68 ルーシーの悩みとクローディアの思惑
放課後。クローディアはいつものようにルーシーと連れ立って馬車置き場へと向かったわけだが、ルーシーは少し元気がない様子で、なにごとかを考え込んでいるようだった。
「ルーシー様、もしかして、さっきのことを気にしてるんですの?」
「気にしているというか……フィリップ様とのこと、このままでいいのかなって考えてしまって」
「え、このままでって、まさかあの方に勉強を教えるつもりですの?」
クローディアがぎょっとして尋ねると、ルーシーは「いえまさか、そんなつもりはありません」と慌てたように首を横に振った。
「ただ婚約者同士の勉強会というのは、別に無茶な提案ではありませんし、私が普通の婚約者だったら、きっとお受けしていたと思うんです。私はあの方との婚約を継続するつもりがないので断ってしまいましたけど、そういう気持ちを隠したまま、卒業までずっと形だけの婚約者を続けていくのはあまりに不誠実な気がして」
「そもそも不誠実な態度をとっているのはエヴァンズ様の方でしょう。日ごろ婚約者らしいことなんて一切やらないくせに、こんなときだけ頼ってくる相手のことなんて考えることありませんわ!」
クローディアはそう反論したものの、ルーシーの気持ちも分からないではなかった。
ルーシーは薬師を目指すと決意した時点で、フィリップに対して完全に見切りをつけているものの、その意思を父親にもエヴァンズ侯爵家にも一切明らかにしていない。
優しい父に甘やかされているクローディアと違って、ルーシーは父親に伝えたら即座に勘当されて屋敷を追い出されかねない身の上だし、まだ進学までは一年余りもある以上、当分の間は伏せておくしかないわけだが、真面目なルーシーは父親やフィリップに対して後ろめたく感じているのだろう。
「今はそんなことを考えずに、試験に集中すべきだと思いますわ。いずれお父様やエヴァンズ様に打ち明けるにしても、もう少し先にすべきです。だって、もしかしたら――」
「もしかしたら、なんですの?」
「……いえ、今回すごく良い成績を取ったら、お父様がルーシー様の進学と婚約解消について理解して下さる可能性だって、絶対ないとは言い切れないでしょう? だからまずは試験を頑張るべきですわ」
「え、それはないと思いますけど……でも、そうですね。理解までいかなくても、多少は父の態度が軟化する可能性もないではありませんし……とりあえずは試験に集中することにします」
ルーシーはそう言って微笑んだ。
帰りの馬車の中で、クローディアは少々複雑だった。実を言えば、あのとき頭に浮かんだのは、ルーシーに伝えたものとは別の内容だ。
もしかしたらフィリップ・エヴァンズの廃嫡によって、彼との婚約が自動的に解消される可能性だってある――あのときクローディアはそう考えていたのである。
生徒会のお調子者、フィリップ・エヴァンズの成績が悪いことは、原作内でも繰り返し取沙汰されている「定番ネタ」だ。最終学年に進級するときも落第と紙一重だったことが「君は本っ当にぎりぎりだったんですからね。夏季休暇の間にしっかり勉強しなさい」「え、フィリップったらそうだったの?」「先生、ばらさないでくださいよ!」といったやり取りによって描写されていた。
その「ぎりぎり」がルーシーのレポートや授業ノートによる助力があった上でのものならば、今回の彼は相当に危うい状況だ。さらにブラッドレー家絡みの陰謀のおかげでオズワルドによる助力も得られないともなれば、まず九割九分九厘、フィリップ・エヴァンズは落第する。
むろん落第イコール廃嫡と決まったわけではない。エリザベスと違ってフィリップは一人息子だし、原作によれば両親との関係も良好だ。エヴァンズ侯爵が単なる叱責で済ませる可能性だって普通にある。
その一方で、フィリップはエリザベスのように家の仕事で忙しかったわけではなく、単純に遊び惚けての落第であり、酌量の余地はほとんどない。巨人騒動での疑惑については息子の潔白を信じたとしても、あの状況下で何の役にも立たず、かといって演習で成果を挙げたわけでもない息子に対し、エヴァンズ侯爵とて思うところはあるだろう。その状況における落第だ。
実直な武人であるエヴァンズ侯爵が「そんな怠惰で不真面目な人間は、騎士団長という重責を担うエヴァンズ家当主に相応しくない」と見なす可能性だってけして小さくはないのである。
どちらに転ぶかは五分と五分――いや、若干後者の可能性が上回っているかもしれない。
そして仮に廃嫡となれば、当然ルーシーとの婚約だってエヴァンズ家有責で解消することになるだろう。フィリップはルーシーをないがしろにした結果、ルーシーに見捨てられて落第し、全てを失う羽目になる。これぞまさに因果応報――などと伝えようものなら、優しいルーシーが罪悪感を抱く可能性があるので、あえて口にしなかった。
(でも、実際フィリップ・エヴァンズが廃嫡になったら、王位継承の件でもすごく助かるのよね。エヴァンズ侯爵が諮問会議でリリアナを支持する理由もなくなるわけだし)
クローディアがエヴァンズ侯爵をリリアナ側にカウントしているのは、後継者がフィリップだからである。当主として侯爵家の利益を考えれば、跡取り息子と近しいリリアナを女王に推すのは当然のことだ。
しかし仮にフィリップが後継から外れるのなら、事情は全く異なってくる。こちらの説得次第では、エヴァンズ侯爵にユージィンを支持させることだって可能なのではなかろうか。
などと考えているうちに、馬車はラングレー伯爵邸に到着した。
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