89 確たる証拠
「ああ、お話の邪魔をしてごめんなさい。クレイトン様があまりに必死なのでおかしくて」
くすくすと笑うクローディアに、オズワルドは「はて、僕のどこが必死だと?」と怪訝そうに首をかしげた。いかにも余裕しゃくしゃくですと言わんばかりの態度だが、クローディアから見るとわざとらしい。
「確たる証拠なんて、どこにも存在しないものをあるようにおっしゃっていることですわ。よっぽどユージィン殿下が怖いのですね」
「おやおや、認めたくないのは分かりますが、証拠はちゃんと存在していますよ?」
「嘘ですわね」
「何故ですか?」
「なぜって、王妃様が生きておられるからですわ。確たる証拠が存在するなら、あの国王陛下が幽閉ごときで済ませるわけがないではありませんか。すぐにも毒杯を賜るに決まってますわよ」
「リリアナ殿下がすぐにも発見されたのなら、そういうこともあったかもしれませんね」
オズワルドはそう言って軽く肩をすくめて見せた。
「しかし実際には殿下はずっと行方知れずで、生死すら分からない状態でした。こんな状況で処刑なんてできようはずがありません。リリアナ殿下の身柄は王妃様の息がかかった者の管理下にあると考えられていましたから、いざというとき交渉の余地を残しておくためにも、王妃様を処刑するわけにはいかなかったのです。まあ言ってしまえば人質のようなものですね」
「では、発見されたあとはどうですの? リリアナ殿下が無事に発見されたあとならば、どうとでもできるはずですが?」
「ええ、それは確かにその通りですね。しかし発見されたリリアナ殿下はあの通り大変お元気で、溌剌とした素晴らしい姫君へと成長しておられた。そのお姿を前にして、陛下はもう過去のことなどどうでもいいとお考えになったのでしょうね。リリアナ殿下が誘拐された当時の激しいお怒りも、年月と共に風化していくものですし……それにやはり王妃様に対して情を捨てきれない面もあったのでしょう。婚約時代から長年共に過ごしてこられた間柄ですし、なんと言ってもユージィン殿下の御母上でもあるわけですから。そんなこんなで、最終的に幽閉継続という形に落ち着いた次第です」
「すまないが、それは信じられない」
ユージィンはすっぱりと言い切った。
「母が誘拐に関わっていた証拠があるのなら、父が情けをかけるはずがない。クローディア嬢の言う通り、リリアナの身の安全が確保された時点で処刑されているはずだ」
「ユージィン殿下は陛下のことを誤解なさっておいでです。僭越ながら申し上げますが、陛下は王妃様やユージィン殿下のこともちゃんと大切に思って――」
「僭越にもほどがある、弁えろクレイトン」
ユージィンにびしりと言われて、オズワルドは口を閉じた。
少しの間、沈黙が下りる。
やがてオズワルドは、ふ、と笑みを漏らした。
「お気持ちはお察しいたします。御母上が大罪を犯していたなんて、すぐに受け入れられないのは当然のことです。……ですので、王宮舞踏会までお待ちいたしましょう。聡明なユージィン殿下ならば皆にとって最善の道を選び取って下さると期待しております。――それでは、僕はこれで」
オズワルドはそう口にすると、一礼してから立ち去った。
「ユージィン殿下、先ほどは無礼なことを言って申し訳ありませんでした」
オズワルドの姿が茂みの向こうに消えたあと、クローディアはそう言って頭を下げた。「証拠があるなら国王はユージィンの母親を処刑したはずだ」なんて、本来ならユージィンの前で口にするべきことではない。
「いや、実際君の言う通りだと思うよ。それなのに、さっきは咄嗟に出てこなかった。やっぱり動揺していたみたいだな。君のおかげで助かった」
そう言って苦笑するユージィンはどこまでも王子様なのだと思う。
国の行く末について考えねばならないときに、両親の関係性について思い患うべきではないと己を律しているのだろう。
「クレイトンが王宮舞踏会を期限にしたのは、諮問会議の構成員である高位貴族たちが一堂に会する機会だからだろうな」
ユージィンは考え込むように言った。
「ええ。このままいくと彼らの間で非公式の話し合いが行われて、ユージィン殿下後継への流れが決定的になってしまいかねないから、そうなる前に殿下を辞退させたいのでしょう」
「だろうな。まあ、私は引くつもりは毛頭ないが……しかし、少々厄介なことになったな」
ユージィンはそう言って眉をひそめた。クローディアも同感だった。
オズワルド・クレイトンが言っていることは、全くのはったりではないのだろう。ガーランド公爵夫妻が大人しく謹慎していること、ラフロイ侯爵やエヴァンズ侯爵が現状を黙認していることからしても、非常に疑わしい状況――「確たる証拠」とは言えないまでも、彼らをして王妃が犯人であると思わせるような「なにか」は確実に存在している。ユージィンがこのまま引かなければ、オズワルドはその「なにか」を公開すると脅しているのだ。
むろんそんな真似をすれば大人しく謹慎しているガーランド公爵家が猛反発するだろうし、それに同調する貴族も現れて、国内は混乱に陥るだろう。オズワルドとしては、それでもユージィンに王座を奪われるよりはマシだと思っているに違いない。
そして国王や宰相は、リリアナ後継のためにオズワルドの行為を黙認するつもりなのだ。
勇者アスランの直系の子孫である王家の血筋は、エイルズワースの人間にとっては特別な意味を持っている。この国において、王族に危害を加えるのは光の女神に対する冒涜にも等しい行いだ。そこに「リリアナ王女誘拐事件の黒幕はヴェロニカ王妃である」という話が――ことに先ほどオズワルドが言っていた「ヴェロニカ王妃はリリアナ王女の殺害を命令したが、乳母が絆されて命を救った」という話がまことしやかに広まれば、その影響は計り知れない。
今までに支持表明してくれた高位貴族のうち何人かは手のひらを返してリリアナサイドに回るか、そこまで行かずとも中立に回ることだろう。
例えば民衆の支持を重視するタルボットは、手のひらを返す可能性の高い一人である。ラフロイやアシュトン、ブラッドレーは揺るがないだろうが、ヴァルデマーはどうだろう。キングスベリーは果たしてどうだろうか。
「……クレイトンが暴露する前に、こちらから彼らに事情を伝えた方が良いかもしれないな」
ユージィンがつぶやいた。
「ええ、確かにクレイトン様からおかしな話を吹き込まれる前に、こちらから詳しいことをお伝えした方が心証は良いと思います。……だけどそれは最後の手段ですわ。それよりもっと良い方法があります」
「良い方法?」
「ええ、王宮舞踏会までに王妃様の冤罪を晴らせば良いのです」
戸惑いの表情を浮かべるユージィンに、クローディアは「大丈夫ですわ。私に考えがあります」と励ますように笑って見せた。
実を言えば、先ほどクローディアがオズワルドに語った「確たる証拠が存在しないと考える理由」は後付けだ。
クローディアがあの場で断言できた理由はただひとつ。
ヴェロニカ王妃が誘拐に関わっていないことを――リリアナ王女誘拐事件の真相を、知っていたからである。
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