81 これ以上庇いきれないと(アレクサンダー視点)
「そんな、嘘でしょう? ねえアレク、嘘だと言って!」
昼下がりの生徒会室に、リリアナの悲痛な声が響き渡る。最愛の女性の傷ついた声、泣きそうな表情に、アレクサンダーは胸を締め付けられるような苦痛を覚えた。なぜ自分がこんな残酷なことをリリアナに告げねばならないのか。「お願いね、リーンハルト君。私が言うより貴方の方が上手く伝えられると思うのよ」と押し付けてきた学院長を恨めしく思いながら、アレクサンダーは「本当です」と神妙な調子で口にした。
「院長先生がおっしゃるには、もうこれ以上庇いきれないと」
「だってそんな……モートン先生はフィリップを信用して鍵を任せただけなんでしょう? そんなことで学院を辞めなきゃいけないの? エヴァンズ侯爵だって、息子が信頼を裏切って申し訳なかったって言ってたんでしょう?」
「そのことですが、フィリップの奴、王都を出立する前に、その……みんなで冒険をしたことを全て父親に打ち明けたようなんです」
「全て? それじゃまさか、地下神殿のことまで全部打ち明けたっていうのか? あの馬鹿は」
オズワルドが横から口を挟んだ。
「そうらしい。それでエヴァンズ侯爵はそのことをかなり問題視していて、陛下のご意向なら表ざたにする気はないが、演習本部をずっと不在にしていたハロルド・モートンには責任を取らせるべきだと。それに鍵を渡した件についても、フィリップが皆と共に規則違反を繰り返してきたことを知っているのに、信用して鍵を任せたというのは信じがたい。不正に使用すると分かったうえで渡したんだろうと主張しているようです」
「え、そんな……みんなで冒険したことと、カンニングとなんの関係があるの? まさかその二つが同じだって言ってるの?」
震える声で問うリリアナに、アレクサンダーは急いで「もちろん俺も酷い言いがかりだと思います」と言葉を続けた。
「ですが、頭の固い人間にはその違いが本当に理解できないのかもしれません」
自由奔放なリリアナは、人から押し付けられたルールにはとらわれないが、自分自身の中にはきちんと守るべきルールが存在している。人として一本芯が通っている、とでも言うのだろうか。好奇心の赴くままに行動するため、少しばかり羽目を外すことはあるにせよ、カンニングで高得点を取るような卑劣な真似は絶対に受け入れないのがリリアナ・エイルズワースという人間だ。
実際、フィリップの不正にしてみても、当初は「フィリップがそんなことするわけないわ!」と本気で信じていたし、本人から事実だと告白されたあとは酷くショックを受けながらも、親身になって「フィリップ、友達だから厳しいことを言うけど、カンニングなんて卑怯な真似は絶対にしてはいけないことよ。しっかり反省して、新しいところでやり直してね」とフィリップを教え諭していたくらいである。
リリアナの信頼を裏切って傷つけたのみならず、今こんな思いをさせているフィリップに対し、アレクサンダーは改めて怒りを覚えた。
せめてモートンにはフィリップに不正を唆したなどと絶対に認めてほしくないと思う。
それが事実かどうかはどうでもいい。本音を言えば、ハロルド・モートンはリリアナを守るためならば多少手を汚すのもいとわないきらいがあるし、リリアナを守る同志であるフィリップが脱落するのを防ぐために不正の手助けをした、というのはいかにもありそうな話だと思っている。
しかしリリアナをこれ以上傷つけないためにも、モートンにはあくまでフィリップを信用して任せたという建前を貫いてほしい、アレクサンダーは心からそう思った。
「――とにかくそういう理由で、エヴァンズ侯爵はモートン先生を即刻辞めさせるべきだって院長先生に詰め寄ったそうです」
「それで、院長先生はそれを受け入れたの?」
「最初はもちろん突っぱねたそうです。だけどエヴァンズ侯爵は強硬で……もしハロルド・モートンを庇うようなら、学院長も教育者である資格がないと言って、エニスモア侯爵家の当主が王立学院の院長を務めるという慣例自体を見直すように諮問会議で提唱すると脅したそうです」
「諮問会議に……そこまでやるのか」
オズワルドが苦々しげにつぶやいた。
「でもそんなの、誰も賛成しないわ。そうでしょう?」
「いえ、それが……残念ですが、おそらくブラッドレー家とアシュトン家は嬉々として賛成すると思います。それからヴァルデマー辺境伯も『巨人騒動でうちの三男が死にかけたのに、助けにも来ずに雲隠れしていたあの教師を辞めさせろ』って前から騒いでましたし。それから宮廷魔術師団長のラフロイ侯爵も、地下神殿を捜索する際に学院側が非協力的だったと考えているようなので、おそらく賛成するんじゃないかと。それから……多分アデライド公爵も」
「アデライド公爵? なんでジェインのパパが賛成するの?」
リリアナが怪訝そうに問い返す。
「ジェイン・アデライドのグループは実践演習で三位に入っているんです。だからアデライド公爵は『演習点があればうちの娘は首席で卒業できたのに、演習点をゼロにしたせいで次席になって、卒業生代表の座を逃した』と言って、猛抗議しているんです」
「そんな下らないことで……」
「十五家のうち六つとなると、厄介だな。ここに元からエニスモア侯爵家と対立関係にある家や、この機会にエニスモア侯爵家の代わりに学院長の座を手に入れたい家が加わったら……」
オズワルドが考え込むように言う。
「ああ、それにラフロイ侯爵は諮問会議の中でも重鎮だし、エヴァンズ侯爵は他家の当主からも信頼がある。この二人が動いたとなると、流される家もあると思う」
「でも、仮に過半数が賛成に回ったとしても、院長先生を外すなんて、パパが許すはずがないわ」
「それは……俺もそう思います。学院長は今は亡きアンジェラ様の親友でもありますし。……ただエニスモア侯爵家にとっては、諮問会議で不適格の烙印が押されただけでも大変な不名誉ですから、今度は侯爵家内で内紛が起きて、院長先生が当主の座から引きずり降ろされる可能性があります」
アレクサンダーが説明すると、リリアナは悔しげに涙を浮かべた。
「私……分からないわ。家の名誉だとか、卒業生代表だとか、なんでみんなそんな下らないものに執着するのかしら。世の中には、もっと大切なことがたくさんあるのに……」
それは実にリリアナらしい言葉だった。リリアナは見栄や体裁といったものを一切気にしない。表面的なことを取り繕わない。だからそういうものに拘泥する俗物の気持ちが、本当に理解できないのである。
どこまでも無欲で、純粋で、地上に降りた天使のような少女、リリアナ・エイルズワース。そういう彼女だからこそ、どうしようもなく惹かれるのだろう。
「それで、モートン先生はどうなるの? どこか他の学校に行くのかしら」
「それは――」
そのとき生徒会室にノックの音が響いた。最近生徒会を休みがちなダミアン・ブラッドレーかと思って返事をすると、入ってきたのはまさに渦中の人物、ハロルド・モートンその人であった。
お読みいただきありがとうございます。
よろしければ、下の☆☆☆☆☆から評価を入れていただけると大変励みになります!





