72 レナード侯爵夫人とのお茶会
翌日。約束通り、レナード侯爵夫人が三男のセオドアを伴ってラングレー伯爵邸を訪れた。彼女の第一印象はたおやかな佳人といったところだが、その実、原作のオズワルド・クレイトンをして「あの女狐」と言わしめた女傑である。母と共に現れたセオドアは優し気な雰囲気の美少年で、六歳ながらきちんと挨拶の口上を述べる姿は育ちの良さを感じさせた。
その後、セオドアは出迎えたソフィアやヘレンと共に庭へと向かい、クローディアと侯爵夫人二人きりのお茶会が幕を開けた。
話題は無難に巨人退治から始まった。クローディアたちの活躍に対し、型通りの賛辞が贈られたあと、話は宮廷魔術師抜擢の件へと移り、「本当に素晴らしいお仕事だもの。もちろんずっと続けるおつもりなのよね?」「ええ、もちろん一生続けたいと思っています」といったやり取りをしばらく続けた結果、夫人の目的について確信を得たクローディアは、侍女のサラに命じてくだんの封筒を持ってこさせた。
「ところで、今日はお近づきの印に差し上げたいものがありますの」
「まあ、一体なにかしら」
「どうぞ、中をご覧になって下さい」
優雅な仕草で中身を確認したレナード夫人は、一瞬目を見開いたのち、微笑んだ。先ほどまでの柔らかな微笑とはまるでことなる、共犯者めいた微笑みだ。
「まあ素敵、気に入ったわ」
「お気に召したようでなによりです」
クローディアもそう言って微笑み返した。
封筒の中身は息子をラングレー伯爵家に婿入りさせたい母親ならば垂涎の品――「クローディア・ラングレーは正当な理由がない限り、この家を相続する権利を主張しない」という内容の誓約書である。
実際のところ、息子の婿入り先として見るならば、ラングレー伯爵家ほどの好条件はまたとあるまい。跡取り娘のソフィアはまことに利発で愛らしい少女である上、受け継ぐ領地は国内きっての豊かさを誇り、有能で信頼のおける代官というおまけつき。義両親になる現当主夫妻はいずれもおっとりした好人物で、娘夫婦に口うるさく干渉することもなさそうだ。そんな良いこと尽くめのラングレー伯爵家において、唯一の懸念事項がソフィアの異母姉にして「元」跡取り娘であるクローディアの存在に他ならない。
ソフィアと婚約したセオドア少年が次期領主の配偶者としての勉強に励んでいる最中に、クローディアが「宮廷魔術師なんてもうやめる!」といって実家に戻ってきた挙句、「やっぱり私が跡を継ぐわ!」などと言い出したら目も当てられないことになる。
古今東西、長子が何らかの理由で継承権を譲ったあとで「そんなつもりじゃなかった」「譲ることを強要されていた」などと訴えて、泥沼の争いに発展するケースはけして少なくないのである。
クローディアが用意した文書は後日起こり得る紛争に対して強力な歯止めとなるだろう。
ちなみに「正当な理由」に関しては、ソフィアの配偶者が問題のある人物で、他家の利益のためにラングレー領を犠牲にしたり、他家の血筋を勝手に引き入れてお家乗っ取りを企んだり、といった内容が事細かく例示されている。クローディアがラングレー伯爵家の顧問弁護士ブラウンに依頼して、実際にあった事例を参考にしつつ作成された内容だが、そこに「今の仕事が嫌になったから」といったクローディアの個人的都合が含まれないことは言うまでもない。
「――それで、私はこの素敵なプレゼントに対して、どんなお返しを差し上げたら良いのかしら」
「さすがレナード夫人。お話が早くて助かりますわ。先ほど申し上げた通り、私は宮廷魔術師の仕事を一生続けたいと思っています。ただひとつ気がかりなのが、宮廷魔術師としてどなたにお仕えするか、という問題ですの」
「ああ、なるほど、分かったわ。……やっぱりリリアナ殿下が上司では差し障りがあるものねえ、色々な意味で」
レナード夫人の口調からは、クローディアの婚約が破綻した一因がリリアナにあることも把握済みであることがうかがえた。
「それにリリアナ殿下に関しては、地下神殿の件で不穏な噂もあるようだし……もちろん噂は所詮噂だけど、ほら、ラフロイ侯爵のこともあるでしょう? あの方は邪神の脅威を大真面目に考えていらっしゃるから、てっきり魔力量の豊富なリリアナ殿下よりだと思っていたのに、真っ先にユージィン殿下を支持なさるんだもの。裏にどんな事情があったものやら。ねえ、クローディア様はご存じなんじゃないかしら」
誘うような問いかけに、クローディアは「まあ、地下神殿でなにがあったかなんて、私には見当もつきませんわ」と首をかしげて見せた。
ラフロイ侯爵との約束は別にしても、ここで下手なことを口にした結果、「ユージィン殿下と親しいクローディア・ラングレーがリリアナ殿下を誹謗中傷した」という噂が広まる可能性だってけしてゼロではないからだ。
「私はリリアナ殿下に対してなにも含むところはありませんわ。ただ演習の際にご一緒させていただいたユージィン殿下がとても素晴らしい方なので、宮廷魔術師としてあの方にお仕え出来たらと願っていますの。それだけです」
「ほほほ、用心深いのね、良いことだわ。……ええ、それならそれで結構よ。ユージィン殿下のご活躍については私も耳にしていることだし、今度我が家が開く晩餐会の席上で、我が侯爵家としてユージィン殿下を支持することを正式に表明させていただくわ。それで貴方は理想的な上司を、私は息子に素晴らしい婿入り先を手に入れる、というわけね」
ここで「帰って夫を説得する」などと言わないあたりが、レナード夫人のレナード夫人たるゆえんだろう。
「ありがとうございます。レナード夫人、心より感謝いたします。ただ私が自由にできるのはあくまで自分の相続権だけですから、ご子息が素晴らしい婿入り先を得るかどうかはソフィア次第。その点について私の後押しは期待なさらないでくださいませ。あの子には自分を大切にしてくれる殿方と、愛し愛される幸せな結婚をして欲しいと思っていますの」
王位継承のためにソフィアの将来まで差し出すつもりはないことは、きちんと釘を刺しておく。
「ええ、もちろんそれで構わなくてよ。セオドアにとっても、相性の良い相手と結婚するのが一番の幸せだもの」
レナード夫人はそう言いながら、掃き出し窓へと視線を転じた。クローディアも釣られて目をやれば、窓の向こうでセオドアとソフィアが愛犬ジャックを交えて、楽し気に笑い戯れているさまが目に映る。
「ふふふ、本当に仲の良いこと。もうあんなに打ち解けて」
そういう夫人は、将来ソフィアに選ばれるのは自分の息子だと確信しているに違いない。
「ええ、仲が良くて微笑ましいですわね」
クローディアもにこやかに相槌を打った。
ちなみにソフィア・ラングレーは大変コミュニケーション能力の高いお子様であり、出会った全ての子供と打ち解けるという記録を更新中なのだが、それは今ここで明かす必要のない情報である。
まあクローディアの見たところ、セオドア・レナードはなかなか良さそうな少年ではあるし、特に問題を起こさなければ、このままソフィアのお相手に選ばれるのではなかろうか。
その後のお茶会はクローディアにとって実に有意義なものだった。レナード夫人は優雅に茶菓を楽しみながら、諮問会議の構成員について、かなり明け透けな情報をクローディアに披露してくれた。
あそこの当主はこういうことに影響を受けやすいとか、あそこの家で実権を握っているのは当主ではなく誰それだとか。ただし王妃の実家であるガーランド公爵家に関しては、レナード夫人も詳しい情報を持っていないとのことだった。
「ただはっきりしているのは、ガーランド公爵夫妻は王妃様の起こした『問題』に責任を感じて、謹慎しているということくらいかしらね」
出会った当初に比べると、ぐっと気安い調子で夫人は言った。
「陛下とクレイトン宰相は詳しい事情をご存じのようだけど、それ以外に誰が知っているかは分からないわ。あとはもちろん、当事者である王妃様とガーランド公爵夫妻」
国王と宰相から情報を得るのは不可能だし、幽閉中のヴェロニカ王妃には会うことすら叶わない。となれば、ユージィンが夏季休暇を利用してガーランド領に赴いて、公爵夫妻に直接当たってみるしかないだろう。
(さすがに孫のユージィン殿下が出向いたら、会わないってことはないわよね……)
お茶会を終えて、夫人とセオドア少年が帰宅したあと、クローディアは一仕事終えた気分で伸びをした。
明日はいよいよ、試験結果の発表である。
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