85 ブラッドレー家の家長として
「卒業式の前に知らない先生から呼び出されて、『ブラッドレー君は学年末試験の答案を全科目白紙で出したんですが、一体どういうことなのか、事情をご存じありませんか? ブラッドレー君は授業中ちゃんと答えていたし、レポートの出来も良かったのにおかしいですよね?』って訊かれた私の気持ちが分かる? 表向きはあくまで家族だから事情を知っているのではって言い方だったけど、あれは明らかに私がなにかしたんじゃないかって疑っている目だったわよ! 迷惑なんだけど! 私、貴方になにもしてないわよね?」
「いびった前科があるから……」
「ライナスは黙っててちょうだい! とにかくね、一体どういうことなのか、聞きたいのはこっちの方なのよ」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
ダミアンは素直に謝罪した。
「実はその……試験当日の朝、クレイトン先輩とモートン先生が試験の結果いかんによっては僕が公爵家を継ぐことになるだろうって話しているのを偶然聞いてしまったんです」
「それじゃ、ブラッドレー家を継がないために白紙で出したっていうの?」
「はい。断ってもなし崩し的に決まってしまいそうな気がして……とっさに『僕も落第するしかない』って思ってしまったんです。結局姉上は普通に卒業できたので、なんの意味もないことでしたけど」
「私を追い落として公爵になってやろうとは思わなかった? 貴方は私を嫌っていると思っていたけど」
「正直言って、数か月前までは姉上に良い印象を持っていませんでした。だけど謝罪して下さったことで少し印象が変わって……それからクラスのみんなが演習で姉上たちに助けられたとか、救護室に運んでもらったとか言っているのを聞いて、考えを改めたんです。姉上が僕に対して辛辣だったのは、僕の存在がそうさせていた面もあったんだろうなと」
ダミアンは淡々と言葉を続けた。
「僕は公爵となるための準備なんてなにもやっていませんし、自分が姉上より公爵に向いているとは思えません。ブラッドレー家は姉上が継ぐのが一番いいと思います」
ダミアンの言葉を聞きながら、クローディアは原作でダミアンが跡取りになったくだりを思い出していた。
あの世界のダミアン・ブラッドレーはエリザベスの廃嫡を聞かされた当初は「僕は公爵としてやっていけるのかな」と戸惑いを見せていたものの、オズワルドから「エリザベスのような性根の腐った女が公爵になるのは周囲にとっても不幸なことだよ」「あの底意地の悪い女よりは君の方がよほど立派な公爵になるに決まってるさ」と説得されて、あっさり受け入れていたと記憶している。
この世界ではエリザベスが異なる行動をとったことで、ダミアンの心情も変化したということだろう。
「そう……。まあ、私の方が当主に相応しいって分かっているのは上出来なんじゃないかしら」
エリザベスはそう言ってつんと肩をそびやかした。
「だけど貴方自身は将来どうするか考えてるの? 落第経験のある人間が文官に採用されるのはまず無理だし、婿入り先を探すのもかなり厳しいと思うけど。男爵にでもなる? うちの持っている男爵位なら譲ってあげても構わないわよ」
「お言葉は有難いのですが、僕は平民に戻るつもりです。色々考えたんですけど、やっぱり僕は貴族には向いていないと思うんです。この屋敷に来て貴族として暮らして、学院にも通って……楽しいこともあったけど、ついていけないことも多くて……。母と一緒に市井に住んでいたとき、劇場の支配人が僕のことを気に入って、舞台の仕事をやらないかって前から誘ってくれているので、それに甘えるつもりです。父にはもう話してあります。最初は反対されましたけど、落第したことを伝えたうえで、『この先、貴族としてやっていく自信がない』と言ったら、最後は納得してくれました」
「お父様はとっくに知っていたのね。別にいいけど、次期当主である私にも話を通しておいて欲しかったわ」
「すみません、姉上には僕から直接話すと父上に言っていたんです。だけど姉上は色々とお忙しそうだったので、パーティが終わったあとにしようかな、と」
その後ダミアンが語ったところによれば、舞台の仕事をするなら早い方がいいので、今日学院長に退学届けを提出したうえで、生徒会室にも立ち寄って、会長のアレクサンダーにも話を通してきたという。
アレクサンダーは当初驚いていたものの、ダミアンが「僕の存在が皆の負担になってるようで心苦しいです。やはり僕は皆と一緒にいない方がいいと思います」と伝えたところ、納得してもらえたとのことだった。
皆の負担というのは「立場の弱いダミアンのために」地下神殿でやったことを隠蔽した一件だろう。クローディアから見るとダミアンは口実に使われただけにしか思えないのだが、当のダミアンはそれを素直に受け取って、今までずっと罪悪感を覚えていたのかもしれない。
リリアナやオズワルドには会わないまま学院を去るのは、リリアナに会って引き留められたら辛いとか、オズワルドに白紙答案の件で詰られたら面倒だとか、おそらくそんな理由だろう。
「ふうん、まあそういうことなら、勝手にすればいいんじゃない?」
「はい……」
「だけど、もしなにか困ったことがあって、どうしようもなくなったら、私のところに来ると良いわ。少しくらいなら援助をしてあげなくもないし、貴方を理不尽な目に遭わせる者がいたら、私が対処してあげるから」
「姉上……」
「勘違いしないで欲しいんだけど、別に貴方を心配してるわけじゃないのよ? ただ私はブラッドレー家の家長として、一門に連なる者を守る義務があるのよ。だから……遠慮せずにいつでも頼って来ると良いわ!」
「はい、姉上」
そう言うダミアンの声は少しばかり震えているように思われた。
その後、最後の曲が始まり、エリザベス・ブラッドレーはダミアン・ブラッドレーとペアを組んで踊り始めた。クローディアたちは参加せずに二人のダンスを見守った。
「意外と様になってるな」
ライナスの言葉に、ルーシーが「ええ、お二人とも素敵ですわ」とうなずいた。
市井育ちのダミアンはぎこちないかと思いきや、なかなかどうして見事なものだ。おそらく運動神経が良いのだろう。華やかな金髪美女と妖艶な黒髪美少年の取り合わせはどこかエキゾティックな雰囲気で、二人が息を合わせて踊る姿は見ほれるほどに素晴らしい。これが最初で最後のダンスとなるのが、勿体ないと思えるほどだ。
「お二人は仲が悪いと聞いていたけど、和解なさったのね」
「今後はきっとお二人で協力し合って公爵家を盛り立てて下さるのだろうな」
なにも知らない寄り子の貴族たちが囁き交わす声が聞こえてくる。
皆でなんとはなしに感傷的な気持ちになりながら、エリザベスの当主就任を祝うブラッドレー公爵家の舞踏会は終了した。
舞踏会から二日後。夏季休暇に入ったクローディアは王宮にある魔術塔を訪れた。宮廷魔術師団長のラフロイ侯爵から「夏季休暇に入ったら一度見学に来ると良い」と誘われていたからである。
訪問目的のひとつは名目通りの職場見学。そしてもうひとつ、クローディアには以前から侯爵に尋ねてみたいことがあった。
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