから半日近くが経過しても期待した知らせは届かなかった。
「――クローディア嬢、ちょっと散歩に出ないか」
晩餐のあと、皆と共に知らせを待ち続けていると、ユージィンが声をかけてきた。
「え? あ、はい。ご一緒いたしますわ」
サロンには皆がいるのになぜ自分だけ? と戸惑ったものの、おそらく二人きりで話したいことがあるのだろう。クローディアは素直に立ち上がると、ユージィンのエスコートで外に出た。
日は落ちたが、辺りはふんわりとした薄ら明かりに包まれており、昼間とはまた違った趣がある。
原作ではちょうどこんな黄昏時に、湖畔で戯れるリリアナたちを乳母が物陰から見つめていたはずである。今はもちろんそんな気配は微塵もない。乳母は「リリアナが別荘に来ている」と聞いてやって来たのだから、現れないのは当然なのだが。
「湖を渡る風が気持ちいいね。ここは良いところだな」
「ええ、そうですわね」
「やっぱり、元気がないようだね。……報告がないことを気にしているのか?」
ユージィンの問いかけに、クローディアは「ええ、まあ」と苦笑した。
「確かな情報だったのにこんなことになってしまって、正直ちょっとショックですの」
なぜ原作と乖離しているのか、正直訳が分からない。なにが起こっているのか分からなくて不安だし、結果としてユージィンの貴重な時間を無駄にしてしまったのもショックである。他の三人を付き合わせてしまったことについても、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「気持ちは分かるが、あまり気に病まないでくれ。以前エヴァンズ侯爵に聞いたんだが、騎士団に寄せられる情報も、実際に行ってみたら空振りに終わることが良くあるそうだ。そういうときはあまり気に病まずにすっぱり切り替えるのが肝心だと言っていた」
「切り替えるのですか」
「ああ。もしこのまま乳母が見つからなかったら、みんなでバカンスに来たと思えばいいんじゃないかな。ここはこの通り素敵なところだし、私にとってはいい気分転換になった。皆もきっとそう思っているよ」
ユージィンに優しく微笑みかけられて、気持ちがほんのり温まる。
「ありがとうございます、少し浮上しましたわ」
「それは良かった。私の方はいつも君に助けられているからね」
「私が殿下を?」
「ああ。例えば王宮庭園でオズワルドに母のことを聞かされた時、正直かなりショックだったんだ。だから君が一緒にいて、なんでもないことのように笑い飛ばしてくれたことに、どれだけ救われたか分からない。……あのときだけじゃなくて、私はいつも君の言葉に……君の存在に救われている」
まぶしげな眼差しで見つめられ、なんだか頬が火照るのを感じる。クローディアは思わず視線をそらした。
「もったいないお言葉ですわ、ユージィン殿下」
「クローディア嬢、王宮庭園でクレイトンに邪魔される直前に話していたことを覚えてるか」
「将来に関わる大切なお話のことでしょうか」
「ああ。王太子になったら話すと言っていたけど、やっぱり今言ってしまうことにするよ。クローディア嬢、私は――」
「ああ、ここにいらしたんですね、ユージィン殿下!」
明るい声に振り替えれば、エリザベスが満面の笑みをたたえて立っていた。その後ろではライナスとルーシーがどこか気まずそうな表情を浮かべている。
「クローディアさんもちょうど良かったわ、朗報よ、朗報!」
「殿下、申し訳ありません。俺は邪魔するなって言ったんですけど」
「なに言ってるのよ、一刻も早くお伝えするべきでしょ!」
「いや、でもさ」
押し問答になりかけたのを制するように、ユージィンが軽く咳払いした。
「……なにがあったんだ? エリザベス嬢」
「はい。ついさっき村長が『近くの山の中腹に隠者の庵があるらしい』と報告してきたんです。隠者は村とはほとんど没交渉で暮らしているので、お探しの女性が彼のところにいるのなら、村人が知らなくても当然だと」
翌朝。一行は村外れに住む猟師の案内で山の中へと分け入った。この猟師は村で唯一隠者と交流がある人物で、なんでも山中で怪我をした際に隠者に助けられたことをきっかけにして、彼と知り合いになったらしい。それ以来、たまに隠者が猟師のところを訪れて、育てた薬草と生活必需品を交換していく程度の細々とした交流が続いているそうだが、あいにく彼の住居まで案内するのは不可能だという。
猟師いわく「山中に住んでいるのは確かなんですが、彼の住居に行ったことはありません。山で猟をしているときにそれらしい建物を見かけたこともありませんし、子供らが面白半分にあとをつけても、いつも途中でまかれてしまうんです」とのこと。
ゆえに隠者に会おうと思ったら、彼の方から来るのを待つほかないというのだが、前に隠者が来たのがちょうど昨日、すなわちクローディアたちが来た当日のことであり、次に来るのはおそらく数か月後というのだから、とてもそこまで待ってはいられない。そういうわけで、こちらから出向いている次第である。
ちなみに原作で乳母は「リリアナたちが近くの別荘に来ていると聞いた」と語っていたが、原作の隠者が昨日猟師のもとを訪れた際にリリアナ来訪の情報を得て乳母に伝えたと考えれば、この世界とも齟齬はない。単に知らない設定があっただけだったかと、クローディアはひそかに胸をなでおろした。
猟師は少し山に入ったところで「あの、私が案内できるのはここまでなので」と言って元来た道を戻っていった。住処が見つからなかったときにお貴族様から八つ当たりをされたくないし、逆に見つかったら隠者の前でどんな顔をしたらいいのか分からない、といった心境だろうか。
(まあ彼からしたら、恩を仇で返してるようなものだしね……)
そんなわけで、五人でしばらく山中を歩き回っていたのだが、目当ての建物は一向に見つからなかった。
「ライナス、君の探索でも歯が立たないのか?」
ユージィンが問いかけると、ライナスは「はい。なんとなく人工物の気配はするのですが、途中で途切れてしまいます」と悔しそうに返答した。
「おそらく認識阻害の魔道具が使われてます。それも結構強力な……アーティファクトかもしれません。」
「そうか、なかなか手強いな」
ユージィンはそうつぶやくと、大声で「隠者殿! 我々は決して怪しい者ではない! 話があって会いに来たんだ、どうか姿を見せて欲しい!」と周囲に向かって呼びかけた。
しかし相手に聞こえているのかいないのか、山はしんと静まり返っているばかりである。
そうこうしているうちにライナスの息が荒くなってきた。額には玉のような汗が浮かんでいる。
「大丈夫か、ライナス」
「すみません、ちょっと……」
「もしかして、魔力切れなんじゃないの?」
「あの、ライナス様、これを」
ルーシーがポーションを手渡すと、ライナスは一気に飲み干した。
「ああ、助かったよ、ルーシー嬢」
「よほど強力なアーティファクトですのね、探索を妨害して圧迫してくる感じですの?」
クローディアが問いかけると、「圧迫というより、吸われる感じだな」という返事。
「探索のために広げた魔力の網がどんどん吸われてしまうんだよ」
「そう……魔力を吸われる感じですの。そういうことでしたら、私にもお手伝いができそうですわね」
クローディアはにやりと笑うと、ライナスの隣で自身も探索魔法を展開させた。
探索魔法は魔力を薄く網のように広げることで、周囲にある物の存在を探り、その形状や性質を見極める大変繊細な魔法である。クローディアは先日の勉強会でライナスにこつを教わったものの、その技量はライナスに遠く及ばない。彼のように正確でもなければ、遠くまで広げることもできない。山の中にある木造の小屋と、ただの大木を判別できるかどうかも怪しいものだ。
とはいえそんなクローディアにも、できることがないではない。
「あらまあ、本当に吸われていく感覚ですわ。どんどん吸われて行きますわ!」
未知の感覚にはしゃいだ声を上げながら、クローディアは魔法の網を広げ続けた。
アーティファクトに探索魔法の網を吸収する力があるのなら、吸わせてしまえばいいのである。念頭にあるのは、ラフロイ侯爵と初めて対面した時のやり取りだ。
――魔力はどの程度注げばいいんですの? 思い切りやってはまずいですよね?
――君が全力でやったら壊れる可能性があるから、ほどほどにしてくれたまえ。
いくら強力なアーティファクトと言えど、限界は存在するはずだ。
クローディアが気合を入れて探索の網を広げ続けていると、ルーシーが「クローディア様、そんなに飛ばして大丈夫ですか?」と戸惑ったように問いかけた。
「まだ全然余裕ですわ! このペースであと半日は続けられます! まあ万が一魔力切れにでもなったら、ルーシー様のポーションで回復させてもらいますわね!」
クローディアが大きな声でそう言った瞬間、ふっと手応えがなくなった。続いてライナスが「見つけた!」と歓声を上げる。
「殿下、見つけました! あちらです、あちらに建物が!」
ライナスの先導で向かった先に、石造りの建物が現れた。隠者の住処というからには粗末な庵のようなものを想像していたが、なかなかどうして立派なものだ。裏手には小さな畑もあって、「畑仕事や針仕事をしながらつつましく暮らしている」という乳母の言葉を思い起こさせた。
王家が血眼になって行方を捜していた間、乳母が誰にも見つかることなくこの地で暮らしてこられたのも、この秘密基地のような場所にいたからだと考えれば納得がいく。
「ライナス、良くやってくれた」
「いえ、これくらい当然です。クローディア嬢にも助けられましたし」
「それにしても、別荘の近くにこんな建物があるなんて知らなかったわ」
エリザベスが呆れたように言うと、ルーシーも「山の中にあるにはなんだか不似合いな建物ですね」と感想を述べた。
「そうですわね。それに建物自体もなんだかちょっと変わった雰囲気ですわ」
「ああ。ずいぶん古い様式だ。扉の上に刻まれているのは古代文字だし、あの別荘よりも古いんじゃないかな」
ユージィンがそう言いながら扉をノックしようとした瞬間、扉が開いて白い顎髭の老人が姿を現した。
「……高貴なお方とお見受けしますが、我が家に何か御用ですか」
老人は困ったような微笑を浮かべてそう言った。
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