66 大義名分になりますわ
(え、なんで? なんでエリザベス様が留年するのよ!)
クローディアは混乱していた。少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』の記憶によれば、エリザベス・ブラッドレーは弟ダミアンに後継の座を奪われたあと、嫁ぎ先も見つからないまま、卒業後にひっそりと修道院入りしたことがオズワルドを通じて語られている。
――そう、原作のエリザベスはちゃんと卒業しているのだ。魔獣の掘った穴に落ちて泥まみれになり、演習点など一点も入らなかった原作のエリザベス・ブラッドレーは、それでも立派に王立学院を卒業している。それなのに、なにがどうしてこういう事態に陥っているのか。
「エリザベス……お前、そこまで馬鹿だったっけ」
「馬鹿じゃないわよ! 卒業できる程度の成績はちゃんとキープしていたんだから。だけどほら、実践演習で優勝したじゃない? その分の加点があると思って、ちょっと手を抜いただけなのよ。演習以来、父は私に当主の仕事を任せてくれるようになって、私も学院の勉強より実務の方がやりがいがあって面白かったから、どんどん引き受けているうちに時間が足りなくなってしまって、それでちょっとどうしようかと思ったんだけど、演習点があるから卒業は出来るしまあいいかと思って、それでつい提出課題とか小テストとかが適当になって、予習復習も後回しになって、それでも演習点があるからそれで」
「うん、分かった。もういい。大体わかった」
ちなみに王立学院の進級及び卒業は必要な単位をそろえたうえで、なおかつ全科目の平均が基準値を上回る必要があるが、エリザベスが危ないのはこの平均の方らしい。全科目まんべんなく手を抜いたために、単位は取れるが卒業試験で相当頑張らないと基準値をクリアできないとのこと。
クローディアはエリザベスの尊大さや自信満々な態度から、勝手に成績優秀なイメージを抱いて、「グループの中で底辺に近いのは私だけ」と思い込んでいたのだが、そういうわけでもなかったようだ。
とはいえこれは「仲間がいた!」と喜べるような状況ではない。
「……とにかく、これで分かりましたわね。今回の措置のターゲットはエリザベス様ですわ。モートン先生はなにかごちゃごちゃ理由を言ってましたけど、真の目的はエリザベス様の卒業を阻止すること、ただそれだけです」
クローディアの言葉に、ライナスが「ああ。俺もそう思う」とうなずいた。
「たぶん首謀者はオズワルド・クレイトンだな。あいつはダミアンからエリザベスの当主就任の件を聞いて、なんとか阻止できないかとモートン先生に相談したんだろう。そしてエリザベスの成績が演習点を含めてぎりぎりだと知って、演習点をゼロにすることを思いついたんだよ、きっと。最終目的は、エリザベスの当主就任を阻止したうえで、廃嫡にまで追い込むことだ」
「廃嫡だなんてそんな……エリザベス様の卒業が危ないのは公爵家のお仕事を手伝っていらしたからなのに、それで卒業が一年遅れただけで廃嫡って、そんな酷いことあり得るんでしょうか」
ルーシーが青い顔をして問いかける。
「あり得ますわよ。ブラッドレー公爵はもともと大義名分さえあったらエリザベス様を外してダミアン様に継がせたかったんですもの。成績不良で留年したって言うのは、大義名分になりますわ」
「だよな。卒業式の翌日に、親族や寄り子を集めたうえで代替わりを発表する予定なんだろう? そこで『後継の予定だったエリザベスは、王立学院を卒業できないくらい馬鹿でした!』なんて発表されたらエリザベスの面目は丸つぶれだし、エリザベスに対する期待が大きかった分、失望も大きくなるはずだ。その流れで公爵が後継変更を宣言したら、あっさり通ってしまうんじゃないか?」
「ええ、『留年するような馬鹿には公爵家を任せられない』って言えば、結構それらしく聞こえますもの。親族や寄り子の方々も反対し辛いんじゃないでしょうか」
クローディアとライナスが沈痛な面持ちでうなずきあっていると、エリザベスが「ああもう二人して馬鹿馬鹿ってうるさいわね! だからちょっと手を抜いただけだって言ってるでしょう?」と怒りの声を上げた。
「いや、俺たちはただ、公爵がそういう言い方をするかもっていう――」
「大体クローディアさんだって前半は赤点すれすれだって言ってたじゃないの。私が馬鹿ならクローディアさんだって馬鹿よ!」
「ま、まあ心外ですわ。私は馬鹿じゃありませんわ。私はただ婚約者へのストーカー行為に打ち込むあまり、学業をおろそかにしていただけですわ!」
「それが馬鹿じゃなくてなんだって言うのよ!」
「……二人とも落ち着け」
二人の底辺の争いに、ユージィンが割って入った。
「とにかく、今回の件がそういう意図なら、いくら抗議がいっても撤回されないだろうし、試験で挽回するしかない。……エリザベス嬢、明日からでも来てもらえそうな家庭教師のあてはあるか?」
「いえ、人に紹介してもらうにしても、しばらくはかかると思います……」
「それじゃ、良かったら私が教えよう。学年は違うが、私は王立学院のカリキュラムは全て終えているから、一通り教えられるはずだ。エリザベス嬢の特に苦手な科目はなんだ?」
「え、それは全体に……ですが、特に数学と古代語が、その」
「あ、数学なら私が教えられますわ!」
「え、クローディアさんが?」
ぎょっとした表情を浮かべるエリザベスに、ユージィンが「ああ。数学は私よりクローディア嬢が適任だ。クローディア嬢はすでに王立大学に余裕で合格できるレベルだって、数学教師のお墨付きだよ」と告げた。
「そうなんですか……。それじゃお願いするわ、クローディアさん。悪いわね、貴方だって進級が危ないんでしょうに!」
「全っ然危なくなんかありませんわ! ……だけどエリザベス様がどうしても心苦しいとおっしゃるなら、休憩時間にでも、ちょこっと私の防音結界を見て下さると嬉しいですわ。教科書通りにやってるはずなのに、なんだか上手くいかないんですの。防御結界の方は魔力量のごり押しでなんとかなるのですけれど」
「ちゃっかりしてるわね。まあそれなら特別に、私が少しだけこつを伝授してあげてもよろしくてよ」
「古代語は私の得意科目だから、私が教えることにしよう。他の科目も一通りやった方がいいだろうな」
「あの、薬学なら私もお役に立てると思います。進学用に勉強しているので。……もしエリザベス様がお嫌でなかったら、ですけど」
「お願いするわ。ルーシーさんの薬学なら信用できるし。それで、貴方も結界魔法を習いたいかしら」
「もし余裕がおありでしたら是非お願いしたいです。あ、できればクローディア様の数学も」
「もちろん大歓迎ですわ。私もルーシー様に薬学を教えていただきたいですし。それから殿下に古代語も」
「ああ、もちろん歓迎するよ」
「ふふ、なんだか勉強会みたいになってきましたわね」
「あ、そういうことなら、俺も……」
「ライナス、貴方は来なくていいわよ!」
「そういうこと言うなよ。俺も探索魔法なら学院一の自信があるし、教えられるから!」
そして第一回目の勉強会は明日の午後、場所はブラッドレー公爵邸と決定されたのち、その日の昼食会は解散となった。
「――こうやって皆で協力し合うのって、なんだか演習の時を思い出しますわね」
「ええ、あのときもみんなで頑張って……そして優勝したのでしたわね」
「今回も演習の時のように上手くいきますわ、きっと」
クローディアとルーシーはそんなことを語り合いながら教室に戻ろうとしたわけだが、扉の前で赤毛の青年に呼び止められて足を止めざるを得なかった。
「どこ行ってたんだよルーシー、待ちくたびれたぜ」
ルーシーの婚約者であるフィリップ・エヴァンズが扉の前で笑みを浮かべて待ち受けていた。
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