77 唯一の人物
「えええ? まさか、そんな……そんなはずがありませんわ!」
混乱するクローディアに、ユージィンが「何故そんなはずないんだ?」と怪訝そうに問いかける。
「え、いえ、だって……その、エヴァンズ様は試験前にルーシー様のところに来て、ノートを貸して欲しい、それが駄目なら勉強を教えて欲しいって泣きついて来たんです。そのとき今回は本気でまずいというようなことを言っていたので、てっきり落第ぎりぎりだと思っていたのですが」
「ルーシーさんの同情を買うために大袈裟に言ったのね、卑怯な男だわ」
エリザベスが軽蔑したように吐き捨てる。
「まあクローディア嬢の気持ちは分かるよ。俺もなんとなくもっと下の方かと思ってたし。今回の結果見て、あれ、意外とできるんだって驚いた」
クローディアとしては違う、そうではない、と叫びたい気持ちでいっぱいだったが、彼らに対して示せる根拠はなにもない。クローディアだって転生前の知識がなければ、「言動が馬鹿っぽいわりに意外と勉強はできるのね」と納得していたことだろう。
その後はカフェの名物であるチョコレートケーキを頂いたのち、皆で目抜き通りの店のいくつかに立ち寄ったあと、その日の外出は幕を閉じた。
帰宅したクローディアは、自室でお茶を飲みながらで盛り沢山な一日の出来事を反芻した。
大好きな小説をもとにした舞台が期待以上に素晴らしくて堪能したこと、それなのに本物の魔獣の出現によって台無しにされたこと、やり辛さを覚えつつも皆の協力の下でなんとか魔獣を倒したこと、王子役の俳優が毒を受けて苦しんでいたこと、ルーシーの応急処置が素晴らしかったこと、俳優の兄が「マッチョイケメン」ことトラヴィニオン辺境伯だったこと、ルーシーが辺境伯と良い雰囲気だったこと、それなのに名前を告げずに逃げてしまったこと、そして最後にフィリップ・エヴァンズの異常な好成績が判明したこと――。
(やっぱりどう考えても不正よね、あれ)
紅茶の馥郁たる香りを堪能しながら、クローディアはそう結論付けた。
フィリップ・エヴァンズが最終学年に進級する際、落第すれすれだったことは公式だ。ルーシーの助けによる平常点があった上でそうなのだから、試験結果は推して知るべし。それが二十一位だなんていくらなんでも不自然すぎるし、やはりなんらかの不正行為があったと見なすべきだろう。
そして不正だとしたら、今後自分の取るべき行動は――などと考えていたところ、侍女のアガサが封筒を載せた盆を持って現れた。
「お嬢様、レナード侯爵家からお手紙が届いております」
「手紙? なにかしら」
開いてみると、それは晩餐会の招待状だった。
同封された手紙には、約束通り今度の晩餐会でユージィン殿下を支持することを表明する予定だが、出席者の一人がやむを得ない事情で欠席することになったので、代わりにクローディアに出席してもらえないか、諮問会議のメンバーであるタルボット侯爵も出席予定なので、クローディアにとっても有意義な時間になると思う、といった内容がつづられている。
「……耳が早いわね、本当に」
クローディアは思わず苦笑した。
出席できるだけで大変な名誉とされるレナード侯爵家の晩餐会に、そう簡単に欠席者が出るとは考えられない。これはおそらく口実だ。察するに、劇場にいた観客の中にレナード夫人の知り合いがいて、今日の出来事を彼女に知らせたのだろう。レナード夫人は晩餐会の座興として、事の顛末をクローディアの口から直接語らせたいに違いない。
「これを持ってきた従僕は?」
「下で待たせておりますが」
「それじゃ、すぐに返事を書くからもう少し待つように言ってちょうだい」
クローディアは「大変魅力的なお申し出なので、喜んで出席させていただきます」という内容をしたためてから、少し迷ったのち、「実は確かな情報筋から、今、王都にトラヴィニオン辺境伯がいらしていると耳にしました」「もし可能でしたら、辺境伯様もご招待していただけたら大変ありがたく存じます」という内容を付け加えたものに封をしてアガサに手渡した。
レナード夫人ともなれば、トラヴィニオン辺境伯家ともそれなりの付き合いがあるはずだし、普段王都にいない高位貴族がこちらに来ていると知れば、招待すること自体に否やのあろうはずもない。またイアン・トラヴィニオンにしてみても王都で顔の利くレナード夫人との付き合いは辺境伯家にとって有益なので、応じてくれる可能性が高い。
イアンの顔を知らないはずのクローディアが「彼を劇場で見かけた」と言うわけにもいかず、なにやら胡散臭い言い方になってしまったが、その辺りは「なにかいい感じ」に解釈してくれるだろう、たぶん。
一方、クローディア側の目的は二つある。
一つ目は当然のことながら、諮問会議でユージィンを支持するようイアンを説得することである。いきなり決意させることは無理にしても、そのための布石くらいは打っておきたい。
そしてもう一つは互いに名前も知らないイアン・トラヴィニオンとルーシー・アンダーソンの仲介役となることだ。
ルーシー本人が望まない以上、現時点で二人を仲介するつもりはないが、イアンと顔見知りになっておくことで、いざというときに仲介できるポジションを確保するにしくはないだろう。
いざというときとは、むろん「ルーシーを取り巻く状況が変わったとき」を意味するわけだが、その点についてクローディアはそこまで悲観していなかった。
なんといってもフィリップ・エヴァンズはやりすぎた。本来ならぎりぎり落第を回避できる程度の点数にとどめておくべきだったのに、なにを血迷ったか、あの高得点をたたき出してしまった。
日ごろの成績を知らない友人たちは驚きつつも納得していたようだが、知っている人間ならすぐに違和感を覚えるだろう。例えばモートン以外の教師たちは、クローディアのように授業で積極的に回答しているわけでもない「平常点が壊滅的」なフィリップ・エヴァンズが、今回の試験だけ異様に点数が伸びているのを見れば、きっと不正を疑うはずだ。そしてもう一人――。
(一番期待できるのは、やっぱりあの人よね)
クローディアは一人うなずいた。
教師たちが不正を暴こうとしても、またぞろ学院長に隠蔽される可能性があるが、「彼」が動いてくれれば、全ては一気に解決する。
学院長、さらにはそのバックにいる国王の思惑すら無関係にフィリップ・エヴァンズの処遇を決定できる唯一の人物。原作の通りなら、「彼」はこんなことはけして許さないはずである。
クローディアはそこに望みをかけた。
果たして。翌日、クローディアは登校するなりルーシーに腕を取られて空き教室へと連れ込まれた。
「すみませんクローディア様、ご報告したいことがあるのですが……その、他家の内情にも関わることなので、あまり人に聞かれない方が良いものですから」
「それは構いませんけど、一体何があったんですの?」
クローディアがさも不思議そうに問いかけると、案の定、「実は昨日、エヴァンズ侯爵が我が家においでになったんです」との返事。
「まあ、エヴァンズ侯爵が?」
「はい。エヴァンズ侯爵がおっしゃるには、フィリップ様の試験結果があまりに不自然だったのと、成績を報告してきたときの態度が挙動不審だったので、なにか疚しいところはないか問い詰めたんだそうです。そうしたら……フィリップ様は試験で不正をしたことを認めたということでした」
「まあ、そうでしたの。それで、エヴァンズ侯爵はどうなさったんですの?」
「はい、それでエヴァンズ侯爵はフィリップ様を廃嫡して、王立学院にも退学届けを出してきたと……それで、私とフィリップ様の婚約も解消することになりました」
ルーシーはフィリップとの婚約が解消された喜びと、彼の不幸を喜ぶ後ろめたさがない混ぜになった、複雑な表情を浮かべてそう告げた。
お読みいただきありがとうございます。
よろしければ、下の☆☆☆☆☆から評価を入れていただけると大変励みになります!