74 『愛の輪舞』と謎の男性
翌日。クローディアたちは近くのカフェで待ち合わせたあと、目当ての『愛の輪舞』が上演されている中央劇場へと赴いた。幼いころのクローディアは父に連れられて頻繁に訪れていた劇場だが、父と仲違いしてからすっかり足が遠のいていたので、来たのは随分と久しぶりだ。
アレクサンダーを誘っては断られていた婚約時代を思い出しつつ、スタッフに案内されて指定のボックスに到着すると、そこは舞台のほぼ正面に位置する大変すばらしい席だった。
これは相当に値が張ったのではないか。「外せない用事ができたから」とチケットを譲ってくれたルーシーの叔母はさぞや落胆しているのではないか。などと心配になって、ついそのことを口にすると、ルーシー曰く「叔母は王子役の俳優の大ファンで、応援も兼ねて全日程のチケットを抑えているので大丈夫です」との返事。前世で言うところの「強火担」という奴だろうか。子爵夫人としての交際費を全て舞台につぎ込んでいるそうで、別の意味で心配になった。
やがて定刻になり、いよいよ『愛の輪舞』の幕が上がった。
第一幕は原作の一巻部分に相当する内容で、虐げられたヒロインが舞踏会で王子様に見初められ、苦難の果てに結ばれるまでが見事に演じられていた。王子役の俳優はクローディアから見てもなかなかのはまり役で、ヒロイン役の女優との息の合った演技が大変素晴らしかったし、二人の仲を妨害する義母と異母妹のいやらしさは実に真に迫っていて、見ていて身震いがするほどだ。
二人のおぞましさに戦慄しながら、クローディアはふと、原作の一巻を読みながら、義母ヘレンと異母妹ソフィアがどんな人物なのか不安を覚えていたことを思い出した。ほんの数か月前のことなのに、まるで遠い昔のように感じられる。
やがて第一幕が終了し、五人は貴賓室で軽食をつまみつつ、舞台の内容について語り合った。
クローディアが「王子役の方もヒロイン役の方も本当に素晴らしくて、まるで小説の二人がそのまま抜け出してきたみたいでしたわ!」と絶賛すると、ルーシーも「ええ、本当に期待以上で感動しました」と頬を染める。一方ユージィンは「うん、確かにクローディア嬢の言っていた通り、あの王子は格好良かったな」となにやら神妙な顔でうなずいていた。
クローディアは「巨人から助けてくださったときのユージィン殿下も、負けず劣らず格好良かったですわ!」と口にしようかと思ったが、恥ずかしいのでやめておいた。まあ、そんなこと正面切って言われたら、ユージィンの方も困るだろう。
ライナスは「俺は義母がヒロインを焼き殺そうとするシーンが気に入ったな。あそこ、本物の火を使ってるよな? 芝居だと分かっててもはらはらしたぜ」と高揚した面持ちで力説し、エリザベスも「演出もかなり力が入っているわよね。私が公爵家当主になったら、気に入った劇団を後援するのも悪くないわね」と笑みを浮かべた。
「担当しているのは新進気鋭の舞台監督で、色々とこだわりがある方なんだそうです。あのシーンもすごく素敵でしたけど、叔母が言うには、見どころは後半なのだそうです。ネタバレになるので詳しくはいえませんけど、王子が五人目の義母と決着をつけるときの演出が本当に素晴らしいのだとか」
「五人目の義母というと、あのシーンですわね?」
クローディアが尋ねると、ルーシーは「ええ、あのシーンです」と微笑んだ。
「なによ、なんだか既読組同士で思わせぶりね」
「だって本当にすごい展開なんですもの。あれを舞台で再現するなんて、一体どんなふうに魅せてくれるのか楽しみですわ!」
ひとしきり盛り上がったあと、連れ立って席に戻ろうとしたわけだが、その途中で思わぬハプニングが起きた。クローディアとのお喋りに興じていたためか、ルーシーが階段の中ほどでうっかり足を踏み外したのである。
クローディアが咄嗟に腕を伸ばすが間に合わない、あわや転落かと思ったところで、ルーシーの華奢な身体はすぐ後ろにいた男性の腕に抱き留められた。
「申し訳ありません! とんだご迷惑をおかけして」
ルーシーは体勢を立て直すと、慌てた様子で頭を下げた。
「別に。大したことじゃない」
ぶっきらぼうに答えたのは、長身でがっしりした身体付きの男性だった。年のころは二十代前半くらい。鋭いまなざしに端正な顔立ち、ユージィンとはまた違ったタイプの、迫力のある美男子だ。
「本当に申し訳ありません。それから、あの、ありがとうございます」
恐縮しきりのルーシーに対し、男性は軽くうなずくと、別のボックスへと消えていった。
「ルーシー嬢、怪我はないか?」
「受け止めていただいたので大丈夫です。……恥ずかしいです。知らない方にまでご迷惑をかけてしまいました」
「混み合ってる場所では良くあることですもの、気にすることありませんわ」
「そうよ、私も昨日四阿に行く途中で足を踏み外して転げ落ちたばかりだもの、良くあることよ」
「だからあんなに遅かったのか……」
しょげ返っているルーシーを皆で慰めながら、クローディアは妙な既視感を覚えていた。
(さっきの人、どっかで見た気がするのよね……)
しかしどこで見たのかは分からない。あんな印象的な男性なら、一度見たら忘れられないと思うのだが。
あの男性は一体どこの誰なのか。席に戻った後もあれこれ考えていたものの、第二幕が始まった途端、全て頭から吹き飛んだ。
第二幕は原作の二巻部分に相当する内容で、新たに登場した五人の義母の恐ろしさと、ひるまず立ち向かう王子の勇敢さ。そして王子を信じるヒロインの健気さが、見事なまでに表現されていて素晴らしかった。
クローディアがはらはらしながら見入っているうちに、物語はいよいよクライマックスの名場面。追い詰められた最後の義母が暗黒竜に変身するシーンへと差し掛かった。
(これは……確かに迫力満点だわ……!)
クローディアは思わず感嘆のため息を漏らした。
身を震わせて咆哮をあげるドラゴンの凄まじさときたらどうだろう。どうやって動かしているのか知らないが、まるで本物のようではないか。
ただ残念なのは王子役の方で、なんとはなしに腰が引けているように感じられる。ドラゴンから距離を取りつつ「近寄るな」とばかりに剣をぶんぶん振り回す姿は、勇ましいヒーローというよりむしろ魔獣におびえる一般人だ。
観客に危機感を与えるための演出なのだろうが、これはちょっといただけない。
(原作では王子様が勇敢に立ち向かう場面なのに、これってさすがにキャラ崩壊じゃないかしら!)
もやもやしながら横目で見やると、隣に座っているルーシーも「同感です」と言わんばかりにうなずいた。ユージィンやエリザベスも、王子役の情けない姿に困惑した表情を浮かべているし、ライナスも――。
ライナスはふいに「違う!」と声を上げた。
「殿下、探索魔法に引っ掛かりました。これは作り物ではなく、本物の生きた魔獣です……!」
ライナスがそう口にした瞬間、目の前のドラゴンは王子役の俳優をぱくりと口に咥え、ぶんと振り回して観客席へと放り出した。
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