79 学生時代の過ちは
「エヴァンズ様、一体なにしにいらしたんですの?」
クローディアは身体強化を発動させながら、ルーシーを庇うように前に出た。その気になればフィリップ・エヴァンズの一人や二人、ひねりつぶせる自信はある。
「おっ前、なにいきなり戦闘態勢に入ってんだよ! 危ねぇ女だな!」
「もう学院生徒でもない方が制服を着て学院内にいらしたら、不審に思うのは当然でしょう?」
「俺はまだ学院生徒だ! 今学期の終了日付で退学することになってるんだよ!」
「あらまあ、そうでしたの。……それで、退学までカウントダウン中のエヴァンズ様が、一体なにしにいらしたんですの?」
「決まってるだろ。ルーシーに会いに来たんだよ」
フィリップはそう言うと、ルーシーの方に向き直るなり、頭を下げた。
「ルーシー、今まで色々とごめんな。俺、あまりいい婚約者じゃなかったよな」
「え? いえ、その」
戸惑うルーシーに対し、フィリップは切々と言葉を続けた。
「実はさ、今、生徒会の奴らとも会ってきたんだ。だけどあいつらなんか冷たくて……。俺はみんなと一緒にいるためにあんなことまでやったのに、アレクサンダーは『カンニングなんて生徒会の面汚しだ』って罵倒してくるし、オズワルドは『僕が宰相、君が騎士団長としてリリアナ殿下を支えるはずだったのに台無しじゃないか。不正をするなら、もっと上手くやりたまえよ』と嫌味を言うばかりだし、ダミアンは『カンニングは良くないと思います』ってなんか他人事みたいだし、リリアナ様は『フィリップ、友達だから厳しいことを言うけど、カンニングなんて卑怯な真似は絶対にしてはいけないことよ? しっかり反省して、新しいところでやり直してね。離れてても、私たちずっとお友達よ!』って……おかしいだろ? いつも『規則っていうのは破るためにあるのよ!』って言ってたのはリリアナ様だぞ? 昼休みに学院を抜け出したり、演習で立ち入り禁止の場所に入り込んだりするのと一体どこが違うんだよ、一緒だろ?」
「さ、さあ、私からはなんとも……」
「それで……俺、やっと分かったんだよ。俺のことを本気で思ってくれるのはルーシーだけなんだって」
フィリップはそう言って微笑んだ。
「聞いたよ。リチャードとの婚約を断ったんだろ? 父上からそれを聞いて、俺、涙が出るほど感動したんだ。ルーシーは騎士団長夫人になることよりも俺を選んでくれたんだって。ルーシーがどれだけ俺のことを思ってくれてるのか、やっと分かった」
「え、いえ、違います。それは」
「俺さ、遠縁の男爵家に預けられることになったんだ。王都から離れたド田舎で、魔獣が多くて、戦える人材が足りないらしい。男爵夫妻は子供がいないから、俺がそこで真面目に頑張ったら跡取りにしてくれるって言ってて……だから俺、頑張るから、頑張って男爵家を継いで、必ずルーシーを迎えに――」
「待ってください! 違います!」
ルーシーの必死な声に、フィリップは驚いたように目を見開いた。
「違います。私がお断りしたのは、フィリップ様のためではありません。実を言うと、もともとフィリップ様との婚約も解消する予定だったんです。だからご希望には沿えません。ごめんなさい」
「え、そんな……」
愕然とするフィリップに、ルーシーは「それから、あの、これまでのこともごめんなさい」と頭を下げた。
「フィリップ様はご自分を良い婚約者ではなかったとおっしゃいましたが、それは私も同じです。婚約者としてフィリップ様のことを思うなら、最初に課題を頼まれたときにきっぱり断るべきだったんです。だけど私はフィリップ様のご機嫌を損ねて、父に伝わったらどうしよう、父に叱られたらどうしようって、そればかり考えて、唯々諾々と従ってしまいました。フィリップ様のことなんか、全然考えていませんでした。だからその……どちらも悪かったんです」
「ルーシー……」
「私たち、相性が悪いのだと思います。フィリップ様には私なんかよりずっとフィリップ様に合った方が見つかります。どうか、その方を大切になさってください」
それは嫌味でもお為ごかしでもなく、ルーシーの本心からの言葉であるように思われた。
フィリップにもそれが伝わったのだろう。ややあって、フィリップは「……分かったよ」とつぶやいた。
「ええと、それじゃ……俺はもう行くよ」
「はい。あの、フィリップ様、男爵領に行ってもお元気で」
「ああ。……君も元気で」
肩を落として立ち去ろうとするフィリップを、クローディアが呼び止めた。
「エヴァンズ様、お待ちになって下さい」
「なんだよ、なんか文句あるのか?」
「いえ、文句ではなくて、忠告を一つ」
クローディアは軽く咳ばらいをすると、笑みを浮かべて言葉を続けた。
「率直に言って、エヴァンズ様は見た目も良い方ですし、剣の才能もおありです。魔力も多い方ですし、お人柄もまあ、明るくて社交的、と言えなくもありません。今までの素行はけして褒められたものではありませんが、まあそこはそれ、学生時代の過ちですもの。これからの努力次第で、いくらでもやり直すことができますわ」
「なんだよ急に、気持ち悪ぃな」
「――ですから、学生時代の過ちは、学生のうちに全て清算してしまった方がよろしいのではありませんか?」
その言葉に、空気がぴんと張り詰めた。
「……もしかして地下神殿のことを言ってんのか?」
警戒心もあらわに睨みつけるフィリップに対し、クローディアは「ええ、とりあえずはそれですわね」とうなずいた。
「他にもあるならそのことも。まだ学生の身分がある間に、新しい土地でやり直す前に、一切合切、エヴァンズ侯爵に打ち明けてしまったらいかがでしょう」
「いかがでしょう、じゃねぇよ! お前、それ、自分の都合で言ってるだけだろ。俺がばらした方が自分にとって都合がいいから言ってんだろ。なにが忠告だ、ふざけんな!」
「まあ八割くらいはその通りですけど、残る二割は心からの忠告ですわよ? だってこのまま黙っていたところで、いずれ確実にばれますもの」
「なんだよそれ、脅してんのか?」
「とんでもありません、ただ事実を言っているまでです。こういうことはいつまでも隠しておけないものですわ。数か月後か、数年後か分かりませんけど、いつかは必ず表沙汰になります。私たちが言わなくても、ブラッドレー様が良心の呵責に耐え切れなくなって打ち明けるかもしれませんし、あるいはリリアナ殿下がちょっとした思い出話として誰かに話してしまうかもしれません。リリアナ殿下ご自身は、あれをそこまで重大な問題とは考えておられないようですもの。ブラッドレー様が公爵家から出たあとなら、もう隠す理由もなくなりますし……あり得ないと言い切れますか?」
クローディアの問いかけに、フィリップは無言で唇を噛んだ。
「先ほど申し上げた通り、エヴァンズ様は見目も良く、魔力も剣の才能もおありです。行った先で地道に努力すれば、いずれ皆から慕われる立派な領主様におなりでしょう。エヴァンズ様に寄り添って下さる素敵な奥様も見つかるでしょう。きっとエヴァンズ侯爵もお喜びになりますわね。一人息子は学生のころに問題を起こしたけど、今では立派に立ち直ってくれたって。そんな折に地下神殿の一件を聞かされたら、そのショックたるやいかばかりか、想像してご覧になって下さいな。過去に息子がそんな罪を犯していたこと、そしてそれを今までずっと隠していたこと、二重の意味での裏切りですもの。ああ、やっぱり息子は信用できない人間のままだったという絶望感。……それよりは評価がどん底の今、エヴァンズ侯爵に全て打ち明けて、そこからまた信頼を積み上げていった方がはるかに良いのではありませんか? 自分から告白してくれたということで、エヴァンズ侯爵の心証もだいぶマシになるでしょうし」
「もっともらしいこと言いやがって……。もし俺がそんなことをしたら、みんなは……リリアナ様は」
「大丈夫ですわ。エヴァンズ侯爵もいきなり世間に暴露するような無茶はなさらないと思います。貴方たちに黙っているようにと言ったのはモートン先生で、公表しないと決断なさったのは国王陛下だということもきちんとお伝えして、その後のことはエヴァンズ侯爵のご判断にお任せしましょう? それに『卑怯な真似をせず、しっかり反省して新しいところでやり直す』のがリリアナ殿下のご意向なのですから、エヴァンズ様はただそれに従ったらいいんじゃありませんの?」
クローディアは柔らかな笑みを浮かべて言った。
対するフィリップ・エヴァンズはしばらく無言で俯いていたが、やがて「もっともらしいこと言いやがって……」と呟くと、今度こそその場から立ち去った。
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