70 公爵邸での勉強会
翌日。クローディアたちはブラッドレー公爵邸に集合し、予定通り勉強会を行った。
最初に取り組んだのはクローディアが教師役を担当する数学である。エリザベスは始めてしばらくの間は悪戦苦闘していたものの、いくつか引っ掛かっている部分が解決したあとは、すいすいと理解が進んでいった。クローディアが思わず「まあ、できるじゃありませんの、エリザベス様」と感嘆したら、エリザベスは「当たり前じゃない。私はやればできるのよ。ただやらなかっただけなのよ」と胸を張ったが、別に自慢するようなことではない。
他の三名にはあまり教えることもなかったので、前世で習った受験テクニックを披露するなどしたところ、皆から大変喜ばれた。
次に取り組んだのは古代語だが、意外なことにユージィンは教えるのが下手だった。物心ついたころから古代語に慣れ親しんでいて、まともに勉強した記憶がないため、「分からない」という感覚が分からないらしい。そこでライナスが代わりに担当したところ、こちらはなかなかの教え上手で助かった。
なにやら落ち込んでいるユージィンには歴史と地理を担当してもらうことにした。各地の四方山話や王家の裏話なども交えながら教えてくれたので、これはこれで有意義だった。
クローディアが質問を挟みながら熱心に耳を傾けていると、ユージィンは「クローディア嬢は王家の歴史に興味があるんだな」と顔をほころばせていた。やはり自分の一族に関心を向けられるのはとても嬉しいものなのだろう。
ルーシーの薬学は教え方が大変分かりやすいうえ、要点がきちんとまとめられたノートがまた素晴らしくて、これはフィリップが欲しがるはずだと納得した。エリザベスは「もうこれ、出版したらいいんじゃないかしら」と絶賛していたが、クローディアとしても同感だ。
休憩時間では公爵家の厨房が腕を振るった豪華な茶菓を堪能したあと、エリザベスに防音結界を見てもらったが、「魔力を込めるタイミングがおかしいわよ」「ほら、ここに力が入りすぎてて魔力の流れが偏ってるのよ」などアドバイスが実に的確で、その通りにやってみたところ、誰もがあっさり上達してしまった。
ライナスの探索魔法の解説も分かりやすくて、この分だとクローディアたちは当初考えていたより上位を狙えるかもしれない。
とはいえエリザベスの卒業に関してはまだまだ楽観できないが。
その後も勉強を続けたあと、二度目の休憩ではエリザベスの案内で公爵邸の庭園内を散策した。
広さはラングレー邸には及ばないものの、年を経た植栽は神さびた趣さえ感じられ、さすが名門公爵家といった感がある。庭の中央には水蓮の浮かぶ池があり、周囲の古木が青い影を落としていて、どことなく幻想的な雰囲気だ。最近読んだ恋愛小説には、まだ幼い辺境伯が池のほとりでまどろむヒロインを水の精と間違えるくだりがあるが、彼らが出会った池はこんな風だったのかもしれない。
クローディアがロマンティックな夢想に浸っていると、傍らにいるライナスが「ここに来たのも久しぶりだな……」と感慨深げにつぶやいた。
「そういえば、ライナス様はエリザベス様とご親戚でしたわね。この家にはよくいらしてたんですの?」
「伯母上がまだ生きていたころ、母上に連れられてときどきな。……この池、こんなに小さかったんだな」
「まあ、ライナス様にとって、なにか思い出のある池ですの?」
「ああ。子供のころ、エリザベスに突き落とされたんだ」
「え」
「あれは! 貴方が庭で見つけた芋虫を『ほらこれ、お前の縦ロールにそっくりだろ』って私に突き付けてきたからでしょ!」
「喜ぶかな、と思ったんだよ」
「どこに喜ぶ要素があるのよ!」
「お二人とも、子供のころから元気が良かったんですね……」
この二人の思い出に期待した自分が馬鹿だった。
遠い目をするクローディアに、ルーシーが「クローディア様はどんな子供時代だったのですか?」と問いかけた。
「私が子供のころはひたすら父にべったりでしたわね。私は母がいなかったので、父は私が寂しくないように、色んなところに連れて行ってくれましたの。お芝居とか、植物園とか、音楽会とか、それで……十歳でリーンハルト様と婚約してからは、ひたすらリーンハルト様を追い回していましたわ」
クローディアは九歳のときに父と義母を相手に大暴れした件については割愛した。
「ルーシー様はどうでしたの?」
「私は家で本を読んでいることが多かったです。うんと小さい頃は乳母が毎晩読み聞かせてくれたんですけど、途中から続きを待ちきれなくなって、図書室に入り込んで自分で読むようになりました。好きな物語がお芝居になったときは、乳母にせがんで連れて行ってもらったりしましたわ」
「子供のころから文学少女だったのですね。ルーシー様らしいですわ」
ルーシーらしいというか、前世でイメージしていた貴族令嬢らしい子供時代だ。
「ユージィン殿下は、やっぱりライナス様と剣術ごっこをなさったりしていたのですか?」
「いや、私とライナスが出会ったのは学院に入ってからだ。周りに同年代の子供がいなかったから、指南役の騎士に型を教えてもらって一人で練習していたよ。あとは私も図書室で本を読むことが多かったな。物語よりも歴史書が中心だったけどね」
「それはそれでユージィン殿下らしいですわね」
笑顔でそう口にしながらも、クローディアは少々複雑だった。
王子殿下ともなれば、将来の側近候補たちが入学前から「遊び相手」に選ばれて城に上がるものだと思っていたが、彼にはそういう相手も与えられなかったのだろうか。
(……考えてみれば生徒会の人たちって、本来ならそういうポジションよね。王子殿下と同じ年齢の公爵令息と宰相の息子と騎士団長の息子だもの)
本来なら入学前から王子と付き合いがあってしかるべき青年たちのいずれもが、王子とろくに交流がないという事実。リリアナ視点で漫画を読んでいた時は特に気にもならなかったことが、今のクローディアにはユージィンの冷遇ぶりやこの国の闇の深さを如実に表しているようで、なにやらうそ寒い心地がする。
父親の国王があの通りなうえ、母親のヴェロニカ王妃はユージィンが物心つく前に北の離宮に移っているので、彼の周囲にはその手のことを差配する者が誰もいない状態だったのだろう。
王妃の両親、すなわちユージィンの祖父母に当たるガーランド公爵夫妻も王妃が離宮に移ると同時に領地に引きこもるようになり、王都で催される舞踏会や晩餐会はもとより、国政の重要事項を決める諮問会議も全て欠席しているという。
王妃がなにか問題を起こしたことを受けて、ガーランド公爵も謹慎しているのか。あるいはガーランド公爵がなにか問題を起こしたことを受けて、王妃も謹慎を余儀なくされているのか。あるいは両者がなにか共謀した結果、国王の逆鱗に触れたのか。
ユージィンとの交流も拒んでいるため、真相は未だ不明だが、彼が王座を目指す過程で、いずれ正面から向き合わねばならない問題である。
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